ニュー・シネマ・パラダイス

ALLTIME BEST

劇場公開日:1989年12月16日

解説・あらすじ

シチリアの小さな村を舞台に映写技師と少年の心あたたまる交流を、あふれる映画愛とともに描いた不朽の名作。映画監督として成功をおさめたサルバトーレのもとに、老いたアルフレードの死の知らせが届く。彼の脳裏に、「トト」と呼ばれた少年時代や多くの時間を過ごした「パラダイス座」、映写技師アルフレードとの友情がよみがえってくる。シチリアの小さな村の映画館を舞台に、映画に魅せられたサルバトーレの少年から中年に至るまでの人生を3人の役者が演じる。アカデミー外国語映画賞やカンヌ映画祭審査員特別グランプリなど、各国で賞賛を浴びた。

1989年製作/124分/PG12/イタリア・フランス合作
原題または英題:Nuovo Cinema Paradiso
劇場公開日:1989年12月16日

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第14回 日本アカデミー賞(1991年)

ノミネート

外国作品賞  

第62回 アカデミー賞(1990年)

受賞

外国語映画賞  

第47回 ゴールデングローブ賞(1990年)

受賞

最優秀外国語映画賞  

第42回 カンヌ国際映画祭(1989年)

受賞

コンペティション部門
審査員特別グランプリ ジュゼッペ・トルナトーレ

出品

コンペティション部門
出品作品 ジュゼッペ・トルナトーレ
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(C)1989 CristaldiFilm

映画レビュー

5.0 一気にあふれかえる郷愁と、そこにたどりつくまでの時間の流れに震える。

2021年8月22日
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鑑賞方法:VOD
ネタバレ! クリックして本文を読む
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共感した! 13件)
すっかん

4.0 映画館で映画を観ることの歓び

2026年1月6日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

第三回・新午前十時の映画祭(2015/5/9 TOHOシネマズ市原)
午前十時の映画祭15(2025/12/20 TOHOシネマズ市原)
にて。

振り返ると10年ぶりの鑑賞だった…。
歳を重ねて観ると印象が変わる映画だから、10年ごとに鑑賞するのは良いサイクルかもしれない。

私が子供のころ、テレビの洋画番組でラブシーンを観るのは密かな楽しみだった。
1940〜50年代のシチリアの小さな村、唯一の娯楽施設である映画館〝シネマ・パラダイス〟では、管理者の司祭が検閲をし、ラブシーンは徹底的にカットされていた。
映画館には大人も子供も一緒にいて楽しんでいる。観客はラブシーンがカットされた場面で大ブーイングだ。
10歳のトトことサルヴァトーレ(サルヴァトーレ・カシオ)は小遣いをもらって司祭の手伝いをしていたから、司祭ひとりだけの試写をいつも覗き見していた。また、映写室に入り浸って映写技師のアルフレード(フィリップ・ノワレ)に邪魔扱いされながらも、フィルムをカットする仕事を見物していた。
だからトトはカットされるラブシーンを観ていたのだ。
カットしたフィルムは後で元通りに繋ぎ直すのだが、結局元の位置が分からなくなって戻せないフィルムがドラム缶に山になっている。
これがラストシーンの布石になっていて、この結末を若い頃にはニヤリとするオチだと思ったけれど、いま観るとなんともじんわりと沁みてくるエンディングなのだ。

フィルムに引火して火事が起き、アルフレードは火傷で視力を失い、劇場は丸焼けとなった。
サッカーくじで大当りを出した男がオーナーとなって〝新・シネマ・パラダイス〟が新装開業し、村で映写機が扱える唯一の人となった10歳のトトが映写技師を務めることになる。
日本では映写技師は国家資格(免許)を持つ職業だった。デジタル化された現在は免許が必要な仕事ではないだろうと思ってチラと調べてみたら、なんと1962年に免制許は廃止されていた。私が生まれた年だ。なのに私は映写技師は国家資格だとずっと思い込んでいた…。
本作劇中にアルフレードが新素材の燃えないフィルムに感心する場面があるとおり、可燃性フィルムがなくなったことが免許制廃止の理由だ。

青年になったサルヴァトーレ(マルコ・レオナルディ)は恋をする。
一目惚れの相手エレナ(アニェーゼ・ナーノ)との恋は実るが、やがてエレナは父親と共に転居し、サルヴァトーレは徴兵で軍隊に入る。
兵役を終えたサルヴァトーレは村に戻るが、そこにエレナはいない。
アルフレードがしきりにサルヴァトーレに村を出ることを勧める。村を出たら二度と戻るなとまで言うのが、若い頃の自分は理解できなかった。
自分がアルフレードの歳に近づいて、この気持ちが理解できてきた。
若者は外の世界に羽ばたいていかねばならない。
田舎の小さな村にくすぶっていてはいけない。
だが、生半可な気持ちでただ故郷を出ただけでは大成しない。故郷は捨てて、退路を断つことこそ必要なのだ。
アルフレードは自分ができなかったことをサルヴァトーレに託したのだ。それはアルフレード自身も忘れ去られることだと知っていながら。

30年の歳月が過ぎ、サルヴァトーレは映画監督となって成功していた。
アルフレードの訃報を受けて30年ぶりに母が住む村に戻ったサルヴァトーレ(ジャック・ペラン)は、廃墟と化した〝新・シネマ・パラダイス〟に愕然とする。
ビデオで映画が観られるようになり、一館しかなかった映画館はその役目を終えていたのだ。
サルヴァトーレは、年老いたかつての映画館のオーナーが自分に敬語を使うことに寂しさを感じただろう。村人たちから見ると、自分はもう少年トトではなく誰もが敬う名士なのだ。
この村に、大人も子供も一緒になってまばゆいばかりのアメリカ映画を観る場所はもうない。

この映画は、映画館で映画を観るこが人間に歓びをもたらすことを改めて教えくれる。
むかし大林宣彦氏が「映画館のマナー告知が嫌いだ」と仰っていた。映画はみんなでワイワイ言いながら楽しむものだ、と。
照明を落とした暗がりではスクリーンだけが光を放つ。
それぞれのバックボーンなど知る由もない見知らぬ人々がその暗がりに集い、同じ映画を観る。
誰も笑わない場面で一人だけ声を出して笑った男、ラブシーンでモゾモゾと身体を揺らしていた少年、悲しい場面でこれでもかと鼻をすすった女性、シンミリとした場面で大きなクシャミをして雰囲気を壊してくれたオジサン、後ろの席のオバサンは独り言のようにボソボソ何かを呟きながら観ていた…そんな感性も異なる人たちが、確かに同じ1本の映画を観ている時間。
その至高の時間を与えてくれたのが映画館だった。

この映画のイタリア公開オリジナル版は、サルヴァトーレの現在にもっとスポットが当てられていて、中年のエレナが登場する。
日本で公開された国際版はその辺りを大幅に改編して、少年期・青年期に重心を置いたことでノスタルジー溢れる傑作となった。
封切りは「シネスイッチ銀座」の単館で、劇場前には長蛇の列ができた。
その前年(だったと思う)、『ベルリン・天使の詩』が渋谷の「ル・シネマ」で封切られ異例のロング・ラン興行となったばかりで、ミニシアターブームの真っ最中だった。
ブームだったとはいえ、『ニュー・シネマ・パラダイス』の興行実績は単館興行の記録を樹立し、今も破られていないのではないか(たぶん)。
本作の劇中でも〝シネマ・パラダイス〟に入りきれない観客が外に溢れている場面が描かれている。
皆、映画館で映画を見ることが無類の楽しみだったのだ。
シネコン全盛、全席指定・入替え制が常識の今、映画館に長蛇の列という風景こそ、ノスタルジーの極みかもしれない。

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kazz

4.0 26-001

2026年1月1日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

2026年の始まりは、
アルフレードとトトの物語りから。

鑑賞は何年振りだろう、ずいぶん昔。
そして劇場では初鑑賞。
いつ観ても素晴らしいものは素晴らしい。
不朽の名作とはそういうものですねぇ😊

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佐阪航

5.0 映画館で観る意味Why This Film Should Be Seen in a Movie Theater

2026年1月1日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

楽しい

幸せ

この映画そのものを知らなくても、
劇中で使用された音楽は絶対聞いたことがあるはず。

公開時(1989年12月)は観ていない。

観たいなと思いながら
なぜか後回しになっていて、
数年前にサブスク配信(たぶんアマプラ)で
ディレクターズカット版を
ノートPCの画面で観た。

なるほど、これは名作だよな、と
比較的冷静だったし、
それほど深くは刺さらなかった。

それで今回「午前10時の映画祭」で
2026年の元旦に観ることにした。

ちなみに観たのは劇場公開版だ。

この映画は映画館で観るべき作品だ。
今回、本当にそう思った。

主人公の少年トトと映画技師アルフレード、
そして故郷の映画館と
彼らを取り巻く人たちの物語だ。

様々な映画とその観客のシーンは
映画が娯楽の王様だった時代の
本当に誰もが楽しんだ様を
余すことなく、魅せてくれる。

館内を包む爆笑、
楽しそうなおしゃべり、
時にはケンカ、
何回も観過ぎて
セリフを映画より早めに言ったりと
観客が本当に良くも悪くも
【自由に】楽しんでいる様が
少し眩しく映った。

劇中、自分で椅子を持ち込んでいるのには
笑ってしまった。

完全入れ替え制、
座席指定になって久しいけれど
観ることに自由度があった昔も知っているので
少し懐かしい。

観ていると映画の中の観客と
一体化する瞬間があり
以後、映画館がたどる運命、
関わる人がたどる運命が
想像以上に身近になり、
胸が熱くなった。

小6で神戸に引っ越して
大学入るまで、
お年玉の全てを
映画に注ぎ込んでいた身としては
他人事としては観れないのだ。

映画を観ると、
その観た時の生活で起こったこと
一緒に観に行った人のこと
その時考えていたことなんかが
本のページのように刻まれ
同じ作品を観た時に
思い出すことがある。

この映画のラストシーンを観て
この事を改めて思い出した。

映画館で見て欲しい作品です。

Even if you don’t know the film itself,
you have absolutely heard the music used in it.

I didn’t see it when it was first released (December 1989).

I had long thought I should watch it,
but for some reason kept putting it off.
A few years ago, I finally watched
the Director’s Cut on a subscription service
(probably Amazon Prime),
on the screen of a laptop.

I understood why it’s considered a classic,
but I remained fairly calm about it,
and it didn’t hit me all that deeply.

This time, I decided to see it at
the “10 a.m. Movie Festival,”
on New Year’s Day, 2026.

For the record, what I saw this time
was the theatrical release version.

This is a film that should be seen in a movie theater.
That’s what I truly felt this time.

It is the story of Toto, a young boy,
Alfredo, the projectionist,
their hometown cinema,
and the people surrounding them.

The many scenes of films and their audiences
vividly show how cinema,
when it was the king of entertainment,
was genuinely enjoyed by everyone.

The bursts of laughter filling the theater,
the cheerful chatter,
the occasional fights,
people who had seen the film so many times
they spoke the lines before the actors did—
the way audiences enjoyed films
freely, for better or worse,
felt almost dazzling to watch.

I couldn’t help laughing at the scene
where people bring their own chairs into the theater.

It’s been a long time since we moved to
fully reserved seating and complete audience turnover,
but having known the era when watching films
came with far more freedom,
it felt a little nostalgic.

As I watched, there were moments
when I felt united with the audience inside the film.
From that point on, the fate of the movie theater,
and the fate of those connected to it,
felt far closer to me than I had expected,
and my chest grew warm.

Having moved to Kobe in sixth grade,
and spent all of my New Year’s gift money on movies
until I entered university,
this was not something I could watch
as a detached observer.

When you watch a movie,
what was happening in your life at that time,
who you watched it with,
and what you were thinking then
are etched into your memory like pages in a book.
And when you see the same film again,
those memories sometimes return.

Watching the final scene of this film
made me remember that all over again.

This is a film I truly want people
to see in a movie theater.

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新米エヴァンゲリスト