かぐや姫の物語のレビュー・感想・評価
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単なる「日本昔ばなし」のようで、そうではない
始まってしばらくして「ひょっとしてこれは単に日本昔ばなしを大スクリーンで観ているだけでは、、、」と不安がよぎったが、最終的にその心配は杞憂であった。
深い!生き方や宗教も絡む深い映画である。
※“天の使い”をあのような無慈悲で強引な一団として見せたのはこれまでになく斬新であった。
捨丸の存在が光る、圧巻の竹取物語
最初に惹かれたのは、予告で目にした、みずみずしく躍動的な画の美しさ。本編はもちろん期待以上に素晴らしく、最初から最後まで存分に堪能した。とはいえ、それ以上に心を揺さぶられたのは、物語そのもの。これまで様々な形で表現されてきた「竹取物語」の中で最高であり、今後も、これを超えるものはまず出ない、と思う。
何と言っても、姫の性格付けに説得力があり、魅力的。これまでのものは、求婚者たちの生き生きとした人間くさい立ち振る舞いに比べ、姫や帝の描写が控えめすぎたり踏み込みすぎたり。たとえば、求婚者を振り回す姫も、姫と帝の淡い恋模様も、どうもしっくりこなかった。何より、主役の姫が脇役より魅力を欠くなんて! 一方、本作の姫は血が通った人間(地球人ではないけれど)であり、生きる活力そのもの。スクリーンを所狭しと跳ね回り、喜びも悲しみも身体いっぱいに表現する。だからこそ、そんな彼女の真の姿を知らずに、うわべだけで求婚する輩の浅はかさが際立ち、「姫君」の枠に押し込められる彼女の息苦しさと孤独が、観る者の胸に強く迫る。
そして、オリジナルキャラクター•捨丸の存在。都へ移り住んでも草木やケモノと生きる「人間らしい暮らし」への愛着を忘れず、姫を支え続ける媼以上に、彼女に近しい存在=心惹かれた地球人として、彼を登場させた点が成功している。彼は、ごく当たり前に自然の中で生き、理屈や損得にとらわれず直感的に振る舞う。山での生活=捨丸たちとの伸びやかな日々が丁寧に描かれている分、都での生活に苦しみながらも、姫が月に帰りたがらなかったわけが、ストンと腑に落ちた。
圧巻は、捨丸と姫の、最後の再会の場面。分別をあっさりと脱ぎ捨てて感情に流れ、躍動してしまう地球人のもろさにして最大の魅力…を、視覚で表現しきっていてぞくりとした。大小様々な物事から喜び悲しみを見出す心の豊かさはもちろん、こずるさも、愚かさも、弱さも…全部ひっくるめて、姫が愛した地球人の姿なのだ、と改めて気付かされた。同時に、人間らしく生きるには、草木や他の生き物と共に生きる、手ごたえのある生き方(『天空の城ラピュタ』の「土から離れず生きる」にも繋がる)が必要なのだ、とも。
観終えて数日…幾度となく本作を思い返すうちに、あの激情と至福に包まれた二人の姿は、姫の視点ではなく、捨丸のものかもしれない、と思い当たった。とはいえ、平安時代の人々は、誰かが夢に出てくるのは、自分が強く想ったからではなく、相手が自分を想っている証、と考えたという。とすれば、捨丸の体験は、姫の強い想いが生み出したもの、となる。あの再会は、引き離された二人の想いが、偶然と必然のはざまで重なりあった瞬間の、美しくも恐ろしい奇跡(または月世界の情け)と思いたい。
線1本で繊細なニュアンスを表現した珠玉のアニメーション
手描きでしか出せない繊細なニュアンスで描かれたアニメーションは、見ていて息が詰まるほどの凄みがあって、特に都にでるまでの描写は圧巻です。赤ん坊や小さな子どものほやほやとした感じが線1本で表現されていて、予告編にも使われた荒々しいタッチでかぐや姫が駆けるところなど、気持ちが伝わってくる“いい絵”のシーンがたくさんあります。
ひとりの女性の生涯を描いた物語も、いろいろな読み解き方ができます。例えば、最後にどんなことをしてもかぐや姫が月に連れていかれてしまうのは、人間は死から逃れることはできない、というふうにも読み取れるように思えました。
「かぐや姫」美しく、激しく、そして儚くて・・・
昔、沢口靖子さんの主演で「竹取物語」という映画があった。同じかぐや姫を題材にした作品だったが、時代がらかSFを前面に押し出していた作品だったと記憶している。
そして、この作品。 高畑監督というと、アニメを実写のように見せるというイメージが強かったが、「となりの山田くん」から画質が変わり、少ない絵で表現する暖かみみたいなものがあった。本作は、更にそれを極めたような感じで、日本の昔話に相応しく、和の雰囲気が滲み出ていると思う。
TV地上波で見るのも2度目、3時間近い放送枠の長尺でもあるし、よく知っているはずのかぐや姫の物語なのに、ホンワカとした感じで魅入ってしまう。
タケノコがスクスクと伸びて、誕生するシーンから印象的だった。そして幼少の頃は上野のパンダの赤ちゃんみたいでメチャクチャ可愛い。 お爺さんとお婆さんの愛をうけ、大自然の中で仲間たちと楽しんでいるのが、本当の幸せだったんだろうな。
都に降りてからのかぐや姫は、その美しさに反比例するかのように、もの悲しげだった。 生きているというよりは、生かされた?その存在に生気が無いような・・・
なんか、無性に生きるって何だろう?って考えさせられる深い一本でした。
最後に月の世界は、いったい何だったんだろう?あの世かと思ってたら、お迎えに来た人たちは、神様みたいにも見えたし…(あのちょっと変わった音楽には惹かれるものがありました)
あ、もうひとつ。 都に来てからいつも一緒にいた蛙みたいなお付きの女の子。良い味だしてました。
心の拠り所みたいな感じで、ホッとする存在だった。
生きることと幸福について描く、ジブリの最高傑作
生きることと幸福について、古典をベースにしつつ普遍的で刺さる物語。ジブリの最高傑作では。
余白をいかした水彩画のようなトーン、筆による生き生きとした自然体のアニメーションが、鳥獣戯画や日本画のテイストを思わせどこか懐かしい。全編眼を離せない稀有な個性に満ちている。
わらべ歌の歌詞「鳥 虫 けもの 草木花…」。この物語は強い自然讃歌でもある。自然体で生きられた頃の貧しくとも原始的幸福感の力強さ。脳裏に染み込んだ価値観の強さ。姫は姫として生まれて生きていたら、帝に抱きすくめられて幸福だと思えたのだろうか。
ネット上でよく高畑勲の描き方、見識について取りざたされるのを見かけたけれど、彼が「竹の子」が男たちや帝に対してあのように振る舞うことを描けたのは、いかに多くの物語に触れているか、なのではないかと思う。物語に触れるというのは自分の視点だけではなく他者の視点に触れることでもある。異性の苦しみや価値観に近づくには、文学や映画などの作品で触れていることも大きいような気がする。
翁の価値観も帝も公達たちも別に悪ではない。それでも苦しい。
そして、原始的な幸福感は、圧倒的。
「オレはおまえと逃げたいんだ」
その一言をもらえたときのパワー、至福感。
その言葉だけを思い出して生きていけるような。
生きている手応えは人によってそれぞれで
翁は自分の価値観で娘を幸せにすることこそが手応えになると考えたし
竹の子は幼い頃自分を守ってくれた捨丸兄ちゃんと一緒にいることだと考えた。
生きていく手応えがすり抜けていく物語なのだけど、でも、圧倒的なきらめきの余韻も残される。
「竹の子」は忘れるけど、彼は忘れない。
相手の心に残っているなら、それはそれで本望なのでは?
考え方がいろいろと合わなかった(長文)
先日地上波放送でこの「かぐや姫の物語」を観たが、特にラストシーンで感じられる仏教的な思想が私と合わずこの作品は絵は凝っていたが後味は良くなかった。
この映画のラストからは運命に対してのあきらめのような考え方が感じられた。また仏教の輪廻転生思想の影響が濃く出ていると思った。昔の人々は権力や暴力や病気や死などへの対抗手段は仏教にすがるしかなかったのかもしれないが絶対的存在が最後に登場しすべての問題を解決するようなデウス・エクス・マキナ的なラストは私には合わなかった。神にすべてをゆだねて運命への抵抗をやめろと言っているような感じが嫌だった。私は運命への抵抗こそが生きる事だと思う。人は死ぬ瞬間まで生きる事をやめないという事実がそれを説明している。物語の最後にかぐや姫と育ててくれた老夫婦が一緒に涙を流して抱き合う別れのシーンがあるが、この涙を流す、抱き合うといった行為が運命への抵抗であり生きる事であると思う。運命に抵抗しているからこそ涙を流し、別れを惜しみ、離れないように抱き合っている。私はどうせあの世で転生するから死んでもよいとは思わない。だからこのかぐや姫の物語とは考え方が合わなかった。
追記1:かぐや姫は神仏の化身である
このかぐや姫の物語は仏教の宗教的な考えが濃く入っていると思う。主人公のかぐや姫はまるで神や仏のような存在として描かれている。帝など、どのような権力も神や仏の化身であるかぐや姫には手出しができない。かぐや姫が求婚者たちに無理難題を押し付けるのはかぐや姫が神仏の側だからである。神は人間に試練を与え、人間は神にけっして抵抗できないとこの物語は言っているようだった。
追記2:人類に愛想をつかし人類を見放した大自然や神や仏の物語
草花や山野などのかぐや姫を取り巻く自然が美しく描かれている。神や仏の化身であるかぐや姫は大自然の側の存在である。大自然と対照的に描かれる大都市の都もまた印象的だった。罪深い人間たちの巣窟の都に神や仏の化身であるかぐや姫がいるという描写はとても対照的で印象的だった。大自然と共に住んでいる庶民の中ではかぐや姫は生き生きとしている。神や仏の化身であるかぐや姫は大自然のような存在でもあり庶民の捨て丸とは相性が良い。かぐや姫が都と相性が悪いのは都が大自然を破壊する現代文明を象徴しているからだと思った。自然を破壊し続ける人類に大自然が愛想をつかし人類を見放してしまったとこの映画のラストを解釈もできると思う。または、戦争やひどい事ばかりする人類に愛想をつかした神や仏が人類を見放してしまったと解釈もできると思う。人類は素行が悪いので神が月に帰ってしまったという事であろう。
追記3:かぐや姫は高価な仏像への皮肉だったかもしれない
かぐや姫は竹から生まれたが竹という素材は庶民的でありこのことから神や仏は庶民のものという思想を作者は言いたかったのかもしれない。神や仏が貴族だけのものと思っていたなら作者はかぐや姫をもっと高級なものから生ませたに違いない。5人の求婚者のエピソードではかぐや姫は求婚者たちに超貴重な宝を集めるよう言うが、これは竹という庶民的なものと高級品を対比させていると思った。かぐや姫を竹でできた仏像ととらえると貴族の求婚者たちが必死に求めていたものは高価で貴重な金などでできた仏像であろうと思う。仏教などの宗教は仏像の貴重さではなくその考え方にこそ価値があるのであって貴重で高価な仏像を競って買い集めていた当時の貴族たちをこの話は風刺していたのかもしれない。
追記4:ひとりの少女の人生を描く成長物語
本作はひとりの少女の人生を描く成長物語でもある。天真爛漫だった少女が都暮らしをへて人間の多い世界の不条理を知りシリアスな性格に変わっていく。力をもつ人間のおごりや図々しさや傲慢さに嫌気がさし、無益な勢力争いに巻き込まれる気の毒な人々を目の当たりにして、少女は厳しい表情をするようになる。ラストシーンでの昇天は主人公が世を捨てて仏門に入り尼僧となったとも自ら命を絶ったともそれまでの自分の心を捨てて政略結婚して違う人格となったとも考えられる。当時の女性の貴族はどこまで人権が保障されていたのかは知れないが現在よりもはるかに厳しかったかもしれないと思う。仏門に入った女性も大勢いたかもしれない。
追記5:翁の失敗
翁はただの竹取りの庶民のおじいさんだったが竹の中から偶然に見つけた幸運を利用しているうちに出世欲などの欲がどんどんと大きくなっていってしまった。仏教の教えでは欲は人にとって良くないものなので案の定、欲を出しすぎた翁はラストでは出世のチャンスも一人娘も同時に失う。欲を出しすぎると失敗するという戒めが物語には入っていると思った。
追記6:かぐや姫の罪と罰
かぐや姫の物語の設定でかぐや姫は生まれる前に罪を負っていたので下賤で身分の低い者である翁のもとに遣わされたことになっている。竹取物語が作られた当時は身分制度が厳しかったのでかぐや姫のような高貴な人物が身分の低い者たちに育てられること自体が罰だったのだろうか。罪を負っていないと翁とかぐや姫は会うことができなかったので作者はかぐや姫に何か罪を着せないといけなかったのだと思う。翁は欲深い庶民出の人物として描かれているがそのような人物に育てられることも当時としては罰ゲームのようなものだったのであろう。ここでも仏教の輪廻転生の考え方が入っていると思った。
追記7:幸福とは
人生では幸福も不幸も両方訪れるが子供のうちは長く幸福であるほうが良い。子供が大人になって他人に幸福を分け与えるような幸福製造機となるために子供は幸福を経験しなければならない。
追記8:ディズニー映画は資本主義に都合の良い女性像を広める
ジブリ映画やその関連作では少女やお姫様が登場することが多い。ジブリ映画はディズニー映画を意識している。「ルパン3世 カリオストロの城」(1979年)ではヨーロッパの小国のお姫さまのクラリスが登場する。「風の谷のナウシカ」(1984年)では風の谷の小国のお姫様ナウシカが登場する。「天空の城ラピュタ」(1986年)では滅びた古代王国の子孫のお姫様シータが登場する。「もののけ姫」(1997年)では自然の森のお姫様サンが登場する。この竹取物語がジブリの目に留まったのもかぐや姫というお姫様が登場するからであろう。この「かぐや姫の物語」(2013年)の主人公像は近年のディズニー映画のヒロイン像をかなり模倣している。近年のディズニーのヒロイン像はたいてい困難を自分の力で克服し自分の意見を主張する精神的に強い人物が多いが本作のかぐや姫も自然を愛し心の芯の強いキャラクターである。昔は女性は奥ゆかしいのが良いとされ男性のサポートをするのが良いとされてきた。時代によって意図的に女性像はコントロールされる。資本主義社会では女性は消費の中心なので大量消費をしてくれる自己主張の強い女性が多い方が良い。ディズニーは映画によって女性像を操作しているように思える。映画は第2次大戦の頃から大衆の洗脳のための手段に利用されている。大作映画は世界権力の意思も反映する。
追記9:現代社会は女性の幸福よりも経済を優先する
この映画が公開された2013年の同じ年にスタジオジブリ制作の作品「風立ちぬ」(2013年)も公開された。「かぐや姫の物語」と「風立ちぬ」はヒロインがどちらも悲劇的結末になる。かぐや姫は地球に別れを告げ月に帰る。風立ちぬのヒロインは病死する。どちらの作品も女性のヒロインが幸福にならないのは2013年が女性にとって厳しい時代だったからだと思う。2011年には東日本大震災があった。その頃から少子化が問題になっていた。現代女性は子供を育てつつ仕事もばりばりとし娯楽産業の消費の担い手でもある。現代女性は八面六臂の活躍を期待されており、それが負担となって少子化という結果の一因となったと思う。サッカー選手に例えるとフォワードとして点を取り、ディフェンダーとして守備もし、ミッドフィルダーとして走り回る役割を3役同時にこなしているようなものだ。また野球に例えると二刀流どころが三刀流以上の活躍を期待されているようなものである。現代女性は資本主義社会によって酷使されていると思う。かぐや姫は窮屈な都暮らしと勉強と結婚を同時に強いられ社会が嫌になり月に帰ってしまった。風立ちぬのヒロインは戦争や産業が最優先とされ健康を顧みない社会環境にさらされ結核にかかりこの世を風のように去っていった。現代女性は経済を最優先とする日本社会の環境にさらされている。現代女性は生活は豊かになったが幸福になりにくくなっていると思った。
追記10:家族とのコミュニケーション不足と仕事最優先は現代男性を不幸にする
かぐや姫の物語の翁はお金と出世の欲望をむき出しにしている。強すぎるお金と出世の欲によって彼はかけがえのないひとり娘を失い幸福になれなかった。今も昔も変わらず翁の様な男性は家族のことを考えず仕事を最優先する男性の典型だと思う。翁は自分の幸福が家族の幸福であると信じ切っている。要するに家族とのコミュニケーション不足である。家族とのコミュニケーション不足が災いして翁は家族を失い幸福になれなかった。風立ちぬの主人公もまた仕事最優先人間である。彼は戦闘機の設計という仕事を最優先としヒロインのことはあまり気にかけていない。病気にもかかわらずヒロインは主人公に気を使うが主人公は平気でタバコも吸いヒロインのことは気にかけずついには妻であるヒロインを病気で失ってしまう。夢の中で自分に都合の良いようにヒロインに励まされるのだがこの主人公は家族を顧みない仕事最優先の大馬鹿者であると思った。家族とのコミュニケーション不足と仕事最優先は現代男性を不幸にするのだと思う。
追記11:
「かぐや姫の物語」(2013年)は8年の製作期間と製作費50億円以上がかかった。興行収入は25億円だったが海外では現在も評価が高い。アメリカの87回アカデミー賞長編アニメ部門ではノミネートもされた。独特の手法のアニメーションで作られ日本の古い絵巻物の絵がアニメするような独特のアニメである。原案・脚本・監督の高畑 勲監督は「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994年)「火垂るの墓」(1988年)「ホーホケキョ となりの山田くん」(1999年)などの作品で知られる。テレビアニメの監督などとしても知られている。
追記12:
本作のかぐや姫は地球にやってきた宇宙人として見ることもできる。赤ん坊の姿で地球にやってきた宇宙人と言えばテレビアニメ「ドラゴンボール」(1986年)の主人公の孫悟空が有名である。惑星を侵略する凶暴な宇宙人「サイヤ人」の赤ん坊である孫悟空(本名:カカロット)はまだ赤ん坊にもかかわらず球形のカプセル型宇宙船で地球に降下したが着陸がうまくいかず頭を打ち性格が穏やかに変わり地球人の孫御飯に拾われ「孫悟空」と名付けられ地球人として育てられた。成長して数々の戦いののち孫悟空は自分の出生の秘密を知るのだが自分が宇宙人だと分かってもたいして気にしなかった。孫悟空は凶暴な宇宙人のサイヤ人である。サイヤ人は満月を見ると大きなサル型宇宙人に変身してしまうのだがしっぽを切られると元の人間型宇宙人に戻る。この満月を見ると変身する設定は竹取物語からアイデアを取ったと思われる。月は地球の唯一の衛星であり月がないと地球人は宇宙人の存在や地球のほかに惑星があることに気が付かなかったかもしれない。火星や木星が惑星であると認識されるのはずっと後の時代である。月は神秘的である。肉眼でもでこぼことした地形がわかり山や谷が見えそこに違う国があることが想像できる。月は見えるときは月面が明るくなっているのでそこは光の世界だと想像し、つまりそこは光あふれる神の国かもしれないと想像力をかきたてられる。だがすでに現代人は月の世界が岩と砂しかない世界であることを知っている。テレビアニメ「ターンエーガンダム」(1999年)は地球を捨て月に移住した人類がまた地球に帰還する物語であるがこれは竹取物語の逆である。
かぐや姫は何をしでかしたか?
"金曜ロードショー" で3回目の鑑賞。
「姫の犯した罪と罰。」。本作の印象的なキャッチコピーである。かぐや姫は月で犯した罪のために罰として地上(地球)へ堕ろされた。地上は穢れている場所だからだ。では、かぐや姫は月でいったい何をしでかしたのか。明確な描写は無いので想像するしかないが、何度観ても明確な答えは見つからない。
地上(地球)での生活に憧れを抱いたから、と云う解釈はどうだろう。月の世界からしてみれば地上は穢れた場所である。そんなところに憧れるなど、天上人としては言語道断だ。月世界では大罪にあたり、そんなに地上で生きたいのならば生きてみるが良いと罰として地上に落とされたのだろうか。
ところが、かぐや姫自身は地上での暮らしを特段罰とは感じていないように見受けられる。翁や媼と親子の情を交わし、捨丸兄ちゃんとの淡い初恋の感情に心揺らし、野山を駆け回ることが何よりも大好きで、地上生活を謳歌しているように思う。
そんなかぐや姫の周囲が騒がしくなり、地上世界の醜い部分を目の当たりにし始めたあたりから、無邪気でお転婆だったかぐや姫の人間性に変化が訪れていく。成長スピードが速いために人として成熟した女性になっただけだ、と云う面もあるかもしれないが、それだけでは無いように感じられる。憧れに幻滅した瞬間、これこそが天上人がかぐや姫に与えようとした罰の正体なのだろうか。
喜びや悲しみ、親子の情愛、淡い恋情⋯様々な感情を知ったかぐや姫に、月から迎えの来る日が訪れる。使者曰く、天上世界は、ありとあらゆる欲や感情から解き放たれたユートピアであると云う。そんな世界での生に彩りはあるのか。果たしてそれは幸せなのか。天上での暮らしこそ罰ではないか。
最後の最後で、罪と罰の問題は、人の幸せとは何かと云う問いへと繋がり、バッドエンドとしか思えない複雑な余韻を残して、物語は幕を閉じる。高畑勲監督は人生の晩年においてなんとも深くて、生きていく上で逃れられない問い掛けを私たちに遺していかれたものだな、と思う。本作を観る度に、この問い掛けについて考えてしまうのだろう。
育ての親を悲しませる寂しい物語
かぐや姫の物語
金曜ロードショーで視聴。
手描きの絵による動画の風情を出し尽くすことを目標としたような映像。鑑賞中より、後からジワジワと効いてくるような味わいがありました。
「おとぎ話」の世界を崩さず、それでいてモダンな表現で、とても見応えがありました。
私が知るかぐや姫は、求婚者の失敗を高所から見下ろしつつ老夫婦との別れに涙する何だか不可解な人物でしたw
絵巻物の平安美人のように表情の無い人です。そこにスッキリした解釈とプロフィールを与えて貰ったというのが率直な印象です。
本作の彼女は珍宝に目を輝かせ、甘言の求愛に動揺し、訃報に心を痛めます。それらの表現は細やかでしたが、敢えて言うと常識的な反応だと思います。彼女の内面は「普通の人」なのです。
そんな彼女の感情が最も解放されるのが野山を駆け巡っているとき。それは彼女の唯一の自由で、私には自然への讃歌と云うよりも籠の鳥が得た束の間の大空だったと感じられました。
幸せの探究とは極めてパーソナルな価値観の具現であり、特別な存在になるほど周囲との摩擦も増えて達成が難しくなります。
彼女は老翁が用意した高貴な姫様コースには反抗したけれど、月世界の頭目には逆らえなかった。
地上での記憶を失くすことは「タケノコ」&「かぐや姫」の死と同義で、彼女の自由や幸せ求める闘いは敗北したと記憶されるべきなのでしょう。
親が考える子の幸せと本人が望む幸せのギャップは世代や時代を越えた普遍性を持つのかもしれません。
そのギャップをかぐや姫側の視点から描いたという意味で、「竹取(の翁媼の)物語」ではなく「かぐや姫の物語」でした。
個人的には月世界の住人も振り切って望む未来を手にして欲しかったのですが、さすがにそれでは違う物語になってしまいます。でも、そう思えたこと自体がテーマだったのかなと云う感想です。
ちなみに、都の邸宅でかぐや姫の付き人をやっているマンガみたいな顔付きの女の子の表情が楽しくて、登場カットごとに心躍りました。
良かったとは思うが、やはりどうしても
絵のタッチも独特だし、逆に雑な絵のような表現で激しさを出したりするのは見てて魅力的だとは思った。
でもやっぱり長く感じちゃうってのが感想です。
この映画を良いと思うから悪いと思うかはそこに尽きる気がする。でも見てられたし良さは分かるので平均点で。
どうしても原作的に月に帰るのを知っちゃってるせいで、まだ月出てこないん?ってなっちゃう。途中でテーマ的には金とか地位だけが幸せじゃないぜ!ってのが分かってからが長く感じてしまうかな。話したら15分くらいで終わるようなことなのに、、って思っちゃう人には向いてなさそう。
あと5人の求婚してきた人たちのうち1人死んだりするのはやめてくれよーって思ってたら死んじゃったのがすごく残念。そりゃ姫さま悲しい気持ちになるよ。自分の言っちゃえば悪ふざけみたいなふっかけのせいで死んじゃったんだから。それはやりすぎだろって思った。
つまらん
ドッグヴィル
暴力的なほどの情報量の奥に、巧妙に少しずつ仕掛けられたドラマの火種があり、少しずつじわじわと溜まっていたものがある瞬間、一気に弾ける。
公開時含めて何度か観てるうちに正直、月での罪だの罰だのいう種明かしはマクガフィン的なアレのように思てきた。
それよりは姫を通して家父長制の欺瞞性を暴く場面のパンチがとにかく強すぎる。
あと商業アニメの手法として全編気がおかしくなりそうなことばかりやっており、50億かかったらしいけど、余裕で文化的遺産なので仕方ない。どうにかして後世に残そう。
ほとんどの日本人が知ってる原作なのに、それぞれのエピソードが破綻なく、そして生きたドラマとして展開していくところがさらなる驚愕ポイント。(知らないで観たらどうなんだろう?)
毎回、オープニングを観るたびに、今度こそ別のルートに進まないかなって思う。というか祈ってしまう。だけど残念ながら当然結末は同じ。そこは「火垂るの墓」にも通じるものがある。あまりにもストーリーテリングが巧みなので、今まさにドラマが始まった、という新鮮さがあり、毎回搾りたての香りがする。
“50歳にて変化の術を会得し、100歳にて美女となり蟲惑し、1000歳にて天に通じる“・・《天狐》の物語
手書きによる圧倒的な質感、驚異のセル画数、他では見られないし、今後とも見ることができないでしょう・・映像表現だけでも⭐︎5評価。
今週に時間枠を拡げての地上波完全放送が予定されていてとても楽しみです。映画館で観るのがベストなのだけれど。
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内容については、マイ解釈では表題のように、“50歳にて変化の術を会得し100歳にて美女となり蟲惑し、1000歳にて天に通じる“という《天狐》の物語。かぐや姫は怪異であり物語は奇譚。西洋事例で卑近に喩えると本作でのかぐや姫はサキュバスかな。
テーマ的に本作は「まどか⭐︎マギカ」との関連性が取り沙汰されていて、(←岡田説)一つの有力な作品解釈のようですがその内容をよく知りません。ただ確実に言えることとして、本作の劇場公開が2013年11月末、まどマギの「叛逆」が2013年10月末なので、時系列的に仮に関連性があるとするとそれは、まどマギのテレビ版あるいは劇場版「始まりの物語」、同「永遠の物語」の内容を踏まえたものということになります。
・・・
【追記1)】かぐや姫の罪と罰とは?〜罪は禁断の恋、罰は月人達の思惑に反してかぐや姫が生命の輝きを知ること
・ 「竹取の翁の物語」作者不詳ですが、源氏物語の紫式部による記述では紀貫之。諸説ありますが紀貫之は「伊勢物語」の作者でもあり、竹取、伊勢の共通項は「貴種流離譚」。貴人が俗界に流される。
・ 本作かぐや姫は隠伏的な「エロティシズム」に彩られていますが、伊勢物語の主人公在原業平が犯した《罪》は伊勢斎宮との密通という禁断の恋なので、それに類することを転生前のかぐや姫さんがやらかしていそう。(←表題のマイ解釈で、かぐや姫を「天狐」に見立てる所以。)
・ 不老不死の月人達がかぐや姫に与えた《罰》は俗界に堕とすこと、その俗界は死のある世界なので、「死の世界」(冥界)に堕とすこと。しかし、本作では月人達の思惑に反してかぐや姫には、儚くも生きることの輝きを知り涙するという《罰》が課せられたかのようです。(結果的にかぐや姫は、禁断の恋と有限な生命への憧れ/憐れみという2つの禁忌を犯したことに。)
【追記2) 】もう一つの竹取物語〜樋口一葉の「たけくらべ」
・ ヒロインである14歳の少女「美登利」(みどり)は、“男といふもの、さつても怖がらず恐ろしからず、女郎という者、さのみ賤しき勤めとは思わず”の土地柄にあって、廓(くるわ)の女の色に染め上げられていきながらも、廓に入る直前には遊女になることを精神的に拒絶して、“さりとて初見せの運命にはあがなえず幼馴染とは口を聞かぬ”・・かくして男勝りのヒロインの太陽の輝きは褪せてゆき日没を迎えます。
展開知ってるのに、気がつけば虜👀
数日前から、今日(2025/09/11)までの数日間を掛けて観ました。
言わずと知れた『かぐや姫』ですが、ジブリ高畑効果で素晴らしい映画に昇華しています。水墨画の様な絵のタッチに、滑らかなアニメーションが違和感なく広がります。驚いたのは媼の授乳シーン。決して官能的な場面ではないのですが、思わず息を呑んでしまいました(笑)
まさか『かぐや姫』が、120分を超える上映時間とは思いませんでしたが、フタを開けてみれば長ったるさも感じず、楽しく観られました。アプリダウンロードで、スマホでしか観られなかったのが悔やまれます。
里での暮らしと都での暮らし。天啓を受けたと考え、都での暮らしを決意した翁。里で暮らしたいヒメ。翁に共感しつつもヒメを憂う媼の姿は辛かったです。
5人の大臣の献上品探しの旅、かぐや姫の心境の変化、帝のセクハラ行為など、観所が思いのほか多く、個性的なキャラクターと豊かな表情の変化や、動きに、飽きることなく楽しく観られました。
かぐや姫が月へ立つ日、かぐや姫と捨丸がピーターパンみたいに空を飛ぶシーンはちょっと笑ってしまいましたが、月の使者が大挙を成してやってきた場面にとても感動しました。
価値ある作品です!
「偶像」に「感情」を注ぎ込んだ「生きている手応え」を感じさせる傑作
2013年公開作品
高畑勲監督の遺作映画
俳優地井武男の遺作映画
監督と脚本は『赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道』『火垂るの墓(1988)』『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』『ホーホケキョとなりの山田くん』の高畑勲
脚本は他に『リトル・マエストラ』『メアリと魔女の花』『この道』『フォルトゥナの瞳』『銀河鉄道の父』の坂口理子
日本の古典のアニメ化
原作『竹取物語』は1000年以上の時を超えた不朽の名作
作者は『土佐日記』で有名な紀貫之説があるがその説は異論はあっても支持したい
車持皇子のモデルは『宇宙皇子』にも登場する時の権力者だった藤原不比等が有力であり紀貫之は彼と大変不仲だったらしい
絵が優しい
デジタルだが水彩画なような色使い
それにひきかえウマ娘とか全てにおいて真逆
「高貴」「高貴」と鼻につく
なにかといえば顔を真っ赤にして怒る
讃岐造(さぬきのみやつこ)こと翁の価値観である
奥ゆかしくお淑やかなイメージゆえに神秘的なかぐや姫も今作ではなにかと感情的である
ディズニーに絡んでいるためか
グローバリズムか
現代的か
現代的が必ずしも全てにおいて良いとは思わないし実際のところ良いわけがない(良かったら今の世の中もっと良くなきゃ辻褄が合わない)が今作のかぐや姫像はとても良い
十二単を次々と脱ぎ出し駆け抜ける鬼の形相
御門に背後から抱きつかれ姿を消しまた現れた時の厳しい表情
堪らない
野山を飛び回る姫と捨丸のシーンも良い
高畑淳子がハマっていた
石上中納言のあの落ち方では腰ではなく頭と首を痛めるのではないだろうか
月の世界から迎えにくるわけだが『阿弥陀来迎図』を参考にしたらしい
沢口靖子主演の『竹取物語』では大胆にもUFOだっだがあれはあれで良いのだが好みとしては高畑勲の方が良いかな
UFOではあまりにも場違いに感じる
声の配役
かぐや姫に朝倉あき
幼少期のかぐや姫に内田未来
育ての父の翁に地井武男(一部三宅裕司)
育ての母の媼に宮本信子
木地師の子どもたちのリーダー格で「捨丸兄ちゃん」と呼ばれ慕われる捨丸に高良健吾
かぐや姫の身の回りの世話をする侍女見習いの少女の女童に田畑智子
翁が姫の教育係として宮中から招いた女官の相模に高畑淳子
宮中の祭祀を担当する斎部氏の一人で翁が姫の名付けを頼んだ相手の斎部秋田に立川志の輔
姫が故郷の山に戻った時に出会った炭焼きの老人に仲代達也
姫に求婚する5人の公達の一人で「蓬莱の玉の枝」を求められ作らせた職人に金を払わなかった車持皇子に橋爪功
姫に求婚する5人の公達の一人で「仏の御石の鉢」を求められたのに対し蓮華草の花を持参した女泣かせの石作皇子に上川隆也
姫に求婚する5人の公達の一人で「火鼠の皮衣」を求められる肥満型の阿部右大臣に伊集院光
姫に求婚する5人の公達の一人で「龍の首の珠」を求められ筑紫の海に出るが嵐と荒波に巻き込まれ怯える大伴大納言に宇崎竜童
姫に求婚する5人の公達の一人で「燕の子安貝」を求められ燕の巣に近づいて取ろうとしたが落下し腰を強打したことで亡くなる石上中納言に古城環
石作皇子の正妻の北の方に朝丘雪路
御門に中村七之助
月の世界の女官に朝倉あき
ただの竹取物語なのに、なぜこんなにも泣けるのでしょう? 誰もが知る...
小学生の娘と見ました
初見でした。もうジブリ好きには高畑勲さんの遺作であり宮崎駿さんとの相剋!ジブリ経営者としての鈴木敏夫さんとの関係など、話題性のありすぎる作品でいつか観たいと思ってました。
とはいえ観たままの感想はというと、中身が詰まりすぎて作品自体は面白くなかったです。ただ作品が駄作というわけでなく、自分の語彙では表現出来ないですが、全てが緻密に構築されたアニメでした。
印象に残ったとこ
・最初の方の赤ちゃんの姫がでんぐり返りしてる描写が可愛い🩷自分の子供の小さい頃を思い出した
・翁が竹をサクッと切る描写が気持ちいい
・崖から落ちた姫が捨丸に抱っこされるシーン
・姫が桜の下で踊るシーン
・都が魅力的でない
・月から迎えにきた人の作画が仏画の典型
※なお、中学生の息子は学校の教室でこの映画を観たそうです。
※自宅でDVD版を見たが、小学生の娘は途中どこかへ行ってしまい、最後に帝と関係するあたりで帰ってきて、最後まできちっと観られたのは自分だけでした。
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