バービーのレビュー・感想・評価
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こんなに長時間ピンクをみたの初めて
マーゴット・ロビーとライアン・ゴズリングだから出来るバービー&ケン。
バービー人形からこのストーリー生まれてくるってすごいな。(アタシが持ってたのはリカちゃんだけどね)
ガーヴィグ監督がバービー?って、ずっと思ってたけどしっかりガーヴィグ節でした。脚本がパートナーのバームバックと共同も納得。
前半は「トゥルーマン・ショー」やウェス・アンダーソンみたいな展開なの??と思いきや、後半しっかりギアチェンジしてきたところがさすが。
先日観た「アメリカン・ビューティー」でも感じたことだけど、私の「幸せ」ってホントに私が求めてる「幸せ」なのかな。他の誰かが大量に垂れ流してる「幸せポルノ」に染められちゃってるのかなとピンクが少し曇ってみえるシーンもあった。
男だから、女だから、平等なんだからとかじゃなくて一人ひとりがその人らしい自分らしさを愛せる世界線になったらいいなってグレタ&ノアのIメッセージ(Weメッセージ?)
は力強かった。
難を言うなら、お二人の作品あるあるで後半のセリフ量がかなり多いのでメタバービーのキラキラ✨を求めて観たら消化不良おこすかも。
〈私〉至上主義ではバービーの鬱は治らない
本作をみてジェンダー不平等の現実を感知して、エンパワーメントされた経験は何にも代え難い。これほど多くの人々に観賞された事実も大きな意義があると思う。
しかし本作をみて、現代の問題が的確に描写されて、万事解決とされるならそれは困る。少なくとも私は本作をフェミニズム映画とは言えない。そうしてしまったらアニエス・ヴァルダやケリー・ライカートの仕事を、そして今も闘っている人々を無視することになってしまうから。
「バービーが女性の地位を向上させた」
私はバービーランドをオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』のようにすばらしいディストピア世界とみたから、上述のセリフも大いなる皮肉だと思っている。もちろんそうであって、女性の地位を向上させたのはバービーといった「人形」ではなく、現実に闘った「人」である。
フェミニズムの「運動」が洗われている。バービーランドでは定型のバービーと同等にアフリカン系やアジア系、肥満体型や車いすのバービーが存在している。もちろん彼女らが同等に存在していることはすばらしいことだ。しかし浅はかな多様性とも思ってしまう。まさか自明に存在していたとでも言うのだろうか。バービーを産み出したマテル社の企業努力とも?そして彼女らの間には同じ「女性」だから何も問題がないとでも?
そんなわけがない。定型以外のバービーが存在できるようになったのは、アフリカン系のフェミニストの運動の成果だし、障害者運動やボディー・ポジティブの運動も起こったからだ。そして現在は同じ「女性」でも人種や階級、宗教、世代、障害などの差異の尊重と連帯が問題になっている。それは「インターセクショナリティ」という概念で記述され、今なお議論されていることである。
もうひとつバービーランドがディストピア世界と思うことがある。
それはケンが現実世界でホモ・ソーシャルを学び、「Kengdam」という王国をつくるが、バービーらが闘って元の世界を取り戻したとき、ケンのアイデンティティーを回復するためにバービーが放つ言葉である。
「ケンはケン」「自分でいることが幸せ」
〈私〉は〈私〉であって、〈私〉であることは幸せ。グロテクスだと思う。〈私〉であることの根拠が〈私〉でしかないことに。この自己参照。関係するのは〈私〉だけ。それは男といった他者や母といった役割、仕事によるアイデンティティー獲得からの解放にも思えるが、とても残酷だ。〈私〉を構成するのは何なの?もし〈私〉に何もなければ、または根拠を摩耗したら何を参照することになるの?
バービーの鬱は治らない。バービーランドを取り戻したとしても、この「〈私〉至上主義」からは解放されない。むしろその果てで〈私〉が死ぬ。バービーのプライベート空間であるハウスは、別のバービーに開かれていてー悪く言えば相互監視だー、バービーである〈私〉とバービーである〈あなた〉の境界はなくなる。みんな名前がバービーなのだから。
〈私〉はバービーであって、〈あなた〉もバービーである。〈私〉であることは〈あなた〉であることであって、それは幸せ。
私は気が狂うと思う。
気を狂わせないためには「ダブルシンク」をしなくてはいけない。グロリアのスピーチで語られた現在の女性の状況のように。ジョージ・オーウェルの『1984年』のように。でも「ダブルシンク」は鬱を治さない。
スピーチ=言論が洗脳を解くためには重要だ。けれどもうケンとの闘い方で「バカなふり」とかやめてほしい。いつの時代の誰のフェミニズムの闘い方ですか。そしてバービーが仕事でアイデンティティーを獲得するふりをして、産婦人科に行く結末も。もっと闘いは切実だ。それこそ法の逸脱が必要だし、死と触れあっている。だからケンたちの「ごっこ遊び」の闘いで終わらせてはいけないんです。
私たちはバービーランドをみて、ジェンダー不平等の現況を感知しなくてはいけない。と同時にバービーランドではない別の仕方の世界を創造/想像しなくてはいけない。その「ダブルシンク」が求められている。そしてそれを現実に反映させる運動が。そこまでの射程があるなら本作はアカデミー賞の作品賞に相応しいし、グレタ・ガーウィグが監督賞にノミネートされていないことは抗議してしかるべきだ。
ただ私はそもそもファーストシーンで人形を宙に投げることからアヴァンクレジットに繋げる仕方があまりにもダサいと思っているから、複雑な心境にいる。
ジェンダー平等と自己認識
U-NEXTで鑑賞。
バービーは日本で言うリカちゃんのイメージが強いですが、ジェンダー平等などのテーマで描かれていて奥深かったです。
ピンク一色のセットは派手で、可愛さ溢れる人形の街並みを実写で再現した光景には驚きました(その影響で、ピンクの塗料が品薄になったとか)。
人形をただ実写化しただけでなく、現実社会についても描かれていたのが好印象でした。男女ともに社会で活躍する機会を与えられる必要性や、自分が何者なのかを考えて生きる大切さが伝わってきました。
最近のアメリカでは、女性の社会進出が騒がれたり、自分軸を持つ人が増えているように感じます。日本でも実践されている部分はありますが、格差などの問題は未だに解決しておらず、課題は山積みです。そのため、自分らしく生きることが今後重要になってくるのではないかと考えました。
私も自分がどうしたいのかを意識しながら、少しずつ自信を持って生きようと思える作品になっていました。
アホになれれば楽しいはずが、フェミニズム要素で我に返る
マテル社公認映画でありながらいわば自虐的描写てんこ盛りなのはさすがハリウッド映画。廃盤バービーへのツッコミや男だらけの役員メンバー、一人ずつ壁で囲われて閉鎖的なオフィス空間。
なんだかゆるーく行き来できてしまう、現実世界とバービーランド。陽キャが過ぎてどこかシュールなバービーランドの住人たち。この辺はB級すれすれのノリというか、根底に流れるフェミニズム的テーマがなければ完全にB級と言ってしまいたい雰囲気だ。
世界のピンク塗料を枯渇させた、ガーリーにむせかえるようなバービーランドのセットはなかなかの見応え。バービースタイルでないと着こなせないようなファッションを次々びしっと決めてみせるマーゴット・ロビーはさすがの美しさ。ある意味狂気じみたケンというキャラを徹底的にやり切るライアン・ゴズリングも見どころだ。
こういうノリの映画は深く考えずに見られればアホになれて楽しいのだが、これだけフェミニズム色が濃いと、あれこれ考えてしまわざるを得ない。
(この辺さまざまな見方があるかとは思いますが、私個人が素直に感じたことです)
まず感じたのは、バービーランドにおけるケンたち男性の立ち位置は、現実世界における(少し古い時代の)女性の立ち位置をそっくり表象しているということだ。バービーに比べるとはるかに個性に欠け(ると見做され)、バービーランドという社会においてはバービーの付属物としか見られず、軽視される存在。
物語の中で、人間の世界に行って男性が活躍する姿を見たケンは、バービーランドに人間界の男性観(マチズモ限定)を持ち込む。そしてバービーランドの憲法を変えようとするが、バービーに煽られ男性同士の対立にかまけているうち憲法改正を阻止される。憲法改正は出来なかったが、バービーの「ケンはケン」と個性を認めるかのような言葉に満足する。さらにバービーは「ケンたちもそのうち力をつけるでしょう」(だっけ?)みたいなことを言い放つ……
それでいいのか?
フェミニズムは男女同権主義に立脚するはずだが、バービーはケンたちと共同で新たな憲法を制定したりはしない。彼らを(バービーランドの)法的には元の社会的に劣後した立場に戻し、バービーがケンに個人的ガス抜きをしただけで解決扱い。
これが男女逆ならば炎上案件になりそうだ。
純粋にバービーランドの中のケンだけを見れば、生まれながらに女尊男卑の世界の弱者なのに、本作のケンに対する扱いは、現実の男性優位社会へのカウンターになっている。
そもそもバービーの世界観の起源自体が、女児向けの玩具という性質上女性優位なので、男性の存在が空気にならざるを得ないという側面はある。男の人形に凝ってみたところでマジョリティには売れないということなのかもしれない。
だとしても、目覚めたケンの描写が現実世界の男性への偏見に満ちている様子には少々うんざりした。私自身はそういうことに人一倍神経質というわけではないつもりだが、多様性を押し付け……もとい標榜するポリコレの聖地アメリカの作品が、特定の属性(男性)を「現実界の男といえばマチズモ、馬、『ゴッド・ファーザー』を語りたがる」などと一括りにする、そのダブルバインドぶりにちょっと白けたのだ。
今の時代に女性の主体性や多様性を描くのに、そうやって他の属性を雑にまとめて貶める必要があるのだろうか。
終盤でグロリアが羅列する”女性を縛る不自由さ”の内容に、女性特有の問題ではなさそうなものが混じっていたり、頭脳労働的な職業とウェイティングスタッフのような職業の扱いに軽重が見られたりと、ケンの扱いで首を傾げたことをきっかけに他の重箱の隅も気になり出してしまった。
頭バービーなノリと、嫌でも目に入る定型のフェミニズム的メッセージのギャップを行き来して、思った以上に脳みそが忙しくなる映画だった。
パロディーなのでお気楽に
のっけから、かの有名な名作映画のパロディーからスタート。そして赤ん坊の人形を叩き壊すシーンからして、ああ、この映画見て怒っちゃ負けなんだな、と思いました。みんな、「2001年宇宙の旅」は知っているのでしょうか。
性差別とか男社会に女性軽視の問題とか、よくある議題の真面目なテーマが紛糾しそうですが、ありがちな話だと聞き流して、まっピンク色のビジュアルを素直に楽しむ、ポップコーン映画として見れば良いかと思います。そもそも人形遊びなんてしたこと無いし、リカちゃんならともかく、バービー人形なんてしらないけど、お祭り騒ぎの映像を気楽に楽しむだけなら、バラエティーな映画として十分役割を果たしているかと。
でもわずかに見せるリアルな美しさを魅せるシーンもあって、そこまでふざけた映画でもなかったと思います。バービー創始者を登場させるところは流石。
でも、スタッフロールに入る前の本物のバービー人形達はちょっとしたホラー。最初に魅せられなくて良かったw 音楽とか、スタッフロールのピンクのフォントも素敵ですね。やっぱり最後まで席を立たずに見てしまった。
みんな違ってそれでいい、の裏と表。
監督としてのグレタ・ガーウィグがこれだけのバジェットの大作映画の準備が整っていたかは、正直微妙だったかもと思う。美術や衣装のクオリティに比べて映像が充分にハネてないように感じてしまったからだ。作品から感じた面白みは、映像よりもコンセプトだったり多層に織り込まれた皮肉やユーモア混じりの問題提起だったりのほうが勝っていて、終盤になるほどセリフに頼りすぎではないかとも思う。
しかし間違いなく刺激的で、いろいろ考えさせられる作品ではあり、しかもこの映画について語られている言説がぞれぞれ微妙にベクトルが違っていて、観る側の価値観や先入観をあぶり出すような仕掛けになっている。この映画のどこに感じ入ったり、ひっかかったり、わがことのように感じたりするのか、結局は自分と向き合うハメになるのは、劇中のバービーやケンともシンクロする。
素晴らしいと思ったのは、クソバカ集団であるケンたちの代表としてライアン・ゴズリングとシム・リウが対決するバカげたミュージカルシーンで、戦ってるうちに通じ合ってしまうまでがわずか一曲の中で表現されていたこと。あの場面が古典ミュージカル『オクラホマ!』の「ドリームバレエ」の引用であることはグレタ・ガーウィグも明かしているが、「ドリームバレエ」のシーンは心の迷いからひとりの人間のアイデンティティが分裂する様を描いていて、いわばこの映画のケンたちも同じアイデンティティから生まれたバリエーションにすぎないと言える。
それはバービーたちも一緒で、マーゴット・ロビーの定番バービーだけが、バリエーションのひとつであることを捨てて有限の命を持つ人間になろうと決意する。正直、人間ってそんなにいいものか?と思ってしまうし、誰もが違っていてそれでいいというメッセージ性に100%ポジティブに共鳴できるわけでもないのだが、人生の次の段階に進むためにアイデンティティの根底から揺らぐような変化を受け入れなくてはならない局面が訪れるというのは心底その通りだと思うし、この映画の表向きの明るさとは裏腹に、選択には常に伴う辛さと哀しみを作品から感じられたことが自分にとっての一番の魅力だった。
同じように感じた人がどれだけいるかも知らないし、それが自分ひとりだったところで構わない。そういうことを伝えている映画でもあると思っている。
美術の素晴らしさ
プロダクションデザインが素晴らしい。この分野ではオスカーの有力候補だろう。キッチュでリアリティを追求せず、ドールの世界を具現化してみせ、そこに生身の役者がいても違和感のないバランス感とピンクを基調にしたカラーリングをケバケバしさを感じさせずに再現。レトロなポップ感が抜群に心地よさを感じさせる。芝居のあり方もあえて戯画的で、オーバーアクティブなものにしているのも良い。リアルなだけが良い芝居ではない、こういう方向性の面白い芝居もアメリカ映画でもどんどん追求してほしい。
スタンダードモデルゆえに特定の職業やアイデンティティを持たない主人公のバービーと、そんなバービーの彼氏というポジションでおまけ的に生まれたがゆえに、やはりアイデンティティを持たないケンの2人(2体)がフェミニズムや有害な男性性の体験を経て、自分らしさを獲得しようと試みる。現実社会のマテル社は男性経営者の支配だと本作は描かれている。事実かどうかは知らないが、その体制は特に破壊されない。資本主義とフェミニズムの関わりにはある種の課題があると本作は示唆している。
なぜ多様性やポリコレなのか
面白おかしく、でも真面目にアイデンティティーについて語っている物語。
圧倒的に女性社会のバービーランドと、そこで生きる脇役の男性たちの苦悩が、そのまま現実社会の女性差別をひっくり返したような構図になっていて、反対側からの視点が見られるというのはありそうで無かった面白いシナリオだと思う。
グレタ・ガーウィグ監督は前作レディバードでも思ったけど、社会のあるあるネタを絶妙な馬鹿馬鹿しさで軽妙に画面内に収めてくるのが上手いと思う。
この映画は男性らしさや女性らしさに囚われることで、人が本来持っているオリジナルな個性を抑圧してしまう不幸に目を向けさせてくれる、それもわざとらしくなく自然に。
政治的に過激な右派・左派などの人たちによって本来の文脈を失った状態で言及されがちな”多様性”や”ポリコレ”などの概念がなぜ社会の進歩に必要なのか(劇中でも面白ネタにされてる)。
それは人間は同じ見た目、同じ性格の人など皆無でそもそも多様性の塊のような生き物だからだ。
人が本来自然に持ってる多様性を暗に否定するような構造が社会的に固定化されてしまっている結果、結局知らず知らずのうちに誰かにしわ寄せがいってしまっているのだ、ケンたちのように…。
これは決してフェミニズムではなく、人類共通の映画だ。
思ってたより深いテーマなのね
めちゃくちゃ笑ったうえに、最後感動している
ビリーアイリッシュのエンドロールで全ての理解を昇華しました。
もっと評価されるべきだったと、不憫で仕方ない。素晴らしいセットと美術、演者も全員、意図を理解し、適宜適当な配役をされていて気持ちよく、何より、私は女のための女の映画を逃げないで作りきったことに、本当に感動してしまった。
それは私がもう女を大体やり終わったから思えたことかもしれないんだけど。
侮ってみた人が、重いな…って思いながらも何かしらは感じて欲しい作品だったと思うんだけど、日本だとパッケージやマーケティングでうまく伸びなかったんだろうな…ただアメリカ人もこれをちゃんと受け取れたんだろうか…と思ったりもするけど。ただのBarbieが出てくる話ではなく、しっかり言いたいことがあって、でも笑えてっていう最高エンタメだった思う!英語で観てしまったから、日本語でみたらまた見え方違うかな…私はとても好きでした!
バービーで遊んだ人と遊んでない人?
ピンクの世界観が可愛い〜!と思って見たけれど、、
あ、私バービーで遊んでない。
これはバービーを知らないとわからない世界だった。。
どっちかというとリカちゃんで、リカちゃんでも家族構成とかわかってないくらい人形遊びしたことなかった。。
家父長制への疑問とか、女性の自立みたいなものがテーマなんだとはわかったけど、まだちょっとアメリカンなのか、イマイチ入り込めず、、最初たのしみにしていたピンクだらけの世界観もどこか自分には中途半端で、、ああ、これまず、文化の違いがあるなと思った作品でした。
日本人には日本人の映画バービーがあっても良さそう。
そこはやっぱりリカちゃんなのかな?
違うな。やっぱり文化が違うのかもしれない。
子供が見るには難しく、大人が見るには退屈
バービー世界かわいい
社会問題を羅列し、コラージュしただけで結局なんも提起してないところに温度差を感じた。
ライセンス的に欠陥のあるバービーとか、尖りすぎたユニーク(唯一)な個体は描けなかったからこんなにふんわりしてるの?
マーゴット・ロビーは本物のバービーみたいで美しいし、
ライアン・ゴズリングの筋肉は凄い。
タイトルなし(ネタバレ)
バービードールの世界を実写で再現というだけでも危険なのに、ヘタに男女差別の社会性を盛り込んじゃうのは失敗確定演出としか思えない。結果、極端な女社会vs男社会の対比とマーゴットロビーの大袈裟演技で予想通り撃沈。所々にバービー歴代衣装をMV風にカットインする演出がまたC級感を加速させている。『バービーは何者にもなれる存在』という創業者の想いオチも虚しく、近年まれに見るドタバタ映画として、マテル社の栄光の歴史に刻まれてしまったと思われる。バービー世界をアニメ、人間社会を実写にして魔法かけみたいなファンタジーにできなかったのかな~~残念無念。
アメリカの友達イチオシ
アメリカの友達イチオシ作品。アメリカで大ブームなのに、日本であまりウケなかったらしい。ノリが合う人と合わない人はいるかも。個人的にもっと尖っている方が好み。もっと振り切れてほしかった。全体的に明るく楽しいバービーワールド全開映画ですが、共感できる部分があって途中でホロリときました。挿入歌がとても良くてこの映画のあとずっとニッキー・ミナージュ聞いてます。
ピンクの世界
アメリカの国民的アイコンであろうバービー。
そのバービーの世界を使って、ジェンダーとは、アイデンティティとは何かを描いた映画。
バービーのような主人公のみが優遇されるのではなく、ケンやアレンその他名もない人誰もが輝ける国にしよう、と胸がすっきりとした終わり方。多様性の今の時代だから共感されるテーマであった。
ギラギラしたケン、アジア系ケン、へんてこバービー、妊婦や弁護士のバービーなど登場人物がシュールすぎる。カラフルでポップな世界観がいかにもアメリカ。
マーゴット・ロビーの魅力だけ
ピンクでカラフルなバービーの世界の再現が完璧でした。
私はバービーじゃなくてリカちゃんだったけど、いろんなドレスや作り物の食べ物や水の出ないシャワーのお家、あの世界で楽しく遊んだ事を思い出して、あの世界を観てるだけでワクワクしました。
毎日ハッピーなバービーの世界が崩れ、ケンと一緒に元に戻すために人間界へ。
人間界ではバービーは傷付く事だらけ、かたやケンは男社会に目覚めていく、そのシーンのケンの行動には何回も笑えました。
でも私が楽しめたのはここまで。
そこからラストへの展開が「うーん」でした。
ケンと対立するとかマテル社の社長との絡みとか別になくても良かったような。
「自分らしく生きる」、男女平等というメッセージは伝わりましたが、そういうメッセージ性のある作品ならこの作品じゃなくて良かったし。
マーゴット・ロビーはバービーのようにとっても美しくて、私にはマーゴット・ロビーの魅力を堪能するだけの作品でした。
anti-promotion
女性なら共感だらけ
観る前からフェミ路線と知ってはいたので、そこまで抵抗なく観られた。ケンがくそださファションに身を包むのも笑えたくらい。
ルッキズムやら性差別のあれこれ、潤滑になるよう女性たちが配慮していることにほぼ気の付いてないメンズたち。
現実世界だってイラつくわけだけれど、アメリカでもそうなんだなと妙な親近感を覚えた。
とはいえ女性男性どちらかが正しいってオチではなく、歩み寄って妥協点を探るのにはホッとする展開。
女子が夢の世界から出ると婦人科検診なのか~生々しいな。自分のボディに自分で責任と意志を持つということなんだろうな。
女性への新しいテーマ
この映画はとても新しく深い。一回見ただけでは、わからないかもしれない。
マーゴットがあまりにも美しく、アイドル映画だろうと思って見てはいけない。(マーゴットは当時30歳ぐらいだろうが、パーティーで踊る髪の毛ゴージャスなバービーは本当に綺麗で目を奪われる。)
バービーの頭をきのこ雲にするという不埒な宣伝をしなければ、もっとこの映画は良い映画だと認識されたであろうに、宣伝会社があまりにも愚かだった。
映画の冒頭、赤ちゃん人形で遊ぶ女の子達が、突如めざめて、遊んでいた人形の両足をつかみ、頭から粉々に割るというシーンは衝撃的だ。それほど、【女を家事育児要員にするな】という意思の表れなのだろうが、女が敵意をもって子供人形をぶっこわす、ってことをどう捉えるか。赤ちゃん人形の代わりに出てきたのがバービー人形だ。バービー人形は職業をもち、白人だけではなく黒人もおりアメリカで誰もが自分を投影できた。権威の象徴の大統領にもなれ、最高裁判所判事にもなれる女性の夢だ。
しかし、中盤、その何にでも素敵なものになれるというDreamが、現代の高校生女子には、逆にプレッシャーを与え、ストレスにもなっていることが明かされる。
そして、バービー自体も【死】を意識した時、人間の女性はどうしたらいいのか、問われることになるのだ。死ぬということは、どうやって生きるかになり、もちろん、時間が決められているからだ。いつまでもパーティー三昧で終わっていいのか、女が優位になることが誇れる最終目的なのか、それに子供をもつかもたないか。
最後に人間になったバービーが、婦人科にいって自分の女性としての機能を見てもらうことで終わる。それまではケンもバービーもお股のところはツルツルで何もなく人間どころか、本当は男でも女でもなかったわけだ。再度、女性は女としてどう人生を終えるかを問われている。人形だったバービーが、自分の内臓を初めて見た時、生殖器をみたとき、きっとそれを使って子供を産んでみたいという衝動に、私は、かられるとおもう。
この映画は、キャリアをもち独身で死ぬも良しだが、自分の人生だけで終わる人が増えた事への疑問なのであろうか?
「ただの人でもいい、お母さんになってもいい、ならなくてもいい」、と登場人物のヒスパニック系のママが言うのは、キャリア系バービー人形からの揺り戻しも垣間見える。
実際、自分の時代にはバービーもあったが【りかちゃん人形】を選んだ。自分の頭の中で何にでもなれるのは、もちろん、りかちゃんだったからだ。なんか、女性の権利のために、最近は【ままごと】さえ女性差別とされ、出来なくなっていることを憂慮する。
最後のビリー・アイリッシュの歌も素晴らしい。what was I made for?が心にひびく。
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