AKIRAのレビュー・感想・評価
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日本アニメを変えた1本
80年代、バブル絶頂時に制作費10億円を投入して作られた本作は、今見ても色褪せない。リアルを追求した2コマ打ち作画に、プレスコでリップシンクされた表情芝居、カメラを意識したレイアウト、当時としては画期的だったCGの導入、細部までこだわり抜いた背景美術など、技術的な見どころだらけの作品だ。大友克洋の絵をそのまま動かすことを目標に作られた本作は、日本アニメの歴史におけるエポックメイキングな作品であることは間違いない。もともと、リアル志向の大友のデッサンを動かすだけでも大変な作業だったろう。
本作が作られたのは日本がバブル経済絶頂期の80年代だが、あの時代でなければこのプロジェクトは成立しなかっただろう。世紀末を迎える当時の終末論的な空気感を感じさせる内容が、2020年代の今の日本とどこかリンクしてしまうのが恐ろしい。日本社会が退廃的な方向に行くことが決定的になってきた今、この映画の空気感は公開当時よりも一層リアルに感じられるかもしれない。
すごく面白かったです
新しさを体感せよ
今更ながら驚くのはあの時代にこのクオリティーの作品が作られたこと
漫画をずっと食い入るように読み続けてからの映画だったから感動もひとしおだった
ただ、とても映画1本ではもったいない
今の時代なら3部作にはなるだろうな
時代背景も詳細で人々の心の動きも細やかなのだ
オープニングの曲がなんとも言えず良い!
最初に見た時は違和感がある馴染みのないサウンドに困惑したものだったが何度も見ているとしっくりくる
脳内でエンドレスに流れる、と同時に鉄雄の、そして金田の声が蘇るのだ
まだ現実世界はこの映像の世界に追いついていない
しかし徐々にその時はやってくる
車が電気に変わりバイクも同様に変わってきた
今でも新しいこの世界観、これに続くものを見たことがない
唯一無二なのだ
カタルシスは感じられず……
PG12にしては結構エグいシーンがたくさんありました。今だからこそテレビでやれるのでしょう。初見です。
アニメ界を語るときには必ずと言っていいほど名前がでる本作。SF自体は好みではないけれど、やっぱり映像としては素晴らしいし、あの時代は本当に革新的だったのは頷ける。主人公のバイクなど乗り物を乗りこなすセンスはカッコイイなぁと思いました。ただ、キャラデザで金田とケイが似ていて一瞬見分けつかないし、ヴィラン的なのも含めてキャラクターの魅力は今一惹かれるものはなかった。あの時代ではきっと王道のタイプだったのかもしれませんね。最後の終わり方も良く分からず、考察するのが苦手な私はカタルシスを感じることができなくて、ちょっと欲求不満気味に。
今さらですが、初めて見ました。
石ノ森章太郎と大友克洋の二人の巨匠を生んだ宮城県登米市は凄い!
長く原作本を購入するかどうか迷っている
漫画だが、私にとってのこの幻の作品を、
原作とは少し異なるのだと思うものの、
TV放映を機に、
先に映画で観ることが出来た。
劇場公開年のキネマ旬報ベストテンでは、
同じアニメのスタジオジプリ作品
「となりのトトロ」と「火垂るの墓」が
1位・6位に選出された中、
31位と、専門家にもなかなか評価の難しい
作品でもあったかのような順位だった。
確かに、見事な色彩や光・影の表現は
素晴らしいものがあるものの、
超能力に目覚める鉄雄は
何を意味しているのか、
身体は子供のようでも老人化した顔つきの
タカシ・キヨコ・マサルの3人は
何を象徴しているのか等々、
原作者のそんな設定やテーマ・問題意識には
到底理解が及ぶものではなかった一方、
この作品で描かれるエネルギーの暴走
のような描写には、
コントロールを失った時の現実社会における
原子力やAIによる人類の危機を
感じてしまった。
果たして大友氏の狙いは
なんであったのだろうか。
ところで、昨年、
宮城県登米市の石ノ森章太郎ふるさと記念館
を訪れることが出来たが、
実は大友克洋もこの登米市の出身であること
を知った。
この小さな地方都市から漫画界の巨匠が
二人も生まれたことに驚くと共に、
将来、この地に2つ目の漫画記念館が誕生する
ことも想像出来た。
金字塔…
お正月に観たい映画がもうないなぁと困っていたら、EテレでAKIRA!CMなしでAKIRA!ありがたい!
初めて観たのは10代、恐らくストーリーを隅々まで理解していたとは思えないけど、ただただ衝撃を受けた。慌ててコミックや童夢やなんやかや、漁るように観たのが懐かしい。
懐かしがろうと思って今回もみはじめたけど、いやいや、初めてを上回る衝撃。
どうして80年代のアキラスライドがこんなにカッコイイのでしょう。これ、ジェイソンステイサムもクリスプラットもこぞってやるやつやん。
ぬるっとした動きも、女の子を可愛く描く気が全然ないところも、バイクにベタベタ貼ったアライや成田山のステッカーも、爆音と無音の対比も、サブカル真骨頂。
手放しで褒めちぎるのもなんだかですけど、当時うしろあたまをガツンとやられてからまだ立ち直れてないのだから仕方ない。
エンディングで、カネダーテツオーと聞こえてくるからそこはちょっと笑ってしまうのも変わらない笑
テーマはずっと、受け継がれていきますね。人間のキャパ以上の力を望むのは正しいことなのか、という問いかけ、あらゆる映画が繰り返し問い、答えはまだ出ません。
「万物の黎明」を思い出してました。
超能力者キヨコの「未来は一方向に進んでいるわけじゃあないわ。私たちにも、選べる未来があるはずよ」という言葉が心に残りました。『AKIRA』が描くのは予言ではなく、「そうなるしかない」と思い込んだ末の未来です。国家や技術、力を不可避なものとして受け入れ、人は想像力を手放していく。その感覚は、デヴィッド・グレーバーらの『万物の黎明』が示した、歴史は本来多くの選択肢を持っていたという視点と重なります。キヨコの言葉は、失われた可能性を静かに問い返しているように感じられます。
こんなに面白いとは思わなかった 女をぞんざいに扱ったり、はだしのゲ...
こんなに面白いとは思わなかった
女をぞんざいに扱ったり、はだしのゲンと同等の残酷な描写があったり昭和感がすごくあって良い
世界観も独創的だし展開も訳が分からなくてこれは唯一無二だなと思った
根強いファンがいるのも頷ける
どう言い表せばいいのか分からないけど色々すごかった
その力は、私達には、まだだとしても
…私達は、もう一度、アキラくんに会ったの…
金田くん、いい奴ですね。いつも仲間のことを思っている。だから仲間が道を外せば、全力で引き戻そうとする。それが叶わないとすれば、自らの手で…。
一方で、鉄っちゃんの気持ちも、分かるよなぁ。弱い自分を知っているからこそ、助けられてばかりの自分が、もどかしい。あの屈折した気持ちに、本人にさえ、コントロールできない力が備われば…。
昔、読んだマンガに、時間エネルギーと云うワードがありました。新しいものだって、時が経てば古くなる。このベクトルは変えられない。頑張ってアンチエイジングしても、それは時間を止めたわけでもなく、ましてや時間を逆流したわけでもない。時間エネルギーに逆らえるだけのエネルギーが、あるとすれば…。
マンガ版では、AKIRAはその時間軸から逸脱した存在として描かれています。そして、映画版は…。
確か海外でウケたそうですね。何故か正月早々、某国営局の教育チャンネルで放送してました。改めて観て思ったのですが、映画版は、3人の運命の子ども達が、それぞれのキャラを出し合い、助け合い、ストーリーテラーになっているようです。この脚本と監督が大友氏本人によるものというのは、驚きです。
その力は、私達にはまだ…。
未来は、一方向に進むわけではない。
私達が選択できる未来だってあるはず。
この映画が、公開されて随分経ちます。皆様は、何を選択してきました?。この先、世界は、何を選択すると思います?。
…もう、始まっているからね…
カオリちゃんが不憫過ぎる…
それまで線が粗くて絵が乱雑なイメージの強かった劇画界に新風を吹き込んだ大友克洋が、自身の人気コミックを原作にアニメにも革新をもたらした金字塔的作品。
その後のアニメ作品のみならず、実写を含む世界中の映像クリエイターに与えた影響ははかり知れない。
キャラクターの多くが『鉄人28号』をモチーフにしていることは有名だが、ほかにも主人公が「健康優良不良少年」を自称するなど大友ならではの諧謔を絡めながら、物語は次第に過激なアクションへと進展。
原作同様、シャープな輪郭線がハードな印象をさらに強める。
当時、漫画作品のアニメ化は原作のテイストよりアニメ制作会社の個性が全面に出てしまうのが普通なのに、本作はそうした要素を一切排除。
監督の大友は後日「何もかも一人でやり過ぎた」と反省の弁を口にしているそうだが、あらためて観ると最初は動きがぎこちなく人物の描線も硬かったのが、段々ヴィヴィッドにこなれていくのが新人漫画家の初連載を見てるみたいで興味深い。
原作コミックの連載途中で映画化したため、クライマックスの展開や設定はアニメと随分相違があるとか。
『ブレードランナー』や『ビートルジュース』の例もあるし、今から続編作ってもいいのではという気もする。
初公開時、仕事が忙しくて観に行けず、けっこう経ってからCS放送で鑑賞したのが初見。
その後、何年か前にリマスター上映を映画館で観て以来、今回の放送で三度目。
リマスター上映の時にはIMAXの巨大スクリーンなのに前に座り過ぎたので、もう一回映画館でも見直したい。
時代劇やサスペンスの名脇役で鳴らした鈴木瑞穂がアニメの声優もやってたなんて今回の放送見るまで知らなかった。確かにいい声しているもんね。
見どころいっぱいだけど、個人的にはマサルたちが巨大化したおもちゃやぬいぐるみで鉄雄を襲撃する場面が秀逸。
芸能山城組のモダンかつオリエンタルなBGMも、海外人気に一役買っているのかも。
NHKーEテレにて視聴。
配慮すべき表現あるんだったら、BSか4Kで放送した方がよかったんでは。元は教育テレビなんだし。
いろんなものの原点ですね‼️❓
カルトアニメ映画
すき。
何もかもが規格外
中学生の時、田舎の本屋の棚に並ぶ分厚い背表紙に「AKIRA」と記されていた漫画。まだ消費税が無く1,000円ちょうどで売られていた漫画を即買いし帰宅。ページを開いて圧倒された。
あの衝撃を損ねることなく、というより動かせて見せる。しかも漫画家自らが!
映画冒頭の日付は、日本で映画が公開された初日である。映画館で初日に観た人だけに許される衝撃。
「え?今日?」
芸能山城組がケチャを取り入れて演奏するテーマ曲と共に始まるオープニングのバイクシーン。何もかもが規格外で公開された瞬間に「伝説の作品」になった。
今観ても何も古くないというか、何にも追い越されていない。大友氏が漫画では表現できない動きを映画で可能な限り実行した作品。後の作品を考えると、あれで満足はしてなかったんだろうとは思うが、世界に大友克洋という圧倒的な天才が存在する事を知らしめるのには充分。
超能力による暴力の復讐劇。暴力によって生み出された暴力的で哀れな鉄男はまるで人類そのものでありその哀れな人類の一人である私はこの暴力的な映画に興奮するがそれを認めてしまうのは悲しいと思った。(長文)
本作「AKIRA」(1988年)は日本の漫画「AKIRA」(1982年-1990年、全6巻)が原作の日本のアニメ映画である。架空の第3次世界大戦後の東京を舞台に軍隊の秘密研究の事故に巻き込まれた暴走族グループの少年たちを描く。
点数:3.0。お勧めします。暴力の連鎖を描いた悲しい作品であるが映像のクオリティがすごい。高品質のディズニーアニメのようにヌルヌルと動くアニメーション。スピード感のあるバイクどうしの戦いや軍隊や超能力や巨大レーザー兵器など多数登場し迫力の血みどろアクションが繰り広げられ興奮する。暴力的な作品であるが思春期の少年の心情を見事に表現した繊細な作品でもある。思春期の少年の持つ暴力的な一面を鉄男が演じ思春期の少年の持つ熱さをもう一人の主人公、金田が担当する。悪い点だが鉄男とカオリがかわいそうで救いがない様に見えるので-2.0して点数3.0にした。
侮辱され暴力を受け抑圧されていた劣等生の鉄男は偶然に超能力のチカラを手に入れても自分がされたように他人に暴力をふるうことしかできなかった。これは悲しいことだ。暴力を受けてきた人類がまた暴力を繰り返す。この悲しい連鎖を本作は描いている。鉄男はさんざん集団ストーカー行為を受けてPTSDに苦しんだ。ぬいぐるみが動き出し、内臓が落ちる妄想も発現した。そして超能力を手に入れた鉄男は暴走族だろうが軍隊だろうが容赦しない鬼になった。暴力は暴力的人類を育てることしかできないと思った。暴力の連鎖を描いた作品は他にもある。アメリカ映画「ジョーカー」(2019年)は真面目に生きていた社会的弱者の主人公のアーサー・フレックが社会から理不尽な集団ストーカー行為を受けついに自らも暴力をふるう無慈悲な狂人ジョーカーに変貌する話である。アーサー・フレックも鉄男も暴力を受けなければああいう風にはならなかっただろう。暴力が暴力的人類を育てる。その無限の連鎖が今日まで続いている。暴力の連鎖を止めるためには暴力を減らさないといけない。ところが本作はその逆で究極のチカラを求める軍隊がついに人工的に超能力者を開発するような話である。超能力者には兵士も戦車もかなわない。本作は兵器開発競争の行き着く先を超能力として描いている。鉄男は暴走族の端くれでいわば暴走族もチカラを追及する組織の末端である。暴走族と軍隊の共通点は人間の飽くなきチカラへの渇望であるので暴走族と軍隊を関係づける本作はよくできている。本作の結末の通り圧倒的な暴力のチカラを手に入れれば一時的には何でもできるが結局は後世の暴力的人類を育てているだけである。私は後世の人類がどうなるかは予想できない。戦争に勝ちのこった後世の人類はさらにチカラを求めて永久に戦争を繰り返すのだろうか。鉄男はラストでその体が制御不能になり自滅するが後世の暴力的人類は自滅しないとはいえない。
視聴(今回):液晶テレビ(有料配信NETFLIX) 視聴日(今回):2025年6月20日 初視聴日:何十年も前 視聴回数:今までに3~4回は見た 視聴人員(今回):1(一人で見た)
2025/06/20の昔のレビュー:
鉄男とカオリがかわいそう
火垂るの墓(1988年)によく似た悲しい話であった。おそらく第三次世界大戦の孤児である鉄男とカオリは大戦後の生存競争の厳しい腐敗した大都市を生き抜こうとするが鉄男はクスリに溺れ妄想に苦しみカオリも悲惨な運命をたどる。アクションシーンもあるが鉄男とカオリの悲惨な運命が主題と思われる。アメリカで話題になった映画ジョーカー(2019年)のアーサーのように本作の主人公の鉄男は社会から仲間はずれにされていると思い込んでいる人であるが私はなんとかしてハッピーエンドにしてほしかった。視聴日2025年6月20日 視聴回数1回(早送りあり) NETFLIX 評価3.0
2025/08/11 追記1:
この作品の作られた1988年ごろはまだ米ソ冷戦の時代で核戦争の危機が高かった。あれほどテレビで言っていた核戦争の危険は21世紀に入り叫ばれなくなった。おそらく、ソ連が崩壊して湾岸戦争があって2001年同時テロがあってから核戦争の危険はうやむやになったのだと思うが人類は危機が増えすぎて核の脅威を忘れてしまった。本作「AKIRA」(1988年)では核兵器を超える兵器として超能力が登場するが日本のアニメには核兵器を超える架空の兵器がたびたび登場する。テレビアニメ「機動戦士ガンダム」(1979年-1980年)では宇宙空間にうかぶ巨大なスペースコロニー(巨大宇宙都市)を地球に落としたり、巨大なスペースコロニーをまるごと巨大なレーザー兵器にしたりして核兵器を超える兵器が登場する。テレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」(1995年-1996年)ではセカンドインパクト、サードインパクト、人類補完計画などの核兵器を超える兵器(人為的に起こせるという意味での兵器)が登場する。これらは日本人がいかに核兵器に敏感でそれを超える兵器を考えていたかの証拠であると思う。1988年ごろの日本では超能力やオカルトが流行していた。これは万能と思われていた科学技術に限界が見えて科学技術に期待しすぎた反動であったのだろうか。1969年アポロ11号が月面に到達し世界は科学技術に期待しすぎてしまった。1980年代に入ると人々は科学技術に失望し超能力やオカルトに注目するようになったのではないだろうか。テレビアニメ「機動戦士ガンダム」(1979年-1980年)でも「ニュータイプ」と呼ばれるオカルト超能力が登場する。科学技術が進めば進むほど絶望的に人類を殺傷できる兵器が増えるだけでいっこうに世界は平和にならない。それで人々は科学技術に失望したのではないだろうか。
追記2:
本作「AKIRA」(1988年)は思春期の少年の繊細な心と暴力の話である。思春期の少年は繊細である。まだまだ未熟な心しかもたないにもかかわらず環境変化、友人関係、進学、就職、恋人、チカラへの憧れ、不条理な社会への適応などやることが多い。なので思春期の少年は繊細で壊れやすい。グレたり、不登校になったりするのは繊細な心を守る自己防衛のためであろうと思う。鉄男は繊細すぎて心が壊れてしまったよくいる悲劇的な少年である。私も思春期の頃から心が繊細で壊れて修復不能である。思春期にはまず環境変化に悩まされた。中学まで徒歩で20分ほどだったのに高校は電車バスを乗り継ぎ2時間かけて通わねばならなかった。勉強内容も格段に難易度が上がりついてゆくのは無理であった。周囲の学友は異性の話題ばかりしだし、もてたいのでファッションに気をつかい、オートバイやアルバイトに手を出し始めた。私は友人関係に悩み集団ストーカーにも悩まされ心は壊され私が鉄男なら鉄男と同じことをしたと思う。鉄男が自身の繊細な心を壊された原因の世界にたいして復讐心が芽生えるのは当然であると思った。映画では鉄男は今の世界をぶっ壊し自分に優しい世界を新しく作り直そうとしたのであった。テレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」(1995年-1996年)ではラストで主人公の少年シンジが巨大人造人間ロボットであるエヴァンゲリオン初号機のチカラを借りて今いる世界をぶっ壊して自分に優しい世界を新しく作り直そうとするのだが途中でやめて中途半端に新しい世界となるがこの時のシンジはどんな気分だったのだろうか。思春期の私が「新世紀エヴァンゲリオン」を観ていたら共感できると思った。「AKIRA」で繊細な心を持つ少年の鉄男がかわいそうなのは同じく繊細な心を持つ少年だった私が共感できるからであろう。
追記3:
私は何十年も前、ひとりで夜中コンビニに出かけた時暴走族ぽい原付バイク二人組(茶髪と覆面、どちらも若く十代くらい)にカツアゲされそうになった。彼らは歩道にもかかわらず堂々と原付バイクで走行し私の後ろから追ってきて「ひいちまうぞコラ!」みたいな事を言っていた。私は怖かったが無視しているともう一人が回り込んで来たので勇気を出して「道を尋ねたいなら言ってみたまえ。」みたいな事を空威張りで言ってみた。そうしたら、「~はどういけばいい?」みたいな事を茶髪が言ったので「コンビニで地図を見てやる」と私は言い近くのコンビニに急ぎ早歩きで戻ると彼らは追って来なかったので私は助かったのであった。(当時はスマホなどという便利なものはなかった)私と暴走族との縁はこれっきりである。ところで「AKIRA」に登場する暴走族のリーダーの金田は友人思いの素晴らしいリーダーである。しかし私は上記の暴走族の思い出もあり金田は好きになれない。
暴走族っぽいバイク映画といえばアメリカの実写映画「イージー・ライダー」(1969年)であろう。麻薬の密売で大金を得た無法者のワイアット(ニックネーム:キャプテン・アメリカ)とビリーはバイクに金を隠し、現実逃避のためバイクでアメリカを横断する旅に出る。ワイアットとビリーは「自由」を求めて自由の国アメリカをバイクで疾走するがアメリカの現実はひどいありさまであった。彼らは旅の終点で本当の自由は逃げることでは手に入らないと気が付くのであった。この映画の良いところは素晴らしいBGMと自由を求める主人公たちの悲劇的結末である。自由はどうやったら手に入るのか考えさせられる。この映画を観ると暴走族は見た目は自由な様でも実は全然自由ではないと気が付かされる。
追記4:
本作ではカオリというヒロインが登場するがカオリは鉄男以上に不幸で救いなく描かれている。しかし、アメリカのCGアニメ映画「スパイダーマン:スパイダーバース」(2018年)ではカオリそっくりなスパイダーマンの仲間の一員のペニー・パーカーが登場する。ペニー・パーカーは未来時代からやってきた日系アメリカ人の女子高生で日本の女子高生の制服を着ておりスパイダーマンと同様の力を出せるメカ「スパ//ダー」に乗り込んで敵と戦う強い少女である。幸福で救いのあるカオリが見たいのなら「スパイダーマン:スパイダーバース」(2018年)を観ることをお勧めする。
追記5:
私はこのアニメ映画「AKIRA」(1988年)の人工的な超能力者の子供たちが好きになれない。子供たちはマサル、タカシ、キヨコ、アキラの4人が登場するが、幼稚園児くらいの背格好にもかかわらず、この子供たちは顔だけ老人のように年を取っている。実際に子供が早く老化するような病気があるようだが好奇的関心のためだけに映画でこのような設定をしたのだとしたら気持ちはよくない。映画にはよく障害者が登場する。アメリカ実写映画「チョコレートドーナツ」(2012年)では本物のダウン症の少年が登場しとてもいい演技をする。映画の内容はゲイのカップルが育児放棄されたダウン症の少年の親になろうとする話だ。ルディ(アラン・カミング)とポール(ギャレット・ディラハント)はゲイで愛し合っていた。ある日、育児放棄されたチョコレートドーナツが好物のダウン症の少年マルコ(アイザック・レイヴァ)を保護し二人は親がわりになろうとするが…。この映画は主人公のアラン・カミングが演技をがんばりすぎているのが気になるが良作である。この作品での障害者の描かれ方は良いほうだ。障害者は好奇的関心のためだけに映画に登場することが多いのは気になる事案である。
追記6:2026年1月6日
劇中の超能力少年アキラはまるで神のように描かれている。「アキラ」は「明」と書けるので「明」は破壊と創造をつかさどる仏教の神様の「不動明王」をイメージしていると私は思った。ラストシーンで鉄男は光の世界でアキラ少年に救われているようなシーンがある。それゆえにこの映画は輪廻転生を表現する仏教の宗教映画と見る事ができるのでラストシーンで鉄男とカオリは不動明王に救われ転生したと考えるとこの結末はハッピーエンドなのである。「AKIRA」から8年後のアニメ作品「新世紀エヴァンゲリオン」(1996~)はこの映画の影響が見られる。だが「エヴァンゲリオン」のほうは仏教ではなくキリスト教がモチーフとなっている。
全220件中、1~20件目を表示









