秋が来るときのレビュー・感想・評価
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噛めば噛むほど味わい深い。山菜料理のような 渋いシネマ
秋の野山が美しい。
ブルゴーニュだ。
「秋」を迎えた女たちの暮らしぶりを、フランソワ・オゾンがひとつひとつ しゃがんで、それを丁寧に、優しく拾い集める。
キノコ狩りのしっとりした森の光景と、女たちの人生の秋を、
小径をたどりながら ちょっと寂しく救いあげる。そういう映画だった。
・・
キノコの映画は、そんなに数が多くはないから、僕の記憶の中でもほんの数作しか思い当たらない。
・「素晴らしき、キノコの話」は科学ドキュメンタリーだった。
・「ファントム・スレッド」ではキノコのソテが劇中で重要な役割を果たした。
その他の映画はどれもこれもB級ホラー映画だ。
フランソワ・オゾンはそのキノコを鍵(キー にして新しい映画を撮った。名作だ。
キノコには、その存在には、「美味しさ」と同時に、「死の稜線とギリギリに接した」危ない一線がある。女たちの人生にもギリギリのルートと、ようやく渡り切ってきた厳しい道程があった。
オゾンはそこをよく魅せたと思う。
・・
「キノコ」には僕は独特の思い出があって。
以前在籍した会社で、キノコ狩りを趣味としている女性がいたのだ。
秋になるといそいそと彼女は裏山に入る。
そしてビニール袋にいっぱいの雑キノコを持ち帰って、会社の皆に配るのだ。
小柄で、市松人形のような風貌。パッツンと切った髪は山口小夜子のようなシェイプ。
「食べてね」と親切にたくさんお土産にくれるから「ありがとう」「とても美味しかったよ」と心からのお礼は言うけれど、家に持ち帰っても僕ひとりで食して、家族には食べさせなかった。僕がぜんぶ食べた。
土汚れや枯れ葉も混ざるビニール袋に、赤やらムラサキ色やらの毒々しい物も、茶色いキノコたちに混ざって見えている。どれが無毒で、どれが有毒なのか?僕には知識が無いからさっぱり分からないし。一か八かの南無三だったのだ。
いつも「テレホン人生相談」をうつむいて聴いている女の人だった。
「キノコ」と聞くと必ず思い出すのが40年まえの、薄幸なその彼女なのだ。
サスペンスな思い出だ。
・・
クマが危なくて山に入るのはやめたほうが良い昨今だが、
でも「こんな親不孝な娘なら毒キノコにヤラレてくれたほうがどうせいい気味だろう」的な、愛の無い娘が、スマホをいじりながら母親ミシェルを毒づく。
でもあの子供たちもそう単純な子供時代を過ごしていた訳ではなかったのだ。オゾンの脚本の奥の深さが徐々に見えてくる。
「2人の母親」と「その娘と息子」が物語の核。
“ 親ガチャ” を乗り越えようとするひとり=息子と、乗り越えられなかったもうひとりの=娘の、共に血を流しながら育ってきたその生き様がこんなにも僕の胸を突く。
見逃してくれたシンママの女性刑事もいい味を添えてくれた。
・・
ミシェルは一緒に苦労してきた無二の友達マリー =クロードに、臨終の枕元ではっきりと告げる ―
「ううん、違うわ。その時良かれと思っていた事が大切なのよ」と。
嗚呼、世の中にはこんなに素敵な言葉があったのだね、とこちらも絶句だ。なんという生への肯定。なんという言葉の薬効。
オゾンはまさに「これ」を伝えたかったのだ。
ひねりはあんまり感じなかった。むしろオゾンにしては直球だったのでは。
そしてヴァンサンの店では大音響でポップスが鳴る「今、今、愛し合いたい」と。
人を尊ぶ映画を作る人だ。
本当にいい映画だった。
悪は存在しないが、悪意は存在する
田舎に住むかわいらしいおばあさんの元に孫と娘が遊びにやってくる。
ほのぼのとした話かと思いきや、自ら山で採取したキノコ料理に娘が体調を崩し、そこから物語は予期せぬ展開に。
中盤ある人物が亡くなり、その死の原因を巡るミステリーになっていくのだが、作中ではその解答は明示されない。
しかし、登場人物たちのちょっとした言動を見れば推測はできる。
良かれと思って行動したことが裏目に出る。でも、良かれと思うことが大事とミシェルは言う。この言葉が様々な謎を解くキーとなる。
「キノコ嫌い」と言っていた孫のルカが終盤同じ食卓シーンで「キノコは昔から好きだよ」と言うシーンでゾクっとした。
相変わらず毒っ気満載のオゾン作品を堪能。
省略を多用し、ポンポンとリズム良く話が進み104分という尺に収まっているのもすばらしい。
鑑賞後にあれは結局?とあれこれ考える時間を与えてくれているようだ。
墓場まで
一人暮らしをする高齢のミシェルを、娘のヴァレリーと孫が訪れる。しかしヴァレリーは、ミシェルのキノコ料理の毒にあたってしまう。その結果、ヴァレリーは態度を硬化させ、ミシェルは孫に会えなくなってしまう。そこでミシェルの親友マリークロードの息子ヴァンサンが、ヴァレリーを訪れ。
時々流れる心ほぐれるフレーズが良いです。事故とはいえ、辛い立場に立たされ、複雑な思いを抱かせるのは間違いない。それを隠し通せたら、全てが丸く収まる。結果的にそうなってよかったと思いました。全てが明らかになれば、必ず幸せになるとは限らない。墓場までもっていった人と、知らないで幸せだったもう一人。
映画館で見逃した #秋が来る時 2024年のフランス映画 田舎で1...
白黒つけない秋色のグラデーション
ここ最近、結構なハイペースで新作を発表し続けているフランソワ・オゾン。『スイミング・プール』のリディヴィール・サニエをはじめ、久々にオゾン組の俳優が一同に集まった作品だそうな。オープンゲイのオゾン作品の中では、善良でいい人→♂️と決まっていて、悪さをするのはのは大体いつも♀️の方だ。ゆえにフェミニズムが席巻していた一昔前はいまいちの扱いだったが、ここにきて元気を取り戻しつつある気がする。
教会のミサに参加する初老の女ミシェル(エレーヌ・ヴァンサン)。耳を傾けるは黒人神父が語る“マグダラのマリア”のお説教だ。この冒頭シーンが、娘ヴァレリー(サニエ)との確執や、近所に住むマリー=クロード(ジョジアーヌ・バラスコ)との固い友情、その息子ヴァンサン(ピエール・ロタン)が臭い飯を食った原因のうまい伏線になっている。それは何かって?是非とも実際に映画を観てご確認いただきたい。
未必の故意かそれとも偶然か。離婚調停中の娘ヴァレリーは明らかにメンヘラ状態で、昔○○として働いていた母親である自分のことを憎んでいる。パリ郊外の村に住んでいるミシェルは、秋深いこの季節友人のマリー=クロードと森にキノコ狩りにいくのが年中行事になっていた。自分には懐いているルカを連れて金の無心のためにやってきたヴァレリーに、ミシェルはキノコ料理を振る舞うのだが…
PTA監督『ファントム・スレッド』でも同じような○○○○事件が起こっていたが、フランスの田舎界隈では結構な日常茶飯事らしい。“よくあること”なのだ。この辺り、ボケているのか確信犯なのか観客にはハッキリわからないようわざと曖昧にカメラを回しており、刑務所から出てきたばかりの友人の息子ヴァンサンへの資金提供とその後におきた事故死?との関係性も、あえてボカしているのである。
もしも故意であるならばとんでもない殺人教唆なのだが、死んだヴァレリーも真相がわからないまま幽霊となってミシェルの回りをうろつくしかないのである。明らかにミシェルとヴァンサンの共犯を疑っている女警部をなんとか煙に巻いてから数年後、秋深い森の中でパリの大学に通う彼女のいないルカ(オゾンと同じゲイか?)&相変わらず独身のヴァンサン(マザコン気味なゲイか?)と散歩中、ミシェルの前に三度現れた娘の幽霊。美しく紅葉した葉陰で安らかな眠りに就いたミシェルは、きっとヴァレリーに許されたのだろう。マグダラのマリアがイエスによって今までの“罪”を許されたように。
【”良かれと思う事が大切、と老婦人は優しく言った。”今作はミステリー風味を漂わせつつ、人生の終盤を生きる女性の姿をフランソワ・オゾン監督が積み重ねた人生経験を表敬する姿勢で描いた逸品である。】
ー フランソワ・オゾン監督作品を映画館で観たのは「二重螺旋の恋人」が初めてであったが、エロティック且つミステリアスな内容に引き込まれ、パンフを即購入し、その後今作の前作までは全て映画館で観て来た。だが、この作品は私の居住区では公開館が少なく見逃していたのだが、鑑賞すると、フランソワ・オゾン監督のハイレベルなオリジナル脚本作りを含めたその才能に改めて驚くのである。-
■舞台は秋の自然豊かなブルゴーニュ。ミシェル(エレーヌ・ヴァンサン)は高齢だが、田舎での一人暮らしを楽しんでいる。
近くに住むマリー=クロード(ジョジアーヌ・バラスコ)とは、仲が良い。昔同じ”仕事”を巴里でしていたらしい。序盤は穏やかなトーンで物語は進む。
そこに、離婚調停中の娘のヴァレリー(リュディヴィーヌ・サニエ)が息子ルカを連れて休暇に来ると穏やかならぬ雰囲気が流れ始める。娘の母に対する口の利き方が、一々棘があるのである。
娘と孫に食べさせるためにマリー=クロードと、セップ茸などを取って来て振舞うが、只一人その料理を食べたヴァレリーは食中毒で病院に運ばれてしまう。
彼女は退院するが怒りは激しく、”息子も殺される!”とミシェルに言い放ち巴里へ戻ってしまうのである。落ち込むミシェルだが、マリー=クロードの息子で麻薬密売の罪で刑務所に入っていたヴァンサン(ピエール・ロタン:「ファンファーレ!ふたつの音」で、弟君を演じた人である。今作でも存在感が抜群である。)が出所してくる。
彼は、ミシェルの家の庭を整備し薪を割る仕事をしてあげる。そして、ションボリしている彼女の話を聞き、巴里のヴァレリーに会いに行くのである。
”スマホをミシェルの庭のテーブルに忘れたまま・・。”
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・粗筋を細かく書いたが、フランソワーズ・オゾン監督のオリジナル脚本が、今作品も冴えわたっているのである。オゾン監督は多作の監督であるが、ほぼオリジナル脚本であるところが凄いのである。
・演出としては、ヴァンサンがヴァレリーに会いに行くところまで映されて、その後ヴァレリーが、アパルトメントから落ちて死んだという事実が描かれずに、電話で告げられる展開も絶妙に上手いのである。
・異国の地で働く夫ロランの下に行くことを拒んだヴァレリーの息子ルカは、ミシェルと暮らし始める。嬉しそうなミシェル。だが、ルカはミシェルがルカが生まれるまで、ヴァレリーを女手一つで育てる為に巴里で行っていた娼婦の仕事の為に、上級生に苛められるのである。そして、その仕事がきっかけでヴァレリーとの間に軋轢が出来ていた事も明らかになるのである。
ー 私は思うのだが、人類最古の商売と言われる娼婦の仕事は、ミシェルの様に夫が出て行き金だけ偶に送って来る境遇の女性が仕方なく付いた仕事であり、何で娘のヴァレリーは分かって上げれなかったのかな、と思うのである。ヤッパリ無理なのかな。
けれども育児放棄やヴァレリーを施設に入れずに育て上げた事は立派だと思うのだけど。それは、マリー=クロードも同じだと思う。故に二人は親友になったのだとも思うのである。-
■ヴァンサンがヴァレリーに会いに行った事を隠し通そうとするミシェルに、女警部がイロイロと調査してくるシーン。ミシェルが再出発の為に食事の店を開けた時の開業資金を”出世払い”として貸した事などから。けれども、ミシェルはキッパリと”あの子は私の庭仕事をしていました。”と答えるのである。
更にはルカが自分を苛めていた上級生に、ヴァンサンがムショ帰りと告げた、と彼が学校に迎えに行った帰りにバスの中で告げ、上着の胸ポケットから水鉄砲を出して水を掛けるシーンも良いのだな。故に彼も、非常カメラに映っていた”母に会いに行った自分がアパートの入り口の扉を明けた瞬間に擦れ違いで入って行ったフードを被った男の顔を見たか?”と、女警部に問われた時に、”知らないオジサンだった。”と答えるのである。
・後半の演出としては、死んだヴァレリーが、最初は青白い顔でミシェルに対し恨み言を告げる姿から、この世に現れる度に徐々に表情が和らいで来るのも上手いと思ったのである。
末期癌で死んだマリー=クロードの葬式の時に入って来た、老いた多くの女性達(且つての娼婦仲間であろう。)の姿をさり気無く映しつつ、葬儀場の外で一人涙するヴァンサンの姿と、彼のその姿を探しに行ったルカが見るシーンも良いし、ミシェルがマリー=クロードの墓に花を供えた後に、ヴァレリーの墓の前に行き綺麗に掃除をし花を供える彼女の後ろに、やや複雑な表情で立つ、死んだヴァレリーの姿・・。
■年は流れルイは巴里で美術学校に通っている。久しぶりにブルゴーニュに戻って来た彼を車で出迎えるのは、ヴァンサンである。
そして、且つてミシェルがマリー=クロードと茸を取りに行った森に行く道で、三人は車を降りる。そこで、ミシェルが森の中で見た鹿たちの群れ。誘われるように森に入って行った彼女の前に現れたのは穏やかな微笑みを浮かべるヴァレリーであり、彼女はミシェルに手を差し出すのである・・。
<今作はミステリー風味を漂わせつつ、人生の終盤を生きる女性の姿をフランソワ・オゾン監督が積み重ねた人生経験を表敬する姿勢で描いた逸品であり、最後の最後に母娘の確執が解けたシーンが沁みるヒューマンファンタジーでもあるのである。>
本当に脚本がうまい。
ミシェルとヴァレリーの間の「許せない」ほどの確執があり、悲しいかな、どうにもならない。
ヴァンサン(親友の息子)は、ミシェルの絶望を救うため(=ルカを取り戻すため)に行動を起こした。
ルカ(孫)は、祖母のついた「嘘」が、自分たち(ミシェルとルカ)が共に生きるために必要なものであることを受け入れる。
ミシェル、ヴァレリー、ルカの共犯関係がなんとも切ない。
けれど、最終的に「罪(嘘)」のすべてを受け入れ、心の平安(あるいは娘との和解)を得て安らかに、人生の「秋」を終える。
ブルゴーニュの美しい秋が彼らを包み込み、印象深い作品でした。
悪しきことも、良かれと思う。
老境に差し掛かった老婦人2人の穏やかな余生・・・
そんなストーリーを想像しました。
しかし予想とは大きく違っていました。
80歳のミシェルはブルターニュ地方の美しい森のそばに暮らしています。
パリに住む娘のヴァレリーが孫のルカを連れて休暇に来たのです。
ところが昼食に料理したキノコに娘が当たり、救急車で病院に搬送されて、
死にかけてしまいます。
娘は「お母さんに殺されかけた」と怒って帰り、そのままミシェルは
可愛がっていた孫のルカと会えたい境遇になり、
鬱病的になってしまいます。
一方、親友のマリー=クロードには受刑中の息子・ヴァンサンがいます。
ヴァンサンはやがて刑期を終えて母の元へ帰ってきます。
なにかと援助していたミシェルは菜園の片付けを頼み、
孫の遊び道具を捨てて・・・などと頼み、
ミシェルの寂しさを察したヴァンサンは
ある行動に出るのです。
【良かれと思ったことが裏目に出る】
マリー=クロードの座右の銘、です。
しかしミシェルは、
【良かれと思うことが大事なのよ】と正反対な言葉で返します。
ミシェルの【良かれ・・・】は、
ミシェルの見た目の可愛いおばあちゃんからは
かけ離れているのかもしれません。
ヴァンサンがヴァレリーを訪ねたことで、
煙草を吸いにベランダに出たヴァレリーは、
墜落して死んでしまうのです。
この事件=娘の死は、ミシェルにとっては
【良かれ、な出来事】
孫のルカとの同居生活が手に入ったのです。
又、もう一つ面白い趣向があります。
娘の亡霊が現れてミシェルと対話するのです。
「お母さんは思い通りにルカを手に入れたわね」
と、毒づかれたりします。
ほんとに怖いですねー。
事実ミシェルはヴァンサンにバーの開店資金を援助して、
こうマリーに言うのです。
「ヴァンサンは手伝ってくれたし・・・」
キノコも毒と知っててわざと食べさせたのか?
とか疑いたくなります。
やがてミシェルの過去が明かされます。
ミシェルもマリー=クロードも昔パリで娼婦として働いて、
ヴァレリーとヴァンサンを育てたと言う過去。
2人の外見からは想像も付かず驚きました。
そのことは近所でも知られていて、やがてルカはそのことで
学校で虐めにあうのです。
その解決法もまた
ミシェルがただのお婆さんではない事を、私は知るのです。
ヴァンサンにルカを迎えにやります。
「どいつが、いじめっ子だ!!」
木の下にたむろしている上級生をルカが指さします。
一言、二言言うヴァンサン。
「なんて言ったの?」と聞くルカに、
「務所帰り・・・と言った、意外と効き目がある」とヴァンサン。
やがてマリー=クロードが癌で亡くなります。
教会の葬儀には、ミシェルとマリーの昔の仕事仲間が10人も
参列します。
彼女たちとミシェルの繋がりは切れてなかったのですね。
その後、婦人警官がブルターニュの家を訪れます。
「内部告発があった」
「ヴァンサンがあの日、ヴァレリーを尋ねていたと、」
警官はルカに聞きます。
「マンションの出入り口ですれ違った男はヴァンサンか?」と。
ルカは「違う」と答えます。
しかしは内部告発・・・って一体だれが!!
マリー=クロード意外に知らないのでは?
題名が平凡でミステリーを窺わせるものがありませんね。
もう少し“意味深“な題名が良かったですね。
なかなかフランソワ・オゾン監督らしく、辛辣だけど優しく温かい。
娘のヴァレリー役のリュデイヴィーヌ・サニエは、
20年前のオゾン監督の出世作「スイミングプール」のミューズ、
だそうです。
秋が深まるとき
秋はもう来ている。
季節は秋真っ只中、静かに、しかし確実に晩秋に向かっている。主人公の人生の終盤を描く作品だということを強く印象づける。
孫から見た祖母というものは、無条件に優しく、自分の味方をしてくれて、ときどき人生にとって大事なことを教えてくれる。そんな存在というのが世界共通のイメージではないだろうか。孫目線でなくても、端から見ていてもそういう「お婆ちゃん像」があるように思う。
しかし、お婆ちゃんも人の子である。積み重ねた歳月の中で澱のように心の底に貯まったものが、ふとした瞬間に、かき乱され、浮き上がってくる。静かな佇まいの中で表現される感情の機微。ミシェルを演じたエレーヌ・ヴァンサンの深みのある演技力に魅了される。
物語は、静かに進んでいく中に、サスペンス的要素を織り込んでくる。正確に言うと、サスペンスっぽくも見えるし、そうでなくも見えるように作ってある。事件だった(犯罪だった)かもしれないし、事故だったかもしれない。意図していたかもしれないし、全く意図していなかったかもしれない。観客が、どう見るかで、この作品の印象も随分変わるように思う。キノコのように滋味深い、オゾン監督のマジック。
手作りの料理の食卓を囲むシーンが多かった。豪華ではないけれど、豊かさを感じた。
娘の幻影に導かれるように旅立ったミシェル。彼女が、この色づく森の中に溶け込み、同化していくようなイメージが最後に浮かんだ。
自分も人生の折り返し地点を過ぎ、老いや死というものを徐々に身近に感じ始めたからだろうか。怖さや、悲しみや、謎が解けないモヤモヤといったものは全く感じなかった。
ただ静かに、美しい秋の風景と1人の女性の生き様を見た。
こういう映画の作り方もあるんだねぇ・・・
猛暑の中、映画館へ涼みに行きました。
きれいな映像と音楽と速い展開で、意外におもしろかったです。
たぶん、
・ミシェルは、ヴァレリーを毒キノコで殺そうとしたが、失敗した。
・ヴァンサンは、ヴァレリーを説得に行っただけだが、事故で死んだ。
・ヴァンサンとルカは、ミシェルを殺そうとしたが、急病で死んだ。
と言う風に観客に思わせるつくりかな?
確かなことは、
・ミシェルとルカは、ヴァンサンが疑われないようにウソをついたことだけ。
監督の本意は?
普通に観れば内容は人の一生で別にインパクトは無いのだが、この主人公
元娼婦で男の扱いには慣れていたはず、友人の前科有り息子を動かし
保険金目当ての犯行を監督は全く美的に終わらせたんではないか?
娘のアパートへ行った男が顔を隠す必要はなく、見られた息子とは
仲良くして口封じ、他の人も言っているが、娘以外毒キノコを食べていない
孫はキノコが嫌いなのにキノコケーキを作った等 監督やりますな~
罪の意識
真実が明らかにならないことで、不思議な余韻が残る。もやもやして、だけど世の中の多くが、そのように曖昧なまま過ぎていくような気がする。
それでも私見としては、警察に頑張って欲しかった。そうでなければ、法が守られないことになってしまう。たとえひどい娘でも、命を奪われる理由などない。
なぜ祖母はキノコを食べなかったのか。なぜ残ったキノコだけをすぐに捨てたのか。なぜ親友の息子に、娘の愚痴を聞かせ、孫のおもちゃの処分をさせたのか。弱々しい外面を利用して、初めから強かに計画をしていたのではないか、とも思う。
警察が、もっとキノコの件や防犯カメラを精査していれば、少なくとも偽証は明らかになったのではないか。
そうやって見過ごされている事件は、実際にもあるのだろう。
罪を抱えたままの人間は、たとえ暴かれなかったとしても、罪悪感や後ろめたさから、心の安らぎや満足が得られなくなるのではないか。
事件後、祖母は娘の幻を見続け、親友の息子は金策に苦労し続けている。孫は学生生活を楽しんでいないように見える。
美しい自然の中にあっても、秘密を抱える三人が幸せには思えず、彼らの未来が明るいようには思えなかった。
80歳になっても逃れられない
フランス映画らしいフランス映画
全体としてはエピソード集。
そうして語るうちに、少しずつ登場する人たちの側面が描かれていく。ミシェルを中心とした人間たち模様。
全員がある意味素直じゃない。みんなこころに何かを隠している。そして、必要とあらば、嘘をつく。まさに、それが人間ってことである。人生はよく作られた『映画』のように、勧善懲悪でもなければ、始まりも終わりもない。
この映画を観て主人公やその他の人に「それってどうなの?」と突っ込むことは可能であるが、自分の人生も側からすれば突っ込まれるということである。
意外なのはヴァンサンが割といい奴となっていくことで、その辺は監督の計算かもしれない。そして、罪は「無垢な」人がむしろ犯す。誰も他人を責めれやしない。誰もが可能性として人を傷つけて、他人を「殺している」。それは刑事事件的な問題ではなく、精神的な因果関係とでも呼ぶべきものである。
たまにいいセリフと美しい風景。手作りのスープにキッシュ。裏も表もある人間模様。これぞフランス映画の喜びではないか。
余談。それにしてもフランスの自然は素晴らしい。
なにもかもスルーでいいのだろうか?
秋の味覚はキノコだよね〜
「職業に貴賎はない」との考えは日本だけらしいが、その日本でも「娼婦をしてました」と言われたら後ずさりをするだろう。ましてや自国の伝統文化に強い誇りを持っているフランスだったらより賤しい存在として差別されるのだと思う。ミッシェル自身はその過去を恥じてはいないが娘のヴァレリーは(パリのアパートを譲ってもらったりお金の無心をするくせに)決して許すことはできない。そんな娘はさておき孫のルカは可愛くてしょうがない。親しい人は昔からの仲間のマリー=クロードとその息子のヴァンサンくらいしかいないけどそれで充分である。そんな背景のなか、2つの大きな出来事がミッシェルに起きる。毒キノコの件はルカがキノコ嫌いを知ってたのでミッシェルが故意に毒キノコを混入したのか?単なる事故なのか?ヴァレリーのベランダからの落下の件もヴァンサンが関わっているが、殺害なのか不慮の事故なのかはわからない。映画ではどちらにもとれるようにしてる。そのこと自体はミステリーだが主題は別のところにあるようだ。人の感情は様々で人生は複雑だけど、家族を思う気持ちに嘘はない。森の中で安らかに眠るミッシェルがそれを証明しているようだ、。
円熟の監督フランソワ・オゾン
良かれと思うことが裏目に出るときがある。
良かれと思うことを大切にしたい。
ああフランソワ・オゾン大人になったなぁ。
いゃあ奇をてらった作品ばかり撮るゲイだと面白がって見ていたが、しなやかに円熟している。
(いやらしく、大御所ぶらないところも好感。
変な大作を撮るよりウディ・アレンのように、
人の哀愁に寄り添える優しさ。)
フランソワ・オゾン監督は日本でもデビュー当時から
(その頃はよく、渋谷ユーロスペースまで観に行きましたよ電車に乗って)
オシャレ系と注目されてチヤホヤされていたけど、
本作のように冬の気配を描くとは、
時の速さを、改めて思う。
きっと、
きっと僕の母も、善かれ善かれと思い家族や親戚の為に日夜奮闘していたのではないだろうか。
そう泪したわけである。
(オゾン監督の新作なのでもっと早く観たかったが時間が合わずファーストランのキノシネマでは間に合わず。
やっとシネマ・ジャック&ベティで鑑賞できました。
横浜シネマ・ジャック&ベティ感謝です。)
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