ペリリュー 楽園のゲルニカのレビュー・感想・評価
全396件中、1~20件目を表示
この作品が戦後80年の最後の月に公開された意味
原作は今年完結した外伝まですべて既読済み。
だからこそこの素晴らしい原作が2時間で描き切れるのか、伝わるのか、楽しみ半分不安半分で鑑賞しました。
まず先にお伝えします。原作既読勢のみなさん、急いで観に行ってください。救われます。私はふいうちの改変に涙腺が壊れたのかというぐらい泣き崩れました。
同じ根から生えた別枝の物語と捉えましたが、この改変なら喜んで受け入れます。
原作は11巻もあり、さまざまなキャラクターの視点やエピソードもあるので、さすがに全ては描ききれず、主役に絞ったエピソードと、ペリリュー島の戦いの始まりと終わりを知れる内容になっています。
しかし、脚本に原作者の武田先生が携わっていることもあり、しっかりとこの作品で伝えたかったメッセージや、どちらの国にも偏りせず、そして御涙頂戴の悲劇としても、美談しても描いていない点が素晴らしかったです。
悪いのはアメリカ兵でも、日本兵でもない。戦争なのだと、戦争が悪なんだと揺るぎない強いメッセージが込められています。
私がエンドロールを観て驚愕したのは、生き残った34人全員にフルネームで名前があったこと。
よくある日本兵Aとかじゃないのに泣けました。
観賞後にパンフレットを読んだら、一人一人“何かを考えていた個人”としては描きたかったと、武田先生と監督が協力して、全員分のフルネームと出身地を決めて映像に反映したと書いてありました。
戦争のリアルさや悲惨さは過激な描写が多いほど印象に残りますが、R12オーバーの描写は全部無しにして、より多くの若者が観れるようにしたのは、戦後80年の今年の作品として相応しいと思いました。まずは観てもらわないとはじまらないので。だから可愛らしい3頭身キャラクターにしたと武田先生はおっしゃっていました。
その願いが届いて、戦争映画が苦手でも、観てみようと思う人が一人でも多くいてほしいと思います。
また「火垂るの墓」「はだしのゲン」「この世界の片隅に」と戦争を描いたアニメ作品は数あれど、戦場を舞台にしたアニメ映画はほぼ無いに等しいので、その意味でも「ペリリュー」はとても貴重で価値のある作品だと思います。
ペリリューで多く散っていった彼らの多くは20代で、まだ何者にでもなれる若者たちでした。そんな彼らが誇れる国でいることが、現代に生きる我々の使命だと思います。
当たり前のように「ただいま」と言えることの幸せを、心の底から感じられる、日本人全員が観てほしい価値のある作品でした。
冒頭のエピソードが肝
原作マンガは既読。その上で見事に映像化したなと思った。
もちろん、省略されたエピソードはある。映倫審査を意識してか、残酷な描写も(これでも)控え目にしている。しかし、作品の本質的な重要な部分は余すところなく映像化出来ていると思う。
やっぱり、僕は冒頭のエピソードが秀逸だと思う。功績係に任命された主人公が、上官の命令で勇ましい戦死のエピソードに「脚色」するくだり。戦争を知らない世代が戦争を学ぼうとした場合、当時の資料であってもこのような捏造があるということを頭に入れておくべきで、同時に、このフィクションのアニメ映画を見る時にも同様の態度を持つべきだ。
実際、これはフィクションで、漫画とも異なる結末を与えている。この映画を見ただけで当時のことを知った気になってはいけないと、冒頭で戒める作者の姿勢が素晴らしい。
同時にフィクションでないと迫れない戦争の残酷さと真実もあるということを同時に達成してもいる。今、戦争をいかに伝えるのか、手法も姿勢も考え抜かれている。
この絵のタッチだからこそ表現しえたこと
ゲルニカという副題にふさわしく、この可愛らしいキャラたちを待ち受ける状況は地獄絵図のごとく凄まじい。人はあっけなく死ぬ。先ほどまで普通に喋っていた若者が気がつくと凄惨な肉片と化す。怯える暇さえ与えられず息絶える者もいる。血に染まった波が引いて、また絶え間なく打ち寄せる。そこに栄光や尊厳はない。ディフォルメされた絵柄だからこそこれらの表現が可能なのは言うまでもないが、重要なのは凄惨さそのものでなく、この描写を超えた向こうにさらに伝えるべき物語があることだ。戦闘の果てに散り散りとなった兵士らはどんな運命を辿ったのか。その視点として漫画家を志す青年を置くことは非常に大きな効果を生んでいる。良くも悪くも戦場で事実を歪曲するために求められた才能が、またいつしか「目の前の日常を描く」という本質へ回帰していく感動。人間性を回復させるもの、それは銃ではない。彼の筆先がもたらす豊かさ、尊さに強く胸打たれた。
想像以上
ペリリュー島の戦いについて初めて知った
物悲しくとも、良かった
久しぶり、東京まで1人で観に行った。
全般的に良かった。主役の俳優さんの声もよかった。何と言っても準主役も良かった(声優は中村倫也)。途中、なんだか平和に暮らしてる。と拍子抜けだった。そしたら、戦争が終わっていた。漫画で書いてるから、もっとかけたのにと思う。最後に島に残ったのも、原作を知らないから、何で残ったん、とわからなかった。
そりゃー、仲間を殺したのだから、とは分かる。結果がよかったから良いが、投降はダメだといった兵士がいた。リアル!と思った。
激戦地での生きる希望
アニメでとても良かった。
それもゆるめの感じを出したキャラを上手く活かした演出が、激戦地ペリリュー島で行われる極限に陥った人間の欲望・願望、そして生き続けるための微かな希望。
口にすることが憚られる夢が、身近に感じられることで不協和音を産み不安が募る。
その行動が起こす答えとは?それぞれが選択する未来へと繋がる想いが突き刺さる。
戦地に送り込まれた若者たちが直近に迫る死を掻い潜りながら生きる姿と彼らの姿をノートに描く。
時に彼らの死を伝える想い(手紙)を認める虚しさと共に、戦争により希望を奪う愚かさを伝えてくれる。
大日本帝国狂気の沙汰
「ゲルニカ」と「ペリリューの戦い」は全く違う事を認識せよ❤
漫画は日本が戦争に負けたところまでは読んだ。
だから、映画は見なくても良いかと思ったが、たまたま、ペリリューの漫画があった学校に「よつばと」を選書したら「漫画だから駄目だ」と言われた。ええええ!ペリリューだって漫画だろ?
とりあえず、見るか。
いつもの日本人のアイデンティティのなさと愛国心の無い稚拙な感じが伝わって来た。
2回目のレビューなり。要は日本人にはヒトラーがいないと言う前代未聞のバカさ加減をやってしまったてことなんだよ。
外国へ出かける前には見ないほうが良い。
特に真珠湾攻撃のあった場所にはね。無駄に亡くなってしまったアメリカ兵の事を考える。怖くて足が向かなかった。
追記
パラオ共和国の住人を避難させてアメリカと戦ったと美談で伝わっているが、現実は「邪魔だから出ていけ」だった。人命の事なんか考えいるはずも無い。事実、この島を占領する際に住民をスパイ行為で、虐待を加えている。勿論、秘密裏なので、犠牲になった方の数までは分からない。
そして、同じ事が「沖縄」「済州島」「台湾」でもあった事を理解しておくと良い。
勿論、日本軍の愚行の話だけでは無い。
軍隊なんてそんなもんだと言う事。そこまで、知って反戦と言える。
3頭身の絵からは想像できない世界観
原作マンガは読んでません。
映画のあらすじにもある通り1944年9月から行われた太平洋戦争中の日本軍とアメリカ軍との戦いの一つです。
ペリリュー島とは、現在のパラオ共和国になり
美しい海などの自然とともに戦争の残酷さが描かれた作品です。
冒頭、ともに歩いていた友人が空襲により亡くなるシーンから「功績係」を務めるようになります。
実際は、空襲に慌てて滑って頭を足にぶつけて亡くなってしまうのですが
「功績係」として家族に報告した内容は戦争に携わり、激闘の末に亡くなるというフィクションを伝えることになります。
事実を伝えることが家族にとって幸せではなく、
悲しい「死」という現実に対して少しでも喜べるような物語をつくって知らせている。
優しさでもあるが、色んな場面で事実とは反することが情報として流れてくることがあるんだろうなと感じました。
最後、1947年まで戦っているのですが
そこで、え、、なんで、、、となりました。
正しい情報も届かず、ひたすらに戦う姿
新聞を拾ったのにも関わらず、ここまで戦ってきたこと、日本が敗戦国になるなんて信じられないという様子。当たり前と思っていることからの裏切り耐えられない姿が印象的でした。
ひとつの昔に起きた悲しいできごとと捉えず
今も起きてるかもしれない固定観念や
情報を疑うことの大切さを感じる映画でした。
【顔】のある兵士たちの物語
映画の中で印象に残ったのは、主人公田丸が手帳に書きつけていたたくさんの「顔」である。
戦場で、人を殺そうと思えば、相手の人の顔や名前なんでないほうがいい。相手を自分と同じ人間だなんて思ったら殺せない。顔のない関係のない心のないものだと思うから殺せるのではないか。じっくり顔を見ながら殺して平気なんてことは【ごく普通】にはない。この戦場に送られるのは、故郷で家庭を持ち仕事をしている【ごく普通】の若者たちなのだ。
仲間や現地の人の顔だって、無ければ苦しまずに済む。縛られずに済む。
だが、漫画の得意な彼は、仲間たちの顔を描いて描いて描きまくる。
明日にでも、いや、一瞬後にでも失われる顔を、その恐怖に耐えながら。まるでその、戦地のなかにあっても「一瞬の幸せや生命の高揚」がある、その瞬間を刻みつけておこうとするかのように。友人の故郷の家族たちの顔を、彼らの理想の女の顔を、描き続ける。そして、殺す時に見てしまったアメリカ人の兵士の顔を、ずっと己に刻みつけてしまって、忘れられない。
出会うひとりひとりの顔を見つめ、仲間たちの言葉と声と生き方を宝物のように胸に抱え続ける、それは田丸の「強さ」そのものだったのではないか、と思う。
間違いを認め、弱さを認め、負けを認める強さと同じように。
あの「顔」たちの描かれた場面を見たときに、「この顔が全て失われていくのだ」と思うと、涙が出てきた。戦火で、病気で、餓死で、又は歴史の闇のなかで。
【功績係】については、残酷な嘘を強いられる一方で、物語の本質を考えさせられる。
物語とは、語る者が伝える言葉であり、それは一つの【世界】を作る。それが事実であろうとなかろうと、語られた時点で一つの【事実】として、あるいは【事実である可能性】として存在するのだ。
確かに国策で嘘をつかされることは恐ろしいし、全ての情報はそういう怖さを含んでいる。【歴史】など、強者たちの物語の暴力と言っていいくらいである。
日本軍が撒き散らした嘘の物語のために、どれほどの命が散ったかと思う。(そして、その撒き散らした誇張された殺戮数などのために、逆に戦後、事実よりも重い罪や非難にさらされることになる、という一面もある、とも)
しかし、それゆえに物語は、嘘と真実の間に、だれにも救うことのできない者を救うことができる。
活躍したかったのに、滑って転んで死んだなんて、それが事実と言われるよりも、【物語】のほうが人を救ってくれることもある。
例えば「マッチ売の少女」。あの話は、父親に虐待された貧しい家の女の子が、ただ冬の日に凍え、マッチで温まろうとするも敢え無く死んでしまっただけの話である。
おそらくそれが事実であり、マッチの燃えかすに囲まれて死んでいる少女を発見した人々は、「かわいそうに、マッチで温まろうとしたんだね」と話す。
しかし一人だけ、彼女を「幸福」にしたいと願ったのが作者ではなかったか、と。作者は「そうでない、彼女はマッチの光のなかにごちそうや、美しいツリーを見て、最後には先に天国にいった優しいおばあさんに抱きしめられて、幸せに死んだのだ」と書いた。ただ、虐待の末に凍死したその事実を救うことはできなくても、物語のなかで一瞬でも、彼女を幸せにしようとしたのではないかと自分は思う。
田丸は上官に言われて友人の嘘の戦死話を書いたが、彼は同じように友人を幸せにしたかったのだと思う。物語の中だけでも、彼を英雄にしてあげたい。憧れていたものにしてあげたい。そう思ったからだろうと思う。(もちろん、その後、そのことの恐ろしさに打ちのめされるのだが。)
そんな人間の心を利用して戦争させる国家、そんなものに二度と私たちは自分の国をしてはならないと、深く思った。
太平洋戦争の悲劇がここにも
風景・兵器・人物のバランスが良い
印象深い目の形(><)の物語る饒舌
先週の金曜日(1月9日)、NHK『あさイチ』の映画コーナーで、原作者で映画の脚本を手掛けた武田一義さんをゲストにこの映画が紹介されました。多くの人に観てほしいと思う私としては全国放送で紹介されてよかったものの、既に上映館も少なくなっているので、せめて年末のうちに放送してほしかったと少し残念な気持ちでした。
映画の感想としては、メイン二人の声優を担った板垣李光人、中村倫也さんの声が他に考えられない程適任で、とりわけ、板垣李光人さんの落ち着いたもの静かな声に戦争の悲惨さがじわじわと伝わって来て胸に迫るものがありました。主人公のシンプルな造形も魅力的で、印象深い目の形(><)が殺人の時以外は常に変わらず、それでいて、いろいろな思いが感じ取れました。
極めつけは、復員後のラストシーンで、目の前に現れた(死んだものと諦めていた)息子を前にした、キョトンとした父親の眼差し(><)に、思わず嗚咽してしまいました。
NHKあさイチでの紹介もっと早くして欲しかった。・三連休イオンシネマ休映・バルト9でも一回だけ上演、前日から満席
以前からペリリューの壮絶な戦いについては知っていました。漫画本は読んでいません。普段行くイオンシネマで12月に上映していましたが、わざわざ見ることもないだろうと見送っていました。
年が明け、2026年1月9日(金)NHK総合 あさイチでこの映画が紹介されました。
これを見てこの映画をとても見たくなりましたが、近隣のイオンシネマでは、3連休は本作は休映、平日も夜になってから1回だけの上映。近隣のTOHOシネマズでも夜しか上映していない。
(シネコンで上映の映画は、封切りから9日間に見ないと見逃しますね。)
朝型の私、早起きは平気な私、映画を夜に見に行くのは苦手です。早寝なので眠くなることと、作品の内容によっては寝つきにも影響する。
新宿のバルト9では、11時15分から一回だけ上映しているのを見つけましたが、1月10日はほぼ満席、11日も空席が減っていました。急いで会員になり予約しました。前日夕刻には満席になっていました。バルト9のスクリーン1は座席数69、直前にテレビで紹介しておいてこれでは、キャパシティ不足でしょう。
イオンシネマは、なぜ3連休だけ休映したのでしょう? この理由がわからない。
映画館は機会損失をしました。
客層は、年配の人が多いのかなと思いきや、意外にも若めの人が多い。
NHKもNHKです。もう少し早く紹介したほうが良かったのではないでしょうか?
以前、作品は別の映画でも、公開終わりかけであったり、都心部のミニシアターでしか見られないものを紹介し、見たいと思っても見そびれています。
(私は、家では気が散って2時間画面に集中できないので、DVDや配信の映画は見ません。)
愚痴が長くなりましたが、これは早く見るべきでした。
この作品を、リアルなタッチの作画や、実写で制作したら、私は見られません。
3等身のアニメだから、何とか最後まで見ることができました。
しかしそこで起きていたことは実際には、壮絶な血なまぐさいものです。
戦後80年の年、2025年 もう実際に戦場に行った人は減ってきました。
また、これだけの壮絶な思いをした人は、何も語らない、語りたくない人も多いでしょう。
作品中で田丸も悪夢にうなされるようなつらい思いを持っています。
PG12ということで小学生にはきついかもしれないが(もっと残酷なものを最近の小学生は見ているかも?「鬼滅の刃」も私は苦手です。)、子供にはぜひ見てもらいたい、見せたいと思う作品です。島田少尉の葛藤の視点で、見るのも面白いでしょう。
反戦でも好戦でもなく
被害者性と加害者性
戦争は悲惨であり、悲劇である。当たり前である。
しかし、戦争は捉え方が複雑になる。日本兵は国のために頑張れといって戦地に送り出され、家族は万歳という。その狂気があまり描かれた映画は観たことがない。ペリリュー島で、勝ち目のない戦争で死ぬまで戦うというのが幸せであり、男の本懐というのも狂気である。その狂気も全面に出た映画を観たことがない。
最後まで負けを認めないというのも狂気である。負けを認めるなら死んだほうがみんなから尊敬されるからそっちを選ぶという。しかし、そのみなから尊敬とはその人が勝手に思い込んでいるだけの都合のよい話である。皆がそんなふうに思っていたのは主体的にそう思っていたのであり、決して強制されたのではない。そう思わないとダサいと思っていたからそう思っていた。嫌なものは嫌、負けたものはすんなり認める、それこそが通常の精神であるが、戦争は勝つために狂うしかなかった。しかし、それは多くの人が主体的に狂いを選んでいたのであって、強制されたのではない。
被害者として見ることのできる兵士たちは、たしかに相当つらい思いをした、死んだ、餓死した。しかし、それは彼らが被害者だったからというのは短絡であって、そういう国の在り方を主体的に選び、狂い、ペリリュー島の侵略までした。つまり被害者として描かれる彼らは加害者でもあるのであって、パラオの人たちが真の被害者である。そこを見落とすと戦争は自分は悪くない、国が勝手にやったことという発想になる。そんなことは全くなく、皆が勇気を起こさず、死を選んでまで狂い殺し続けることを選んだ。本当の勇気は、負けを認め、悲惨なことをやめ、狂うことをやめ、平常に戻ることだったし、皆がそうするべきだったのにそれができなかったという狂いが被害者性として描かかれているが、被害者ではなく、加害者として狂い続けたかったのが多くの日本人だった。軍人さんは可哀想で済む話ではないのが戦争である。
こんな死に方はしたくない
タイトルのとおり、主人公たちの言葉が強烈に突き刺さる内容で、楽しめる娯楽映画ではもちろんない。見る前の予想を裏切らない、殺戮と死体の山と骸骨を見続ける覚悟で挑む映画。
鑑賞中は恐怖と緊張感がひたすら続く。たとえ穏やかなシーンであってもいつ場面が一転し殺し合いに転じるかどこまでも怖い。敗戦後の日本兵投降シーンについても無事であろうことをたとえ知ってはいても、その投降最中でさえ何か起きるのではないかと気が気でない。
考察をするというよりはひたすら戦地兵隊の恐怖を追体験し続けるといったストーリーとの受け止め。原作を読んではいないが構成としては見やすくてよかった。
ストーリー全体から読み取る私なりの解釈としては、こと戦争において、上官が腰抜けであることがまず何よりも救いになるということ。誰だって死にたくはない。生きる執着を持つ上官はどんなに情けないことを言っていても有難い。自分が助かるために部下にも死や特攻を強要しない逆の意味での頼もしさがある。特攻を厭わない勇ましい上官の下では、自分自身が生き延びるためには大きな障壁となる。ということを強く感じた。
兎に角、食って寝て逃げること。生き延びるにはそれが何より大切で、生き延びる覚悟を持つ上官こそが英雄であり、そのタイプの上官に付くことが生き延びたい自分にとってこの上ない幸運だと教えてくれる。
今の日本は勇ましい御人が増えてきている。国力で到底及ばないような大国相手に戦う前提で勇ましいことを言う政治家が増えている。私たち国民が生き延びるにはこれらの御人はやはり障壁になる人々だと暗澹たる思いにさせられる今日この頃だ。このような時代に同じ感覚を持つ原作漫画と映画の作り手、その映画を観に来る人々がいることを知るだけでも僅かな明るい光を届けてくれている気がする。
キャストについて、中村倫也の演技は素晴らしかった。まったく違和感がない。今後は声優の仕事もどんどん増やすべきだと思う。板垣李光人の演技は下手だったがキャラクターに同化していたため後半は気にならなくなっていた。上白石萌音の歌もとてもよかった。
最後にシアター内客層についてだけど、やはり席はかなり空いていて年配客が多い印象ではあった。が、若年層客も一定割合観に来ていた。これには予想外の驚きと少しの安堵感を覚えた。客層の情報は映画館でしか知り得ない得難い情報だと改めて感じた次第。
みんな“人”、そんな当たり前のこと
雨の後の湿気、土の匂い、洞窟の澱んだ空気、
腐敗の匂いまでもが感じられるようだった。
血の色に染まる海を見て、視覚的な恐怖だけでなく、血の匂いが漂ってきたような気がした。
瀕死のアメリカ兵が「ママ」と呼ぶ場面。
そして、ペリリューの人たちが島に帰ってくる場面。
あの描写によって、
悲劇の主人公は“こちら側”でも“あちら側”でもなく、
ただ、すべての“人”なのだと思い知らされる。
それぞれに大事な人がいて、帰りたい場所があって、夢がある。
そんな当たり前のことを。
主人公が任された“功績係”。
仲間の人となりや絆、背景を知っているのに、語る権利を奪われ、嘘を強要されるという役割はあまりにも辛い。
終始考えさせられたのは、「刷り込みや同調圧力ほど怖いものはない」ということ。
人格も感情も歪められ、命の重さや人の尊厳さえ、忘れたふりをさせられてしまう。
戦争の悲惨さと人間の尊さだけに留まらず、深く考えさせる作品だった。
noteではYouKhy名義でもう少し詳しく書いています。
全396件中、1~20件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。









