Black Box Diariesのレビュー・感想・評価
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刑事裁判が開かれない巨悪と対峙して
本作を観に行くにあたり、少し覚悟していた。「この国のことが本当に嫌になるかもしれない」と。
しかし、この映画を観て感じたのはそれよりも伊藤さんに寄り添い、伊藤さんの為に理不尽を怒る周囲の人たちの優しさだった。
常日頃この国が本当に嫌になるニュースにばかり接していて、これ以上嫌になりようがない極限値に達していたからかもしれない。
と同時に想起されたのは先ごろ地裁で無期懲役判決が言い渡された山上徹也被告のことだ。
伊藤さんも山上被告も、奇しくも安倍晋三首相を取り巻く人間や団体と対峙することになったが、大きな違いがあった。
伊藤さんには自分を支えてくれる周囲の人たちがいた。伊藤さんが自死するかもしれない夜には彼女を赤ん坊のように見守ってくれる友人が。山口敬之氏に反訴されるかもしれないと知った瞬間に「受けて立ちましょう」と即座に言ってくれる弁護士が。解雇の危険も顧みず証言してくれる警察官やホテルマンが。
しかし山上被告にはいなかった。だから伊藤さんが山口氏との裁判で最高裁勝訴を勝ち取り、支援者達と喜びを分かち合ったであろう次の日、山上被告は自作の銃を持って安倍晋三が遊説する奈良の駅前に向かうしかなかった。
伊藤さんは性暴力という違法に直面し、刑事裁判は開かれなかったが民事裁判で勝訴を勝ち取った。違法に対し合法手段で対峙した。山上被告は違法行為を重ねる統一教会に対し、大きな繋がりがある安倍を違法な暴力で殺害するしかなかった。
選挙で自民党が大勝し、首相総裁として喜ぶ安倍晋三をテレビ越しに見た夜、山上被告は日本中誰しもが安倍晋三とそれを支援する統一教会を是認しているように感じられ、自分や妹さんが世界から見放されているように感じられたのではないか。
本作にも同様に総選挙での自民党大勝報道を見て不安な表情をする伊藤氏が映る。
山口氏による性暴力を巡る状況はあまりにも根が深く解決は見えないし、伊藤さん本人が負った傷も簡単に癒えることはない。
だからこそ、伊藤さんにはジャーナリストとして経験したことをいつか今度は誰かに寄り添うことに活かして欲しい。
伊藤さんのような性暴力に遭う人を減らせるように、性暴力に遭ってしまった人がちゃんと加害者を告発できるように、もしくは第2、第3の山上被告やその一家が生まれないように。
法で立ち向かえないような巨悪を監視するジャーナリストになってほしい。
伊藤詩織を写した、ただの『日記』
「Black Box Diaries(以下BBD)」は、もともと『日記』です。
本作は『伊藤詩織を見せる映画』であり、それ以上でも以下でもありません。
社会を巻き込む議論などを期待できる映画ではありません。☆一つ。
ーーー以上。以下は暇がある人向けの蛇足です。ーーー
米国アカデミー賞にノミネートされたのは、単なるロビー活動の結果ではなく、撮影・編集・音楽のいずれもが高い水準にあるからです。面白いかどうかは別として、ドキュメンタリー映画を学んでいる人にとっては、海外ドキュメンタリーの文法を学べる良い教材になると思います。
個人的には、映画マニアや伊藤詩織マニア以外の方にとって、チケット代以上の価値があるとは考えていませんが、少なくとも「一見の価値もない」と言い切るほど酷い作品ではありません。「完成した作品」として評価するのであれば、「大変優れている」と言うことも可能です。
ただし、それはあくまで「出来上がった映画」としての話で、本作を制作するまでの経緯、そして公開後の展開については、とてもまともとは言いがたく、現在この映画を巡る議論の中心は、むしろそこにあります。
伊藤監督が上映後のトークでしばしば「私のことは忘れて映画を観てほしい」と語るのは、ある意味正しい姿勢で、この映画にまつわる、
・権力の腐敗
・司法の機能不全
・被写体の許諾の有無
・突撃取材の是非
・誓約を破って映像を使用した問題
といった論点は、本質的にはこの映画そのものとは、何の関係もありません。誰も彼もが「映画の外の話」で盛り上がっており、肝心の映画の内容について語られていないのが実情です。
もっとも、本作自体が、
「権力の腐敗は本当にあったのか」
「司法の機能不全とは何だったのか」
「突撃取材にどんな意味があったのか」
「裁判では何が争われ、どう判断されたのか」
「弁護士や、証言者はどのような役割を果たしたのか」
といった素朴な疑問に、ほとんど答えない構成になっている以上、現在SNS(主にX)で行われている“場外乱闘”的な議論に終始するのも、不自然ではありません。
BBDの問題点を言葉を選ばずに言うなら、この作品が「卑怯」なのは、一見すると、
「これは事実だ」
という態度を取りながら、批判が強まると、
「これはドキュメンタリー映画という作品であって、調査報道(ニュース)ではない」
と立場を切り替える点にあります。伊藤監督が日本上映後に語った「ジャーナリストとして映画を撮っていない」という発言にも、その姿勢は表れています。
これ以上続けると単なる「伊藤詩織批判」になってしまうため、無理やり映画の話に戻しますが、本作が「映画そのもの」よりも、その周辺について語られがちな作品であることは間違いありません。もっとも、現実と地続きのドキュメンタリー映画というジャンルである以上、それはある程度は避けられない宿命なのかもしれませんが……。
タイトルなし(ネタバレ)
2015年4月のある日、25歳の伊藤詩織(本作監督)は、大手放送局の上層部職員から性暴力を受ける。
ジャーナリスト志望の彼女は、今後の活動の相談のために彼に相談を持ち掛けたのだが、意図せず意識不明となり、気が付いたらホテルの一室、事は済んだ後だった。
伊藤は実名を公表した上で告発するも、相手が政治家と親密だったため、警察組織もなかなか動かない。
さらに、伊藤は世間からもバッシングを受けはじめる・・・
といった内容の、性被害者自身によるセルフドキュメンタリー。
とにかく酷いことが起こっていたとしか言いようがない。
権力を持つ者と持たざる者を隔てる高い壁、男性と女性を隔てる厚い壁。
それらが伊藤の周囲にそびえており、伊藤自身は怯えてもいた。
しかしながら、伊藤本人がジャーナリスト(当初は志望者だが)だったために、常にジャーナリストの鎧を着ることで、どうにか生き延びることができたように感じる。
ジャーナリストの鎧を着ることで自身を守り、彼女には鎧があったため、権力をもつ加害者側に立ち向かうことが出来た。
そう思った。
また、それ以外に痛感したことは、「権力とは。他者を傷つけても何とも思わない力」ということか。
わたしがもし「何でも出来る力」を有したとしても、他者を傷つけてしまうなら、その力は恐ろしくて使えないだろうとも思った。
イギリス・アメリカ・日本合作作品。
人生のすべてをかけて逆風へ向かう
ドキュメンタリー映画を観たのは、これが初めてかもしれない。
この作品は、良くない意味での問題によって事前にさまざまなニュースになっており、
以前から強い関心を持っていた。
また、この事件自体も当時大きく報じられていたため、
決して「救われる映画ではない」だろうと分かってはいたが、それでも観ることにした。
観て、正直に驚いた。
何に驚いたのかと言えば、この事件で責任を問われた相手が政治家でも官僚でもなく、
ジャーナリストだったという点である。
ジャーナリストといえば、本来は権力を監視する立場のはずだ。
その人物が、国家権力と呼ぶべきものかどうかは分からないにせよ、
権力構造の中で強い影響力を持ちうる存在だったという事実は、非常に衝撃的だった。
権力に近づき、その代弁者のような役割を果たすジャーナリストは、
結果としてその権力の庇護のもとに置かれ、
自らもまた“力を持つ側”になってしまうことがある。
その構造が、この映画では淡々と、しかし重要な証言を通して描かれていた。
出世の仕方や影響力の持ち方は様々あると思うが、
ジャーナリズムの世界で成功することで、
これほどまでに大きな力を持ちうるのか、という点には正直驚かされた。
同時に、もう一つ疑問が浮かんだ。
この出来事が表に出ないようにするために、
この人物はいったい何を差し出したのだろうか。
それとも、すでに築いてきた関係性という「対価」を使った結果だったのだろうか。
映画はそこまでを語らないが、だからこそ考えさせられた。
伊藤詩織さんという人は、非常に強い人なのだと思う。
その強さゆえに、自分に起こった出来事を、
怒りや苦しみといった負のエネルギーのままにせず、
前に進む力へと変換してきたのだろう。
それでも、このような事件がなければ、
まったく違う、もっと穏やかな人生があったはずだ。
一人の人生をここまで変えてしまった現実を思うと、
観ている間、ただただ胸が苦しくとても悲しかった。
闘いの記録でありながら、成長物語だった
昔から性被害を受けた女性に対して、派手な服装をしていたんじゃないか?、誘うような言動をしていたんじゃないか?、二人きりになる場所に行くのが悪いといった意見を述べる人がいる。今でも本当にいる。しかも女性にも多かったりする。自分の身は自分で守らないと!という強い思いがそんな発言につながっているのだが、それをあえて本人に伝えようとする気持ちがわからない。その行為がどれだけ被害者を傷つけるのか。本作でもそんな女性が登場する。ハニートラップ発言で笑っていた某女性議員も声で登場した(加工されていたようだが)。 女性の敵が女性ということもあるってことだ。
伊藤詩織さん闘いは当初孤独なものだった。最初の一歩を踏み出すのは相当な勇気が必要だっただろう。いや、続けていくことも同様に相当な勇気が必要だったはず。でも、徐々に仲間や支援してくれる人が増えて、伊藤さんは大きな存在になっていく。当然自分たちの運動に利用しようとする輩も出てくる。そんな人たちをうまくかわし、勇気をもらい、支援を要請する。本作は被害者の闘いの記録でありながら、彼女のジャーナリストとしての成長物語だった。だから、裁判の内容や過程があまり描かれていないのも仕方ない(そもそも裁判の内容を映画で触れていいのかさえもわからないし)。
被害の当事者が映画を監督することはとても難しいと思うが、微妙なバランス感覚で作り上げた感はある。もちろん加害者側の主張は全く異なるのだろう。ただ、法を犯していないとしても、間違ったことだったのは明らかだ。後半のドアマンの発言は本作の最大のクライマックスだった。素晴らしいシーンだった。女性だけでなく、男性でも本作を観て勇気を得る人がたくさんいると思う。そう願う。もちろん自分もその一人だ。
損なわれた魂の救済
いろいろ外野が喧しいのだが、ドキュメンタリーとして極めて吸引力の高い映像を構築されていることに感嘆する。
自分は結構ドキュメンタリーが好きで、原一男監督の水俣曼荼羅や大島監督やポレポレでかかる諸作品を観ているのだが、そういった作品群と比してもぐいぐいと惹きつけられ、あたかも「ゆきゆきて、神軍」を彷彿とさせる力がある。
またダイアリーズと銘打っているように、伊藤詩織監督本人が自身がスマホにセルフでモノローグするシーンも多数ある。カメラも同居する友人が撮ったものが多いらしく、御本人曰く(ロビーで伺いました)カメラを意識したことはほとんどないとのことである。
そして思考ツールとコミュニケーションツールとしての英語の力も実感した。海外の映画祭での実績はロンドンでのセーフハウス生活や英語での映像ダイアローグやモノローグの力が大きいと思う。
ただ映像素材が手元にあるものが中心で、以外の素材が電話越しの音声だったりで、”通常のドキュメンタリーであれば同行カメラマンなどがあえてカメラを意識させて撮る”ところが、そうではないわけで、セルフと取材対象者の境界との葛藤というものがあまり意識されていないこともみてとれる。
このあたりはセルフで伊藤監督自身がモノローグするシーンも相まって、あたかも観客が伊藤詩織さんに相談されているような気持ちになることも、この映画の求心力のひとつかもしれない。
この映画の特色はジャーナリストという肩書を名乗ろうとしはじめたトムソン・ロイターインターンの伊藤詩織氏が求職活動の過程で性被害を被り、これを公的に相手を罰するための活動への決意、なによりも損なわれた自身の魂の救済と回復の過程を示すドキュメンタリーであって、いわゆる社会派的性質はあるもののそこは実は本質ではないような気がした。そういう意味では、なんだか春樹的な物語性も勝手に汲み取ってしまった。
それにしても伊藤詩織氏が性被害自体がそもそも酷い上に、そこに抗う道を選んだことで受けた仕打ちまでもがあまりにも理不尽であることに尽きる。
救いは、彼女のプライベートな友人たちや家族が慈しんでくれていたことであったこと。
勇気ある告発の行方
最初に伊藤詩織さんの時間がニュースになった頃から、ずっと気になっていた。
BBCのドキュメンタリーになったと聞いて、見たかったなと思っていたら、映画がアカデミー賞にノミネートされた。
本のことは知らなかったけど、アカデミー賞以来、映画はずっと観たいと思っていたから、やっと公開されて良かった。地方では観ることはできないかと思っていたから全国で公開になって良かった。
伊藤詩織さん、力強い、意思の強い、勇気ある、人間としてすごい人だと思った。20代半ばからの、人間として若さという大切な時期を、こんなに長い時間をかけて、自分をさらけ出して、社会に訴えかけた人。
心折れそうになっても、ここまでやれたことは、本当に素晴らしいし、詩織さんには誰よりも、たくさん幸せになってほしいと思う!
私の近しい人は、彼女のことをハニートラップだと言い、酷い女だと言っている。そんな風に思う人もたくさんいるのが世の中。ただ、この映画を見たとしたら、もし、自分の娘が同じような事件に巻き込まれたら…?と、想像力を働かせてほしい。ハニートラップのようなズルいことを考える人は、こんなにも長い時間や精神を削って、まっすぐに世の中に訴えかけることはできないのでは?と思った。
そして、元・弁護士さんの詩織さんへの反論が問題になったり、タクシードライバーやドアマン、警察の人などの言葉を録音して、映画にしたことを、身勝手だとか、ワガママで酷い人だとネットで書いている人がいたけれど、詩織さんは本に書いたり映画にすることをとても悩んでいたし、連絡もして話し合ってたし、心を寄せていた。あれが演技には見えない。あんなに人生かけて、ずっと演技するなんてできないよ。
映画の中で印象的だったのは、彼女を支えてくれた家族や親しい方々がいてくれて良かったこと。あと、女性ジャーナリストやメディア関係の集まりで、みなさんの意見聞いたあとの、詩織さんの涙を流しながら「いつも裸で立っているような気持ちだけれど、今日はブランケットをたくさんかけてもらったような気持ち」と涙したシーン。仕事関係でセクハラを受けて来ても、声を上げることができなかった方々がたくさんいる。私自身も、若い頃の職場の軽いセクハラは日常茶飯事だった。何も言えなかった。
そして、ホテルのドアマンの方!
正義感ある人がいることに小さな希望の光!自分の名前を出しても良いと。詩織さんの苦しみに比べたら、自分の立場が悪くなるなんて、なんてことないと。性暴力加害者の処罰が軽すぎるから協力する!という言葉。電話を切った後の詩織さんの号泣。心に響くシーンだった。
彼女は海外生活も長く、マインドが典型的な日本人ではないところが、今回、ここまで日本の男性社会立ち向かえたのかもしれないと思った。
世間が批判している、胸元の開いたシャツのことや、ある映画祭のレッドカーペットでの踊りながらの登場など、どこがダメなの?と私は思う。でも、世間はいろんな人がいるよね。いろいろ言いたい人もいる。だから、みんな、人の言うことを気にして生きてはいけないと強く思う。
伊藤詩織さんが、美しい女性というのも、批判が集まる理由なんだと思う。映画の中の警察の担当のA氏、とても気持ち悪かった。個人的に夕方に会う約束をする、ジョークでも、養ってくれる?とか、結婚とか、気持ち悪かった。ため息が出た。オジサンあるあるだ。彼には下心があったと思う。別に彼女とどうにかなりたいとかではないにしても、美人と会ったり、話したりしたいのだ。最後の電話を切った時の、詩織さんの無の表情が印象的だった。
日本…、男性の下心、女性は頻繁に嫌な思いをしている。その気持ち、やはり女性じゃないとわからないと思う。
被害者は被害者らしく、暗くひっそりと生きていかなければいけないというような社会が改善されますように。
性被害の8割が訴えることができない社会が改善されますように。
30年前にBBCで日本が幼児ポルノ天国だ特集されていて、とても恥ずかしいことだと思ったけど、いまだに性犯罪に対しての法律は緩い日本…。
性犯罪に厳しい日本に、少しずつでも確実に変わっていきますように…。
今見るべき映画
非常に優れたドキュメンタリー。特に「正義の側だって無謬ではない」というのをきちんと示した点はよかった。とかく正義サイドは美化されるものである。が、現実はこの映画にあるように逡巡したり、時には足を引っ張ったりするものだ。それがきっちり映像として示されてる。
伊藤詩織氏についていた弁護士や支援者たちが怒ってるのは要するに「自分たちがかっこよく描かれてない」ということにつきる。許諾を取ってないというような批判は表向きに過ぎない。特に弁護士は自分が無能に見える瞬間が許せなかったんだろう。ああいうのがもし美化されて描かれていたら彼らは文句を言わなかったはず。
ついでに言うとドキュメンタリー作家たちが批判しているのもよくわからん。許諾が取れてない? おいおい、君らこれまでそんなもの取ってなかっただろ。特に想田和弘氏がごちゃごちゃ言うのは違和感しかない。この映画内での私的会話をそのまま映像として使うやり方って彼が「観察映画」としてやってる手法そのままだ。
劇中印象に残ったセリフを列挙する
捜査員A「今度、ラーメンを食べに行きましょう」
弁護士 「ホテルが止めに入るかもしれません」
裁判所前の女性「あ、あの強◯された人?」
山口敬之「彼女は傷ついたかもしれないが、私も同じだ」
ホテルのドアマン「名前を使ってもらって結構です」
勇気ある彼女の姿と、彼女を誹謗中傷する匿名のネット民の対比
本作がオスカーノミネートされたのを知ったのはほぼ1年前。いろいろあって日本公開は無理かと思ったが、やっと公開。当然劇場で鑑賞。
あの記者会見は覚えてる。
彼女に向けられた誹謗中傷も覚えている。
匿名のSNSだけでなく、「政治家」「有識者」と呼ばれる人々によるものまであった。
異常な光景だった。
あれ以降も、性暴力の報道は日々なされている。
芸能事務所社長、大物芸人、大物タレント、俳優、監督、自衛隊、といった大きな話題になったものから、ずっと扱いの小さい、企業、学校、スポーツチームにおけるものまで様々。
でも彼女ほど熾烈で下劣な誹謗中傷を受けた被害者はいないのではないか。
性暴力の報道を見る度にあの記者会見を思い出す。
そして被害者をよってたかって誹謗中傷し日本社会の後進性に、日本の司法のダメさ加減に絶望する。
それでも声を上げるしかない。
声を上げる人がいるから、世の中が良くなった。亀の歩みのようにゆっくりだが。
みんな忘れてるけど、100年前は女性に選挙権は無かった。
世界は変えられる。より良い世界に変えられる。そのために声を上げるしかない。
本作はその声だ。彼女の、そして声をあげられないサバイバーたちの心の叫びだ。
百聞は一見に如かず
鑑賞するかどうか迷ったが、やはり観てみなければ分からない事もあるだろうと鑑賞。結果観て良かった。メディアを通して感じていたこれまでの彼女の印象が変わった。
ご本人は本を出版した事と同じく、自分の事件を、自分という題材を客観的に伝えたいという思いからこのドキュメンタリーを撮ったのだと感じた。事件の事そしてそれを語り、訴えを起こすことで何が起こったのかを伝えたいという思い、ジャーナリストとしての意欲から。ふと自分自身の事を考え心が壊れそうに震えている瞬間が分かる。
ヨーロッパ、アメリカと多国で学びながら様々な経験をし学んだ彼女は、日本人の常識という枠にはまらない、そして真っ直ぐな人だったのだとわかる。言ってみれば、昭和的基準の考え方の世界でその古い基準に合わない若者がもがいている、という実態が垣間見える。純粋で幼かったという印象すら感じる。
希望の職場で働きたいという、就職活動としてのアクションがきっかけで事件にあってしまった。 学生が会社訪問で担当の人事に被害に遭うという事件を聞く、これと同じだ。その後彼女は信念を持って行動を起こした。
隠し撮りやこっそり録音など法的に問題と言われる行動も取ってはいて、それはまずいのでは…?と思うシーンもあったが「とにかく証拠がない」と訴えを却下され続けた彼女の防衛行動の一つなのだと理解出来る。判断がまずいとか揶揄出来るポイントはあり、彼女が社会人としてまだ未熟であるとは伺えるが、しかしそれは本筋ではない、彼女は戦っているのだ。加害者は逮捕寸前まで行ったが上層部の判断で取れ消されたという事実。
多くの人達が彼女を応援しサポートするために集まり、会社に止められても自分は証言すると、熱い言葉で涙を誘ったホテルマン。とにかく彼女を心配する家族。多くの人が共感し応援したいと思う事実はスクリーンの中にある。
彼女の行動が同様の被害に遭った経験がある人を勇気づけたのは間違いない。男性に襲われても仕方ない、そういう状況になった女性が悪い、そういうパラダイムが考え方としてあることは事実。だが法を犯してないとか犯罪ではないなどの言い訳の前に、襲った男性は人として間違っているという単純な事実。
一方でドキュメンタリー作品として批判されても仕方ないポイントがあることも事実。
そういう事の判断も含めて、多くの人にまず見てもらいたい作品だと言える。
詩織さんが綺麗で可憐で心を持っていかれた
伊藤詩織さん個人としての嘘のない作品
トークショー付き上映で鑑賞。
「ジャーナリストという客観的な立場だったから事件に向き合えた」と、作中で伊藤さんは語る。まさにそうだったんだろうなということが伝わってくる本作だったが、そうした中で時折(きっと伊藤氏も思いがけないタイミングで)、伊藤氏自身が当事者の立場にグイッと引き戻される瞬間があって、観ていて感情を揺さぶられた。
最高裁で敗訴した元国会議員杉○水○らの、おぞましい誹謗中傷は論外だとしても(音声だけは作中でも流れた)、映像使用の許諾問題などで、公開されてからも賛否が分かれている本作だが、気になっている方は、まずは観てみることをオススメしたい。
自分は、今作全体が、伊藤詩織さん個人としての嘘のない表現だったと感じたし、彼女の振る舞いに疑義を抱く部分は一つもなかった。
ジャーナリストやドキュメンタリー映画監督としての未熟さや過失を指摘する「批判」ではなく、いわゆる性被害を、売名行為の類として「揶揄」している方々は、本作を見終わっても感想は変わらないのだろうか。変わらないとしたら、是非その理由を聞いてみたい。
<ここからガッツリ内容に触れます>
・事前に、1月8日付の東京新聞オンラインの記事を読み、望月記者の懸念や西広弁護士の主張もなるほどと思った上で鑑賞した。
やはり、西広弁護士と思しき方の顔に修正が入っている画面での公開となっている現状は、単純に誰が悪いで結論づけられる問題ではなく、胸が傷んだ。
最高裁判決について、弁護士チームのみなさんと連携して勝ち取った価値ある勝訴だったことは、勝訴の紙を掲げる方の涙からも伝わってきた。
双方が納得できる方向で収束することを願ってやまない。
・確かに、許諾問題について、ジャーナリストとしてやドキュメンタリー映画監督という立場での過失はあったのかもしれないと思う。ただ、彼女が日々の記録として動画を回したりボイスメモを残したりしていたこと自体は不自然さなく理解でき、それを「生身の自分を曝け出す(作中では、裸で人前に出ている気持ちと言っていた)」ために、映像表現の中に取り込もうとするのは、表現者としては、むしろ必然だとも感じる。
映画公開に関わり、彼女にも問われるべき部分はあったかもしれないが、本当に問われるべき者たち、または得をした者たちは誰なのか。
その部分は、冷静に考えたい。
・彼女が、「ブランケットを幾重にもかけてもらったみたい」と言って涙する、女性ジャーナリストたちとのシーンに胸が詰まった。自分も、戦っている人に対して、素直にブランケットをかけられる人間でありたいと思った。
・彼女のありふれた幸せを望む父の言葉は、価値観云々を抜きにして、親の本心だよなぁと思う。
・国会の場面で、井出庸生の発言が取り上げられていて、地元民として、ちょっと誇らしかった。自民党の中にあっても、選択的夫婦別姓等にも前向きであるなど、信念を持った政治家であることは確か。
・立憲の柚木議員の追及が、ニヤニヤ顔の自民党の重鎮たちをバックに一蹴されてしまう場面や、ラスト間際のニュース映像の挿入など、作為的と考える人もいるかもしれないが、自分は肯定派。
安倍晋三元総理をモチーフにした山口氏の本の出版を控えたタイミングで、周囲の忖度があったのかどうか、これからも真実が明るみに出ることはないだろうが、そのBLACK BOXについて、堂々と実名で自分の考えを述べているのだから、何ら後ろ指を差されることはないはず。
=以下、トークショーからの備忘録=
・見返すと心が削られてしまう450時間に及ぶ映像を、編集の山崎エマさんが「私が10時間くらいに縮めるから、全部見なくていいからね」と言って、まずまとめてくれた。
・自分としては、自死を選ぼうとしたビデオメッセージなど、母に見せたくないと思ったものもあったが、山崎さんが、搬送先の病院で目が覚めた時の映像を見つけてくれて、「私、生きようとしていたんだ」ということに気付かされた。それとセットだったら映画に入れてもいいと思えてきて、第三者と一緒につくるよさと、逆にこれは私のことを描いた作品との思いも強くした。
(会場からの質問)※質問された方が、自分が聞きたかったことを見事にピンポイントで聞いてくださって感動したことを付け加えておく。
Q1.編集に山崎エマさんを起用した理由は?
A.ドキュメンタリー映画祭で知り合った。英語でコミュニケーションを取るシーンも多いので、バイリンガルの方にお願いしたいと思っていた。
Q2.性被害の当事者であると同時に、ジャーナリストでもあり、監督でもあるという3つにまたがる立ち位置で、今作の公開に際して、現在も様々な声が聞こえている部分があると思う。その危うさについて、ご自身はどう折り合いをつけてこられたのか。
A.危うさはあると思っているし、葛藤もあった。
ただ、コロンビア大学でのジャーナリズムに関わるディスカッションに参加した折に、例えばガザなど、物理的に中に入れないようなところでは、パーソナルな発信が大切なニュースになるということに改めて気づかせてもらい、覚悟ができた。なので、冒頭で、これは私の物語ですと宣言をしてダイアリーズと名前をつけた。
昔からのドキュメンタリーという範疇では認められない部分もあるかもしれないが、一般的なドキュメンタリーといっても、カメラが入った瞬間に、ドキュメンタリーとは言えない状況になってしまうこともある。ドキュメンタリーにするなら、加害者側への客観的な取材も入れ込まなくては…と最初は構えていたが、パーソナルな記録の積み重ねの方向に踏み切った。
#MeToo
観るべき作品
皆に見て欲しい!
関係者、弁護士などに許可を取っていない事が挙げられています。また弁護士も弁護を降りた話も聞いています。それでも、伊藤詩織さんは山口氏はじめ公権力、日本社会の空気、見えない誰かと闘わねばなりませんでした。
本が発売されて、即購入。また彼女の講演会にも参加しました。健気でウソを言う方には到底思えません。
映画作製では、本人無許可のモノが使われましたが、そこまで伊藤さんに求めるのも酷な気がします。彼女は孤独な被害者でした。山口氏は逮捕寸前で取り止めの指示が組織の上層部から来ました。
恐らく、了解を取れないものが1ケでも出ると作品としての信憑性に関わる為、覚悟の上見切り発車したのかと想像しています。
ホテルのドアマン「実名で・・」証言する意志、またホテルからどんな仕打ちをされても覚悟がある誠意の言葉!
伊藤詩織さんにつられて、私も泣きそうになりました。
この映画は皆に見て欲しい!
最後に
やっと全国5~6映画館が上映し始めました。全国の映画館も続いて欲しい! 皆で盛り上げましょう。
伊藤詩織ショー
もう少し裁判の中身(それこそが私にとってのBLACKBOX)が詳細に語られると思っていたが、被害者女性のセルフポートレートのような作品に仕上がっていてちょっと期待外れであった。彼女の喜怒哀楽が赤羅様すぎて、性被害を失くすという、この映画の主題が呆けてしまってる気がしました。
ただ山口氏は本件のような手口で、きっと、何件も、何十件も犯行を重ねていたに違いない。伊藤詩織さんの次に第2の被害者が名乗り出てきてこそ、本当にこの映画を製作した意味があったと言えるのではないか?作品の出来不出来は置いといて、これをかけてくれる劇場をもっと増やさないといけないなと強く感じた。
こういうときのミニシアターじゃないのでしょうか?
シネマリンさんジャックアンドベティさん、出番ですよ〜ぉ。
ああいう
物議を醸している、山口某による性暴力被害者である伊藤詩織氏自身によるドキュメンタリー。
この作品に対してなにやら難癖を付けている人たちがいるようだが、ちょうど昨日観た「ワーキングマン」でのステイサムの言葉を贈る。
「貴様、娘はいるのか?いない?ではお前には分からん。」
これはクソ野郎に人生を壊された女性がそれを取り戻そうとする闘いの記録だ。ステイサムなら全員ぶち殺すところだ。こまごま配慮しろとか知ったことか、で良いと思う。
「ボウリング・フォー・コロンバイン」や「ゆきゆきて、神軍」を観たことがないのかと。
本作で、性暴力は人格の破壊だということもよく分かるし、そこからなんとかして抜け出そうとする苦闘の記録だというのは観れば分かる。他人の人生を破壊して平気な輩は地獄に堕ちれば良い。
薬であれ、酒であれ、あんな風にまともに歩けなくなっている年下の女性と同席した際にまともな男がやることは保護することであって、性行為に及ぶことではない。
「男はオオカミなのよ」じゃねぇよ、俺は違う、という男性も多いのでは?男がオオカミなんじゃなくて、あいつらがケダモノなだけだよ。一緒にすんな。
本作に登場する中では、途中から証言を買って出るホテルのドアマンが正しい。圧倒的に正しい。
私もああいう男でありたいと思う。
全62件中、1~20件目を表示
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