春画先生のレビュー・感想・評価
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婦女子から腐女子へ…
フツーにウエイトレスとして働く婦女子が腐女子へ…
豊かな春画の〜めくるめく〜あられもないイザナい…
スマホで声を中継…
はあっ???
この春画先生、物腰の柔らかさからは想像もできない位のなかなかの下衆…
そりゃー壊れるわ。
いや、開拓者精神か!?
最中にメモりたくなるのは、まあ、わからんではない。。。論文であれ、何かを造り上げる事でひらめいたイメージって、メモらないとすぐに消えてしまう…。
眠ってしまうと、霞のごとく忘れるし
ただ結局の所、落とし所がSMなのは、ただの変態へのトーサクした鬼門をくぐるようなものだと思うと逆に安易な気がして、、、
冒頭の始まり方とか、春画の解説とか、良かったけどなぁ
とはいえ、ヒロインの体当たりの演技は良かったかな…。
せっかくの倒錯を描くなら
四十八手に重きを置いても良かったかな…。←こら!
春画先生(本日は休講)
タイトルに「春画先生」と掲げている以上、この映画で本来描かれるべきは性の露出ではなく、
性をどう見るのか、どう読み解くのかということだと期待していた。
ところがこの作品が提示していたのは、「春画」という記号化された文化遺産をあっさりと紹介して済ませ、
それ以上に「今回の主演女優、体当たりで頑張りました」という、なんともお粗末な裸の消費であった。
春画は隠すから艶っぽく、誇張するから帰って滑稽にもなる。
それを知恵と笑いで包み込むのが春画の本質なんだろうなぁって思っていたが、
この映画には、そのような感じで、作品としての自分そのものを「読み解く視線」が決定的に欠けているように思われる。
画面の随所に漂うのは「それ、ただの演出都合では?」という残念な思いである。
春画を掲げている以上、その関連での性描写じゃなければ、なんの意味があるというのだろう。
まさか、家なき子が鞭を振るうこと自体に意味があるとでも?(笑)
春画的である必要性を感じない場面があまりにも多く、結果として、つまらない作品に春画が「免罪符」として使われているように見えてしまう。
映倫R15+、無修正春画のスクリーン上映――確かに史上初かもしれない。
それが何か?と言いたくもなる。それは映画としての完成度を保証するものでもなんでもない。
むしろ感じるのは、「性を語る=裸を見せる」という、あまりに素朴で、あまりに幼い発想だ。
これでは、春画を見たくてのぞきたくてしょうがない汗臭い未成年男子のレベルじゃないか。
どうも、春画の名を借りて、その本堂から外れてしまったところで、この映画は作られてしまっている。
白川和子。
「団地」「情事」を生き抜いた彼女をこの映画に配置することは、何か、オマージュを意図したのだろうか、
色々考えてみたが、全ての配役が頓珍漢であるように、アイススケート・ショートトラックのスタートで、思い切りこけたイメージで見えてしまう。
もし、主演女優の演技指導をしていたのなら、それだけが、この作品の唯一の“先生”的な要素だったのではないか。
結局のところ、
この映画は春画を題材にしながら、春画の精神を勝手に解釈しレポートを作成したことで、教員に不可をつけられてしまう。そんな映画ではなかったか。
その意味では、この映画、先生は休講していたのだろう。
授業がなかったのに、上手なレポートは書けないよね。
ある愛のかたち
予告編などではコメディと謳ってたが、むしろ恋愛映画と言ったほうがいいだろう。確かにある意味変な人たちのおかしな話ではあるのだが、ゲラゲラ笑えるような映画ではなく、せいぜいフフンとかクスリとか笑えるかな?といった程度。
ただ話の入りが強引かつ唐突で、ヒロインがなぜ春画や変人の“春画先生”に惹かれたのかがいまいちよくわからない。それでも話が進むうちに物語に引き込まれて、そのあたりはまあいいやとなる。しかし前半はちゃんと春画の話をやってるんだが、後半どんどん春画の比重が軽くなっていき、クライマックスでは完全に春画と関係ない話になってしまう(笑)。まあ個人的には映画としてそれなりに面白いから別にいいんだけど、これは決して春画についての映画ではなく“春画先生”という変人、いや変態の映画です(笑)。恋愛映画というか変態恋愛映画だ。別に変態映画でもいいんだが、残念ながら僕は興味のないタイプの変態なんだよなあ。なのでいまいち感情移入できなかった。塩田明彦監督って名前を聞いたことあるなと思って調べたら、喜国雅彦のマンガ『月光の囁き』を映画化した人だったのね。そっちは観てないし原作もチラッとしか読んでないが、あれもかなりの変態恋愛マンガだったような。
北香那ちゃんのヌードは大変美しゅうございました。事の最中ではなく翌朝にさらっと見せてるが、それが監督の狙いだったらしい。ただ本作は主演の内野聖陽をはじめ、柄本佑、安達祐実と芸達者な人たちに囲まれ、しかもそれぞれがハマり役を演じているため、彼女だけ芝居が少々一本調子に見えてしまう(役どころのせいもあるかもしれないが)。彼女も決して演技の下手な俳優ではないんだけどね。
愛に目覚めたユミちゃん
ドキドキした。。。
無や削ぎ落とした事でその美しさをを引き立てる魅せ方
ラスト20分ぐらいまでは良かった
と言いながらもよくできた映画だと思う。
春画を見るマナー、口をハンカチで抑える理由がわからんけども
表情を隠すためなのか、それとも自分の穢れが、いやわからんから
調べよう。
なになに、
・恥じらいを隠す(見たい・恥ずかしいの葛藤を隠す)
・笑いを隠す(ユーモラス要素もあるため)
・話す、笑うを隠すための礼儀作法(口を開けて話す、笑う行為が不作法のため)
とな。
※以下敬称略
内野聖陽:芸名時の読み仮名を(まさあき)→(せいよう)に変えたことが印象的。
春画の第一人者役・芳賀一郎、どこかコミカルさが入り混じって面白い。
北香那:春野弓子、芳賀一郎と春画の世界に心ごとズブズブに没入していく。
で、ここに柄本佑と安達祐実が重なってくるから脇は十分。さらりと、白川和子なんかも脇の脇を固めていてよい。
物語のコミカルさと性的なドキッと具合、途中で流れる曲(なんと言えばいいのだろう)
そう、伊丹十三映画を彷彿させるあの「パーン」とした軽快な感じ。
軽快さとエロスが二人三脚なのが、小気味よかった。
ラスト20分からは性癖紹介ということで。
角煮を食べた後に、ほら煮汁まで飲みなさい、と言われているような
「げふっ」となるようなラスト20分だった。
ヘッドフォン推奨!
唯一の動機
大衆文化への冒涜
春画は人間の本能に根差し、古くは中国の王朝時代から平安、桃山時代に為政者など権力者から画家に託され、後に江戸時代になって大衆に支えられた絵師が数多く産み出した古典文化、芸術であることは理解できるが他の学術的研究と比べるとちょっと格落ちは否めない、春画研究を餌にして喫茶店のウェイトレス弓子を家に誘うオヤジ、春画先生、文化研究者の名を借りてやってることはナンパでしょう。それにドハマリな弓子も信じがたいほど男に無防備で俗っぽい、弓子は単なる尻軽女なのかもう少し人物像を生い立ちから深堀りして欲しかった。個人的には春画やポルノは好きな人がそれなりに愉しめばよいもの、ことさら声をあげて陽を当てなくてもよいでしょう、歴史に埋もれても大衆文化の多くはそういうものでしょう。ストレートなAVを撮らずに春画の力を借りてポルノを正当化したような原作・脚本・監督の塩田明彦の作家性の強さ、捻じ曲げには顰蹙しか感じません、大衆文化への冒涜でしょう。
なかなか凄い
普遍的な部分とこじつけが入り混じる。
確かに、弓子の最後の言葉「感性を磨き、思い込みから解放されよ。精神と肉体を解き放て。幸福とはその先にあるもの」は普遍的だ。
弓子が月謝の代わりにお手伝いさんとして働きだしたころに、先生の書いたメモを見てそれが頭にこびりついていた。
これこそがこの作品を通して監督が言いたかった言葉だろう。
性とは人間の三大欲求にもかかわらず、古来から「教育」されてきた歴史がある。
物語にもあったが、日本では特にキリスト教文化の影響から春画なるものが厳しく抑圧された。
旧約聖書にもその在り方を厳しく説いている。
アダムとイブと知恵の実
「恥ずかしさを知った」ことは、後付けの嘘だということがわかっている。
成人となる儀式で、あのマサイ族はライオン狩りに出掛ける。
見事ライオンの首を持ってきた物だけが成人とみなされる。
彼らはモテる。
モテる彼らは夜這いにやってくる小学生低学年くらいの年齢の女の子と交わる。
しかし生理が来ると、結婚するまで性行為はしない。
これが彼らの在り方だ。
人間社会だけが、この性に対し厳しい倫理上の決まりを押し付けている。
ここにこの作品は切り込んだのだろう。
それはいい。
ただ、
男女の在り方はそれぞれだが、基本的な「もの」がなければすぐい価値観の違いという問題が生じる。
ここをこの作品は壊してみたかったのだろう。
それもわかる。
わかるが、どうしても納得できないことでもあったりする。
この作品の提案する世界観が正しいとは受け取れないのだ。
それを見込んでコメディタッチにしている点は素晴らしいと思う。
所詮、受け入れられないというのが大半だろう。
特に欧米人は「浮気」に関しては絶望的なほどの関係になる。
それだけキリスト教による性教育がしみこんでいるのだろう。
さて、
物語の内容はよく理解できたし、弓子の言葉は正しいと思う。
彼女がカフェでウエイトレスをしていた時に起きた地震が、人生の岐路だったという設定もコメディ故に面白かった。
弓子は自分の人生を変えたいと思っていた。
同時にこんなつまらない人生を歩くしかないとも感じていた。
弓子がそうなった理由が離婚だった。
それは彼女にとって、男という一括りにしたものとは幸せにはなれないと思っていたからだろう。
春画に見た男女の思考とその先に感じていたであろう物語が見えた時、弓子は興奮した。
いくつもの男女の絡み合いは相手のみならず、見えない背景、見えている背景の先までも映し出している文学的作品だということを知る。
その肌感は、紙の白だった。
こんな春画の奥深さと愛好家たちの存在
性への開放
なかなか面白いが、実際「その先」へなど進めるだろうか?
その先にはきっと一夫多妻制や一婦多夫性のようなことを想像してしまう。
物語にはLGBTや3Pまで登場した。
やはりそこにはソドムとゴモラのような文明の破壊を感じてしまう。
人には理解できないことや受け入れられないことがある。
性というものに対する倫理感は、時代や文明の要のようにも思う。
この作品が提案するように、確かにそれは普遍的な真理かもしれないが、性だけをクローズアップすることはできないのではないかと考えてしまう。
仮にこの作品のような世界が始まる場合、そこにはもっと美しい人間性であふれた世界になっている必要があるように思う。
マサイ族の文化は彼らの数百年の文化だが、彼らの自然との関わりと生き方だ。
そこにいわゆる犯罪はない。
全員が調和を求め、実際調和がある。
しかし現代社会は国から国際的標準を求める。
実際には多様でありながら、同じルールを求める。
この中で良いとか悪いとかが勝手に線引きされる。
この世界の中でこの物語のようなことを求めるのはやはり難しいだろう。
セキレイのつがいの話
イザナギとイザナミ
すべてが調和していたとき、性に対する開放もありになるのだろう。
江戸時代にはそんな考え方もあったようだ。
春画は、時代劇で見る「現代社会の常識」的側面から描いたものではない真実が隠されていた。
この点を突いたのは良かった。
不可能なことを提案するのもよかった。
そしてそれをコメディのような感じで表現したのもよかった。
特にあの鰹節 男根の象徴 コメディ
そして、現実の難しさを考えさせられた。
なかなかの作品だった。
何かを追求するということは『変態』『変体』『ヘンタイ』のどれかな?
自分と違う、世間と違う、世界観が違う。
変態だからそらぁ違うわ。でも変態だらけなら数少ないアナタが変態?
そんなくくりはどうでもいい。
大事なのは文化や芸術の美しさを観る心。
日本人には(世界の何処かにも点在するだろうけど)性に関する事にはタブー感や羞恥心の境界線を行き来する未発達の領域だったりするのかな。
でもこの作品は真っ向勝負に出てノーガードで撃ち合い切り合いに出ている。
男と女。まったくの別の生き物。
簡単には行かない生き物。
だから駆け引きや腹の探り合いなどが生まれて愛が深まる。
キズが浅いなら今のうちに身を引くのもそれで良し。
ビビってないで知らない世界に飛び込め!
北香那さんが実質的には主演
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