イニシェリン島の精霊のレビュー・感想・評価
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ロバのつぶらな瞳
何とも不可思議な物語だ。思い出されるのは、血が滴る指、自然豊かな島の風景、吉兆•凶兆定かでない、天上から広がる光。そして何より、動物たちのつぶらな瞳が忘れがたい。美しさにおぞましさ、滑稽さ、悲愴感が無いまぜになった114分だった。
ある日突然パードリックは、旧来の友・コルムから絶交を言い渡される。何が何だか分からず戸惑うパードリック。コルムが他の村人たちと楽しげに過ごしている姿を見ると、居ても立っても居られない。しかし、コルムは頑なな態度を崩さず、無理に話し掛けるならば、会話するごとに自分の指を一本ずつ切り落とすと宣言する。
きっかけも、その後の展開も、コルムの身勝手のはず。とはいえ、彼がそのような行動に至るには、何か原因があるのではとパードリックは悩み、焦る。何とか修復を試みたものの、別の生き方をしたい(そこにパードリックはいない)と告げられ、彼は身も心も粟立つ。
パードリックは、別のやり方、別の生き方の術を持っていない。毎日決まったように家畜たちの世話をし、午後になったらパブで酒を飲む。それで満たされていたはずが、友の離脱で歯車が狂い始めてしまう。
習慣を守り日々を重ねるのは、単調ながら平和で、穏やかだ。一方、そこから踏み出すのは難しい。自他を傷つけ、周りの心もかき乱す。こんな季節だからかもしれないが、卒入学、就職に転勤と、半ば外因から人生が動くのは、変化を求めながらも踏み出せない、人の性が少なからず影響しているのかも、とふと思った。
おどろおどろしさが加速する人間たちのやり取りの一方で、変わらず自然は雄大で、音楽は美しく、心に沁みる。さらに印象的なのは、パードリックの飼う羊や牛、そしてロバたちだ。特にロバのジェニーは彼にとって家族同然たが、妹には「家には入れないで!」と戒められる。
動物の潤んだ黒目は、深みがある。人間たちの争いを達観しているようでもあり、呆れているようでもある。(もしかすると、人間には特段の興味さえ抱いていないかもしれない。)友と妹を失ったパードリックは、ことさらにジェニーを可愛がり、昼夜共に過ごすようになる。けれども、所詮はロバと人。彼らには越えられない壁がある。触れ合っても会話はできず、やり取りは一方通行で、距離は縮まらない。その瞳から何かを見出せるのは、受け手であるパードリック自身なのだ。
砲弾の音が響けば、本島の内戦で屍は増える。そして、島でも喪失が増殖していく。幾つもの死を乗り越え、パードリック、そしてジェニーの瞳には、一体何が映ったのだろう。
コリン・ファレルは眉毛で語る
アラン諸島は、地の果てという言葉がぴったりくる場所だ。石灰質の岩盤で土がほとんどない。貴重な土が強風に飛ばされないよう、あのような低い石垣を延々と築いている。そこで生きていくことの大変さや、ろくな娯楽もない集落の閉塞感が容易に想像できる。
いろいろヤバい警官、退屈を持て余して人の手紙まで開封する雑貨屋店主、「地獄に堕ちろ」と叫んでしまう神父……濃すぎる住人たちが田舎の集落の息苦しさを倍加させる。
そんな場所で、生きた証を何も残さず死んでゆくことに、壮年のコルムはにわかに危機感を覚えたのかもしれない。
ここまでは、共感の余地があるドラマだ。
ところが、彼がパードリックの家に指を投げつけた瞬間から、俄然サイコホラー味が増してくる。約束を破られたからといって自分の指を切っても、困るのはフィドル奏者のコルム自身だ。不条理な行動の恐怖。
また、本土での内戦を遠景に架空の島イニシェリン島で起こる二人の男の諍いは、争いがこじれる理由を示す寓話のようにも見える。
最初は単なる意見の違いでも、伝え方を間違えたり意固地になったり、手違いで相手の大事なものを傷つけたりすると、それは果てなき怨恨へと変わってゆく。感情がそのように変質すると、決着のため始めたはずの争いが復讐に変わる。
万華鏡のようにさまざまな角度の見どころを持った作品だ。
アイルランドの風景の荒涼とした美しさが目に心地よく、ユーモアと皮肉の込められた台詞が楽しい。田舎の人間関係は息苦しいが万国共通のものを感じて退屈しない。物語がだんだん重くなる中、かわいい動物たちが癒しをもたらしてこちらの心を支えてくれる。
そして、何と言ってもコリン・ファレルとブレンダン・グリーソンの表情が素晴らしい。コルムの静かな狂気とパードリックが見舞われる不安、孤独。コリンの眉毛の表現力よ。二人の仲がこじれるほどに、ただのいい奴だったパードリックが歪んでゆく。その流れの自然さ、リアリティがすごかった。
ちなみに、とても愛らしく物語のキーパーソンならぬキーアニマルにもなったロバのジェニーは、動物プロダクションの社員かと思いきや、輸送などの都合で現地調達したキャストだそうだ。なかなかの演技達者だったのでびっくり。
オッサンの痴話喧嘩が教えてくれるもの。
オッサン同士のかなりシュールな痴話喧嘩を通じて浮かび上がるのは、個人と個人のすれ違いだけじゃない。ひとつの社会の中で起きる分断、それぞれが常識だと思っていたものの相違とぶつかり合い、そしてこじれ始めると留まることのない社会不和。騒動の当事者であるパードリックとコルムは、知性に欠けた愚か者と、どこかで相手を見下している教養人として登場するが、それもパードリックの妹シボーンによって、所詮は五十歩百歩だと暴かれてしまう。果たして本物の知識や教養があれば、バカげた諍いは避けられたのか。変化を求めない島の住民たちは、緩やかに滅んでいくのを待つだけなのか。明るい未来を求めるなら、シボーンのように、故郷を捨てて新天地を目指すしかないのか。経済的にも世相としても停滞感が色濃い現在の日本と、いかに似ていることかと悄然とした。そしてこういう複雑でヘビーなテーマをコメディの枠で作ってしまえるマクナドーの知性とユーモアには今後も注目していきたい。
人間の諍いの愚かしさを突き詰め、神話の域にまで昇華
マーティン・マクドナー監督は、「セブン・サイコパス」や「スリー・ビルボード」など米国を舞台にした大作も撮ってきたので、その出自を気にかけない観客も多いのではと思うが、実は英国とアイルランドの二重国籍を持つという、メジャーな劇作家・映画監督の中ではかなり希少な存在だ。映画に進出する前はアイルランドのアラン諸島を舞台にした戯曲「アラン諸島三部作」(「イニシェリン島の精霊」の原型になった「イニシィア島のバンシー」を含む)を手がけており、自身のアイデンティティに関わるアイルランドについて並々ならぬ思いを抱いてきたことがうかがわれる。
本作の時代設定は1923年で、舞台となる架空のイニシェリン島から海の向こうに望むアイルランド本島ではまさに内戦が進行しており、大砲や銃の音が島に伝わってくる。昨日まで仲の良かった隣人同士、さらには親兄弟までもが、信仰や思想、主義主張の違いから仲たがいし、さらには殺傷し合う内戦の愚かしさと悲劇が、主人公パードリック(コリン・ファレル)と長年の友人コルム(ブレンダン・グリーソン)の関係に投影されている。
絶縁を宣言したコルムの異様なまでの頑なさ。それを受け入れられないパードリックの鈍感さは、彼が飼うロバのように哀れを誘う。傍(はた)から見れば愚かしい諍いが坂道を転がるように悲劇の谷へ向かっていくさまは、コルムがとる人間離れした行動や厳しくも美しい島の景観と相まって、神話のような聖性さえ帯びている。
「スリー・ビルボード」に比べるとゆったりした進行で派手な展開も少なく、やや地味に映るかもしれないが、重厚な見応えと、鑑賞後も人の諍いについて考えさせるようなインパクトの点では、決して引けを取らない。
喉越しがざらざらとする寓話的世界。その真意は?
ある日突然、親友と思っていた相手から「もうお前とは付き合わない」と言われたら、どうする?さらに、「自分に残されたわずかな時間を無駄にしたくない」とトドメを刺されたら!?
舞台は1923年。アイルランドにある架空の孤島、イニシェリン。人々はパブで飲むこと以外に取り立てて楽しみがない日々を過ごしていて、2人の男たちの仲違いは一気に周囲を巻き込んでいく。喧嘩の理由はこの閉塞感なのか、それとも、わざと突き放して相手を試しているのか。物語は方向性を教えないまま強烈な幕切れへと突き進んでいく。
その過程で、徐々に輪郭が見えてくる。諍いが見るも無惨にエスカレートしていく対岸の本島では、同じ民族同士が内戦を戦っている。親しいだけに際限がない男たちの喧嘩は、アイルランド内戦の比喩なのだと。
同じく狭いコミュニティで起きる争いを描いた前作『スリー・ビルボード』に比べると、マーティン・マクドナーの最新作はやや寓話的、戯曲的に過ぎて飲み込み辛い欠点はある。しかし、コリン・ファレル以下、魅力的な俳優たちが織りなす演技的アンサンブルや、ロケ地であるアラン島でのロケーションが、文句なしに映画的醍醐味を味合わせてくれる。何よりも、このざらざらとした喉越しは強烈で、飲み込むとファレルのように眉毛が八の字になるのだ。
「スリー・ビルボード」のマーティン・マクドナー監督作というのが重要だと思う作品。賛否は分かれそうな会話劇。
本作は第95回アカデミー賞で、作品賞、監督賞、主演男優賞(コリン・ファレル)、助演男優賞(ブレンダン・グリーソンとバリー・コーガン)、助演女優賞(ケリー・コンドン)などで8部門9ノミネートという注目作となっています。
個人的には、【「スリー・ビルボード」のマーティン・マクドナー監督による作品】という点が重要なのだと捉えています。
前作の「スリー・ビルボード」もアカデミー賞を席捲した会話劇。こちらは個人的にはとても好きな作品で非常に良く出来ていたと思っています。
大枠の作風は2本とも似た雰囲気を持っています。
ただ、「物語の必然性」という点において、この2作品には大きな違いがあると考えています。
「スリー・ビルボード」の際には「物語の必然性」があり、「この先はどうなっていくのだろうか」というワクワク感のようなものが終始ありました。
一方の本作では、個人的には「物語の必然性」をあまり感じられず、いろんなものが唐突過ぎて、「どうしてこういう展開になるのだろうか?」という不思議さの残る会話劇でした。
ただ、その「物語の必然性」をそれほど重視しないで「そういう流れなのか」と割り切って見ていけば、コリン・ファレルなどの演技も上手く会話劇として集中力は途切れず作品に入り込んでいけます。
「人の死を予告するというアイルランドの精霊・バンシー」をモチーフにしている点がやや分かりにくく、「スリー・ビルボード」のような風格はあるものの「物語の面白さ」という点では割と賛否が分かれそうな作品だと思います。
アイルランド内戦を背景に、諍う男の対立を戦争のメタファーにした戯曲的映画の世界観
アイルランド内戦(Irish Civil War)終結の約2か月前の1923年4月を時代背景にした、ある島に住む男二人の謎めいて深刻な愛憎の人間ドラマ。監督は脚本と制作も兼ねた劇作家のマーティン・マクドナー(1970年生まれ)という、ロンドン生まれのアイルランド人。原題 “The Banshees of Inisherin” のイニシェリン島は実際には存在せず、アイルランド語のInis(イニシュ・島)とErin(エリン・アイルランドの)の意味を持つ単語を組み合わせた造語であり、アイルランドそのものを象徴すると説明されています。またBanshee(バンシー・妖精)も死の予言をする不吉な女性の精霊で、アイルランドでは古くから伝承されている死生観の文化といいます。このタイトルに込めた神秘的な寓話性が特徴のアイルランド映画が、直接アイルランド内戦(1922年~1923年)を描いていなくても、戦争と人間についての考察を試みたことは明白です。二人の男性の突然の諍い劇が、アイルランド独立戦争(1919年~1921年)の休戦協定で締結された英愛条約を巡って国内を二分した、アイルランド人の対立と抗争のメタファー(隠喩)になっていると解釈できます。
映画は開巻早々ごく平凡な男パードリックが、友人で音楽家のコルムを訪ねて拒絶される場面から始まり、それまで仲良くパブでビールを飲み交わす仲であったことが分かるだけで、何故突然にコルムがパードリックと会話もしたくない心境に至ったのか、明確には明かされません。知力にコンプレックスを持っても愚直さと素朴さのあるパードリックにとっては、それは一時的なコルムの気まぐれで、何も娯楽の無い島の生活で唯一の気晴らしで楽しみであったコルムとの時間を取り戻したくアプローチを試みるものの、全てが思わぬ方向へいってしまう。このシンプルなストーリー展開が、約110分の映画の流れを持って観る者を惹きつける演劇的な演出と役者の充実した演技、そして荒涼とした島の自然を捉えた映像の美しさで魅了します。日常生活にある人間の感情や価値観の齟齬が、それまでの関係をドラスティックに変えていくドラマの重厚さと、そこから見えてくる人間模様の抜き差しならない姿の痛々しさ。主要登場人物は、パードリックの未婚の妹シボーンと、パードリックにつらくあたる警察官の息子ドミニクと少なく、それでもパードリックには可愛がるロバがいて、コルムには賢いボーダー・コリーが常に付き添っている。中年過ぎの男二人を独身にして人間関係をシンプルにしても、この動物たちを彼らのパートナー(妻)と見てもいい。この擬人化は他に馬や牛や羊にも及び、動物と共生した島の生活の辛さと厳しさを表現しています。特にロバの扱いを見ると、これはロベール・ブレッソン監督の「バルタザールどこへ行く」(1966年)を想起してしまいます。マクドナー監督のブレッソン監督へのオマージュを感じました。
この複雑にして過酷な時代のアイルランドを描いた映画には、先ずデヴィット・リーン監督の「ライアンの娘」(1970年)があります。第一次世界大戦時代(1914年~1918年)の寒村の港を舞台に、アイルランド人の人妻が赴任してきたイギリス軍将校と不倫する恋愛ドラマでも、独立運動の為の準備が描かれていました。イギリス領アイルランドは、第一次世界大戦にはイギリス軍に配属され参戦しています。大戦が終結するとアイルランド民族主義者たちが立ち上がり独立戦争を起こし、1921年に休戦協定が結ばれます。しかし英愛条約に不満を持つ民族主義者が現れます。アイルランド自由国は、あくまでイギリス連邦下であり、北アイルランド6県がイギリス統治下のままの不完全な独立だったからです。この独立戦争から内戦までを描いた作品がケン・ローチ監督の「麦の穂をゆらす風」(2006年)で、独立戦争では共に活動した実の兄弟が袂を分かち対立する内戦の悲劇を冷徹に描いていました。古い映画ではジョン・フォードの「男の敵」(1935年)があり、独立運動のメンバーの男が密告することで制裁を受けるドラマチックな人間ドラマの傑作でした。フォード監督初のアカデミー監督賞受賞作品です。イギリスの支援を受けるアイルランド自由国軍とアイルランド共和軍(IRA)の戦いは、自由国の勝利に終わり、その後IRAはテロ組織のまま継続して長く禍根を残します。第二次世界大戦後の1949年、アイルランド共和国としてイギリス連邦から漸く離脱しても北アイルランド問題は解決せず、1969年に勃発した北アイルランド紛争を題材にしたのが、ケネス・ブラナー監督の「ベルファスト」(2021年)です。カトリックとプロテスタントの宗教対立が更に問題を過激化させていきました。アイルランド出身の監督ニール・ジョーダンは、IRAにイギリス軍兵士が誘拐される事件を発端にしたストーリーの「クライング・ゲーム」(1992年)を上質のサスペンス映画に仕上げ、独立運動で活躍した英雄を主人公にした「マイケル・コリンズ」(1996年・未見)では、1916年のイースター蜂起から1922年の内戦までのアイルランドの実態を本格的に映画化しているようです。またアラン・J・パクラ監督の遺作でブラッド・ピット主演の「デビル」(1997年)は、IRAメンバーのピットがアメリカに渡り闇市場で武器を入手しようとするサスペンス映画でした。
離島から見える本土の内戦を立ち上る爆撃の噴煙と銃声だけの表現にして、対比される男二人の不和と衝突のドラマ。コルムの拒絶に戸惑い、困惑から憤慨するパードックを演じるコリン・ファレル(1976年生まれ)の演技が素晴らしい。僅かに「フォーン・ブース」(2002年)で観た俳優のイメージだったものが、それを刷新しないと失礼であると思わせる演技でした。ヴェネツィア国際映画祭の男優賞に値する名演と思います。コルムを演じたベテラン俳優ブレンダン・グリーソン(1955年生まれ)の貫禄と渋さで深みのある演技も素晴らしく、この主演二人のキャスティングは見事でした。1930年代のアイルランドの極貧の性活苦を描いたアラン・パーカーの秀作「アンジェラの灰」(1999年)が映画デビュー作のケリー・コンドン(1983年)の手堅い演技も良く、またこの読書好きの知的な女性像が男二人の諍いを客観的にみる人物構図がいい。戦争をする男たちに対する女性の立場は平和の象徴であり、多くの本を読んでいる知性は、どう考えても戦争を肯定しない。周りの男たちは、二人の争いをただ見ているだけです。兄との同居生活を棄て本土に行くのは平和のための抵抗であり、兄への手紙で分かるのはシボーンの平和主義の願いであることです。そしてコリン・ファレルの名演と同じくらい感心したのが、ドミニク役のバリー・コーガン(1992年生まれ)の演技でした。知的障害の芝居も巧妙に演じて、シボーンに求愛するシーンの微妙な表情演技がまた巧い。これらアイルランドの4人の俳優のキャスティングに不足は有りません。
偏に劇作家出身の監督マーティン・マクドナーの演劇的な俳優の芝居を構築した成果が、アイルランドの大地や海の自然を美しく捉えた撮影ベン・デイヴィス(1962年生まれ)のカメラワークと繊細な色彩によって、映画の世界観に昇華されています。時に斬新なカメラアングルもあり、完成度の高い映像美でした。自然と人間と動物のアイルランドの映像にマッチしたカーター・バーウェル(1955年生まれ)の民族音楽を思わせる音楽もいい。個人的に好きな「秘密」(1992年・日本未公開の秀作)と「ROCK YOU!」(2001年)の音楽担当を知って更に嬉しくなりました。近年接した少ない作品群の中ではありますが、特に最後まで興味深く、面白く鑑賞出来た作品として推薦したい傑作でした。
田舎の十字架、都会の争い
1923年、アイルランド内戦の最中、戦火と無縁のイニシェリン島。妹シボーンと暮らす中年のパードリックは、親友だと思っていたコルムから突然絶交される。何も心当たりがなく戸惑う彼は、周囲の人の手を借りて関係修復を試みる。しかし、コルムはこれ以上自分に関わるなら、自分の指を切り落とすと言う。
コルムは、パードリックの退屈な話に付き合っていられない、という理由。でも指落とすか?二人は、それぞれ飼っている動物に例えているよう。ロバより犬のほうが知性があるとでも言いたげな。田舎暮らしのくだらない話で一生を終わらせたくない焦り、知性への憧れをコルムは抱えている。しかし、やっぱり学がない、どっちもどっちということか。田舎で暮らしていると、わかる気がします。一方、読書好きのシボーンは、そこから逃げ出してしまう。でも、その先は、戦火の都会だし。
人生は死ぬまでの暇つぶし
ロバが大好きな主人公パドリック(コリン・ファレル)の話が、音楽を愛するコルム(ブレンダン・グリーソン)にとっては 関心がなくなってしまい 縁を切ろうとして指を切りました。コルムにとってパドリックは、話し始めると無駄に長く、恐らく独占欲も強くて 重く感じる相手だったのだと思います。
ロバ等の動物たちと一緒にいるコリン・ファレルを見ると『ロブスター』(2015年)を思い出します。コリン・ファレルは ダメ男の役が似合います。
ドミニク(バリー・コーガン)がパドリックの妹シボーン(ケリー・コンドン)の裸に言及したり、家に招待する場面は、『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』(2018年日本公開)を彷彿とさせます。
シボーンの結末と ドミニクの結末も 対照的でした。
死神のような老婆が、「二人死ぬ」という予言をしていました。もう一人は誰になるのでしょうか。
四面楚歌になって闇落ちしたパドリックは、これからどう生きていくのでしょうか。
名言が沢山あり、考えさせられる良作でした。
見事な芸術作品
単純な話だ
退屈な日常に嫌気がさした隣人が日常を変えるために友達をやめた事で起きる人間関係の諍い
やることが少しだけ過激ではあるが、今どきの映画やドラマではもっと過激だったりする
田舎町にありがちな日常の、単純で少しだけ過激な諍いを、こんなにも芸術的で見事なスリラー映画に昇華させる監督の凄技に感服する
手を変え品を変え、意表を狙い、大きな音やその他の小細工で演出されるスリラー作品が多い中、小手先に頼らなず美しい映像と「イニシェリン島の精霊」の曲が作品を更に芸術的な上質スリラーに仕上げている
普通の田舎の良い人間だったはずの主人公が、毎日飲んでいた親友がいなくなる事でじりじりと変化していく様が本当にお見事です
退屈で平和な日常を取り戻すために、人間の持つだろう狂気が滲み出て、丸裸にされた主人公の悲しみと狂気
争う事の愚かさもひっくるめ、閉塞的な田舎町でのささいな事件でこんなにも精神的やられるとは思いませんでした
流石のアカデミーノミニー映画ですな
終始重く嫌な気分で二度と観たくないけどね
終始全編ト-ンが暗く、パンチがスゲ-弱い感じ、何でこんなのノミネ-トかと思う。
雪が降ったり止んだり。
映画終わって劇場出たら 外の世界が真っ白だったら
やだな~と思いながらも 今日も劇場へ。
今日は「イニシェリン島の精霊」ですね。
※初日に観に行ってたけど 遅れてコメントです。(^_^;)
真っ先に感想言うと、何でこんな作品がノミネ-トの思い。
(他にも良い作品一杯あるやろと感じるけども)
オィオィまた意識高い系の奴らの仕業かいな~と思うわ。
資金回収がままならないのを見越して
先手で関係者に手を打ったんではと勘ぐってしまう・・・なぁ。
(闇パワ-な仕掛けを感じるぞ)
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追記:
イニシェリン島の精霊:THE BANSHEES OF INISHERIN(原題)
イニシェリン島:架空の島とのこと。
BANSHEES:精霊ではなく 妖精が正解らしい。
監督マーティン・マクドナー:映画より舞台演劇がメインで
アイルランド出身で活躍。
THE BANSHEES OF INISHERINの元となる 舞台劇作は、
本国では人気が全く無かった出し物。
それがこの映画ベースになっている様です。
アイルランドの内戦当時、離れた孤島内でも本島と同様に
小競り合いがあった事を表現しているのだという事。
背景は昨日まで親友であった者同士が、内戦により
引き裂かれて対立していくことを表しているそうです。
価値観、思考違いを根拠に 急によそ者扱い、疎外感を創って
この内戦に乗じていく話(意味不明的に)がベースなのでしょう。
問題は、こういった説明や、背景を一切映画内に示していないことが
問題と思います。
事細かに説明しない事が 新しい芸術性??とか
勘違いして評価しているのが事の発端かもしれません。
解り切っているだろうと解釈なく制作してしまって
結局、映画関係者等が事細かく説明しに
各SNS通じて投稿しているのが現状でしょう。
結局そのやってる行為自体を この映画内に求めないと
誰からも評価されないと感じますが。いかかですかね。
最近思う この人変わってしまったなぁ~と思える人
ウラジーミル・プーチン氏 でしょうか。
彼を指して揶揄してるとしたら それは面白いかもですね。
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MC:
パードリック(兄):コリン・ファレルさん
シボーン(妹):ケリー・コンドンさん
コルム(友人):ブレンダン・グリーソンさん
ドミニク(隣人、のろま):バリー・コーガンさん
久しぶりにコリンを観たな。相変わらず元気そうで良い演技を
感じました。
話筋----
1923年頃、アイルランドの小さな孤島・イニシェリン島が舞台。
パードリックはある日、親友と思っていた音楽家のコルムから
突然避けられて 絶縁を告げられる。
長年の友だと信じていたが、何故彼が突然そんなことを
言い出したのか理解出来ないパードリックだった。
なんとか取り入れられ様とするがコルムから一方的に
「これ以上自分に無駄話をして関わってきたらオレは
自分の指を1本づつ切り落とす」と怖い脅しの宣言を
されてしまう。それは 意味不明なヤツ同士のけんかの
始まりだった~。
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まあ、あれだね、この作品は観ても観なくても
自分の人生に何のプラスにも成らない内容でしたね。
島に警官がいて(ドミニクの父) 虐げられたドミニクを
かばって一晩 主が泊めたら
息子を帰せと 何故か理不尽に暴力的に殴られたところが、
何でヤネン・・・の思いはしたかな。
観てても ハリが無く全編暗いわぁ。
田舎の海辺で景色は良さそうなのだが、
いかんぜん天気悪ぅぅぅぅぅぅい。
どんよりし過ぎ。
それが この映画を物語っている。
急にオレに近づくな~話かけるな~ みたいなヤツ
居るかもだけど、話しかけたら自らの指を切り落として
相手の家のドアに投げる~
そんな事する どアホは普通いねぇよ。
そんな奇行シ-ンで ノミネ-トしたんじゃ無いだろうね~
家を出て行くシボーン。
店のおばはんも異常者的で、 手紙読む?勝手に?
怖すぎな島の住人で、誰でも引っ越しするよね
本島の方へね。
隣人や住人と 心通って暮らしていたかと思えば
突然180度変わって 避けられる この展開。
本描いた人の体験が元の様に感じますね。
昨今、スマホ携帯ばっかりで 会話がメッキリ減ると
こんな友人関係になるんかな。
最後は、指食べた主の飼ってたロバが死んで
怒り心頭で絶交友人宅を事前宣言し放火。
(なんやそりゃ(=_=))
犬は出しとけって言ってたから 逃げてて、
本人は中に居たけど、最終的に海辺に居て助かってて
友人宅は 全焼!
そして 微妙に仲直り ・・・なんだろうか~この展開。
”疑心暗鬼” その言葉そのまま的な内容でした。
もうちょっと脚本をしっかりさせて欲しい願いかな。
お金と時間ある方は
劇場にどうぞ!
忘れないように
譲らないとか、
許さないとか、
変わらないとか、
なんかよく分からない価値観決めて生きるの馬鹿みたい。
そうゆうこと忘れないようにしようと思った。
死神が見てる
これは反面教師にしなきゃ。
犬とロバの迫真の演技
静かな映画やなあ。大自然が美しい。
内容としてはこれは解説を読みたい。ドミニク一番気の毒。島の中で一番性格がよかったでしょう。
それにしてもなぜあそこまでしなければいけなかったのか…宗教的ななにかなのか?よく分からなかった。指痛すぎるし、ジェニーがかわいそすぎて…
家を燃やす時の犬とロバの演技すごかったなあ。え!そんなことしたらあかんのちゃうん!?っていう顔をしてるのがなんとも。
いさかい
コリンファレル最高やな
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