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ベトナム戦争帰りのボンボンたちが、
切った張ったの刺激が忘れられなくなって、
人間狩りゲームに夢中になる……
もうこの設定だけで、
めっちゃそそられますよね?
(そそられない? いやーすいません、ダメ人間でw)
しかも出てるのがピーター・フォンダ。
いるだけでアメリカン・ニューシネマの香りがする。
ボンボンの二世感とアウトロー気質のせめぎ合い。
商業主義を嫌悪する二世って、美しいじゃない。
おれ、この人大好きなんだよね。
みんな彼の代表作としては『イージーライダー』(69)か『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』(74)をあげると思うんだけど、個人的には『バイオニック・ジェミー』のリンゼイ・ワグナーと出ていた『ふたり』(73)って恋愛映画が凄く好きなんですよ。こちらはベトナム帰還兵じゃなくて、ベトナム脱走兵の話なんだけどね。
いずれにせよピーター・フォンダって、「ベトナム」(本人は行ってないけど)と「ドラッグ」(ガン決めしてたらロジャー・コーマンに引き抜かれた)と「父子の世代闘争」(こう見えてヘンリー・フォンダと共演もしている)という、60年代の「若者のすべて」を双肩に背負ったような俳優さんで、ほんと魅力的。
このあいだリヴァイヴァルがかかった『悪魔の追跡』(75)も面白かったし。
それに、最近『ポイント・ブランク』とか『バニシング・ポイント』とか、なんとなく再上映の網からこぼれ落ちていた70年代くらいの佳作を次々とすくい上げて上映しているシネマート新宿さん(いま日本で一番企画力のある小屋だと思っている)が見つけてきたんだから、面白くないわけがない。
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で、観た結論として。
すげー面白かった!
アクションとしてはえらくかったるいし、
緊迫感もへったくれもない感じなんだけど、
監督の意図なのか、P.フォンダ効果なのか、
アメリカン・ニューシネマ臭が濃厚に漂ってる。
あと、意外に面白いアイディアなんじゃないかな。
この視点の切り替えって。
だってこの話、考えてみればものすごく「ふつう」の話じゃないすか。
不倫カップルが、悪い3人組のサイコパスになぶり殺しに遭うんだけど、正義のガンマンが登場して3人をやっつけると。
それこそ刑事ドラマで100万回くらいやってるような筋書き。
でも、前半戦を長尺で完全に「犯人」目線のお話にすることで、サイコ・サスペンスというか極北のノワールみたいなノリ(ジム・トンプスンの『POP1280』みたいな)を、まずはじっくりと味わうことができる。
で、終盤で大きな「狩る者と狩られる者」の逆転劇が起きて、今まで観客の胸にたまったモヤモヤを「真のヒーロー」が一掃してくれる。こちらは、スティーヴン・ハンターの『ブラック・ライト』や『狩りのとき』のようなテイスト。
すなわち、一粒で二度おいしい。
ミヒャエル・ハネケの『ファニーゲーム』を、胸糞のまま終わらせずに、無理やり予定調和のウェスタン――「古い型」の勧善懲悪に引きずり戻して終わる試みっていうか。
「視点を変える」だけで、こんなにお話ってテイストが変わるんだな、と。
当時から、ジョン・ブアマン『脱出』(72)×サム・ペキンパー『わらの犬』(72)って言われてたみたいだけど。
僕は観ていて、結局のところ男社会というのは「マウント」の取り合いなんだなと思った。
銀行員は愛人にマウントを取り、ハンター三人組は不倫カップルにマウントを取り、ウィリアム・ホールデンは三人組にマウントを取る。
マウントは物理的にも、常に「高いところ」から「見下ろすように」取られる。
一時、狩られる銀行員がピーター・フォンダに対して優位に立てたのも、フォンダが通る湖畔の「岩の上」を押さえられたからだ。その後、謎の敵からマグナムで狙い撃ちされたハンター二人は、立地的な優位を得るために「稜線」に向かう。
どちらがマウントを取るか。
そこが天下の分かれ目だ。
マウントの移譲によって、ジャンルまでもが切り替わる。
本作の仕掛けの根本はそういうことだ。
― ― ― ―
本作は「世代論」としても、面白い映画だと思う。
犯人一味は徹底してボンボン気質で、攻めているときは相手を嘲弄しまくり、上から目線でやりたい放題やっているわりに、いざ「狩られる」側に回ったらえらく「脆い」。
対する老ガンマンは、さまざまな人生の苦難を味わってきた本物の「男」であり、まさにボブ・リー・スワガーのような風格がある。
この「今時の若者」と「親の世代」のぶつかり合いの配役として、あえてアメリカン・ニューシネマのアイコンであるピーター・フォンダと、旧世代のマッチョ俳優の代表ともいえるウィリアム・ホールデンを持ってくるあたりが、実ににくい。
ちょうど、似たようなテイストの映画があったなと脳内検索していたら……、ああそうだ、『ダーティハリー2』(73)でした(笑)。
『ダーティハンター』は74年の封切りだから、ほぼ同時期の映画なんだね。
(ていうか、邦題思い切り影響受けてないか?)
時代はまさにフラワームーブメントの末期であり、ベトナム戦争撤退直後。
第二次世界大戦(および朝鮮戦争)を経験した親の世代と、ベトナム戦争で苦渋を舐めた子どもの世代。
二つの世代のあいだで、たえず軋轢が起き、価値観の相克が表面化した。
そういう時代だ。
この映画では若者の傲慢と無軌道が描かれるが、そこに「ベトナム戦争」が影を落としている点では、あやまたず『タクシードライバー』(76)や『ローリング・サンダー』(77)、『ディアハンター』(78)といった一連の作品群の「先駆」といっていい映画でもある。
それだけ、自らの国と直接関係のない戦争に加担して、ひりひりするような命のやりとりを強いられた経験は、多くの純朴なアメリカの若者たちの心を間違いなく「壊した」のだ。
アメリカの70~80年代の映画史は、ベトナム戦争で負った国家としての精神的外傷を、娯楽の分野で再話したり上書きしたりすることで、必死に癒そうとしてきた歴史に他ならない。
上記の映画に引き続き、『地獄の黙示録』(79)、『ランボー』(82)、『プラトーン』(86)、『グッドモーニング, ベトナム』(87)、『フルメタル・ジャケット』(87)、『7月4日に生まれて』(89)etc. etc. ……。
そんな流れの最初期にあって、ピーター・フォンダは続けさまに二つのベトナム関連映画で主演を務めている。すなわち、『ふたり』(73)と『ダーティハンター』(74)だ。
彼は、ベトナム戦争の脱走兵と帰還兵を演じ分ける。逃亡者に身を落としてもなお戦争に加担できなかった男と、戦争から戻ってなおマンハントの逸楽から逃れられなかった男。明らかにピーター・フォンダは「対比的な意図をもって」この二つの役を敢えて受けている。
それぞれの主人公は、戦争によって心を傷つけられた若者たちを象徴する、ふたつの極端な肖像(プロフィール)だった。
ピーター・フォンダの中では、B級のキワモノっぽいサスペンスである本作もまた、たとえいびつではあってれっきとした「反戦」映画であり、同時に「世代間闘争」の映画だったということだ。
― ― ― ―
●ジョイパックフィルムが買い付けたときの劇場公開用チラシがパンフの最後に入っているのだが、そのアオリ文句がふるっている。
「俺たちは何故狙われるんだ! 姿なき謎のハンターのH・Hマグナム銃に一人・また一人若者が鮮血に散る 恐怖と戦慄の“人間狩り(デス・ゲーム)”!」
ええええええ?? そっちいいいい??
この映画を観て、この宣伝を打とうという感覚は、ちょっとマジで俺にはわからないな(笑)。
逆にこのポスターのおもてを見て劇場に足を運んだ人って、ピーター・フォンダが悪役であること自体を「知らないで」この映画を観たってことなんだよな。それはそれで驚愕したのでは?? たしかにこの映画で3人がマンハントしようとしていることは中盤まで明言されていないので、そこを「伏せよう」としたってことか。
でもふつうウィリアム・ホールデンが再登場することは、絶対伏せるよね……。
と思って、パンフの対向に入っているチラシの裏面を見て、さらに驚愕。
「解説」で、三人の若者がマンハントに興じている前半の展開を臆面もなく書いてあるうえに、さらに話の続きをこう書き記している。
「その裏でその男たちを狙う影の男がいた。その男は、三人によって強かんされ、その時の子供を生み、そして自殺した娘の実の父親だった。彼は、三人が犯した罪を法律で裁くことの出来ないくやしさから、何年も狙い続けていたのだ。その時に彼らが平気で人間を撃ち殺すのを見て、放っておくわけにはいかないと決心を固め、正確に撃ち殺して行く話」。
バリッバリのネタバレじゃん!!!!(笑)
公開前に置いてあるチラシで、さすがにこれはあんまりすぎる……。
こんなんでも許される時代だったのかなあ?
いや、ホントびっくりです。
●監督のピーター・コリンソンは、世間的には『ミニミニ大作戦』(69)の監督として知られていると思うが、個人的には三度目の映画化となる『そして誰もいなくなった』(74、『ダーティハンター』と同年ですね!)の監督として思い出深い。
たしか製作者がひとりで10年おきくらいに3回も『そして誰もいなくなった』を映画化している変な人で、その2回目を監督したのがコリンソンだった。イランのペルセポリスが舞台で、必殺シリーズみたいな殺し技の出てくる、ホラー風味の演出や出演者の顔芸が楽しい一作だった。
●本作でも、ピーター・コリンソンの「ミステリ的な演出」はなかなか堂に入っている。
とくに、「小屋に残されたシガーの吸い殻」「罪を告発するテープの演出」「敵かと思って撃ったら味方の死体が吊られている」「今度はその死体の振りをしてガンマンが入れ替わっている」といったあたりは、本格ミステリ映画やマカロニ・ウエスタンに似た稚気を感じさせて素晴らしい。このあたり『そして誰もいなくなった』と並行して作業していた影響もあったのかもしれない。
●三人のマンハンターが家庭では良き父親であり、誰からも愛される街の名士であるという設定は物語の薄気味悪さを高めている。冒頭のハロウィン・パーティーで子供たちとアメフトごっこで遊ぶシーンの屈託のない感じと、中年カップルを徹底的にいたぶりまくるサディズムの対比は、そのまま「戦場で何人も人を殺して狩った戦士」が帰国したら「良き家庭人であり良識的な職業人」であり、その両者は当たり前のように併存し得るという「現実」と呼応している。
●お話の組み立てや配役、テイストなどは大変好みなのだが、全体にアクション演出のノリがだるくて弛緩していることや、逃げ方の動線がどうなっているのかさっぱりわからない点や、そのへんの湖で少人数で撮っているような自主制作映画っぽい貧乏くささが強いことは否定できない。
とはいえ、映画として確かにB級ではあるのだが、ところどころで鳴き叫ぶ鳥の声を挿入することで生まれる不気味な効果とか、哄笑をあげる三人組の薄気味悪さとか、自閉症児を敢えて出してくる奇妙なこだわりとか、そういった「B級ならではのこだわり」の部分を積極的に評価したい。
●三人組のなかでは、リチャード・リンチの顔と立ち姿が結構ピーター・フォンダとよく似ているので、ときどきごっちゃになって往生したのは内緒。
●ピーター・コリンソン監督のフィルモグラフィを見ても、ピーター・フォンダ、ジョン・フィリップ・ロー、リチャード・リンチのフィルモグラフィを見ても、彼らは結構スペインやイタリアでも精力的に仕事をしていて、本作に漂う多国籍(無国籍)感の淵源になっている(製作はスペイン。監督はイギリス人。ロケ地はスペイン、イギリス、アメリカ)。
撮り方の雰囲気とかズームの品のない使い方とか、確かにちょっとマカロニ・ウエスタンに近いテイストがあるんだよね。