フル・モンティのレビュー・感想・評価
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どうしたって苦笑、失笑、爆笑が沸き起こる派手さのないヒューマンコメディ
ロバート・カーライルが主人公のガズに扮しており、「トレインスポッティング」ファンだったこともあり、公開後しばらくしてから劇場で鑑賞。あの頃、こういう決して派手さのない作品でも、劇場にはそこそこ人が集っていた。そして、そこかしこから苦笑、失笑、爆笑の声が聞こえてきたものだ。
イギリス北部の街シェフィールドが舞台。かつて鉄鋼業で栄えていたけれど、いまは不況の影響で失業者であふれかえっていた。ガズも養育費すら払えず、別れた妻に息子を奪われそうになっていた。そうこうしているうちに、男性ストリップショーに熱狂する女性たちの姿を目撃した男たちは、自分たちもストリップで一儲けしようと思い立ち、寄せ集めのメンバーが猛特訓を開始する。
こういってはなんだが、失業した中年の男たちがストリップに挑む姿は滑稽そのもの。その必死さが観る者に笑いを誘い、果ては胸アツな感情を呼び起こすにまで至る。それは、どこまでも役者たちの演技力による賜物といえよう。
【91.5】フル・モンティ 映画レビュー
映画史における九十年代後半の英国映画界を語る上で、ピーター・カッタネオ監督による「フル・モンティ」は避けて通れない記念碑的な一作である。本作は、かつての産業革命の旗手でありながら、サッチャー政権下で急速に衰退した鉄鋼の街シェフィールドを舞台に、失業という過酷な現実を生きる男たちの悲喜劇を描き出した。当時の英国映画界では「トレインスポッティング」に代表されるような、閉塞感と疾走感が同居する文脈が存在したが、本作はその系譜に連なりつつも、より広範な大衆性と深い人間洞察を両立させた傑作であるといえる。
作品の完成度という観点から考察すれば、本作はコメディという枠組みを借りた極めて鋭利な社会派ドラマである。物語の核心は「ストリップ」という滑稽な手段にあるが、その裏側に流れるのは、労働者階級の男性が「稼ぎ手」としての役割を失った際のアイデンティティの喪失と、肉体的な尊厳の再構築という重厚なテーマである。完成度を一段と高めているのは、悲劇を悲劇として描くだけでなく、人間の滑稽さを肯定する優しさにある。このバランスは絶妙であり、政治的なメッセージを説教臭く提示するのではなく、登場人物たちの脂肪のついた腹や、不器用なダンスステップを通して語らせる手法は、映画表現として極めて純度が高い。当時の英国社会が抱えていた負の側面を、これほどまでに軽やかで、かつ痛切に描き出した例は稀であり、世界的な成功を収めたのも必然の結果と言えるだろう。
演出と編集について、カッタネオ監督の采配は誠実である。舞台となるシェフィールドの煤けた風景や、閉鎖された工場の静寂を切り取るキャメラワークは、ドキュメンタリーのような冷徹さを保ちつつも、男たちが集う場には温かみのある色彩を忍ばせている。編集もまた見事であり、特にハローワークの列で音楽に合わせて腰を振るシーンに象徴されるように、日常のなかの絶望とユーモアが交錯する瞬間を、計算されたリズムで繋ぎ合わせている。
キャスティングと演技に目を向けると、本作の成功は俳優陣のアンサンブルに負うところが大きい。
ガズ役のロバート・カーライルは、主演として物語を力強く牽引している。彼は「トレインスポッティング」での凶暴なベグビー役とは対照的に、生活に困窮しながらも息子への愛情と自尊心の間で揺れる父親を繊細に演じ切った。彼の演技には、負け犬としての悲哀と、それでも一矢報いようとする反骨精神が同居しており、観客が彼に自己を投影してしまうほどの説得力がある。ストリップを提案する際の無鉄砲さと、いざ人前に立つ時の怯えを体現する彼の肉体表現は、言葉を介さずともその苦悩が伝わるほど重層的であり、一介のコメディの域を遥かに超えた名演であった。
デイヴ役のマーク・アディは、肥満体型に悩むガズの親友として、本作の情緒面における重要な役割を担っている。妻に身体を見せられないという彼のコンプレックスは、男性性の崩壊を最も象徴的に示しており、彼の戸惑いと自己受容のプロセスは多くの観客の共感を呼んだ。彼の柔和な風貌が醸し出す悲哀は、物語に奥行きを与えている。
ジェラルド役のトム・ウィルキンソンは、元職長というプライドを捨てきれない男を重厚に演じている。失業したことを妻に隠し続け、毎日スーツを着て家を出る彼の滑稽なまでの悲哀は、かつての階級社会の残滓を感じさせ、助演としての存在感は圧倒的であった。彼の厳格な佇まいが崩れていく過程は、本作の白眉である。
ホース役のポール・バーバーは、老いという壁に直面しながらも、ダンスという表現を通じて活力を取り戻していく老人を演じた。彼の枯れた味わいと、その奥に潜むかつての情熱の再燃は、物語に世代を超えた普遍性を与えることに成功している。彼の存在が、ストリップという行為に一種の「芸」としての風格を添えた点は見逃せない。
そして、クレジットの最後に名を連ねるガイ役のヒュー・ボネヴィルが演じるキャラクターもまた、物語に欠かせない多様性を添えている。彼の役どころは、他の男たちとは異なる次元での孤独や希望を体現しており、アンサンブルの最後のピースとして完璧に機能していた。
脚本とストーリーの構成は、古典的な「寄せ集めのチームが逆転を狙う」という定石を踏まえつつ、そこに失業、離婚、親権問題、同性愛、自殺未遂といった深刻な社会問題を巧みに編み込んでいる。単なる「脱ぐ」という行為を、自らの人生を全うすること、すなわち「フル・モンティ(全裸)」になるという覚悟へと昇華させた脚本の筆致は鮮やかである。
映像と美術衣装においては、リアリズムの徹底が光る。登場人物たちが纏う安っぽいジャージや、かつての威厳を失ったスーツは、彼らの経済状況を雄弁に物語る。一方で、クライマックスのストリップシーンにおける照明と舞台演出は、それまでの灰色の日常から解放された、刹那的な祝祭感を見事に演出していた。
音楽は本作の魂である。ドナ・サマーの「ホット・スタッフ」がハローワークで流れる場面や、トム・ジョーンズの「ユー・キャン・リーヴ・ユア・ハット・オン」に乗せて踊るラストシーンは、映画音楽が視覚情報を凌駕する瞬間を体現している。主題歌的な役割を果たすアン・ピープルズの「アイ・キャント・スタンド・ザ・レイン」もまた、彼らのやり場のない感情を代弁していた。アン・ダドリーによる音楽は、第70回アカデミー賞で作曲賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞しており、その評価を裏付けている。
本作は、アカデミー賞において作品賞、監督賞、脚本賞にノミネートされるという、コメディ映画としては異例の快挙を成し遂げた。また、英国アカデミー賞では作品賞を受賞するなど、批評的にも興行的にも九十年代を代表する一本となった。
総じて「フル・モンティ」は、極限状態に置かれた人間が、ユーモアという武器を手にいかにして立ち上がるかを描いた、映画史に残る人間賛歌である。それは単なる過去の遺物ではなく、格差社会が進む現代においても、我々が失ってはならない「尊厳」の在り方を問い続けている。
作品[The Full Monty]
主演
評価対象: ロバート・カーライル
適用評価点: A9(27点)
助演
評価対象: マーク・アディ、トム・ウィルキンソン、ポール・バーバー、ヒュー・ボネヴィル
適用評価点: A9(9点)
脚本・ストーリー
評価対象: サイモン・ボーファイ
適用評価点: A9(63点)
撮影・映像
評価対象: ジョン・デ・ボーマン
適用評価点: A9(9点)
美術・衣装
評価対象: ミック・ラドフォード、ヘイゼル・プレンダーガスト
適用評価点: A9(9点)
音楽
評価対象: アン・ダドリー
適用評価点: S10(10点)
編集(減点)
評価対象: ニック・ムーア、デヴィッド・フリーマン
適用評価点: +1
監督(最終評価)
評価対象: ピーター・カッタネオ
総合スコア:[91.5]
とても愛おしい
ようやく見た
自分史として、こんなに泣いた映画はないかも
〈自分の“日記”なのでコメントは閉じています〉。
この映画で笑えるんだろうか?
若い人なら笑えるんだろうなあ。
この映画は、大学生だった我が息子から
「面白いよ」「ギャグ映画だよ」としてサジェストされたんですが、ちょっと面喰らうほどのジェネレーションギャップ。そして大人たちが負っている痛みへの感度の違いに、息子がなんだか遠くなってしまった推薦の辞でした。
まあ、仕方ないね。
親と子とはこんなものだ。
生きている場、責任、トポスが違う。
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斜陽の国 イギリスで
炭坑町も、鉄鋼の町も傾いていく。
この映画「フルモンティ」は、
「リトル・ダンサー」
「我が谷は緑なりき」
「ブラス!」
「フラガール」
などと並んで、不況と解雇の大波に押し潰されそうになりながら、ただただ我が子の幸せのために、自分が犠牲(ピエロ)になってやろうじゃないかと足掻いた親たちの、涙の一本だ。
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10年ほど前のことだが、
僕の勤める会社では 創立以来初めてのリストラがあった。
取引先は支払い額を3割下げ、消費税と燃料代は非情にも上がり続け、僕の手取りも3割減った。
リストラが始まり、
「なんとか自分が生き残れるために必死だった」し、
恥ずかしいけれど正直に告白すれば「誰かがへまをして僕の代わりに首になってくれること」を僕は祈っていた。
(「シンドラーのリスト」だったか、「ライフイズビューティフル」であったか、“ガス室の死の選別”を逃れるために、女たちは指先を切り、頬に血を塗って“血色良さそうに”運動場を走り回っていたよね。転べば終わりなのだ。よろめく姿を見られたら終了なのだ。
ガス室なのだ。
ー あの絶体絶命のシーンを当時仕事をしながら思い出していた。
黒い手帳を開いた監査役がずっとこちらを見ている。
冗談ではなく必死だった )。
失業できない理由が僕にはいくつかあった。
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中略
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・・だから僕は何があっても失業してはいけない。
そんな綱渡りの時期の、背水の陣での、リストラのさなかに観た映画がこの「フル・モンティ」だったのだ。
気を抜くと切迫感で膝がガクガク震え出し、責任の重さでどうにかなりそうだった。
寝ないで働いたから、体を壊して通院しながらの金策だった。
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劇中、
男たちは弱いよね。
⇒自尊心と責任感があったぶんだけ、逆境と自分の不甲斐なさに亭主たちは苦しみうめいている。
妻や子供を守り切れなかった「プライドも甲斐性もズタズタ」の駄目男たちの姿だ。
女たちはその男たちの弱さをよーく知っている。
それゆえ、それだからこそ、
「その街に、そしてそれぞれの家庭に、忍び寄る失業の不安の影を (ともすれば不安に押し潰されて叫びながら逃げ出してしまいたくなるようなその心細さを) みんなでストリップでもやって大声で笑い飛ばしてやろうや!」
と言うのだ。女たちは。
あのステージ。
女たちのはしたないほどの腹の底からの笑い声と、それに応えた全裸の男どものステージに、
僕ははからずも、胸迫って、ひとりアパートで声を抑え切れずに泣いてしまった夜だった。
切羽詰まった弱い男たちを、素っ裸にしてやって、自殺や失踪から救ってくれるのは、これは逆説的だけれど、気持ち相容れずにいてくれる (男から見れば無神経で図太くて心通わない)、そんな女たちの腹の底からの大笑いなのかもしれない。
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中略
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「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と言うけれど、たとえ世間知らずで終わったとしても、大人たちが体験した辛過ぎる苦労の日々は、我が子には味わわずにいてもらいたい。
「フル・モンティは面白いギャグ映画だ」とずっとあいつには言っててもらいたいと僕は思う。
落ちこぼれが集まって一発逆転を狙う物語
落ちこぼれが奮起して一発逆転を狙うというストーリーに引かれて借りてみた。落ちこぼれの逆転劇という要素と、個性豊かなキャラクタがグループを作って共通の目的に向かうストーリーは、前者についてはドラゴン桜とか異世界転生系全般の物語の始まりのストーリーラインで見られるし、後者についてはけいおん!とかウォーターボーイズとかいろいろあると思う。今作はそういった「落ちこぼれの逆転劇」と「新しい組織をつくってそこで共通の目的を達成」という2つの視聴者の欲を満たすネタが込められており、パッケージに映るキャラクタのファッションや裏の簡単なあらすじを読めばそれが期待できるから自分は今作を見ようと思ったんだと思う。
結論として、そこまで没入感がなく、ながら見となってしまった。理由についてはあんまり考えずにテキトーに書いてみる。①登場人物のビジュアルが悪く、ストリップという見せるテーマにそのビジュアルは合わない(会社の宴会芸の悪乗りや温泉で鉢合わせする別に見たくはないものを見せられている気分にさせられる)②時代背景に共感する要素が少ないから、登場人物とフィーリングが合わない(例えば中年の汚い体を晒す男のストリップを見て沸く女性陣の感覚に共感できない)。③ストーリー全体を通して登場人物皆が深刻ではないが抱えている葛藤とぶつかる不快感が見せられ、ユーモアを交えた描写でその不快感は中和させられているが、それでは足りない。鬱屈とした雰囲気を諦めながらユーモアでなぞっても視聴者の気分は踊らない。
前段落で書いたことは本当にテキトーに書いたことだ。あんまり楽しめなかったからその理由探しを適当に言っただけなところがある。主人公の立ち位置である駄目なバツイチ中年男カズの子供ネイサンの美形の顔が記憶に強く残っているので、結局はネイサン以外の登場人物の顔に魅力がなかった、と言ってしまっても言い過ぎだが間違っていない。
今作のエンディングは、登場人物たちの行動目標であったストリップを女性客の前で行っているという一番の盛り上がりで終わらせるという方法になっている。同じ手法の作品として自分の中ではロッキーが思い浮かぶ。ロッキーはそれでいいと思ったが、今作は中途半端感を感じた。何故か考えてみると、ロッキーではリング上でロッキーがエイドリアン!と叫び、試合の結果よりも二人の愛の確信を見せつけられるからそこで全てが視聴者にも伝えられ満足するのだが、今作ではストリップ劇の成功は感じられるが、登場人物達が抱えていた葛藤の帰結が分からず、不安が残る終わり方だ。
これはおもしろい
男を描いてこそのイギリス映画の最後の誇りをコメディにした強かな作品
稼ぎたきゃ脱げ!
何も考えず笑えるイギリスコメディ
イギリスのコメディはブラック過ぎて笑って良いのかわからないものがあるが、本作は単純に見て笑えるコメディ。
90分という短い時間の中でも登場人物のキャラクターの人物像が上手く描かれていて、みんな良い味を出している。
すっぽんぽん!
思い出しレビュー14本目。
『フル・モンティ』。
愛すべきイギリスの1997年のコメディ。
イギリス・シェフィールド。不況で鉄工所を解雇された6人の男たち。
その一人、ガズは、町の女たちが男性ストリップショーに熱狂してるのを見て、自分たちもストリップショーをして一攫千金を得ようと思い付く…!
日本の『ウォーターボーイズ』もそうだけど、ヘタすりゃおバカコメディになりかねない題材。
それを、コメディではあるけど、非常に胸のすく快作ドラマに仕上げている点が見事。
その根底に、不況、解雇、就職難など、労働者階級の悲哀が巧みに据えられている。
去年『わたしは、ダニエル・ブレイク』を見た時もひしひしと感じた。
労働者の現状は、今も20年も、日本だろうとイギリスだろうと変わってない。世の中、どうしてもっと働き易くならない?
ストリップをする6人は、ロバート・カーライルのようなハンサムもいれば、トム・ウィルキンソンのような初老やマーク・アディのようなぽっちゃりちゃんも。
6人、問題も悩みもそれぞれ抱え…。
だからこそ、やらなければならない。
やればきっと、何かが変わる。
夜な夜な工場で練習中警察に見付かって裸で逃げようとも、次第に町の噂になろうとも、俺たちには失うものは無い。
直前になって及び腰になっても、さあ、脱ぐ時が来た。
俺たちの全てを見よ。
いざ、ショーへ。
すっぽんぽん!
シェフィールドの衰退が支配するコメディ
このスタイルの元祖的作品
諦めず奮闘する普通の中年たちの哀歌
総合:65点
ストーリー: 70
キャスト: 75
演出: 75
ビジュアル: 70
音楽: 70
こんな情けないことやって、と見下したり笑いものにしたりするのは簡単だ。特別踊りが上手いわけでもなく美男子が揃っているわけでもない。実際、彼らは町の人に嘲笑の対象にされたりもする。しかし失業の深刻な町において家族のため自分のために自分の努力で奮闘する男たちは立派なものだ。諦めたらそこでお終い、だが動き出せば何とか状況が変わることもある。途中で挫けそうになったり最後まで自信が持てなかったり、等身大の庶民な彼らが上手に描かれていて、演技と演出は好感が持てる。しかし全体的には喜劇調で深刻な雰囲気ではないのだが、何か彼らの醸し出す人生の物悲しさも感じてしまってちょっと辛い。なんとか成功して幸せになって欲しいと思った。
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