立ち去った女

劇場公開日:2017年10月14日

解説・あらすじ

各国の映画祭で高い評価を受けるフィリピンの鬼才ラブ・ディアス監督が第73回ベネチア国際映画祭で金獅子賞(最高賞)を受賞した、上映時間3時間48分に及ぶ人間ドラマ。殺人の罪で30年間投獄されていた無実の女ホラシアが出所した。事件の真の黒幕で、彼女を陥れたかつての恋人ロドリゴに復讐するため、ホラシアは孤独な旅に出る。そんな彼女の前に、困っている者、弱い者たちが現れる。貧しい卵売りの男、物乞いの女、心と身体に傷を抱えた謎の女、彼らに手を差し伸べ、惜しみなく愛を注ぐホラシア。そんな彼女を慕う者たちの助けにより、ホラシアは復讐のターゲットとの距離を次第に縮めていく。

2016年製作/228分/フィリピン
原題または英題:Ang babaeng humayo
配給:マジックアワー
劇場公開日:2017年10月14日

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映画レビュー

4.0 『ショーシャンク』とは腹違いの兄弟

2017年10月31日
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興奮

知的

長尺映画の鬼才、ラヴ・ディアス作品は初体験ということで、相当に身構えて観た。4時間近い上映時間、基本的に長回しのフィックス画面で描かれる、深遠な復讐劇である。

ところが、重厚な画面に圧倒され、ねじ伏せられるだろうという勝手な予想は大間違いだった。緻密に構成されたフィックス画面、というよりも、敢えて完成度を追い込まないような隙のあるショットも多く、難解さも感じない。確かにテンポは速くないが、いつの間にか慣れてしまい、気がつけば長さもさほど感じなかった。

物語のベースはトルストイの短編小説で、実は同じ小説にインスパイアされてスティーブン・キングが書いたのが『ショーシャンクの空に』の原作だったりする。いわば『立ち去った女』と『ショーシャンク』は同じ父親を持つ腹違いの兄弟みたいなもの。それを踏まえてこの映画を観れば、おのずとハードルも下がるのではないだろうか。

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村山章

未評価 立ち去った女

2025年12月26日
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鑑賞方法:映画館

京急線 日ノ出町。横浜シネマリンで『立ち去った女』鑑賞。2016年のベネチア国際映画祭 金獅子賞受賞。上映時間3時間48分。うぅ。。。長い。しかし ラヴ・ディアス監督作の中では、まだ短い方とのこと。どうかしてますね。こんなどうかしてる人を輩出する最近のフィリピン映画界、侮り難し。 (#3)

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はにわさん in 2026

4.0 人の世を立ち去って

2023年1月25日
iPhoneアプリから投稿

30年間無実の罪で刑務所に収監されていた老女が、その元凶となった男に復讐を誓う物語。

老女ははじめから復讐心を抱いていたわけではない。彼女は看守長に告訴しないのかと尋ねられ、今はいい、と答える。それよりは息子の行方のほうが気がかりだった。娘によれば、いくら新聞やラジオに頼んで呼びかけてもらっても、息子は姿を現さなかったという。老女は息子を探す旅に出る。

老女は旅先でさまざまな人々と出会う。彼らはみな社会から零落し、忌避され、惨めな暮らしを送っていた。大家族を抱えるバロット売りの男、てんかん持ちのゲイ、知恵遅れの中年女性。老女は彼らとの交流を経る中で、次第に自分の人生を台無しにした元凶、成金ギャングのロドリゴへの復讐心を募らせていき、それに伴い息子を探すという本来の目的を見失っていく。

ただこれを、貧民に対する老女の連帯意識の増幅過程と断言するのはちょっと憚られる。老女は確かに彼ら社会的弱者に優しさを示すものの、そこには常に一定の距離がある。たとえば彼女はバロット売りの男に幾度となく「バロット食べるか?」と誘われるが、「今はいい」と断ってしまう。彼の子供の食費や医療費を与えることはあっても、彼から何かを受け取ることはない。

てんかん持ちのゲイにしても同じことだ。老女は彼女を介抱し、病院に連れて行きはするものの、彼女のほうから老女に干渉しようとすると、老女はものすごい剣幕で怒鳴り始める。老女の優しさは常に一方向的だ。

おそらく、老女自身もそうした自分の本性を自覚している(散々怒鳴り散らした後でゲイに謝る彼女の姿はまるでよくあるDV彼氏のようだ)。ゆえに彼女は焦っていたんじゃないかと思う。私は誰かと本当に繋がることができるのか?と。思えば獄中で唯一無二の親友だった女も、実は自分が着せられた罪の真犯人だったし、娘は自分が収監されている間一度たりとも面会に来たことがないし、息子は行方不明だし。

このとき、ロドリゴはちょうどいい材料だった。彼は老女の個人的怨恨の対象であると同時に、豪奢に溺れる資本主義の権化、すなわち貧民の真の敵でもあったからだ。同じ敵に同じ熱量の感情を向けることができるなら、そこには本当に対等な関係なるものが成立するのではないか?と老女は希望を抱く。

しかし彼女の計画は壮大な空転を迎えることとなる。てんかん持ちのゲイが彼女の銃を盗み出し、それでロドリゴを撃ち殺したのだ。彼女は「ある人のためにやった」と供述する。そしてその名を決して明かそうとしない。

復讐という唯一の希望を奪われた老女は街を去る。そして今更思い出したかのように行方不明の息子の捜索に本腰を入れ始める。

白い教会の前を彼女がうろつくシーンは示唆的だ。堂々と屹立するマリア像。それはきっと老女自身なのだ。人々に無償の愛を与え続ける聖母。しかし彼女が本当に欲しかったのは、もっと素朴で対等で人間的な繋がりだったことは先述の通りだ。

老女は街中を幽霊のように徘徊する。グルグルといつまでも同じ場所を回り続け、どこにも辿り着くことができない。それは終ぞ人間になれなかった女神に課された悲しい宿命なのだと思う。

アジア映画というと、日本、中国、韓国、台湾、香港、タイ、インド、イランあたりが注目されがちだが、四方田犬彦はフィリピン映画を「近年稀に見る鉱脈」と絶賛した。とはいえフィリピン映画はタイ映画にもまして国内に輸入されてこない。カンヌ・ヴェネツィア・ベルリンといった西洋主義にお墨付きを頂戴しない限り、我々は同じアジアの人々が手がけた作品さえまともに鑑賞することができない。

私が本作を見ることができたのも、もちろん本作がヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を射止めたからに他ならない。もちろんそれは僥倖なことなんだけども。

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因果

4.5 長尺映画と言うより、フィリッピンで映画が作られていると言う驚き。

2020年10月14日
PCから投稿

何よりも映画のタイトルに惹かれて観てしまった。
モノクロームの光と影、固定カメラでのワンショット、昼と夜の交差が人間の善と悪を内包する心を表す。何時しか時間の流れを無視して見続ける僕。完全にこの映像世界に浸り込んで身動きができなかった。人の哀しみには同調しずらい。それは、喜びと違って哀しみには人それぞれ大きく違うからだろう。想像だにできぬものはこの世にいくらでも存在する。30年に渡る冤罪刑期は復讐心を満足させることなどない。そんなことは明白。にも拘わらず計画を練る彼女の姿がこの国の人たちの感情を痛々しく表しているかのようだ。禅問答のような台詞のやり取りや、彼女の夜と昼の姿が変わってしまうことへの疑問符は、波間で浮き沈みする空っぽの空き瓶のように回答はない。
優しさや献身は残酷なものなのだ。それは、快楽なのだろう・・・・。
生きていくというのは、そう言うことなのだろう。映像の力はやはりスゴイ。

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はる