人類遺産のレビュー・感想・評価
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人間の"残り香"を漂わせ、朽ち果てた廃墟たち
捨てられ、朽ち果て、ひたすら風雨に晒される廃墟たち。それらは、なぜか、正式に撤去されることなく、ほんの今まで人間が生活していた"残り香"を漂わせているところが、不気味で物悲しい。巨費を投じて建造された施設から、まるで神隠しにでも遭ったかのように忽然と姿を消してしまった人々は、その後、どこへ行ったのか?隣町なのか、宇宙の果てなのか。。今、そこには風が吹き、雪が降り、雨水が溜まり、野鳥や蛙たちが生を営んでいる。そう、そもそも地球は彼らの故郷であり、人間は次々と物を建てては移動していく旅人なのかも知れない。「人類遺産」とはよくぞ名付けた無言のドキュメントからは、そんな問いかけが聞こえてくる。
信念の不足
風景のフィックスショットのみで構成されたミニマルなつくりは、『セントラル・ヴァレー』『ロス』『ソゴビ』等で有名な前衛作家ジェームズ・ベニングを彷彿とさせる。しかしベニングのような予断を許さぬ緊張感や、ショットの連なりが組織する思想といったものは感じられない。
次々と繰り出される世界中の廃墟映像はあくまでツーリズム的欲望を満たすに留まり、映画を観たという感慨まではもたらさない。一つに理由として挙げられるのが、眼前の現実に対する信念の不足だ。セリフなしのフィックスショットのみという技術的なエッジを誇示していながら、この映画には「本当に何も起きないこと」に対する恐れのようなものが終始漂っている。
無人の廃墟にカメラを向けたとしても、実のところそこには常に動きがある。風で揺れる木々、天板から滴り落ちる雨、迷い込んだ野鳥、等々。普段であれば気にも留めないそうしたミクロな要素が映画を主体的に組織しているという転回にこそこの映画の価値は賭けられている。
本作ではそれらのミクロな要素が、作為的に設えられているかのような箇所が随所に散見される。たとえばショッピングモールの公園にて、風で画面中央のゴミが転がるショット。そのゴミはあたかも「転がる」という画面上の快楽に向けてそこへ置かれたように思えてならない。なぜならばゴミとその周囲の地面には段差があり、一度段差の下に転がってしまえば、ゴミは自力で再びその段差の上に戻ることはないからだ。
この映画では、各ショットの中で必ず何かが起きる。それは逆説的に「何かが起きなければ映画として成立しない」という強迫観念に支配されているともいえる。
しかしそんなことはない。ベニングの風景映画に時折本当に何も起こらないショットが散見されるが、しかしそれゆえにベニングの風景映画はいっそう映画たりうる。「何が起きても素晴らしいし、何も起きなくても素晴らしい」という、眼前の現実に対する信念が漲っているからだ。
散々な評価になってしまったが、本作をリミナルスペース的なイマジネーションと接続することは可能かもしれない。人為の痕跡を色濃く残しながら、そこに誰一人いないという矛盾空間は、強烈な不安を喚起する。映画のポスターも料金表も家電量販店も、資本主義という人間の営為が人間もろとも途絶すれば本来の機能を喪失し、自然と決して馴染むことのないオブジェクトとして不気味に佇むこととなる。
それらリミナルな「恐怖の場」をひとつなぎの映画として組織したことは、リミナルスペースをめぐる議論に何らかの寄与をもたらすかもしれない。
期待してたほどでは...
今は朽ち果てた、人がいた痕跡の寂寥感
ハードボイルド
廃墟や、自然に埋もれてゆこうとする人類の遺物を記録した映像集。
数十秒~数分でカットが変わるのでありとあらゆる場所を堪能できる。
キャプションも音楽もない。
その土地土地での撮影当時の音を聴かせてくれ、その場にたたずんで眺めているような気になれる。
といっても、映像も音も、けして「静か」なものではなく、それぞれのシーンが雄弁に歴史を語りかけてくるような。
ぼーっと眺めているだけなんだけど、ほっとしたり、美しさに息をのんだり、まざまざと観察したり、ありし日の情景にまで思いを馳せたり、心は忙しなく旅をしていた。
観ているだけで辛くなる激しい砂嵐、人類の暮らしの痕跡がまだ色濃く残る部屋、朽ち果て自然に埋もれきってしまいそうな建物、いろんなシーンがあったが、共通して存在するのは光と風と人類の遺物。
それが幻想的でロマンチックに感じる不思議。
不思議で心地よい素晴らしい観賞体験でありました。
何回でも見に行きたい。。
軍艦島のかっこよさは群を抜いてました。
日本の風景も多くてなんだか嬉しかった。
写真集でいいのではないか
はじまって10分くらいから睡魔が...。
映画「いのちの食べかた」は、いろいろ考えさせられたところもあって、自分の中で"見てよかった映画"という感想だったから、
本作も同様の発見を期待しつつも、モチーフが廃墟ということで、多少の退屈感がある前提で期待せずに挑みました。
前段で福島の無人の街が映し出されるのですが、日本人としてまだ気持ちの整理ができていない部分を見せられると、監督の意図(何を感じるかはもちろん見る側が決めればいいことだけど)とはまた違った視点が動き出すというか、急にそこだけドキュメンタリーの濃度が濃くなってどうしても客観的に見ることができない。しかし、数分すると外国の廃墟が映し出され、その廃墟の背景や歴史の情報が何もないため、映像の見方に戸惑って、どのように、何を見ればいいのかずっと逡巡していた気がする。
映像はほぼ動きがなく(風によってものが動いたり、雫が落ちたり、波が動くのみ)、鳥のさえずりや虫の羽音(蚊やハエ)だけが聞こえてくる。
あとは館内の人の寝息やメールの着信音(携帯切ってください)。
とにかく自分もほぼ全編で睡魔と戦い、なんとか3分の2は半目で見ることができた。のか...。
英題はHOMO SAPIENS。
–−人間が人間のためにつくったもの。そして人間だけがいなくなった。果たして、そこに残ったものは。−−
ということだと思うのだけど...。
親しい友人にもさすがにすすめられない。
視聴はご自身の判断で、是非。
比類なき寂寥
映像は見応えあるが…
音楽もナレーションも、場所がどこかの説明もなく、カットごとのアングルは完全固定。ひたすら廃墟や無人の町の映像が流れる90分。それぞれの背景がわからないのでなんとも言えないが、意外と生活の痕跡が残る場所も多く、背景がわからないが故に想像を掻き立てられる。雨や雪が荒涼とした雰囲気を醸し出すこともあれば、鳥のさえずりが不思議と明るい気持ちにさせることもある。
ただ、素材だけで勝負するという演出が個人的には割り切りすぎてて、所々退屈さを感じてしまう。たまたま観たとき疲れていたこともあって、眠気を抑えきれなかった。個々のロケーションが持つ力はあるし、色々と出てくるので何かしら引っ掛かるとは思うが、それでも人を選ぶし、正直挑戦的過ぎたかなとも思う。
とりあえず巨大な科学施設、宗教建築、兵器の三つは朽ちてて絵になるのは間違いないとへ思った。
あとこれは映画そのものの出来には無関係な、仕方ない部分なのだが、最初に出てくるのが浪江町の映像だったのが個人的には惜しいなと感じた。徹底的に情報を排したこの映画の楽しみ方は、「想像を巡らせる」ことにあると思うので、その点浪江町はどうしても「知っている」ので、この映画に少し不安を抱くはじまりになってしまった。別に製作陣は悪くなく、鑑賞者の属性に振られるところなのだが(例えばラストの「鎌とハンマー」のマークがついたドームが雪に埋もれてゆくのを見て思うところある人も大勢いるだろう)。
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