コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第120回
2026年1月22日更新

第120回:クイーンダム 誕生
映画の冒頭は、大きく広がる雪の山並み。そして眼下に広がる、恐ろしく殺風景な街の風景から始まる。ただ四角く凡庸なだけの灰色のビルが立ち並び、まさに20世紀の社会主義的様式の建物群だ。ここはオホーツク海に面するロシアの都市マガダン。太平洋戦争終戦後、日本兵のシベリア抑留で拠点となったことで現代史に名前を残している。また粛清の嵐が吹き荒れたスターリン時代に、強制収容所があったことでも知られている。ロシアの黒歴史を象徴するかのように、冒頭に描かれるマガダンは冷酷なまでに寒々しい。

(C)2023 GALDANOVA FILM, LLC ALL RIGHTS RESERVED
カメラは切り替わり、社会主義様式のかなり老朽化したビルの入口を映す。そしてドアが開き、異形の人物が突然出てくる。ここからいきなり、ノックアウトされた。真っ白なコートに白いタイツ、白塗りの顔に見事なスキンヘッド。高いピンヒールで雪に足を取られながら、真っ白な平原の中へと歩み入る。その先に広がるのは、氷原のような果てしない海だ。
本作で描かれているのは21歳のロシア人ジェナ・マービン。男性として生まれたが、幼いころから自分をクイア(既存の性のカテゴリに当てはまらない人)と自認してきたという。しかしロシアでは性的マイノリティは抑圧され、活動も禁止されている。シベリアの辺境の都市では差別も凄まじく、つねに暴力にさらされている。家族からの理解もない。

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その抑圧を昇華して、美しい身体のアートをジェナ・マービンは作りだしている。殺伐とした極北の風景のなかを、全身をテープや樹脂、ゴムなどで覆って、苦しみを背負うようにして踊り、動く。その姿は今まで一度も触れたことのないような鮮烈さで、息を止めて見てしまうほどに美しい。どこか遠く離れた惑星系に棲む知的生物を、精巧な望遠鏡を介して覗き込んでいるようでもある。

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本作はロシアの突然のウクライナ侵攻という歴史的な事件を挟んで、時系列で進んでいく。舞台はオホーツクのマガダンからモスクワへと移り、そしてパリへ。それぞれの街で、それぞれの身体的なパフォーマンスでジェナ・マービンは無言で街を歩く。それはストリートにおけるアート表現なのだが、しかしいつも何かに追われ、何かに絶望しているように見える。その後ろ姿の切なさに、観ているわれわれはハッとさせられるのだ。
希望は絶望の先にこそある、とかつて語った哲学者がいた。ジェナ・マービンの絶望の先には、いったい何が見えているのだろうか。
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■「クイーンダム 誕生」
(C)2023 GALDANOVA FILM, LLC ALL RIGHTS RESERVED
2023年/フランス=アメリカ合作
監督:アグニア・ガルダノバ
1月30日からシネマート新宿、ヒューマントラストシネマ渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
筆者紹介
佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao









