ラストエンペラーのレビュー・感想・評価
全86件中、1~20件目を表示
東京国際フォーラム シネマ・コンサートで
1987年の本作品、私が高校生くらいに映画館で
数回見た記憶があります。当時から好きだった
坂本龍一の音楽にも惹かれて、サウンドトラック
のCDも擦り減るほど(擦り減らんけど)聴きました。
そこから40年近く経って、新聞広告でこの
シネマ・コンサートを見て、条件反射的にチケット
を2枚申し込みました。年明けの楽しみに据えて
いざ本日観賞です。
結論、最高でした!
映画は全編映像を上映し、映画と全く同じ音楽を
生演奏してくれます。もちろん、中国の二胡や
お琴も演奏され、坂本龍一さんが渾身を込めて
作った音楽を、余すことなく演奏するぞ感を
感じ取れる見事なパフォーマンスでした。二胡の
生演奏を聴けたのも感動でした。
最後のエンドロールは、演奏もクライマックス。
久しぶりに演奏で涙が溢れ出ました。
映画の中身はと言うと、まさに中国 清朝時代の
最後の皇帝の波乱に満ちた人生を、あの圧倒的な
映像美で魅せるスケールの大きさ。
ちょうどマドゥロ大統領が捕らわれた時事ネタも
相まって、まさに天国から地獄まで体験する事に
なります。
改めて、名作と断言します。
皇帝 愛新覚羅溥儀の生涯。
【84.7】ラストエンペラー 映画レビュー
🌟 作品の完成度
本作の完成度は、単なる歴史の再現に留まらない、映画的叙事詩としての格の高さにある。史上初めて紫禁城での大規模なロケーション撮影を敢行したという事実が象徴するように、視覚的な壮麗さは他の追随を許さない。しかし、その真価は、絢爛豪華な映像の裏で進行する主人公の「孤独」と「喪失」の物語を、重層的な時間軸構成で巧みに表現した点にある。皇帝としての幼年期、紫禁城幽閉時代、満州国皇帝時代、そして戦犯収容所での「再教育」を経て、一市民となる老年期。これらの時代を、収容所での尋問という現在軸を基点にフラッシュバックさせる手法は、溥儀という人間の内面的な変遷と、彼を取り巻く歴史の残酷さを際立たせる。ベルトルッチは、溥儀の半生を、権威と自由、過去と現在、公と私の間で引き裂かれる普遍的な人間のドラマとして昇華させた。その結果、歴史大作にありがちな散漫さを排し、高い密度と情感を保ちながら、約3時間にわたる壮大な物語を見事にまとめ上げている。アカデミー賞9部門受賞という事実は、この作品が技術、芸術性、物語性の全ての面で、世界的な批評基準を完全にクリアしたことの何よりの証明と言えよう。
🎬 監督・演出・編集
ベルナルド・ベルトルッチ監督の演出は、詩的でありながらも、歴史の重厚さを損なわない緻密さに満ちている。イタリアの巨匠は、一貫して権力とセクシュアリティ、そしてその両者に抑圧される個人の自由というテーマを追求してきたが、本作においても、溥儀の皇帝という名の「檻」の中での歪んだ成長と、外界への渇望を、象徴的なショットの連続によって表現した。特に、シネスコの画面いっぱいに広がる群衆の圧倒的なスペクタクルと、一転して宮殿の片隅で孤独に佇む溥儀のクロースアップとの対比は、演出の妙である。ヴィットリオ・ストラーロによる撮影は、その豪華な美術・衣装と相まって、一瞬一瞬が絵画のような美しさを誇る。ガブリエラ・クリスティアーニによる編集は、過去と現在の切り替えをシームレスに行い、3つの時間軸を迷路のように絡ませながらも、全体として流れるようなリズムを生み出している。特に、収容所での溥儀が自伝を語る場面と、過去の記憶が交錯するシーンの編集は、感情的な高まりを見事に牽引している。
🎭 キャスティング・役者の演技
キャスティングは国際色豊かで、それぞれの役者が歴史の歯車としての役割を高い次元で演じ切っている。
主演:ジョン・ローン(John Lone)/愛新覚羅溥儀
ジョン・ローンが演じる成人以降の溥儀は、その優雅さ、脆さ、そして運命に対する諦念を複雑に内包した、類まれな肖像である。彼は、清朝の絶対的な権威を背負いながら、実権を伴わない「ラストエンペラー」という看板の重みに耐える男の孤独を見事に体現した。特に、紫禁城を追われた後の戸惑い、満州国皇帝としての傀儡政権下での虚飾、そして戦犯収容所での自己否定と再生に至るまでの内面的な変化を、抑制された演技の中に静かに刻み込んでいる。その美貌と相まって、彼は歴史の悲劇を体現するにふさわしい、圧倒的な存在感を放っている。溥儀のアイデンティティの喪失と再構築という、この映画の核となるテーマを、説得力をもって観客に伝えた功績は計り知れない。
助演:ジョアン・チェン(Joan Chen)/婉容(えんよう)
ジョアン・チェンが演じた皇后・婉容は、紫禁城という「籠」の中で輝きを失っていく美と精神の崩壊を痛ましくも体現した。初期の奔放で知的な魅力から、アヘン中毒に陥り、狂気へと至るまでの軌跡を、一貫して高いテンションで演じきっている。特に、溥儀との関係性の破綻と、時代の波に押し流される皇后としての無力感を表現した彼女の演技は、主演に匹敵するほどの鮮烈な印象を残す。婉容の悲劇は、溥儀の孤独とは別種の、閉ざされた空間における絶望を象徴している。
助演:ピーター・オトゥール(Peter O'Toole)/レジナルド・ジョンストン(Reginald Johnston)
名優ピーター・オトゥールが演じた溥儀の英国人教師ジョンストンは、東洋の異質な世界に招かれた西洋の理性と、一人の少年に注ぐ深い愛情を象徴する。彼の存在は、溥儀に外界の知識と自由への憧れを与えながらも、その運命を変えることはできないという、歴史の皮肉を浮き彫りにする。威厳と慈愛を兼ね備えたオトゥールの演技は、物語に安定感と深みを与え、溥儀の少年時代における精神的な支柱を明確に描いた。彼の知的な眼差しは、溥儀の数奇な生涯に対する、観客の視点と共鳴するかのようである。
助演:ヴィクター・ウォン(Victor Wong)/陳宝琛(ちんほうしん)
ヴィクター・ウォンが演じた清朝の忠臣・陳宝琛は、旧体制の遺物としての「忠」と、時代の変化を受け入れざるを得ない「老い」の悲哀を見事に表現した。溥儀の幼少期から青年期に至るまで、伝統と儒教の価値観を教え込む彼の姿は、変化を拒む紫禁城内の保守的な空気を象徴している。ウォンの厳格でありながらもどこか哀愁を帯びた演技は、溥儀の側近たちが抱えるジレンマと、彼らの忠誠心がもはや時代に通用しない現実を静かに示唆している。
助演:坂本龍一(Ryuichi Sakamoto)/甘粕正彦(あまかすまさひこ)
クレジットで最も最後に登場する主要な俳優として、音楽も担当した坂本龍一が演じた甘粕正彦は、冷徹な合理性と、日本の帝国主義の影を象徴的に体現した。感情を表に出さないポーカーフェイスと、時折見せる冷酷な眼差しは、溥儀を操る日本の権力の不気味さと効率性を表現する。その存在感は、役者としての経験値を超え、物語後半の緊張感を高める重要なスパイスとなっている。
📜 脚本・ストーリー
マーク・ペプローとベルナルド・ベルトルッチによる脚本は、溥儀の自伝『わが半生』を基にしつつも、映画的なドラマツルギーを構築することに成功している。その構造的な強みは、前述の通り、現在と過去を往還する非線形の語り口にある。この手法は、溥儀の人生が、彼自身の意志ではなく、歴史という外部要因によって断片化されていった事実を反映しているかのようである。しかし、歴史の大きな流れを追う中で、一部のエピソードが駆け足に感じられたり、特に満州国時代の政治的な複雑さが、溥儀の内面に集約され過ぎているという批判もあり得る。それでも、最後のコオロギのシーンが象徴するように、一人の人間が辿り着いた「解放」と「帰属」のテーマは、説得力を持って結実している。
🎨 映像・美術衣装
ヴィットリオ・ストラーロの撮影、フェルナンド・スカルフィオッティの美術、そしてジェームズ・アシュソンの衣装デザインは、この映画の最も特筆すべき要素であり、極めて高い芸術性を誇る。紫禁城の黄金と朱色のコントラスト、宦官たちの群れを捉えたロングショットの壮大さ、そして戦犯収容所の灰色のコントラストは、視覚的に鮮烈な印象を与える。特に衣装は、清朝の伝統的な装束から、溥儀が西洋文化に傾倒して着る燕尾服、そして満州国時代の軍服、さらには収容所時代の人民服に至るまで、時代の変遷と主人公の地位の変化を雄弁に物語っている。これらの美術・衣装は、単なる背景ではなく、溥儀の「権威」と「環境」そのものを体現していると言える。
🎵 音楽
音楽は、デヴィッド・バーン、坂本龍一、コン・スーの3名が共同で担当し、アカデミー賞作曲賞を受賞した。この音楽は、東西の要素が見事に融合した、この作品の情緒的な背骨を成している。
主題歌として扱われることが多いのは、坂本龍一作曲の「The Last Emperor -Theme-」である。この曲は、ピアノとシンセサイザー、そして東洋的な旋律が混ざり合い、荘厳でありながらも、深い哀愁と孤独感を漂わせ、溥儀の運命を象徴している。また、劇中では、坂本龍一による「Rain (I Want A Divorce)」など、印象的なシーンを彩る楽曲が多数用いられている。デヴィッド・バーンによる楽曲群は、やや現代的なテクスチャーを持ち込み、時代の移り変わりや、溥儀が直面する新しさへの違和感を表現している。この東西融合のスコアは、映画の国際的な性格を補完し、その情緒的な深さを決定づけた。
🏆 受賞の事実
本作は、第60回アカデミー賞において、ノミネートされた全9部門(作品賞、監督賞、脚色賞、撮影賞、美術賞、衣装デザイン賞、編集賞、作曲賞、録音賞)を全て受賞するという快挙を成し遂げた。特に、坂本龍一が日本人として初めてアカデミー作曲賞を受賞したことは、特筆すべき功績である。また、第45回ゴールデングローブ賞でも、ドラマ部門作品賞、監督賞、脚本賞、作曲賞を受賞するなど、世界的な主要映画賞を席巻し、その芸術性と完成度の高さを不動のものとした。
『ラストエンペラー』は、壮大な歴史を背景に、一人の男の孤独な魂の旅路を描いた、ベルトルッチ監督のキャリアにおける一つの頂点である。その映像美と重層的な物語構成は、公開から時を経た今もなお、観る者に深い感動と歴史への洞察を与え続けている。
✅ 最終表記(主演A9へ変更)
作品The Last Emperor
主演
評価対象: ジョン・ローン
適用評価点: A9
助演
評価対象: ジョアン・チェン、ピーター・オトゥール、ヴィクター・ウォン、坂本龍一
適用評価点: A9
脚本・ストーリー
評価対象: マーク・ペプロー、ベルナルド・ベルトルッチ
適用評価点: B+7.5
撮影・映像
評価対象: ヴィットリオ・ストラーロ
適用評価点: S10
美術・衣装
評価対象: フェルナンド・スカルフィオッティ、ジェームズ・アシュソン
適用評価点: S10
音楽
評価対象: デヴィッド・バーン、坂本龍一、コン・スー
適用評価点: S10
編集(減点)
評価対象: ガブリエラ・クリスティアーニ
適用評価点: -0
監督(最終評価)
評価対象: ベルナルド・ベルトルッチ
総合スコア: 84.7275
ベルトルッチ監督には手に負えなさそうな長尺だけど、何とか編集したという感じの残る作品
意図せず皇帝になった
寂しさと楽しさの幼少期
門の外の情勢に激動時代へ
自由と共に崩れ去る人生
再び見る夢も狂いだし
時代に見捨てられた。
実際の歴史を学び知る事で
この映画の世界は広がる。
オリジナル版は、長尺過ぎて中盤以降のまとまりが悪く感じた。この作品はベルトルッチ監督らしい映像が随所に表現されていて、観賞後はそれぞれの強い印象が残る。
世界公開を念頭に入れている事から、英語での台詞になっているが、逆にマイナスで現実離れを促しているのでは無いかと感じた。
このロケの凄いところは、中国共産党の協力で紫禁城含めた撮影が認められたという所に有り、民衆の動きなど嘘っぽさの見えないところにある。
お気に入りのシーンは終盤
1967年の部分から最後まで
ここは好きだ。
※
何年か前に仕事で紫禁城へ行った。
観光客の居ないあの場所で眺めた。
外から隔離されたようなあの場所に居た。
溥儀の気持ちに近づけたのかわからない。
その後、弟 溥傑の終の住処にも入った。
北京市内にある落ち着いた小さな家だった。
高い弊と庭の向こうの入り口と部屋や窓
彼らの人生に近づけるなんてあり得ないが
映画に繋がる体験として良い経験だった。
※
オリジナル全長版を拝見。
65点ぐらい。中国人同士が英語で会話してる…
ずーっと前から観なきゃ観なきゃと思いつつ観れてなかった作品で、やっと観れた。
開始すぐ思ったのは、中国人が中国人と英語で会話してて興ざめ…(笑)
やめようかと思ったけど、我慢して観てみようと、少ししたら白人が出てきて、中国人が白人と英語で会話しだし、これで違和感が薄まり最後まで観ることに。
満州のことは、それなりに知ってたけど、初めて知ることもあるし、ラストエンペラー愛新覚羅溥儀に関しては知らないことばかり。
そこまで興味ないしウトウトしながら観たんだけど、終わり方が良くて、壮大な人生を観せられた気になって、また観たくなった不思議。
終わってから、この通常版より56分長い219分の完全版の存在を知って、初めから知ってたらソッチを観てたよ状態(笑)
ところが不幸中の幸い、もう1回観たくなったとこだし、ちょうどいいわ状態(笑)
なので完全版の方も観る予定、完全版を観たら追記するかもです。
僕が付けた65点ぐらいの微妙な評価ですが、大人の事情で事実を歪め、中国人同士が英語で会話してることが大きい(笑)
それがなかったら、もっと高評価を付けました。
『ツイン・ピークス』で製材所がらみのアジア系女性を演じてたジョアン・チェンが、本作では皇后を演じてます。
でも日本って戦時中ヒドイことしてるよな…
再視聴でのモヤモヤから新たに気づいた凄み
ベルナルド・ベルトルッチ 監督による1987年製作(163分/PG12)のイタリア・イギリス・中国合作映画。原題または英題:The Last Emperor、配給:東北新社、劇場公開日:2024年3月8日、その他の公開日:1988年1月23日(日本初公開)、2023年1月6日。
今回は218分のオリジナル全長版を再視聴。劇場公開当時に観た際は、その圧倒的なスケール感と鮮やかな色彩に魅了され、自分の中で満洲国にまつわる史実や文学作品を読み漁るブームが到来した記憶がある。
今回は、そうした背景知識を備えたうえでの再鑑賞だったが、視聴直後、当時のような感動はあまり湧かなかったことに自分でも少し驚いた。
思えば、公開時には関東軍による満洲国建設と崩壊という歴史そのものに惹かれていたのかもしれない。激動の歴史の中でもがき苦しみながら、最後には心の平安を得たようにも見える清朝最後の皇帝・溥儀(ジョン・ローン)の人生。それは確かに劇的でドラマチックだが、十分に気持ちが動かない部分が残った。「なぜ監督はこの人物と時代を映画にしたのか?」
調べてみると、監督ベルトルッチ(1941年~2018年)は、北イタリア・パルマの使用人がいるブルジョワ家庭に生まれた。父は詩人であり、美術史家、映画評論家でもあった文化人。母も文学教授で、オーストラリア出身のイタリア人。さらに祖父はかつてイタリアの革命家としてオーストラリアに亡命した経歴を持つとのこと。
ベルトルッチは若い頃、イタリア共産党に参加し、左派の集会や議論に加わっていたという。1960年代には毛沢東の文化大革命に理想を見出し、中国への強い関心を抱いた。1970年代にはインドを訪れ、仏教やヒンドゥー教の文化、瞑想、儀式にも触れている。しかし、ソ連や文化大革命の実態、イタリア国内での極左テロ組織による暴力、イタリア共産党の穏健化、そして個人的な精神分析体験を通じて、共産主義の教条的側面に次第に幻滅していったようだ。
なるほど、監督は溥儀の人生に自身の遍歴を重ねていたのかもしれない。文化大革命を批判的に描いた場面にも、その思いがうかがえる。また、溥儀の教師であり伝記の著者でもある英国人レジナルド・ジョンストン(ピーター・オトゥール)は、愛情と冷静さを併せ持った監督自身の視点的役割を担っていたのだと、理解できる。
こうやって、ベルトリッチへの理解が深まってきたら、意味が分からなかった「コオロギ再登場のシーン」の意図が見えてきた気がした。生きていないはずのコオロギを、ひいては皇帝の物語を、あの少年もそして観客も確かに見て感じた。そうコオロギのシーンは、『自分だけしか知らない物語』の時空を超えた伝達の可能性、言い換えれば、本映画はそういうものであり、映画にはそういう時間も地域も超える力があるという監督の強いメッセージであると感じた。実にお洒落な詩的表現だ、ベルトリッチ監督凄い!
そして今振り返ると、1989年天安門事件のわずか数年前、毛沢東批判とも受け取れる内容を含むこの映画が中国国内で撮影されたという事実に、時代のとても大きな変化も感じざるを得なかった。
監督ベルナルド・ベルトルッチ、製作ジェレミー・トーマス、脚本ベルナルド・ベルトルッチ 、マーク・ペプロー エンツォ・ウンガリ、撮影ビットリオ・ストラーロ、美術フェルナンド・スカルフィオッティ、衣装ジェームズ・アシュソン、編集ガブリエラ・クリスティアーニ、音楽坂本龍一 、デビッド・バーン 、スー・ソン。
出演
ジョン・ローン、ジョアン・チェン。
ピーター・オトゥール
坂本龍一
リチャード・ブゥ
タイジャ・ツゥウ
ワン・タオ
イン・ルオチェン
ビクター・ウォン
デニス・ダン
マギー・ハン
リック・ヤン
ウー・ジュンメイ
ケイリー=ヒロユキ・タガワ
イェード・ゴー
池田史比古
リサ・ルー
高松英郎
立花ハジメ
チェン・カイコー
コンスタンティン・グレゴリー
奇跡的な作品&日本近代史のテキスト(清朝崩壊―満洲国―中共成立―文革)
1987(日本は1987)年公開のイタリア・中国・イギリス・フランス・アメリカ合作による歴史大作。
劇場公開版は163分。
いわゆるディレクターズカットは219分。
【監督】:ベルナルド・ベルトルッチ
【脚本】:ベルナルド・ベルトルッチ、マーク・ペプロー
【原作】:愛新覚羅溥儀〜『わが半生』
【音楽】:坂本龍一、デイヴィッド・バーン、蘇聡
主な配役
【愛新覚羅溥儀】:ジョン・ローン
【皇后・婉容】:ジョアン・チェン
【レジナルド・ジョンストン】:ピーター・オトゥール
【甘粕正彦】:坂本龍一
【戦犯収容所所長】:英若誠
【西太后】:リサ・ルー
【川島芳子】:マギー・ハン
1.まさに歴史的な作品
1日あたり数万人の観光客が訪れるといわれる「故宮」を、数週間にわたり立入禁止にして撮影された。
つまり、中国政府の全面協力で映画は製作された。
鄧小平による改革開放のひとつの象徴である。
公開の2年後に天安門事件が起きることになる。
そう考えると、本作が製作された時期の奇跡は感慨深い。早くても、遅くても、ダメだったのだろう。
2.溥儀の半生 ≒ 日本近代史
大杉栄暗殺事件(甘粕事件)の主犯で、服役後、満映理事長として満洲国を牛耳った甘粕正彦を、坂本龍一が演じた。
『戦場のメリークリスマス』から4年たっている。
坂本龍一は、生涯、映画に出演したのは3作品しかない。
最後の皇帝・溥儀を演じたジョン・ローンともども、実物とのギャップを強く感じる配役だ。
だが、よほどの歴史マニアでないかぎり、本作を日本近代史のテキストとしても、間違いではない。
日本陸軍が首謀して満洲国をでっちあげ、本作では深く触れないが、アヘン販売で巨額の富を得た。
陸軍内部で利権争いが起きるほどの巨万の富だ。
溥儀は、ただの飾りに過ぎなかったが、
溥儀自身は、皇位返り咲きに大いに満足していたと伝わる。
3.一番印象的なシーン
冒頭、文革の嵐が吹き荒れるシーンが一番印象的だ。
文革(文化大革命)は、いわゆる、官製暴動だ。
よく、中共政府が協力したなと思う。
中共が公式に文革を誤りだと認めるのは、本作公開から4年後のことだ。
(1981年「 建国以来の党の若干の歴史問題についての決議」)
徒党を組んだ若者たちから、元収容所幹部などがリンチにあうのを溥儀が止めようとする。
こんなシーンの撮影を許すなんて、ちょっと考えられないが、中国政府としても、かなり思い切ったイメチェンにトライしたのだろうか。
4.まとめ
例によって、映画につきものの、
◆省略
◆デフォルメ
◆ある側面からの切り取り
はある。当たり前だろう。
時間の制約のあるなか、よく描き切ったと思う。
いま、製作しようとしても、もっと改竄され、もっと制約を受けるだろう。
奇跡の作品だと思う。
歴史を描くのだから、多少退屈なシーンがあってもやむを得ない。
☆4.5
「溥儀」は歴史の中で「政治体制」に巻き込まれる悲劇の「狂言回し」にしか過ぎない
これは見事な作品だ。絢爛豪華とは、まさにこの作品を指す。
清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀の伝記映画のカタチを採っているが、実はベルナルド・ベルトルッチの思惑は異なるだろう。
ベルトルッチが描きたかったのは「政治体制とは何たるか」だとしか思えない。同じく、ベルトルッチの超大作「1900年」においても同様だ。
「帝国主義」も「共産主義」も更にどのような「政治体制」も本質は変わらない。振り回されるのは市井の民にしか過ぎない、それをベルトルッチは「愛新覚羅溥儀」という狂言回しを用いて描いている。
しかし、この作品がこれだけ美しく幻惑的で魅力に満ちているのは、ベルトルッチがどれほどまでに溥儀を愛しているか、それに尽きる。
そのため、坂本龍一の音楽は極限までにエモーショナルで、ヴィットリオ・ストラーロの撮影はこの上もなく美麗で陶酔を促す。
溥儀を演じるジョン・ローンは「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」に優るとも劣らぬ貴品を漂わせ美しい風貌は男女を問わず魅了する。
物語は回想形式も織り交ぜながら、ドラマティックに悠然に流れる。
傑作とは、ときに偶然に生まれる。
しかし、この作品には坂本龍一を始め、題材においても傑作の誕生を予感させる要素が余りにも存在し過ぎている。
この作品は、誰がなんと言おうと傑作に他ならない。
「この拙作レビューを畏れ多くも 坂本龍一氏 に捧げる」
つい最近NHKのバタフライエフェクトで溥儀の回を見て、この映画を再...
全長版
運命に弄ばれた人
「数奇な運命」という他ない
すごく良かった
218分版を鑑賞。3時間超でも面白いと感じた映画はグリーンマイル以来かも。濃厚でテンポも良く、何より溥儀の人物像に魅入られて一気に観てしまった。
清王朝から中華民国から満州国から中華人民共和国への変容。辛亥革命や北伐や日中戦争や文革が起きる激動の時代。どう世渡りしていくか、一つ間違えると命取りになる。
しかし紫禁城から出たことのない溥儀にはわからない。いくら西洋式の英才教育を受けたって、靴紐の結び方も用の足し方も知らないようじゃ世渡りは無理。賢くて純粋で誇り高くて、絶望的に世間知らずがゆえに、傀儡皇帝という道を選んでしまったんだろうな…
しかし物語は善悪どちらの視点も取らずに、淡々と彼の人生を追っていくのみ。溥儀の哀しみも喜びも孤独も、全て静かに写していく。冷たいようで優しいその視点が良かったなあ。
最後の紫禁城のシーンも、素晴らしい。
清朝の最後の皇帝が宣統帝溥儀ですが、中国国内で辛亥革命があり、日本...
清朝の最後の皇帝が宣統帝溥儀ですが、中国国内で辛亥革命があり、日本の関東軍がその中国国内に満洲国を建国し、その宣統帝溥儀がその満洲国皇帝の座に傀儡ですがおさまりますが、清の前の体制が明で明が漢族らしく、清が弁髪で民族が違うらしく、当映画の終わり場面で文化大革命の中で、以前が帝王の今が庭師のその宣統帝溥儀が民衆に蹴倒されますが、その宣統帝溥儀が戦中に日本側に立った訳ですが、米国で日本人が日系移民が最初に成功したのが庭師だったそうで、また山下財宝というのがいまだ語られてますが、大日本帝国陸軍の山下奉文がマレー半島を植民する英国軍を破り、フィリピンにまで渡り、日本が敗戦でその地で絞首刑ですが、その山下財宝というのが丸福金貨のことですが、丸福金貨というだけに清朝の王の財産かと思いますが、当時の中国の民衆にそれほど財産はないかと思いますが、その山下奉文がフィリピンに埋めて隠したような、戦後に笹川良一が競艇ギャンブル事業を始めてますが、小野田寛郎が20年程もまだ戦争が続いているとフィリピンのジャングルの中でその陣地を守ってましたが、日本に帰国後にすぐにブラジルで牧場を拓いてますが、事業を始めるのにもそれなりの資金がないと始められませんが
全86件中、1~20件目を表示











