サイダーハウス・ルールのレビュー・感想・評価
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【75.4】サイダーハウス・ルール 映画レビュー
映画史における1990年代は、ハリウッドが文芸作品の「型」を完成させた時代であったが、ラッセ・ハルストレム監督の『サイダーハウス・ルール』(1999)は、その功罪を最も象徴する一編である。ジョン・アーヴィングが自ら脚色した本作は、中絶や近親相姦といった峻烈な倫理的課題を扱いながらも、全体を覆うのは洗練されすぎた抒情性と、計算尽くされた感動の演出である。この「美しすぎる惨劇」が、映画としての真実味をどこまで担保できているかという点については、極めて慎重な議論を要する。
作品の完成度を考察する際、本作が持つ「箱庭的な整合性」が大きな焦点となる。孤児院とリンゴ園という二つの閉鎖的な世界を行き来する物語は、確かに叙事詩としての体裁を整えてはいる。しかし、その根底にあるべき人間の泥臭い葛藤や、法を犯すことへの真の戦慄は、レイチェル・ポートマンの甘美な旋律と、秋の陽光を過剰に美しく捉えた映像によって、幾分マイルドに希釈されてしまっている。この「安全圏からの問題提起」とも取れる姿勢が、作品全体の強度を削いでいることは否めない。映画史的な相対化を試みるならば、本作はディケンズ的伝統を継承しつつも、同監督の『ギルバート・グレイプ』が持っていたような、制御不能な生の震えや痛切なリアリティを、洗練という名の下に手放してしまった「形式美の極致」と評せざるを得ない。
演出・編集・映像については、極めて高い職人技が光る一方で、それが作為的な「泣き」のポイントを強調しすぎている。ステイプルトンの撮影は、戦時中という時代背景の厳しさを消し去るほどに美しく、それが物語の深刻さと視覚的な幸福感の間に奇妙な乖離を生んでいる。
役者の演技に目を向けると、主演のホーマー・ウェルズを演じたトビー・マグワイアは、この作品の「空虚な美しさ」を象徴するような存在である。彼は孤児院という閉鎖社会で育てられた青年の無垢さを体現しているが、その表現は常に抑制されており、内面的な動揺が表層に現れることは稀である。彼は200文字以上の記述を要するこの役割において、あくまで「観察者」としての立ち位置を崩さず、周囲で起きる悲劇に対してどこか淡白な印象を与える。この「透明すぎる主人公」という造形が、作品全体に漂うどこか他人事のような、あるいは教育映画のような冷ややかさを生んでいる一因かもしれない。
助演のマイケル・ケイン(ウィルバー・ラーチ院長役)は、本作の良心と狂言回しを一身に引き受けている。彼の演技は、自らの正義のために法を破る男の苦悩を老練な技術で描き出しており、アカデミー助演男優賞を受賞したのも頷ける説得力がある。しかし、彼の慈愛に満ちた佇まいが、本作の「中絶」という重いテーマを道徳的に正当化しすぎているという批判も免れないだろう。
キャンディ・ケンドール役のシャーリーズ・セロンは、戦時下の不在を埋める孤独な女性を演じているが、彼女の美貌もまた、作品のリアリティを削ぐ方向へと働いている。彼女がホーマーに与える「外の世界」の経験は、過酷な現実というよりは、あまりに映画的なロマンスの域を出ていない。
アーサー・ローズ役のデルロイ・リンドーは、本作の中で唯一、生々しい人間の「罪」と「業」を体現している。彼のパートが持つ暴力性と緊張感こそが、本来本作が全編を通して維持すべきであった「痛み」であるが、それが物語の後半に唐突に挿入されることで、全体のトーンとの不協和音を露呈させている。
クレジットの最後を飾る有名俳優として、ウォーリー・ワーシントン役のポール・ラッドを挙げる。彼は後の活躍を予感させる清潔感のある青年を演じているが、彼が戦場で負う傷や、帰還後の悲劇さえも、ホーマーが「自分の居場所」を再確認するためのプロット上の装置として機能してしまっている。
音楽については、レイチェル・ポートマンによるピアノとストリングスを多用した旋律が全編を彩るが、これがいわゆる「感動の押し売り」に加担している側面は否定できない。特定の主題歌はないが、メインテーマの旋律は本作を「美しい物語」としてパッケージングする最大の功労者であり、同時に最大の障壁でもある。
本作は、第72回アカデミー賞で脚色賞と助演男優賞を受賞したが、それは90年代末のハリウッドが求めていた「良心的なリベラリズム」を最も心地よい形で提示したことへの対価である。しかし、一本の映画として見たとき、本作が提供するのは魂を揺さぶるような真の衝撃ではなく、よく整理された「道徳の授業」のような読後感である。その完成度の高さは認めつつも、映画が本来持つべき「野生」や「混乱」を欠いた、あまりに優等生的な一作として、私は本作を位置づける。
作品[The Cider House Rules]
主演
評価対象: トビー・マグワイア
適用評価点: C7(21点)
助演
評価対象: マイケル・ケイン、シャーリーズ・セロン、デルロイ・リンドー、ポール・ラッド
適用評価点: B8(8点)
脚本・ストーリー
評価対象: ジョン・アーヴィング
適用評価点: B+7.5(52.5点)
撮影・映像
評価対象: オリヴァー・ステイプルトン
適用評価点: A9(9点)
美術・衣装
評価対象: デヴィッド・グロップマン
適用評価点: B8(8点)
音楽
評価対象: レイチェル・ポートマン
適用評価点: B8(8点)
編集(減点)
評価対象: リサ・ゼノ・チョーギン
適用評価点: -1
監督(最終評価)
評価対象: ラッセ・ハルストレム
総合スコア:[75.4]
人生とは
孤児院で育った主人公が外の世界に出ていろんな人と出会っていく・・・明るい人間ドラマかなと思うと望まぬ妊娠に苦しむ人々とそれを救うために命を奪っていくことへの葛藤、恋に落ちるも結局実らなかったりと展開が全体的にビターで世間の辛さを描いているのかもしれない。
でもこの映画で印象深いのが切なくも美しい劇中音楽で、世の中は辛くも悲しいけれど美しいそんな気持ちになります。
不可解な寮則
サイダーハウスルールは超簡単に言うと妊娠中絶が道徳的に間違っていると考える若者が、実際に世の中を体験して、それが必要なものだと知る──という話です。
セントクラウドはラーチ博士(マイケルケイン)が院長をつとめる孤児院兼産院です。
博士は望まない妊娠をした女性の出産を手伝って赤ん坊を預り、ときには違法の堕胎も請け合う、博愛と現実主義を併せ持った赤ひげタイプの医師です。
孤児のホーマー(トビーマグワイア)はラーチ博士にたいして継父の恩義がありますが、外世界への好奇心が抑えられずりんご農園に就職します。
サイダーハウスルールが風変わりに見える理由は、登場人物が世に偏在する貴賤や差別から解放されているからです。
たとえばホーマーはラーチ博士の後継者としての医師から最底辺の期間農業労働者に転職します。北部とはいえサイダーハウスルールには黒人差別がありません。
倫理観が介入しないこともサイダーハウスルールの特徴です。ホーマーは職場仲介者であるウォーリー(ポールラッド)が戦地へ赴いている間に、あっさりとその妻キャンディ(シャーリーズセロン)の間男になります。仕事仲間のローズが懐妊したのは実父の子供でした。
英語のサイダーはりんご発酵酒のことだそうです。
サイダーハウスとはリンゴ農園の期間労働者が寝泊まりする宿舎であり、そこに誰も読んだことがない寮則(サイダーハウスルール)が貼ってあります。字をよめるホーマーが来たことでようやく書かれた内容があきらかになります。曰く、
ベッドでタバコを吸わない
飲酒したら粉砕機に触らない
屋根の上でランチをしない
暑くても屋根で眠らない
夜には屋根に上がらない
これらの寮則は、そこで現実におこっていたこと、たとえばキャンディと不倫したこと、あるいはローズが実父にやられていたこと、ローズの実父アーサーが自刀して決着をつけたこと──などに比べるとあまりにも的外れです。
現実には「屋根の上でランチをしない」ことよりも深刻な問題を抱えた期間労働者たちが無用のルールに縛られていることが風刺的にタイトルに反映されているのです。
そのことに敷衍して、中絶の問題は人命と倫理と宗教が絡み合い、反対に立脚する者の執心は頑ななものですが、世の中には望まない妊娠が存在します。
望まない妊娠が存在するのなら、それは外野の争論がどうであろうと、身籠もった当人が決めていいことです。
子を望まない妊婦に中絶をさせないのは、人権侵害以外のなにものでもありません。
すなわち「屋根の上でランチをしない」というルールをつくった者には、じっさいにそこで働いている者の気持ち=じっさいに妊娠した者の気持ちなんて分からない──とアーヴィングは言っているのです。
ウォーリーはビルマ上空で撃墜され下半身麻痺となり、ラーチ博士はエーテルの過剰摂取で亡くなります。ホーマーはローズの堕胎を請け負ったことで、ラーチ博士のあとを継ぐことを決意し、セントクラウドに帰ります。
2000年のアカデミー賞にてマイケルケインが助演男優賞、自身の小説を脚色したアーヴィングが脚色賞をとりました。筋書きが映画用に柔らかく変更されているそうです。
労働者のひとりをHeavy Dが演じていました。ロートルならNow That We Found LoveやマイケルジャクソンのJamでラップをやったHeavy Dを覚えているかと思います。
わりと知られた痛セレブ情報ですが、トビーマグワイアは誠実そうな見た目ですがモリーズゲーム(2017)でモデルとなったモリーブルームのポーカールームの最大顧客であり、性格は陰湿で最悪だった──と彼女に暴露されています。
imdb7.4、RottenTomatoes71%と77%。
サイダー(欧州読みのシードル)は酒だけでなく広義ではりんご飲料全般を言うそうです。80年代に大塚製薬からシンビーノアップルという炭酸飲料が販売されていました。当時は炭酸で果汁値の高いりんご飲料は珍しく、高価な飲み物でした。シードルというとあれを思い出します。
俺たちが作ったルールじゃない
アメリカの大統領選挙と、それぞれの支持層に関わる動きの中で、今なお中絶禁止がホットな話題になっている。
最近でも、160年前の中絶禁止法が有効だと、アリゾナ州の最高裁が判断したり、今度はそれを州議会がひっくり返して無効化したりと、宗教的な問題や倫理観や女性の人権というよりは、幾分政治的な駆け引きを感じる。
ただ、日本でも経口中絶薬(アフターピル)がなかなか審査を通らなかったり、その使用の仕方について今も議論が分かれたりと、難しい問題なのは事実だろう。
この映画を初めて観た20数年前は、中絶について、それほど考えたこともなかったし、自分自身の知識も無かった。
配信で懐かしいタイトルを見つけ、今回、何気なく鑑賞したのだが、中絶に関わる問題に限らず考えさせられることが様々で、自分にとってタイムリーな映画だった。
映画の中で一番刺さったのは、季節労働者のリーダーのローズが、寝泊まりしている“サイダーハウス"の壁に貼られている“ルール”に対して発した「俺たちが作ったルールじゃない」という言葉だ。
為政者が統治する者に対して(あるいは、資本家が労働者に対して)一方的に示したルール。しかも、文字が読めないので、彼らはその中身を知らない。それ故に、何かしら得体の知れない存在感を持って、そこには厳然たる主従関係が存在していることを常に感じさせる役割を持った紙。
映画の後半でローズは問う。
「ここの住人は誰だ? りんごを潰してサイダーをつくり、後片付けまでしているのは? 酸っぱい空気を吸いながら暮らしているのは?」
そしてこう続ける。
「規則を作ったのは、ここの住人じゃねぇ。守る必要もない。俺たちが作るべきだ。今日から毎日。」
この言葉は、望まない妊娠により、様々な意味で子どもを育てられない親たちも、そして、その親や生まれた孤児たちに関わってきているラーチ院長はじめ孤児院の人々も、同様の思いなのではないか。
それ故にラーチは、ホーマーには医術を教え、経歴の偽造までして、自分の後釜に据え、孤児院の存在を守ろうとする。
自分はキリスト教に詳しくないので、孤児院の人々がどのようなスタンスの教義を信じているのか、映画の中の表現だけからは読み取れないが、現実問題として、毎日駆け込んで来る人々に対応している中で、その人に必要な措置を行っている孤児院は、まさに毎日、ルールを自分たちでつくり出している現場だ。
それにしても、何とか引き取ってもらおうと、養子を探しに来る人たちにアピールする子どもたちが切ない。
選ばれなかった子たちの尊厳を守りつつ、選ばれて行った子たちの幸せも祈るやりとりは、みんなで生み出した工夫なのだろう。
その他にも、様々な視点で考えさせられる問題がいくつも出てくるが、ストーリーとしてとても無理なくまとまっているのは、原作のジョン・アーヴィングが脚本を担当していることが大きいと思う。
それぞれのシーンごとの映像も美しく、心に残る。
また、りんごの収穫の仕方やコンテナの片付け方など、自分の経験とも重なり懐かしかった。
Huluで視聴。
まあ徘徊型ではあるが。
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孤児院で育った主人公は大人になり、産婦人科の手伝いをしていた。
舞台は戦時中で、孤児院で出産したり堕胎したりする人は多かった。
生まれた子はそのまま引き取られるケースも多く、主人公もそれだった。
主人公は親同然の医師から仕事を教わっていたが、手伝いしかしなかった。
自らが医者として動く事に抵抗があったからだった。
逆に、外の世界に出てみたいという思いは日々強くなって行った。
そんなある日、堕胎しに来た夫婦について行く形で村を出る。
夫婦に紹介してもらったりんご園で働き、活躍するようになる。
また上記夫婦の夫が戦争に行っている間に嫁と不倫したりもする。
そんな折、農園主が自分の娘と関係を持ち、妊娠させてしまう。
やむを得ず、主人公が経験を生かして堕胎することになる。
成功するが、娘は父をナイフで刺して村を出てしまう。
父は死の間際、自分は自殺した事にしてくれと言い残し、死亡。
その後どうしようかとなったところに、上記の医師死亡の知らせが入る。
また不倫相手の夫も戦争で半身不随になって帰って来る知らせが入る。
これを潮時と思ったか、主人公は孤児院に戻り、医師の後を継ぐ。
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徘徊型の映画だが、見てて辛くはなかった。
倫理観やそれぞれのコミュニティのルールの中で生きて行く、
そうするには何が大切か、ってなやや重めのテーマの映画。
主人公、何か見たことあるなと思ったらスパイダーマンだった。
原作が好きで
希望に繋がるルール破りに…
少し前に「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」を
久々に観た勢いで、
この作品も懐かしく再鑑賞した。
ハルストレム作品は、「マイライフ…」
「ギルバート・グレイプ」「ショコラ」同様、
大きな事件が起きることもなく
坦々と進む展開のイメージだが、
飽きることなく作品の世界に引き込まれる。
さて、この作品では、
沢山のルール破りが描かれた。
サイダーハウスでのルールはもちろん、
医院長の堕胎処置や意思免許証偽造と
そして嘘のレントゲン写真渡し、
また、主人公の友人の彼女との情事も
その一つなのだろう。
しかし、ここでは、
それらは全て希望へのルール破りだった。
私が観たハルストレム作品の全ては、
充分に練られた演出の印象が強く、
また、希望に繋がるラストシーンには
心地良く浸れるばかりだ。
文学映画として完璧
重い決断
リアルタイムでは見れず、その後も見る機会のなかった映画。たまたまネトフリで見つけ、見てみました。
まず、シャーリーズ・セロン。昔も今も全然変わらず。でも、今の方がいいかも、洗練されたというか。
最後、セロンが下半身不随になった恋人と生きていく決断をし、トビー・マグワイアは孤児院に帰って、恩師の後を継ぐ決断をする…
ハッピーエンドのようにも感じられるんですが、冷静に考えれば、それぞれ今後重いものを背負って生きていく事になると考えると、果たして本当にハッピーエンドなのか?
当時の時代背景もあったと思うけど、作った人は見た人にどう感じて欲しかったのかな…と、色々考えさせられる映画でした。
元さや、めでたし
こういう映画は好きだな、と思った。
タイトルは知ってたが、なぜか観る機会がなかった。
ようやく、という感じ。
「自分の役割(仕事)は何だ?」
何度かこういうセリフが出てくる。
自分の居場所、役割について考えさせられる。
たくさんの子どもたちの父親代わりとして生涯を送ったラーチ先生は素晴らしい。
あんな山の上に、いわば隔離されているような施設で働くナースお二人も。
里親に引き取られるのを待ち望む子達の作り笑顔が切ない。
寝る前の読み聞かせ、キングコング(いつも同じ場所でテープが切れる)を繰り返し楽しむ素直な子供達。
ホーマーが施設を出る時も「大きいのにずるい」という小さな男の子。泣ける。
ローズ親子は悲劇だったけど、ホーマーやキャンディ達みんな最後は元さやで、めでたしめでたしかな。
サイダーハウスのルールと施設の関係性はやや不明だったけど、農園や山々の美しい自然など、見応えがあった。
顔ぶれはすごいのに、文芸作品の消化不良
トビー・マグワイヤがまだ少年っぽくて、役にぴったりはまっている。といっても、原作を読んだりしたわけでもなく、この映画の世界観には、やや戸惑いを感じる。ちょっと特殊な業務を請け負う医者と、その手伝いをするようになった少年の不思議な関係。
そして、患者としてその医者を訪れた女性と、恋に落ち、やがて。。。
それにしても、表情に出ないというか、トビーは感情の振れ幅があまり大きくない。喜びも、悲しみも、怒りも、全部小っちゃいチャートの中で披露するので、よく言えば、抑制のきいた、悪く言えば無表情。こののちに、スパイダーマンで大ブレイクするまでは、はっきり言って何の興味もなかった。
それに、シャーリーズ・セロンも古いタイプの女性を演じているので、全然彼女じゃなくてもいい。確かに美人だけど、この場合それが、役作りにプラスになってないように感じる。
2018.7.4
【”人の役に立つ存在になれ”人間の限りなき善性と少しの愚かしさを、温かい視点でラッセ・ハルストレム監督が描き出したヒューマンドラマ。】
ー ご存じの通り、ラッセ・ハルストレム監督は人間の善性(犬も・・)を信じて映画製作を続ける監督である。今作は、その基本姿勢が最良の形で具現化された作品である。-
■内容は、ジョン・アーヴィングの原作とともに、巷間に流布しているので割愛。
◆感想
・久しぶりに鑑賞したが、孤児院で生まれ、育っていくホーマーをトビー・マグワイアが好演している。
・だが、矢張りラーチ先生を演じたマイケル・ケインには唸らされる。
誰もやりたがらない法に抵触する堕胎手術も手掛けながら、孤児院を運営する姿。
良心の呵責を和らげるために、常に眠る際には痛み止めをマスク越しに服用している。
・ホーマーは長じて、外界を知りたい気持ちを抑えきれずに、堕胎に来た軍人ウォーリーとキャンディ(シャーリーズ・セロン)との関係性を深めていく。
そして、二人と共に初めて外界に出ていくホーマー。
・そこで、彼が経験したウォーリーの親が経営する林檎園で経験した事。戦地に旅立ったウォーリー。残されたキャンディとの初めての情事。
・林檎園を取り仕切るミスター・ローズと彼の娘、ローズ・ローズとの許されざる関係性の描き方。
<久方振りに鑑賞したが、矢張りとても良い作品である。
シャーリーズ・セロンの出世作でもあるし、寛容な思想を持つラーチ先生を演じたマイケル・ケインの姿には唸らされる。
アクセントとして、”キングコング”の第一作も効果的に使われており、ラッセ・ハルストレム監督のセンスの良さが伺える。
ホーマーの将来を想い、ラーチ先生が遺した僅かな嘘。
ジョン・アーヴィングの原作も素晴らしいが、今作はそれに比肩する素晴らしさを維持している稀有な作品である。>
蜘蛛に噛まれる前のマグワイアと男前になる前のセロン
劇場公開時鑑賞。原作未読。ジョン・アーヴィングやマイケル・ケインすら当時はよく知らなかったので、100%ハルストレム監督目当てで。
もちろん全然関係ないけど、後半は勝手に『ギルバート・グレイプ』その後を見てるような気分になってしまった。狭い世界しか知らなかったナイーブな青年が外へ出ていってどうなるのか。いいことも悪いことも、どう受け止めてどう答えを出すのか。派手さはないけど、じんわり染みる。
心温まる映画
扱っているテーマは堕胎の問題や近親相姦だったりで重苦しいはずなのに、孤児院とサイダーハウスの雰囲気がそれを打ち消してくれる。「メーン州の王子、ニューイングランドの王」という言葉が家族愛を感じさせ心地よく眠らせてくれるような・・・また、子供にトラックの運転を習得させたり、無免許産婦人科医を育て上げたりと突飛なのだが、妙に現実感を帯びている不思議な映画。
バスター君(キーラン・カルキン)はマコーレ・カルキンの弟だったのですね。シャーリーズ・セロンやマイケル・ケインもgood。ピタリと役にはまってました。
サイダーハウス・ルールの意味はわかったのだが、「よそ者にルールを作らせないぞ」というテーマが本筋にどうからんでいるのかが不明だ。観る人によって様々な考えになりそう。何となく米共和党と米民主党との政治プロパガンダにも触れているような気がしてしかたないのですけどね・・・
文学的な雰囲気がにじみ出る
個人的にはあまり得意では無い感じであったかな?と。
ラッセ・ハルストレム監督の「ワンダフル・ライフ」シリーズは非常に良かったが、こちらの作品は時代背景等も一昔前でその時代に変換しながら観ているから忙しいw
また孤児院も馴染みがなく、イメージできるのが閉鎖的で暗〜いものであったが、非常に明るく家庭的でみていてほんわかとする。また修道院とごっちゃになっているのかもしれないが、キリスト教を良く思っていない院長もどうなの?wって感じた。
それが堕胎との関係もあるのかは知識不足でわからなかった。
堕胎が違法となっているのも驚いた。
キャストはどれもすばらしく、マイケル・ケインの優しさと意志の強さ、トビー・マグワイアの頼りない感じがまた良いw
そのトビーも徐々にしっかりとした医師になっていく過程も見逃せない。
孤児院の子どもたちの表情も非常に素晴らしく、作品を支えている。
長い間、鑑賞が後回しになっていたが、たぶん上映時に観ていたら今以上に評価が低かったかもしれない。
ゆっくりと自分の人生を模索し、選択を重ねた上で、また人を愛し、失った上で観ることでまた評価が変わっていく作品だと思う。まあ多くの作品に言えることだが、、、。
ラストは非常に良かった、子どもたちの表情が光り輝いており、爽やかな感動と共に観終える事ができた。
外の世界に出てみる大切さというメッセージ
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