ウエスト・サイド・ストーリーのレビュー・感想・評価
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まさかの結末に衝撃
舞台や昔の映画は未鑑賞ですが、高校の部活動で演奏したことがあったので曲は知っていました。そのため、予告を観て気になっていました。いざ鑑賞してみた結果、王道のミュージカルであり、ストーリーの終わり方に衝撃を受けました。
曲はどれもよかったですが、特に「トゥナイト」「マンボ」の2曲が印象に残りました。「トゥナイト」はトニーとマリアの歌声が美しく、「マンボ」はカラフルでインパクトのあるダンスとなっていました。
内容は、若者の対立がメインで暴力は何も解決しないから、お互いを尊重することが大切だというメッセージが込められていると解釈しました。また、監督であるスピルバーグのウエストサイドストーリー愛が詰まっていて、本当に好きな気持ちを込めて制作したことが伝わってきました。
そして、私が観る前はトニーとマリアが愛し合って終わると考えていましたが、前述したように物語の結末を迎えた時はあまりの衝撃に驚きました。まさか、こんな悲しいエンディングを迎えるとは思ってもいませんでした。
このように、私の中で様々な感情が変化しながら、数々の名曲に乗せて進むストーリーに惹かれました。
幅広い年齢層は勿論ですが、特に今生きることに悩む若者におすすめしたい作品です!
一流の修復師の仕事 そして余談
バーンスタインの名曲に彩られた、シェイクスピアベースの押しも押されぬ名作をスピルバーグがリメイクするのだから、一定のクオリティは担保されている。オリジナルと比較して格段に凝った舞台装置や風景描写、カメラワーク。バレンティーナやエニバディズに見られる、現代の感覚に合わせた登場人物や配役。しかも物語のテーマは異なるアイデンティティの対立という今の時代にも十分響くもの。
見て損はない作品だ。ただ、ついどこかスピルバーグの魔法のようなオリジナルアレンジを期待してハードルを上げて臨んでしまった私は最初、十分楽しめたけどちょっとオーソドックス過ぎるかな?という我儘な印象を持ってしまった。
本作のパワーの根源は圧倒的にジェローム・ロビンスの原作とバーンスタインの楽曲にあり、スピルバーグはあまり独自性を主張せず、ビジュアルとポリコレ面について名画の修復師のような役割を果たした感じに見えた。経年による違和感だけを丁寧に取り除き、物語とバーンスタインが現代の観客によりストレートに響くようにする職人技。そう考えると、また違ったスピルバーグの凄さが見えてくる。
作品そのものの感想からは逸れるが、本作の批評記事を見ていて、二つほど引っかかることがあった。
ひとつは、ドクの代わりにバレンティーナを登場させ、それをリタ・モリノが演じたことや、トランスジェンダーのエニバディズにノンバイナリーのアイリス・メナスを配したことをもって画期的と賞賛するものがあったこと。
作品にマイノリティを登場させ、当事者にそれを演じさせるというのはそれだけでメッセージ性があるしリアリティも増す。重要性は分かるが、これは昨今のセオリーとなりつつある手法で、こうした現代へのチューニングは監督個人のクリエーションというより最早マナーに近くなっている気が、個人的にはする。作品独自のものとして評価することには違和感を覚えた。
(ちなみに、調べたところトランスジェンダーとノンバイナリーは違う性自認のようだ。これが正しければ、当事者性を尊重した配役とは言えないのかもしれない。個人的には一部の過度な当事者性重視には思うところはあるが)
もうひとつは、相対的に61年版を貶めるような記事があったことだ。一例として、小西未来氏が本作について書いた映画.comの「ハリウッドコラム」から、61年版の評価を引用する。
「現代の視点で見直してみると、傑作とはとても呼べないほど、著しく劣化していた」「感情移入がしづらい」「(掛け値なしの魅力があるので)一部が腐っているからといって、そのまま葬り去るのはあまりにももったいない」
ちなみに一部腐っているというのは、プエルトリコ系の人物描写にブラウンフェイスという手法を用いていること、映像表現やセットの古さ、当時の観客なら理解出来ても今の観客には物足りない心情描写、などを指すそうだ。
ブラウンフェイスがよくないなのはまだ分かるが、その他はうーん、昔の映画なんだから当たり前だし、そういったことを古い映画の味わいとして楽しむ人間もいるので、そこを劣化だの腐ったとまで書かれるのは、個人的にはちょっと心外だ。昔の映画のそういうところを現代の視点で斬るのは、後出しジャンケンではないかなあ。
いや、古くさくなったと評してもいいんだけど、言葉を選んでほしいかな。オリジナルのパワーは今も色褪せず、劣化なんてしていない。スピルバーグは、腐りかけた作品を拾い上げたわけではないと思う。
ポリコレ修正したリメイクが出た途端、オリジナルを相対的なポリコレ意識の低さで貶める記事を最近別の映画でも目にしたが、そういった見方はあまり好きではない。
昔のオリジナルとよいリメイク、それぞれの違ったよさがあるはずなのだから。
カーテンコール無きミュージカル
何故、ミュージカルなんだろう。なんで、町中で歌い出すの? どうして踊ってるの? ――いや、だって、ミュージカルじゃ無ければ、名曲「トゥナイト」が聴けないじゃ無いか。
正直言って、この名作ミュージカルのことはよく知りません。ああ、この歌がこれだったのかと、観てから知ったぐらいの無知蒙昧なもので、そんな私にとって、この映画は面白いのだろうかと不安でしたが、全てにおいて隙が無く、どの映画でも一度はトイレに立つ私が、最後の最後まで釘付けでした。ミュージカルのなんたるかは私には判らないけど、様々な登場人物が蠢く中に入り交じる、恋する二人の名曲「トゥナイト」の歌声が響き渡る様に、ああ、これぞミュージカルだ。ミュージカルで無ければならなかったのだと、理屈も道理もへったくれも無い妙な悟りを開いた心地です。是非とも、専門家の方に解説していただきたい。
(ここから修正)
そういえば、ミュージカルといれば付きものの、出演者全員が勢揃いするカーテンコールが無かったのは意外でしたが、こういうお話ならば、無くて正解だったと思います。
私はカーテンコールのある映画が好きです。映画「レ・ミゼラブル」では亡くなった登場人物も再登場するカーテンコールがありました。映画「タイタニック」では年老いたヒロインの夢の中で、沈んだタイタニック号が蘇り、亡くなられた登場人物まで再登場、主人公との最後のラブシーンという、言うなれば素晴らしいカーテンコールだったと思います。映画「スターウォーズ」エピソード4では表彰式という形式で、エピソード6では、イォーク族と戦勝を祝ってのキャンプファイヤー(笑)にみんな集まり、ダースベイダーの火葬と共に、かつての父の姿と歴代のジェダイの戦士達が再登場しました。デヴィット・リンチ監督旧「砂の惑星」でも登場人物達の顔見せでカーテンコールの役割を果たしていました。そういえば、とんねるずの「そろばんずく」でも何故か舞台で勢揃い。もう一度みたいけど、DVDとかプレミアついてて高くて買えないw 北野武監督の座頭市ではタップダンスで締めくくられていましたが、あれもカーテンコールに入るのかな。
でも、このウェスト・サイド・ストーリーではそれは無かった。戦いを経て、次々と倒れて消えていった主要人物達、そして主人公までも。空しい戦い、果たし合い、敵討ちを重ねたら、もう何も残らない、誰も居なくなってしまった。それ故に、カーテンコールなど出来ません。だからこそ、最後は誰も居なくなった瓦礫の街で、光と影が移りゆく映像で締めくくられたのではないかと思うのです。そんな解釈を自分なりにしてみたのですが、如何でしょうか――。
A Play Worthy of a Revisit
You might not think a West Side Story remake is necessary, but one watch of this film and you can see that this era's conversation of class and race struggle was going on even 70 years ago. The look of the film is Steven Spielberg's high craft of bringing a polished look of timelessness that is technically cutting edge. So many of the songs are familiar, I forgot how many hits this production has.
今の技術で撮られた躍動感あるダンス&クラシックな佇まいが両立する快作
舞台版も1961年の映画版も見ておらず、タイトルだけ聞いたことがあるという状態でしたが、冒頭のワンカット長まわしから引き込まれ、2時間半強の上映時間をまったくダレずに楽しめました。
見事なカメラワークでじっくりとミュージカルシーンを見せてくれて、躍動感あるダンスは素晴らしい! の一言。最近のハリウッド映画によくあるカメラをぶんぶん振りまわす感じではなく、今の映画でありつつ全体的にクラシックな佇まいも感じられるものでした。
現代風にアレンジされているのかもしれませんが、変わりつつあるウエスト・サイドを舞台にした貧困と差別による戦いをテーマにした物語にはビビッドに“今”が感じられ、映像面だけでなく21世紀に映画化された意味が大きくあるように思いました。
映像の躍動感と、バカすぎる不良たちの愚かなケンカ。
スピルバーグと撮影監督のヤヌス・カミンスキーが、ロバート・ワイズ版のルックを踏襲しつつも大幅にアップデートさえて、躍動感のあるミュージカルシーンをわんさか創り出したことに拍手。実際に見比べてみると、どこか共通した雰囲気はあるのにここまで違うものかと驚く。細かいカット割りがミュージカルっぽくないという意見も目にしたが、映像でしかできない表現としてこれも絶対にアリだと思う。
看板を剥がすとアイルランド移民の店だったことがわかる緑のクローバーが出てくるなど、『ワシントン・ハイツ』に連なる移民コミュニティの変遷という裏テーマも見えてくる。社会的な問題にコミットするアップデートを施したことはよくわかるのだが、いまいち物語との歩調が合ってないようにも感じた。
まあ、物語だけを抜き出すと、本当にバカな不良たちのバカげたケンカの話であり、そんなに一糸乱れず一緒に踊れるのだから仲良くすればいいのにと身も蓋もないことを思ってしまう。トニーというキャラに面白みがないのもそもそもそういう役回りだからなのだが、アンセル・エルゴートよりはるかにリフ役のマイク・ファイストの方が輝いて見えた。いい顔してたなあ。
ラストに関してはちゃんとジェット団とシャーク団が全員集合して怒られるロバート・ワイズ版の方が好きだったりするし、名曲「クール」の扱いは舞台版とは敢えて変えたワイズ版を是非観て欲しいところ。観比べてみるといろいろ発見のある二本になっていると思いますよ。
対立する世の中の写し鏡であり続ける物語
言わずと知れたミュージカルの最高峰をリメイクするにあたり、スピルバーグは61年版のダイナミズムを大切に受け継ぎつつ、映像技術と創造性を駆使して”若者たちの衝動”をしっかり伝える。映像にはオリジナルを再現したかのような色味と厚みが際立ち、人種的な描写や配役の公平性にも配慮した結果、その映像世界はさらに活きいきと奥行きを増した。なおかつ、筆者が感嘆したのはスピルバーグ演出の流麗さだ。冒頭のカメラワークによって、物語の舞台である”解体されゆく場所”を俯瞰し、目線を誘っていく手法も素晴らしいが、情熱的なダンスやミュージカルはもとより、珠玉のキャストが口にする数々のセリフもまた、各々の心情を立体的に輝かせる。姿見や磨いた床、水溜りなど、己を映す”鏡”がたびたび登場するのも印象的だ。時代を超えて繰り返される哀しみや憎しみ。それを克服しようとする愛。現代世界へ向けたスピルバーグの熱い思いが伝わってきた。
通りで踊り出す若者たちを見て60年前の観客は失笑したものだが
街の通りで突然踊り出す。近作の『イン・ザ・ハイツ』も然りで、最近では珍しくはないこの演出を、1961年に製作されたロバート・ワイズ監督&ジェローム・ロビンス振付によるオリジナル版は取り入れていて、そこにこのミュージカルの魅力が凝縮されていた。通りで踊る、屋根の上で踊る、外階段で歌うetc。実は自分も公開当時に観ていて小さな体が興奮でブルブルしたものだが、周囲の大人たちからは失笑が漏れたのを覚えている。当時の日本の映画観客の目に、道を歩きながら踊り出すなんて、多分滑稽に映ったのだ。
かねてから、20世紀を映像で残すのが使命と言って憚らなかったスティーヴン・スピルバーグは、その言葉通り、屋外ダンスの躍動感をほぼ正確に踏襲しつつ、ワイズ版にはなかった再開発により破壊されていくニューヨーク、アッパーウエストサイドの荒涼とした風景や、ポーランド移民の不良グループ、ジェット団が、後からやって来たプエルトリコ移民のシャーク団に対して感じている脅威を強調することで、そこに今のアメリカの風景を投影。同時に、やがて戦いは終結し、愛によって結ばれる"ここではない何処か(テーマ曲の"サムウェア"に象徴される)"に人々は辿り着けることを願って、旧作を観ている人にも観ていない人にも、深い感動を与えてくれる。
配役の中ではジェット団のリーダー、リフを演じるマイク・ファイストのしなやかさが光る。ニューフェイスが魅力的でないと伝説的ミュージカルのリメイクも意味をなさないのだ。
リメイク作品なので物語自体には目新しさは少ない。ただ、それを補って余りある「歌」と「映像」のパワーがある!
まず、これまで「ハリウッド映画の歴史」を作り続けてきたスティーブン・スピルバーグ監督にとって本作が「初のミュージカル映画」となっていることに驚きました。
時代背景を踏まえつつもセンス良く色鮮やかな衣装デザイン、CGなどの最新技術に頼るのではなくライティングで影を巧みに操ってエッジの効いた映像表現を効果的に使う撮影手法など、とても初挑戦と思えないほどクオリティーの高い「ミュージカル映画」でした。
そして、それらの演出が功を奏し「トゥナイト」「クール」「アメリカ」「サムウェア」など数々の「名曲」とダンスシーンなどの「映像」にのめり込むことができました。
そもそも「ウエスト・サイド物語」における設定に1950年代のニューヨークのウエスト・サイドでのヨーロッパ系移民「ジェッツ」とプエルトリコ系移民「シャークス」で起こっている若者の対立があり、その対立構造がある中で、「ロミオとジュリエット」をモチーフにした切ないラブストーリーが展開され本作でもそれを踏襲しています。
移民や民族などの問題を中心に世界では「分断」が今でも日常化しています。そのため本作のように時代背景を変えずにリメイクされても、映像表現などが進化していて、この普遍的な物語がより響くようになっていました。1961年版の「ウエスト・サイド物語」の良さを活かしつつ、「現在の私たちが見たい作品」に昇華させることに成功していたと思います。
ウエスト・サイド・ストーリー
ミュージカル映画史上に燦然と輝く名作「ウエスト・サイド物語 West Side Story ('61米=ユナイト) 監督/ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンス」を、何故今、スピルバーグがリメイクするのかが分からなかったのだが、実はアリゾナに生まれ育った幼少期にはじめて聴いたレコードが舞台版ウエスト・サイド・ストーリーだったのであり、スティーヴン・ソンドハイム作詞、レナード・バーンスタイン作曲の名曲の虜となり、これがスピルバーグ自身の原点なのだと言うことを知ったのは意外だった。よってワイズ/ロビンスの映画版ではなく、オリジナルのブロードウェイ版の世界を自らの手でどうしても映画にしたかったのだと言う長年の夢をスピルバーグ自身が熱く語っている。ただ1961年の映画版が余りにも有名なクラシック作品であるが故に、流石に気が引けていたらしいのだが、前作から既に60年近くが経過していることから、当時のスタッフやその後継者等に意図を充分説明した上で、再映画化の権利を手にした様だ。本作の撮影時に91歳になるスティーヴン・ソンドハイムが大々的に作品に関わり、アニータ役を演じてアカデミー助演女優賞に輝いた90歳のリタ・モレノが本作でも重要な役柄を堂々と演じ、且つ製作総指揮まで担当していると言う、時代を超越した作品愛に溢れた映画になっている。
ニューヨークのストリート、交差点、港湾、工事現場、講堂等の広い3次元空間をフルに活かし、緻密に計算された長回しで縦横無尽に動き廻るカメラが捉えていく人々の動き、台詞、そしてオリジナルのジェローム・ロビンスの振付けを更にダイナミックに発展させた群舞としてのダンス、広い空間の全てを克明に捉えるディープフォーカス、鮮やかな色の衣裳やオブジェが映える色彩設計等、全てがエネルギッシュで斬新だ。役者においても、所謂ハリウッドのアメリカ人スター俳優たちがプエルトリコ人役を演じた前作とは異なり、本物のプエルトリコ人や中米系の俳優やエキストラが多数出演していることから、リアルで説得力がある。
そんな極めて現代的な解釈の作品を彩るミュージカルナンバーは、格調が高くて懐かしいレナード・バーンスタイン作曲による名曲の数々だ。しかも最新録音で且つバーンスタインと言えば常任指揮者を務めたニューヨーク・フィルをすぐに想い出すが、この作品のサウンドトラックの演奏がニューヨーク・フィルと言うこともあり、鳥肌が立つくらい感動的だ。
創り手の作品に対する愛情、真剣さがひしひしと伝わってくる映画であり、充実した最高の一時が過ごせることは間違いありません。
ミュージカル初挑戦したスピルバーグ監督の長短合わせての楽しみ方
1957年のブロードウェイ・ミュージカルをロバート・ワイズとジェローム・ロビンズが映画化した、アメリカ・ミュージカル映画の金字塔「ウェスト・サイド物語」(1961年)のリメイク作品。それがミュージカル映画初挑戦の巨匠スティーヴン・スピルバーグ(1946年生まれ)によって制作されたことが話題となりましたが、ヒットメーカーのスピルバーグ監督が何故無謀とも言える挑戦に至ったのか。それは現代にも通じる人種問題と移民問題に、よりスポットを当てた社会派ミュージカルを目指したことは理解しました。ワイズ・ロビンソン監督の前作が歌と踊りのミュージカル映画を追求したのに対して、リアリティのある民族間の対立とシェークスピア劇の悲恋ドラマが融合した深みのある内容になっていると思います。ただし、この社会性を強調したことでミュージカル映画の迫力を削いでいるとまで言えないのに、作品全体としては前作を越える力感を感じません。レナード・バーンスタイン(1918年~1990年)の聴き慣れたミュージカル・ナンバーの歌唱と演奏に、個人的に物足りなさを感じました。これは劇場で鑑賞出来なかったのが一番の問題と分かっても、やはりキャスティングの違いも大きいようです。吹き替えで主演した前作のナタリー・ウッドとリチャード・ベイマーには、スターの輝きと一目惚れする演技の説得力がありました。更に踊りではジョージ・チャキリスとリタ・モレノ、ラス・タンブリンと名人が揃っていました。今回才能ある若い俳優陣の丁寧で正確な、演技と歌と踊りにも感心しましたが、音楽全体としては洗練され落ち着いた印象です。これは最終的に好みの問題かも知れません。
スピルバーグ監督の演出が光るミュージカル・ナンバーは、個人的に好きな(アメリカ)と(トゥナイト/クインテット)です。特に(アメリカ)は、ビル屋上から路上で多彩に展開していて最も盛り上がりのあるシークエンスでした。
原作者アーサー・ローレンツ(1917年~2011年)は、「ロープ」(1948年・脚色)「追想」(1956年・脚色)「追憶」(1973年・原作と脚本)「愛と喝采の日々」(オリジナル脚本)など映画に深くたずさわった人。この原作を忠実に脚色したトニー・シュクナー(1956年生まれ)は、シャークスのプエルトリコ人の会話に意識してスペイン語を入れています。驚いたのはバーンスタインの音楽にアレンジをしたデヴィット・ニューマン(1954年生まれ)です。映画音楽の大家アルフレッド・ニューマンの息子さんとは、今回初めて知りました。製作総指揮を兼ねてバレンティーナを演じたリタ・モレノさん(1931年)は、89歳で(サムウェア)を披露していて、この作品に60年の時の流れを刻んでいます。欲を言えば1932年生まれのジョージ・チャキリスさんもカメオ出演して頂けたらと思いました。撮影はポーランド出身のベテラン、ヤヌス・カミンスキー(1959年生まれ)で、1950年代を見事に再現した映像美を見せてくれます。
贅沢な不満としては、主演のトニー役のアンセル・エルゴートの演技と歌唱の弱さに、マリア役のレイチェル・ゼグラーの“ジュリエット”のキャラクター表現の違和感です。一瞬にして恋に落ちたカップルの相性の繋がりが余り感じません。これは現代的な男女のカップルに見えて、それこそ「ロミオとジュリエット」(1968年)のオリビア・ハッセーに及ばず、ナタリー・ウッドの演技力にも見劣りがします。キャスティングの難しさ、主役を張るプレッシャーと、俳優だけの問題では無いですが、この記念すべき大作としては絶賛に至りませんでした。ベルナルドを演じたキューバ生まれのデヴィット・アルヴァレスは、14歳でブロードウェイ・ミュージカルの「ビリー・エリオット」の主演を務めてトニー賞を受賞した芸歴を持ち、リフを演じたマイク・ファイストと共に役柄にあった好演を見せます。アカデミー賞の助演女優賞受賞のアニータ役アリアナ・デボーズは、振幅の大きい感情表現を巧みに演じて作品のテーマを体現して見せます。役柄の良さもあって安定感は別格でした。キャスティングを調べて気付いたのは、「ミッドナイト・イン・パリ」(2011年)でヘミングウェイを渋く演じたコリー・ストールがシュランク警部補で出ていたことです。今回は存在感をあまり感じませんでした。
それでもスピルバーグ監督始めスタッフ・キャストの歴史的リメイクに挑戦した試みを、映画ファン・ミュージカルファンとしては、賞賛したいと思います。バーンスタインの素晴らしい音楽、作品全体のまとまり、流動的で有機的なカメラワークと、堪能すべきレベルであったと思います。興行的に失敗したことは悲しいですが、前作と一緒に比べながら観る楽しみもあります。
インディーやっとけばいいのに、わざわざ…。
名曲が輝く、ミュージカル映画
終始退屈な現代版ロミオとジュリエット
たしかにミュージカル
どうしてもオリジナルと比べてしまいます。
こちらもたしかにミュージカルで、ダンスシーンは圧巻だし素晴らしいとと思うけれど、オリジナルのユニークさがまるで無い。
特に「アメリカ」を歌い踊るシーンは、オリジナルはユニークでアニタがすごくかわいくて微笑ましく、後の悲劇を想像させない楽しいシーンだけど、こちらはただひたすらダイナミックに踊ってるだけ、と思ってしまいました。
(全体的にちょっとエネルギッシュ過ぎ)
振付もオリジナルの個性的なものに比べて普通な感じ。
(印象的な振付がなく、なぜこんなにも個性がないの?と思ってしまった)
ジョージ・チャキリスのベルナルドはカッコよくてすごく記憶に残ってる。
せめて「アメリカ」のシーンはオリジナルを尊重して、コミカルなシーンにして欲しかったです。
1961版を超える衝撃は特に無い
NYの住人、荒廃した街を大きく使った演出で莫大な資金がかかっていることは伝わってくるが、1961版を超える衝撃は無い。
期待していたTonightは、
マリアとトニーの歌が棒読みでがっかり。
上手いけど、魂を揺さぶるような何かが無い、そんな歌唱だった。
それと無駄なシーン、セリフが多くて全体のテンポが悪く感じるのは私が1961版を観過ぎているせいなのか?
しかしダンスのシーンだけは前作にも劣らない迫力があってカッコよかった!
特に「マンボ」は一番観ていて楽しいシーン。
2つのギャング団が代わる代わるダンスを披露し、
最終的にカオス状態が生まれるところ。
それにしても、アニータ(ベルナルドの彼女)とリフの彼女(名前が分からない)は本当に美しい。
数十人が踊っていてもずっと目を惹かれるのは凄いなぁ思った。
トゥナイトだマンボだ
この愛は命そのもの
61年制作の映画『ウエストサイド物語』もミュージカルの舞台も観たことがあるが、今の時代にこの往年の名作を映画としてリメイクする意味を色々と考えさせられた。
ここで描かれているのは人種を越えた純粋な愛の形ではあるが、背景には貧困と移民問題がある。
昨年、同じプエルトリコ系の移民問題をテーマにした『インザハイツ』という優れたミュージカル映画が公開されたが、移民問題と格差社会はアメリカの永遠の課題である。
だからこの作品も十分現代に通じるテーマを持った作品なのだ。
さすがに歌やダンスにはやや古臭さを感じる部分はあるが、これはスピルバーグの見せ方の上手さなのだろう、画面から放出されるエネルギーの量に圧倒され、最後まで画面に引き込まれてしまった。
冒頭の富裕層が移り住むために撤去されようとしているスラム街の描写から、ダイナミックなカメラワークに魅了される。
このスラム街で縄張り争いをしているのは白人で組織されたジェッツとプエルトリコ系のシャークス。
ダンスナンバーから抗争シーンを通して、彼らが抱えている問題が明確に浮き彫りになっていく。
ベースになっているのはシェイクスピアの有名な戯曲『ロミオとジュリエット』だが、ただそれを現代的にアレンジしたのみならず、より根が深い現実的なテーマを持った作品に昇華していると感じた。
モンタギュー家とキャピュレット家という貴族の名家が互いに憎み合い、その結果若い命が散ってしまう美しい悲劇が『ロミオとジュリエット』だが、両家が憎み合う理由はとても個人的なものであり、無益な憎しみ合いを続けたことにより最終的には両家は罰を受けることになる。これがこの作品から学びとれる教訓でもある。
しかしこの『ウエストサイドストーリー』では互いに憎み合う二つのグループには、現実的にシビアな理由が存在する。
シャークスは移民の集団であり、それだけで白人からは仕事と居場所を奪う存在として嫌われている。
彼らは決して自分の意志でアメリカに移り住んだわけではない。
一方ジェッツも白人のグループではあるが、彼らも貧しい移民の子孫であり、犯罪に走らざるを得ない劣悪な環境で育ってきた。そして同じ白人でも、都市開発を進める側の人間にとっては彼らも排除すべき対象なのだ。
彼らはどちらも邪魔者扱いされる弱い立場なのだが、生き残るためには互いを排除するしかないのだ。
怒りの矛先が、憎しみの対象が、同じ虐げられる者同士に向けられてしまうのはとても悲しい。
だからシャークスのリーダーであるベルナルドの妹マリアに、ジェッツの創立者でもあるトニーが近づいたことで、大がかりな決闘にまで発展してしまう流れは必然だったのだ。
これはただの敵対する者同士の悲しい悲恋ではないのだ。
しかし、それでもスピルバーグはこの作品で『ロミオとジュリエット』で描かれる純粋な愛の形を、ファンタジーとしてロマンチックに表現してもいる。
現実がシビアだからこそ、二人の純愛は胸に刺さる。
旧作の方は20年近く前に観たので、大分忘れてしまっている部分はあるが、ひょっとするとリメイク版の方がより純度が高く、切なく美しい物語に仕上がっているような気がした。
一度旧作も観直してみようとは思うが。
演者のダンス力は格段にこちらの方が上だと思った。
そしてダンスナンバーを映し出すカメラワークも素晴らしい。
スピルバーグは『激突!』や『ジョーズ』など初期の頃から見せ方のとても上手い監督だと思っていたが、彼の撮る画には映画の原始的な面白さがあるようにも感じる。
見せるべきアクションをしっかりと見せる。
気がつけば観客は時間を忘れて物語に没頭させられる。
『ロミオとジュリエット』ではラストにロミオもジュリエットも命を落とすが、この作品ではマリアは死なない。
しかしマリアはトニーとの愛は命そのものだと歌う。
だからトニーが死ぬことは愛が終わることであり、同時にマリアの命が終わることでもあるのだ。
だからこの映画の結末はとても絶望的で暗い。
アニタはマリアの言付けをトニーに伝えようとドクの店に走るが、彼女がそこでジェッツのメンバーに辱しめられなければ、マリアが死んだという嘘はつかなかったかもしれない。
どこまで行っても憎しみの連鎖は悲劇を生み出すばかりだ。
絶望に駆られたトニーは、ベルナルドの仇を討つために銃を手にしたチノの前に姿をさらしてしまう。
トニーが死の直前にマリアと再会出来たことは、彼にとって唯一の救いだったろう。
マリア役のレイチェル・ゼグラーは旧作のナタリー・ウッドに匹敵するほどの存在感で、とてもチャーミングだった。
アニタ役のアリアナ・デボーズのダンスもずば抜けて印象に残った。
旧作でアニタを演じたリタ・モレノがバレンティーナを演じているのも感動的だ。
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