機動戦士ガンダム 逆襲のシャアのレビュー・感想・評価
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30数年ぶりのガンダム
中学時代にファーストガンダムをリアルタイムで追いかけ、御多分に漏れずシャアに魅了され、ガンプラに明け暮れた一人として、本作を初めて観ることにしました。映画『閃光のハサウェイ』への予習として手に取りましたが、そこに描かれていたのは、痛烈な人間ドラマでした。
公開された1988年は、日本がバブル景気の絶頂に沸いていた時期です。当時「新人類」と呼ばれ、大人の理解を超えた存在として語られた若者たちの孤独や焦燥が、クェスやハサウェイというキャラクターに見事に投影されていることに改めて驚かされます。
物語の核となるのは、シャア・アズナブルの「狂気」です。全人類を強制的に進化させるという壮大な理念を掲げ、地球に隕石(アクシズ)を落とそうとする彼の過激な行動。しかし、その根底にあった動機がララァという一人の女性への執着であり、彼女に「母性」を求めていたという告白には、アムロならずとも驚愕を禁じ得ません。英雄の仮面の裏側に、これほどまでに情けなく、脆い人間臭さが隠されていたとは。
個人的には、安彦良和さんが『THE ORIGIN』などを通じて描いた、冷徹で美しき復讐鬼としてのシャアに強く惹かれます。しかし、富野監督が本作で突きつけた「完成されない大人」としてのシャアの姿もまた、抗いがたい現実味を持って迫ってきました。
結局、アムロもシャアも、クェスやハサウェイといった次世代の「心の叫び」を正面から受け止め、導くことはできませんでした。大人が作り上げた傲慢なシステムの中で、若者の心が死んでいく――。本作は、当時の、そして現代にも通じる強烈な社会風刺でもあります。
クェスやチェーンの死という悲劇を目の当たりにしたハサウェイ。彼がその深い傷と罪を背負い、今後どのように世界へ「復讐」を仕掛けていくのか。『閃光のハサウェイ』へと繋がる物語の幕開けに、期待が膨らみます。
初代ガンダムしか知らない時に観た
当時の公開時にど田舎の私ん家は悲しいかな、一地方局とNHKしか視聴出来ない状態。アンテナ+ブースターを繋いでやっと関東関西のキー局の放送が見られるのだが、うちにはそれが無くて、再放送の初代ガンダムを見て以降ガンダムのその後を知らなかった。
で…アムロやシャアのその後が描かれたこの作品公開時ガンダム好きの友人に誘われて観に行った。
一番頭に残ったのは内容ではなくTMネットワークの歌になってしまったのが更に悲しい。
ガンダムシネマラリー
ガンダムシネマラリーのリバイバル上映で、数年ぶりに本作を鑑賞。
公開当時も映画館で鑑賞しましたが、当時は、これがガンダム最終作との位置づけだったので、歴代主人公勢ぞろいのオールスターお祭り映画にしても良かったのにと感じていましたが、シャアとアムロに絞ったことで、今でも話題になる映画になったのかもしれません。
公開当時、TVシリーズの「Zガンダム」で仲間になったはずのシャアとアムロが、いきなり敵対関係に戻り戦っている本作にかなり残念な気持ちになりました。
シャアとアムロが決戦の末、ニュータイプ同士とは思えない口論の途中で絶命?
結局ララァを失った悲しみだけが、その後の人生の行動原理だったのかと思えるシャアの最後の言葉。
シャアの理解不能な行動や発言、まるで歴史上の人物のように、その真意を考え込んでしまう時があります。で、何度も観てしまい、今に至ります。
数年後、またリバイバル上映されたら・・・もちろん観に行きます!
当時も今も変わらぬ感想
上映当時に「なんじゃこら?」って思って
その後何度か見たけどやっぱり「なじゃこら?」って作品
今回もその辺は変わらないのだけど、何度も観たせいか
当時はぼんやりしていた意図や登場人物の行動がかなりクリアに感じられるようになった
手持ちの武器を押しっ見なく手放したりトラップとして放置したり
通りすがりのギラドーガのマシンガンを奪ったりする((笑))アムロに対し
ガッチガチに身を固めた武装で追いすがるシャア
中盤から終盤にかけてのニューガンダム/アムロとサザビー/シャアの戦い方は
両者のスタンス立ち位置を明確に表している
だからこそどんどん破壊され武器をなくし
昭和のロボットプロレスよろしくどつきあいを始めて
そこまでやって、
丸裸になってやっと少しだけ本心をさらけ出せる
ふたりの関係とガンダムサザビー両機がこの作品の魅力だ
見ていれば「ガンダムⅢめぐりあい宇宙」へのセルフオマージュともいえる展開やシーンが多く
アムロとシャアの決着(監督的にはガンダムシリーズを終わらせる)ために
あえてガンダムまで引き戻す必要があったのだろうといまさらながら感じる
(しかしララァが二人の男を翻弄して楽しむ悪女みたいになってるよな。
アムロの主観かもしれないけど)
ラストシーンは「まあこういう話だ」で収まる名エンディングなのだけど
のちの作家がアクシズショックなどと適当にいじくりまわして
台無しにしてしまったのだけが残念である
話を詰め込みすぎというか、とにかく展開が早い。。でも面白い(^-^)
「ガンダムシネマラリー feat. 閃光のハサウェイ」で、上映されているのを知って映画館に見に行ってみた。
初めて見たのは高校の時だったと思う。
おそらくレンタルビデオで。。
それから今まで何とはなしに10回以上は見た。
ファーストガンダムは小学校3年生の時に夕方に再放送しているのを見て激ハマりした。
周りの子供達もみんな見ていたと思う。
ガンプラブームの時には、ガンダムとギャンの戦闘シーンのジオラマを作って遊んでいた。
ガウ攻撃空母を買ったら小さくてガッカリしたのを覚えている。
Zガンダムは中学校に入った頃に放送が始まったので、部活に入っていた私は見れなかった。
高校に入ってからWOWOWで全話録画した友達がいて借りてみて、またガンダムにはまっていく。
ZZはZを見ていなかったのもあってタイムリーには見ていなかった。
というか、あの主題歌(アニメじゃない)が大きらいだった。
子ども向け過ぎるというか、小学校の時なら気にならなかったのかもしれないが当時中学生だった私は耐えられなかった。。
後にZを借りた友達からZZも借りて見たけど子供向けになっていたのでハマらなかった。
そして、逆シャア。
映画館で見た記憶はないから、おそらくレンタルビデオだったのでしょう。。
それからずっと宇宙世紀物は見ています。
今回改めて見て思ったのは、ファースト・Z・ZZを見ていないと絶対に話についていけない。。
この時、ブライトとアムロはロンドベル所属なのね。
ティターンズは壊滅して、エゥーゴは?などと一瞬頭の整理がつかなかった。
それと、話を詰め込みすぎというか、とにかく展開が早い。。
最初に見た時はアクシズ・ショックはさすがにやりすぎって思ったけど。。
アムロとシャアのラストだと思えば、これもアリなのかと今回思ったかな。。
あとは、客層がバラバラというか男が多いんだけど、20代~50代までの男性がまんべんなくいた感じでした。
いまのサブスクの世の中、ぜんぶ見ているんでしょうね。
小学校の低学年からずっと見てきているガンダム。
他の映画とは見る上でのバックボーンが違います。
いろんなバックボーンを思い出しながら楽しく見れました。
これから気になるのは『閃光のハサウェイ』のラスト。
Zガンダムの劇場版での改変もあったし、ファンの意向でラストを変えても良いと思っている。
今後のハサウェイではクェス・パラヤは出てきても、チェーン・アギが出てこないのが悲しいと思った。。
アムロやシャアと同じく謎のまま終わるでも良いと思うけどな。
一ガンダムファンとして納得できるラストを望みます!
ビヨンドザタイムが全てを持っていった
コンプラ無視の職場内恋愛と、重力に魂を縛られた我々の「業」について
人はなぜ何度でも『逆襲のシャア』を観てしまうのか。
これはもう、我々ガンダム世代に課せられた業というか、ある種の定期健診みたいなものです。
若い頃は「ファンネルすげえ」「νガンダム伊達じゃねえ」と、単純にロボットアニメとして消費していた。でも、我々自身が社会に出て、組織の理不尽さを知り、部下を持ち、あるいは家庭を持ち、順調に「汚い大人」になってから観るこの映画は、まったく別のグロテスクな輝きを放ち始めるわけです。
まずネオ・ジオンという組織のガバナンスが凄まじい。
総帥であるシャア・アズナブルが、作戦参謀のナナイ・ミゲルと公然とよろしくやっている。あれ、今のコンプライアンス基準で言えば完全にアウトなんですが、実態としては「カリスマ創業者のメンタルケア」という、極めて切実な経営課題なのです。
シャアという男は、表向きは「地球環境の保全」「スペースノイドの自治」なんて立派なSDGs的スローガンを掲げていますが、その原動力は「ララァ・スンという母性を奪われた喪失感」と「アムロに勝ちたい」という、実に個人的で湿度の高い情念なわけです。
そんな「拗らせたおじさん」が核兵器を持って暴れまわるのを、ナナイ(24歳)という極めて有能な実務家が、愛人兼母親役として必死にコントロールしている。ネオ・ジオンとは、畢竟、シャアの巨大な「承認欲求」を満たすためのファンクラブであり、あのイチャつきは組織維持のための必要経費だったと解釈せざるを得ない。
一方で、対するロンド・ベルも大概です。
アムロとチェーンの職場内恋愛。あれも現場指揮官と担当エンジニアという、利益相反バリバリの関係ですが、ブライト艦長は黙認している。なぜか。彼らもまた、連邦政府という腐敗した巨大組織の中で、「現場のモチベーション維持」に四苦八苦している中間管理職です。
「アムロには安らぎが必要だ」というブライトの温情は、裏を返せば「そうでもさせておかないと、この激務とプレッシャーで最強の兵士が壊れてしまう」という、ギリギリの人事労務管理に見える。
そして、その大人たちの「エゴ」と「事情」の割を食うのが、ハサウェイやクェスといった若者たちです。クェスは「父性」を求めて彷徨い、ハサウェイは「初恋」に殉じようとした。しかし、シャアはクェスを道具にし、アムロは拒絶した。結果、ハサウェイは味方であるチェーンを殺害するという、取り返しのつかない十字架を背負わされる。あそこでハサウェイが「やっちゃいけなかったんだよ!」と叫びながらチェーンを撃つシーン、あれは単なる悲劇ではなく、我々大人が次世代に対して行っている「無責任の連鎖」そのものを見せつけられているようで、胃が痛くなるわけです。
結局、この映画が描いているのは、カッコいいモビルスーツ戦の皮を被った、「成熟しきれない大人たちの絶望的な足掻き」である。
シャアの「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ!」という最期の絶叫。あれを聞くたびに、我々は思うわけです。「ああ、俺たちの中にもシャアがいる」と。社会的な地位や建前で武装していても、心の奥底では誰かに甘えたい、認められたいと泣いている幼児性が、我々にも確実にある。
だからこそ、ラストの「アクシズ・ショック」で、敵も味方も関係なく隕石を押し返そうとするあの光景に、何度観ても涙してしまう。あれはサイコフレームの奇跡などではなく、どうしようもないエゴやしがらみに塗れた我々人間が、それでも最後には「より良くありたい」と願ってしまう、その祈りの可視化だからでしょう。
「νガンダムは伊達じゃない」。
この言葉を噛み締めながら、我々はまた明日から、重力に魂を縛られた日常という名の戦場へ戻っていくわけです。左様、人生はままならないものです。
懐かしいキャラクター達
4Dスゴイ
高校の時以来の映画鑑賞。
今日もアクシズ落としは失敗しました…
何度見てもアクシズは地球に落ちませんね…。
自分は選ばれし女と勘違いしてマシーンにされるクエス
あんな小娘に嫉妬するナナイ
何故か大佐の寝言を知っているギュネイ
嫌いとはいえスパナ投げつけるレズン
自身に父を求めるクエスが鬱陶しいロリ…、もとい、シャア
シャアとアムロを両取りしたいらララァ
味方殺しのハサウェイ
やたらと高圧的でアストナージの死因となったチェーン
ノーテンキなアデナウアー
登場人物が揃いも揃ってどうしょうもないです。
ぬるぬる滑るように動くシャアを始め、作画はきれいです。
富野語録とセリフの可能性
ZZまで見た人なら見るべき作品
もう30年以上も前の作品なのね。
続き物なのでそれまでの作品を見てない人ならば、お勧めできないが、逆に見た人なら強くおすすめしたい(むしろ最初から全部見てからこれを是非見て!と言いたい)。アムロとシャアがケリをつけるのだから。
戦闘シーンは秀逸。あれほどワクワクするシーンは後にも先にもないのではなかろうか?(でも映像化したものをすべて見てないから断言できないのよね)戦闘シーンに流れる音楽も相まって、高揚感がたまらない。
この時のシャアは色んな意味を込めて地球寒冷化作戦を実行している。おそらく本編で語られた理由(複数ある)すべてが、正しいのだろう。
初見では知らなかったし気付かなかったが、後になってコロニーを外から眺めるシーンがCGを使っていたと知って、とても驚いた。たしかコスト面とかかる時間から、富野監督は限定的にしか使わなかったと記憶している。
ケリがついて、しばし損失感があったのも懐かしい。
当時、アムロもシャアも居なくなってガンダムはもう作られないのではないか?と思っていたが、杞憂だった(笑)
でもまさか、この時の最新技術・サイコフレームがユニコーン作品に繋がるとは夢にも思わなかったよ!😂
何度も見た作品だが、初めて劇場で鑑賞。まずは劇伴の荘重さに開幕1...
何度も見た作品だが、初めて劇場で鑑賞。まずは劇伴の荘重さに開幕1秒でやられる。大いなる悲劇を予兆するような弦の響きから始まって、主役機の登場・タイトルロールとともにティンパニーで最高潮に!文字通り「劇場版」に相応しい重量感あるBGMである。また改めて見直すと、昔は浅はかな小娘だとバカにしていたクェス・パラヤが、実に可愛く、また聡明に描かれていて驚いた。劇場版に登場する子どもたちは、大人よりも1歩先を見ているようで、作品自体のテーマ・理想を子供の口を借りて語っているところもある。一方で主役級のアムロもシャアも、パイロットや政治家として成熟していても、結局大人として一番大切な仕事-子供たちを教え導く、ということがまるで出来ておらず、結果大人の戦争に巻き込まれて子供たちの未来が奪われてしまう。(当時での)シリーズ集大成、の結末がこれと思うと、トミノ的現実認識のシビアさが怖くなるような…。また、今回英語字幕付き上映だったので、言外のニュアンスの多い本作を翻訳することの難しさも再発見できた。決して直訳ばかりではなく工夫されていたように思うが、解釈の違いを感じる場面も散見された。近作の「閃光のハサウェイ」(映画版)や「ジークアクス」を見たことでまた別のコンテキストも生まれていて、再見できて良かった。結末含め詰め込みすぎ、無茶な展開も多いが、富野作品中、そして日本アニメ史上においても最高傑作だと思う。
ガンダム映画のベスト作品
劇場公開時に映画館で観た。当時は第2次ガンダムブームで、僕がガンダムに最もハマっていた時期でした。当時の僕の実家の地方は民放が2局しかなく、それより8年前の最初の『ガンダム』(いわゆるファーストガンダム)の放送や再放送も早朝だったり夕方だったりで時々しか観ず、劇場版3部作はテレビ放送やレンタルビデオで観たものの、そこまでハマったわけではなかった。それから7年後ぐらいに続編『Zガンダム』の放送が始まったものの、やはり地元では放送が無かったこともあって当初は関心が無く、よく行く模型店でZのガンプラを見かけた時にリアリティのある設定と卓抜なネーミングセンスに衝撃を受けて、そこから当時趣味にしていたボードシミュレーションゲームのガンダムものや、アニメの設定資料集、富野由悠季の原作小説などでどんどんハマっていき、さらなる続編『ガンダムZZ』の終盤になってようやく早朝に放送してたことに気づいて録画視聴し始めたのだった。そしてそこからさらなる続編であるこの映画の公開となる。
とても良かった。富野映画としてだけではなく、ガンダム映画としてもベストの作品ではないだろうか。ガンダム映画はほとんどの作品が基本的にテレビの総集編であることが多く、また観ていても総集編感がありありで、映画としてはあまり高く評価できないが、この作品は最初から映画として企画され、なおかつ2部作・3部作などではなく1本の映画として完結してるのが良い。内容もキャラクター造形からストーリー展開や演出など全てが非常に高いレベルの作品となっており、最初に映画館で観た時には感動でちょっと目が潤んでしまった。もちろん一種の続編なので前作ありきの部分も無くはないが、独立した作品としても十分に楽しめる映画となっていると思う。素晴らしい出来でした。
初見の方には一切おすすめ出来ないガノタ専用の作品
やっぱ面白いよな逆シャアは
ガンダムオタクがアムロとシャアを擦り倒すのもわかる
こんなん見せられたら一生脳に刻まれるよね
戦闘シーンのスピード感がすごい。最近のコッテリCG戦闘に慣れた身体にセル画の独特の雰囲気がすぅーっと効いてくる
νガンダムvsサザビーは多分ずっと語り継がれるんだろうな……フィンファンネルもいいけど接近戦、MSチャンバラに見応えがあるのよね
近年の作品だとNTとかサイコフレームとかまあ色々出てはいるけれども、このアクシズを押し返す奇跡にはやっぱどの作品も敵わないなと思う
名もなき兵士が次々と止めるためにMSで集うのもいいし
石ころ一つ、νガンダムで押しだしてやるっていう半ばヤケクソのセリフなのにかっこいんだわこれが
あと、ガンダムには地球環境云々みたいな少し説教くさいところがあったりもするけれど、この映画のアムロのある種冷めた視点があるおかげで鼻につかないのも良いんだよな
革命はいつもインテリが始めるがーというやつ
人に絶望しちゃいない
シンプルなセリフだけどもこの端的さと力強さがこう魅力的なのかもしれない
全79件中、1~20件目を表示









