喝采のレビュー・感想・評価
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まあ、なかなか難しい
ジェシカ・ラングの演技を堪能できる映画ではあった。
但し、やっぱり最終的にはああやってオチつけるしかないというか、
彼女が成功するラストしかないよね…と。
ジェシカ・ラング、キャシー・ベイツ、リリー・レイブの
ライアン・マーフィー組の演技は素晴らしかった。
しかし、映画というかスクリーン上映という形式に合っているかは別問題。
演出もなかなか過剰な部分があると思ったし、
もう少し落ち着いたトーンの方が好みだった。
ひと昔まえの映画ぽくしたかったのか。
脚本や撮影は所々いい部分があった。
人生という大舞台の幕をいつどこでどう下ろすのか
チェーホフの『桜の園』の主人公ラネーフスカヤ夫人を演じるというより、その主人公として生きているかのような大女優リリアン・ホール。そして、リリアン・ホールを画面の中でまさに生きている名優ジェシカ・ラングが、人生という大舞台の幕をいつどこでどう下ろすのかという、俳優のみならずすべての人間が直面する人生最大の課題にどう向き合うかという作品。
本作のポスターを見かけた際に、これはビリー・ワイルダー監督、グロリア・スワンソン主演の往年の名作『サンセット大通り』(1950年)的なストーリーなのかと思ったのだが、さにあらず。
本作にはマイケル・クリストファー監督とも親交があり、ブロードウェイの舞台を中心に活躍したマリアン・セルデス(Marian Seldes)というモデルがあるらしい。
認知症という病との闘いというだけではなく、主軸はむしろ人と人がいかに支えあいながら生きているのかという部分にあり、究極の母と娘の物語である。
豪華なキャスト陣が演じる舞台劇を客席で観ているような気分にさせられる作品。モヤモヤするようなことの多い現実社会の中でこびりついた心の汚れを自分の涙で洗い流させてくれるような作品だ。
➖7引き算日課にしようかな!
豪華すぎるキャスト!これは見逃せない!
舞台女優のリリアン・ホールを襲う記憶障害
不安と心配が募る中ただ見守るしかない私でしたが不屈の精神で舞台を見事に演じ切ったリリアンの執念に胸が熱くなり思わず立ち上がってしまいそうに…この瞬間だけは認知症に勝ったのだ!と思えた!
伝説の女優マリアン・セルデスをモデルに作られた作品
冒頭からジェシカ・ラングの圧倒的な演技力に引き込まれたし「アメリカン・ホラー・ストーリー」ではひたすら怯え逃げ惑う恐怖顔のイメージが強いリリー・レーブの別の面を見る事も出来ました
リリアンと衝突あれど厚いサポートで支える
アシスタント役キャシー・ベイツにおいては何も申し上げる言葉無し!見応えあり過ぎ!
ナイスリリーフだったのはリリアンの隣に住む芸術家役のピアース・ブロスナン!
イケオジ度が更にバージョンアップ!
リリアンとの会話が物語に柔らかい空間を添えてくれていましたね!
周りの友人知人でも認知症の家族を抱える状況も増えてきました
正直自分の中では未知の領域ではありますが
尊厳を持ちリリアンの様に人生の幕を降ろせたらと願うばかりです
俳優としての覚悟を痛感した
1982年にアメリカで大ヒットした映画「トッツィ」でダスティン・ホフマンと共に活躍し、看護婦役ジュリーとしてアカデミー助演女優賞を獲ったジェシカ・ラング主演で、この映画「喝采」でモデルとなった女優のセルデス(晩年痴呆症で苦しんだ)の姪が脚本を描いた作品。
一緒に歩んできた夫に先立たれ、まさに俳優として最終段階に入った女優の最期の魂の輝きを魅せる。演目はチェーホフの「桜の園」。
2年程前より手の震えや不眠症に悩んでいたが、その稽古中セリフが飛んで、錯乱状態になった「桜の園」の主演リリアン(演:ラング)は、大したことはないだろうと病院にかかって、いきなり痴呆症という宣告を受けてしまう。
演目「桜の園」はたまたまでなく、この映画のために脚本家が選んだもの。「桜の園」の内容が、ロシアの大地主貴族階級(リリアン)が没落して、新興勢力の資本家階級が取って代わる様を、滅びの悲しさとともに描いている。
これを演じるためにたくさんの稽古をしセリフを覚え、大勢の共演者と演じ、また舞台に関わる監督はじめ多くの人と、作り上げていく。また娘も育てながらなんとか女優を続けてきた意地もある。そのプレッシャーにも関わらず、痴呆症はだんだん進行していく。夫の幻影も見る。
そして舞台の初日、リリアンは夫の幻影と共に思い出の湖畔に来てしまい、舞台は大慌てで代役を用意し、もう代役が演じるのかな
というところで、長年アシスタントをしてきたイーディス(演:キャシー・ベイツ)が獅子奮迅の活躍で、何とか間に合わせ、
舞台途中の症状が出かかったときも、まるで気持ちが乗り移っているかのようにフォローし、舞台は大成功で幕を閉じる。
このリリアンとイーディスの、信頼で結ばれた関係が良かった。
エンディングテーマでは、娘マーガレットに歌っていた「子守歌」が格好良く流れ、とても満足した。
26-013
脳と心臓にご注意を
一滴の血も流れないのに
このスリラー感!
〈あっち〉と〈こっち〉を綱渡りするリリアンに
終始ハラハラ。
「ああっ」「うっ」「あー」など謎のうめき声やため息がつい出てしまいそうに・・・
誰にでも起こりうるテーマなだけに
自分の身内、はたまた自分?の現実、あるいはそのうち訪れる未来を重ね合わせて冷静ではいられなくなる観客も多いのでは。
エンドロールが流れ始めた瞬間、すさまじい疲労感でシートに沈み込んでしまった。。はー、きっつい。
そんな中でも、胸打たれる場面多々あり、
特に娘やイーディスとのやりとりに涙。演出家もなんだかんだと肝が据わっていて善い人だし、謎の隣人(←これもまさか、幻想?)のまなざしも優しい。
ラストの舞台上、色々な意味でギリギリの状態で、それでも娘を見つめながら言葉を投げかけるシーンは胸に迫る。
母よりも舞台人として生きてきたリリアンが、あの瞬間だけは娘に生身の気持ちをぶつけられたのだとしたら、救いである。
映画としては堪能した。満点。
が、
しんどかったので、2度目を観るかは・・
最後に、
崖っぷちのリリアンを〈あっち〉の世界に誘いに来る夫の幻影に、「来るな!鬱陶しい!」と感じてしまい、なんだか申し訳なし。
【”大女優、病を仲間達の協力により捻じ伏せ、満員の観衆の喝采を浴びる。”今作は、中盤まではハラハラしながらも、ラストの大女優がステージ上で喝采を浴びる姿は、沁みた作品である。】
ー 大女優、リリアン・ホール(ジェシカ・ラング)は、チェーホフの『桜の園』の舞台稽古に励んでいる。
若手舞台監督のデヴィッド(ジェシー・ウィリアムス)が彼女に演出を付けるが、リリアン・ホールには、認知症が迫っている。
台詞は忘れ、舞台では手が震え、果ては昏倒するリリアン・ホール。
その姿を見て、デヴィッドは、代役を立てる事も考えるのである。ー
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・序盤は、ハッキリ言って観ていてキツイ。
又、認知症の映画かと思う気持ちが、大スクリーンに没入させてくれないのである。
だが、それは逆に言えば、認知症が進行していく様を演じているジェシカ・ラングの凄味なのかもしれない。
認知症の映画が、近年多数制作されているのは、ご存じの通りである。
個人的には、名優アンソニー・ホプキンスが演じた『ファーザー』は秀でた作品だと思っており、聡明な男が全ての記憶を失って行く様は、哀しい感動を持って観た事を今でも覚えている。
あとは、ジュリアン・ムーア主演の『アリスのままで』である。今作でも同様のシーンが描かれたが、自分が帰る場所が分からなくなり、惑乱する姿が印象的である。
・今作も中盤までは、リリアン・ホールの老いに伴う認知症が進行していく様が描かれる。だが、今作が上記二作と違うのは、リリアンが死別した夫の幻覚が現れ、混乱しつつも、家政婦で、アシスタントでもあるイーディス(キャシー・ベイツ:流石の好演である。)が、彼女を支え、隣人のタイ(ピアース・ブロスナン)と垣根越しにキスをしたり、子供時代に余り接する事が出来なかった娘マーガレット(リリー・レープ)と向き合う事で、彼女に且つての大舞台女優としての、力が蘇って来るところである。
■開演時間間際まで、夫の幻影と公園で語り合うリリアン・ホール。夫は”引き際は潔く。”と告げるのだが、やって来たイーディスは彼女に言い放つのである。”家に帰るわよ!”と。
そう、長年舞台で演じて来たリリアン・ホールにとっての家とは、大観衆が待つ舞台なのである。
そして、彼女は舞台でアドリブで、娘マーガレットに対しアドリブで想いを伝え、イーディスの助け(マイクで台詞を伝える。)も有りながらも、見事に『桜の園』のラネースカヤ夫人を演じ切り、観衆の喝采を浴びるのである。このシーンは沁みるのである。
<今作は、中盤まではハラハラしながらも、ラストの大女優が観衆から喝采を浴びる姿は、沁みた作品である。>
ジェシカ・ラングの代役は考えられない
元々はHBOの配信映画で、一部の国は劇場公開
ジェシカ・ラングの演技はとても素晴らしかった。
特にラストは、私に湧き出るものもあった。
日本の配給会社が決めたタイトルは「喝采」。
しかしメインであろう観客には、真っ先に ある言葉がメロディと共に思い浮かぶと思う。
そしてラストはとても素晴らしいのは間違いないが、その余韻はそこまで長くなかった。
映画を観ている私たち観客は主人公が認知症の恐怖に闘いながら舞台をやり切ったのを知っているから「喝采」できるが、映画内の舞台の観客はそれを知らないので、ただ単にいつもの様に舞台が素晴らしかったというだけ。
たとえ同じ様に「喝采」しても、その意味は全く違う訳で、そのギャップがある以上あまり高評価はあげられない。もちろん原題のままでは分かりにくいが、これは功罪の「罪」。
前半は眠かったし。
ほとんどの国は'The Great Lillian Hall'かその現地語。台湾は「輝くブロードウェイ」の意。
舞台が彼女の「家」だった
喝采-The Great Lillian Hall-
フィナーレこそが人生
ブロードウェイで華々しく活躍してきた大女優、
リリアン・ホール(ジェシカ・ラング)
彼女の出演というだけで観客が集まる
まさに伝説的な存在だ
しかし年齢を重ねるにつれ、
舞台の上で違和感が生まれていく
台詞が出てこない、稽古が止まる――
やがて彼女は、
進行した認知症であることを告げられる
それは、舞台に立てなくなるかもしれないという現実
人生のすべてを舞台に捧げてきたリリアンにとって、
あまりにも残酷な宣告だった
それでも彼女は、事実を隠したまま
最後の舞台「櫻の園」をやり遂げることを選ぶ
長年彼女を支えてきたマネージャーのイーディス
(キャシー・ベイツ)は
この決断によって揺れ動くが
彼女の決断を支える
物語の後半、
母の病を初めて知らされる娘マーガレットとの対峙は
胸に迫る
言えなかった想い、
伝わらなかった距離
親と子の関係の難しさが
静かに浮かび上がる
認知症を抱えながらも、
最後まで舞台に立ち続けるリリアンの姿は
切なく、そして美しかった
静かな映画だが、
観終わったあとに強い余韻が残る一本だった
※ブロードウェイの伝説的女優マリアン・セルデスがモデル。
自分なら?と考えてしまう
認知症を患う大女優役にお久しぶりのジェシカ・ラング、若返ったキャシー・ベイツも出演に惹かれ鑑賞。実際に認知症を発症した舞台女優の話を元に脚本を書かれたとか。
とてもリアリティがあり、ジェシカ・ラングの曲がった指の震えや、しっかり伸びた背筋と輝く瞳と対照的に、老人の顔が見える瞬間にご本人とダブって見えるほどの説得力。老いる現実と自分のプライドとの戦いは程度の差はあるが万人に共通の問題。理解し愛情をもってサポートしてもらえる身近な存在があることはやはりとても大切な事だとしみじみ感じた。奇跡のように描かれていた舞台は出来過ぎ、と思いながら、やはり感動せずにはいられなかった。自分が認知症になったら…?すぐに回答は出せそうにない。考えるきっかけにもなる、良い作品だった。
認知症、切実。
稀代のステージアクターが演じる人生の「桜の園」
個人的な経験とも重なるのでなかなかしんどいところもあったが、いくつか心に響く場面がある。
リリアンが認知症のテストを受けるシーン。簡単な言葉の復唱や計算、折り紙が出来ないリリアンがプライドを傷つけられる残酷なシーン。
隣人のタイ(もしかしたら彼も幻視?)とベランダ越しにキスするシーン。「キスの感触を思い出したくて」とはにかむリリアン。ロマンティックなんだけどとても切ない。
そしてリリアンが入院した病院を娘のマーガレットが訪れた際、発症を知らせてもらえなかったことが分かり、マーガレットが感情を爆発させるシーン。子供時代から澱のように積み重なっていた想いが一気に溢れ出る。このシーンは本当に辛いが、最大の見せ場のひとつといえる。
ジェシカ・ラングは入魂のさすがの演技である。他方マネ兼家政婦役のキャシー・ベイツがめちゃくちゃ上手い。ラングの芝居を正面から受け止め、威厳と品がある一方で人間的な優しさがそこはかとなく滲み出ている。
良い映画でした。
文句なし❗️もし、自分の母親がリリアンだったら?
文句なし❗️素晴らしかった。舞台女優の舞台人生がテーマだが、もしこの作品の主役リリアンが自分の母親だったら思うと思わず共感しウルッときた。自分の母親も認知症一歩手前だが、リリアンとほぼ同じケースだったので。色々、考えさせられた。結局はもし自分の両親が認知症になったらまわりの家族、知人、友人がどれだけ支えるかにかかっている。自分の両親がもしリリアンだったらと思って観るといいだろう。おすすめします❗️
斧の音
自分、周囲がどう受け入れるか
『ジェシカ・ラング』齢八十を間近に再び輝く
『ジェシカ・ラング』も今年で七十七歳。
スクリーンデビューは二十七歳時の〔キングコング(1976年)〕。
ただ金切り声を上げるだけとの悪いイメージが付いてしまったが、
三年後の〔オール・ザット・ジャズ(1979年)〕、更には
〔郵便配達は二度ベルを鳴らす(1981年)〕とキャリアを重ね、
〔トッツィー(1982年)〕
〔ブルースカイ(1994年)〕では「アカデミー賞」を受ける見事な咲きっぷり。
以降はコンスタントに出演してはいるものの、
さほど大きな役にではなかったとの記憶。
そして本作。
実年齢と重なる役柄をどうやりきるか。
実在のブロードウェイ女優『マリアン・セルデス』を
モデルにしていると聞く。
脚本は彼女の姪『エリザベス・セルデス・アナコーン』の
手によるもの。
本作で演じるのは
生ける伝説の女優『リリアン・ホール』。
五十年近い芸歴で二百本以上の舞台に出演した
その名前だけで客を呼べる一枚看板。
が、斬新な演出の〔櫻の園〕の稽古中、
自身の躰の異変に気づき受診した結果、
認知症の進行が判明する。
家庭も顧みず演劇に打ち込んで来た彼女には、
後進に役を譲る気持ちはさらさらない。
しかし身体の不調は進み、
あまつさえ肝心の台詞が頭に入って来ない。
長い時間を共に暮らす家政婦には気づかれてしまったものの、
近くに住む娘や、共演者たちには気取られぬよう心を砕く。
なんとかして初日を迎えられるのか、が
サスペンスの一つも、
もう一つのテーマは愛について。
亡くなった夫は演出家で、
「二人は同志で割って入る余地はなかった」と
娘は語る。
認知症は進み、亡き夫の姿を幻視するようになり、
初日の劇場へ歩いて向かう中途、
手招きされるままに後を追い公園に入り込む。
その時には、舞台に穴を開ける可能性は
頭から抜け落ちている。
幻覚の中とはいえ、濃密な逢瀬。
それが彼女に与えた影響はいかほどか。
演目が〔櫻の園〕なのも綾の一つ。
一旦、稽古に入ってしまえば、
日常の暮らしすら舞台と一体化させてしまう冒頭の見せ方も巧いが、
何と言っても筋そのものが主人公の姿と重なる。
没落した貴族は現実を理解もできず
受け入れることもできず、
ただ昔の華やかに記憶に囚われ
従容と消えて行く。
抗うことを諦め、
散り散りになって行く一族。
しかし『リリアン』は今の境遇に
どう立ち向かったか。
更にはそれが
イマイマの『ジェシカ・ラング』とも重なって行く。
老女優のラストステージに涙
年老いた女優がブロードウェイでチェーホフの「櫻の園」を演じる。演出家で自分の最大の理解者だった夫に先立たれ、友達のような家政婦とセントラルパークで暮らす。
生活の中でお芝居のセリフとリンクしたシーンから始まり、お芝居が好きでたまらないことが伝わると同時にのめり込みすぎている危うさも描く。
期待された舞台の初日に向かって連日の稽古。老いることが舞台の成功を阻み、スリリング。本当に舞台の幕が開くか心配になる。
モノローグをドキュメンタリーのインサートとして描く構成がすごい。
徐々に家族、家政婦、隣人、舞台のプロデューサーや演出家との関係性がわかってくる脚本が見事。
もうだめかと思わせるシーンがある。錯乱する姿の先に夫の幻をみたとき、「果てしなきスカーレット」の渋谷のタコ踊りを思い出して涙した。
ラストの舞台はもちろん涙なしで観れなかった。
女優魂の業を描くとみせて、愛する伴侶、友人、家族との関係性から、やがて老いるということ、何を残していくかということが心に沁みる傑作だ。
全28件中、1~20件目を表示
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