少女はアンデスの星を見たのレビュー・感想・評価
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モノクローム映像の鮮烈さ、力強さに引き寄せられる
スクリーンを介して世界各地の様々な情景や文化や物語に浸れるのが映画の醍醐味の一つとするなら、ペルーから届いた本作も我々を原点に立ち返らせてくれる貴重な一作だ。時は1980年代。ゴツゴツした岩肌に囲まれ、山々がそびえ立ち、手を伸ばせば空がもうすぐそこに広がる。そんなアンデスの自然をバックにモノクロームで描かれゆく少女の悲劇的な人生は、時に心奪われるほど鮮烈で、時に夢かうつつか判別できなくなるほど幻想的。とりわけ強く浮かび上がるのは、主人公を極限まで苦しめる旧態前とした共同体のあり方や差別意識に他ならない。少女の名前「ヤナワラ」(原題でもある)とは夜明けに輝く星の意。まだ社会的な夜明けには程遠いが、本作には寡黙な少女の瞳を通じて観る者に「どうすべきだったのか?」と問いかける”ひたむきさ”がある。アンデスの地をひたすら彷徨い、なおかつ夭逝した監督が掲げる問題意識にも真向かえる意義深い作品である。
貧困や無知が関わる辛い物語だけど アンデスに伝わる昔話や民話のような不思議な趣きあり
生まれて初めて観たペルー映画(たぶん)。
中南米って、ブラジルがポルトガル語で他はスペイン語でしょ、ぐらいの認識しかなかったから、聞き覚えのない言語が話されていて、けっこうびっくりしました。強弱のアクセントとか高低の声調とかがあまりなく平坦で一音一音がはっきりしてる感じ。さっそく検索してみたら「アイマラ語」とのこと。主に南米のアンデス地域に住む先住民族の「アイマラ族」が話す言語で、話者はボリビアに約120万人、ペルーに約30万人、その他、チリやアルゼンチンにもいてトータルで200万人ほどだそうです。面白いと思ったのは、このアイマラ語、センテンスの基本的な構造がSOV型で動詞が最後にくるところとか、活用や派生語の生成を語根と接尾辞の組み合わせで行なうところとかで、日本語と共通点が多く、日本人にとって親しみやすい言語だそうです(とは言ってみたものの、日本人のアイマラ語学習者の数は限りなくゼロに近いと思われます)。
ということで、この映画は、話者数で言えば新潟県や名古屋市の人口より少ない言語で語られている物語ということになります。そうすることの意義が大いにあったということなのでしょうね。物語の中心にいるのは、1980年代のペルー、アンデスの山あいの村落共同体で暮らすヤナワラ(「夜明けに輝く星」という意味を持つらしい)という名の、思春期を迎えた少女と、彼女のおじいさんです。少女の母親は彼女を出産した直後に亡くなり、その後、父親は落雷で亡くなっています。この生い立ちを聞いただけで、かなりの不運や不幸を感じるのですが、少女の身の上にとても理不尽な出来事が起こります。落雷なら天災ですが、彼女の身に降りかかったのは忌まわしき人災でした。物語ではその人災の原因たる加害者が大きな罰を受ける様子などは描かれていません。
結局、少女のおじいさんがある決断をしなければならなくなります。本当に悲しくて辛い物語なのですが、モノクロの画面でアンデスの山あいの風景を背景に展開されると、どこか幻想的な雰囲気が漂います。なんだか、民間伝承で伝わってきた昔話か民話みたい。私はこの映画を見ながら、あのおじいちゃんがアンデスの山のてっぺんから天に昇り、弱い者に悪さをする輩を見つけるとそいつに雷を落とすという教訓めいたオチをつけたらどうかと考えておりました。
なお、この映画の撮影開始時の監督オスカル•カタコラは撮影途中の2021年に34歳の若さで病気にて急逝、叔父のティト•カタコラが監督を引き継いで完成させたそうです。上述した話者が少ない言語による作品であることやできあがった作品を観ると、恐らくはそんなにカネがかかっているとは思えませんが、何か作り手側のこれを伝えたいという心意気みたいなものを感じました。
こうやって、我々日本人からすると地球の裏側みたいなところに位置しているペルーのアンデス地方の物語に触れることができるというのも映画の醍醐味のひとつかな。思い立って、アンデスのフォルクローレの代表曲『コンドルは飛んで行く』を聴いています。Spotify で検索したら、いろいろなアーティストが手がけていて、聴き比べるとけっこう楽しめます。
過酷
Peru🇵🇪の映画で国内7館startが悔やまれるほど社会的・政治的主張が強い映画です。fictionではあるのだが影の部分に重点を置いている。物語は主人公の女の子と寝食を一緒にする祖父の口から語られる。主役はこの祖父と言っても過言では無い。そして女の子に襲いかかる試練は筆舌に尽くし難い 映像は黒白のmonochromeを採用していますがある意味妥当と言えます。美しいアンデスの山々に吹く不気味な風が終始この映画を支配している様に感じました。2026年の日本に住んでいる者からするとこの地域の隔絶した共同体に困惑しつつも彼等なりの合理があったのではなかろうか Peruと民間伝承 基督教と山岳信仰 購入したprogramを読みながら考えてみたい 映画の完成を待たずに亡くなられたOscar Catacora監督には謹んで哀悼の意を表します。
夜明け前が一番暗い
アンデス山中の部族の13歳の少女ヤナワラは、祖父の手で命を落とす。部族の審問会において、殺人の罪に問われる祖父の口から語られる少女に起きたことの一部始終。無知と因習が彼女を追い詰めていく様がただただ哀しい。モノクロの抒情感豊かな画面が悲劇を一層彩っている。
幼くして父母を亡くしたヤナワラは、アンデス山中で羊飼いをしている祖父との2人暮らし。13歳になった彼女に教育を受けさせようと祖父は族長と掛け合い小学校に彼女を通わせる。そんな学校の教師から性的暴力を受け、彼女は妊娠してしまう。
結果的には死産となるが、彼女は不吉だとして共同体から除け者とされてしまう。また不衛生な環境での出産で体調を崩すのだが、民間療法をたらい回しにされることで瀕死の状態に。回復の見込みがなく苦しむ彼女を楽にしてあげようと祖父は彼女を手にかける。
少女の「ヤナワラ」という名は「夜明けに輝く星」という意味の祖父の付けた名前。その名の通り輝く瞳の聡明な少女が、何の咎もなく不幸に見舞われるのをただ見ていることしかできないのは、祖父でなくともやるせない想いで一杯となる作品だ。
舞台となるのは80年代のペルー。軍事政権崩壊後の混乱期の物語だと思われる。夜明け前が闇が一番深いと言われるが、教育の光がまだ届かなかった時代の悲劇であろう。そんな夜明け前の時代を象徴するような物語だと感じた。
無知と貧困
エバリスト談
1980年代のアンデス地域で、悲劇的な人生送った少女と、彼女を救おうとした祖父の話。
病気だった13歳の孫娘を殺したとしてエバリストが投獄されて始まって行く。
共同体の審問を受けるエバリストがヤナワラに何があったかを、語る体でみせていくけれど、会長も投獄中って何したの?
「学びには痛みが伴う」とか、それを容認している共同体は大丈夫なのか?と思ったら案の定…。
胸クソ展開の連続で、学びのない前時代的でカルトの様な共同体なんて、言っても聞かないし行政が徹底的監視してフォローしないと、ムダだよな…と思っていたら、手のひら返し的ではあるものの、少しだけ救い有り。
ただ…1人だけ?しかもそれだけ?こういう世界で良くあるペテン師も放置だし…まあこれが現実なんだろうなんだろうね。
そして今でもこの傾向は残っているんだろうね…。
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