僕はイエス様が嫌いのレビュー・感想・評価
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何故が多い謎だらけの世界を少年と共鳴する
奥山大史監督が少年時代の自分の体験をもとにして、22歳の頃に大学の卒業制作として監督・脚本・撮影・編集した作品。スペインのサンセバスチャン国際映画祭史上最年少で最優秀新人監督賞を受賞した(Wikipediaによる)。
プロテスタント、カトリック、他にも様々あるキリスト教は、イエス・キリストが天に召された(処刑されて亡くなった)後に聖書が作られて世界中に広まった。聖書といっても宗派によって内容が異なるのだが、人として生きていたイエス・キリストのことが書かれているという共通点がある。
本作は、主人公の由良が知っている範囲で、サッカーが上手で青が好きな生きていた頃の和馬くんのことを時間をたっぷり使って描いている。
ノスタルジックな要素として、解像度が低めの画面サイズ4:3ということもあるが、日本で初めて文化人(夏目漱石)の肖像が使われた日本銀行券(裏の両端に鶴がいる旧千円札)が登場したり、玩具のお札を使うアナログのボードゲーム(人生ゲーム)で遊ぶシーンがあった。
ところで、日本のお金の単位は「 YEN 」であるが、何故 Y を付けるのだろう。何故、「や行」の Yi と Ye と「わ行」の Wu を表す日本語がないのだろう。
せめて、まだ残っている Wi (ヰ・ゐ)と We (ヱ・ゑ)をできるだけ使いたい。
本作は、現実の物体「家に設置する小さい寺院=手を合わせながら拝む場所である仏壇」と並行して、虚構の存在「時々見える小さい神様=目を閉じながら祈りを捧げる相手イエス・キリスト」が登場し、現実と虚構が入り混じるユニークさがあり、センスの良さを感じる作品であった。比較的低予算ながら印象的なカメラワークで、子どもたちの表情も自然で良かった。言葉による説明が不足ぎみで分かりにくく謎が多いが、そこがまた良いところである。
そりゃ嫌
ささやかな日常!ささやかな幸せ!
少年の別れ
少年・ユラの心の揺らぎ、
広がる神様へ不信、
ある事故をきっかけに少年の心に起きる波紋を
瑞々しい感性で描いた映画。
撮影した当時、奥山大志監督は22歳だったと言う。
子供の頃に受けた残酷な情景を、
ありのままに、見る者にも分かるように、
分かりやすく映像にする。
簡単ではない。
たった75分の映像に、死んだ友達への思い、
お祈りしても願いを叶えてくれない神様への不信。
お別れの言葉のお終いで、
いつも現れる小さなイエス様を
ユラはボカーンと叩き潰してしまう。
(それは幻想の神様への訣別?)
“怒り“
“理不尽“
“お願いしても、報われないこと“
ユラはそれを知った。
奥山監督は時として人間一般に起こる不条理を、
けっこう残酷な表現で、意図して明確に向き合って描く。
人はなぜ神に祈らずにはいらないのたう。
私は、毎朝、神棚に水を変えて、新しい熱いお茶を供えて、
神棚に手を合わせてしまう。
神様はいないと思うのに、
お願い事をしてしまう。
「ぼくのお日さま」を観て、とても良かったので、
この映画を観ました。
奥山監督、只者でなぃです。
長く感じる余韻の中で
この作品を作った人は時間の流れが優しくゆっくりなのかなと感じた。
しかし、なき友に捧げる為、終わらせたくないがための引きなのかも、と最後のエンドロールにて改めて思った。
あの余韻のある時間の中に何を込めたかったのか、1回見た今は分からない。
例えば、1000円相撲のシーンや、病院帰りの走り出すシーン。
尺が長いなと感じたのは何故だろう。私だけなのだろうか。
その余韻の長さに逆に引き込まれた自分もいて、いつの間にか奥山監督ワールドへ取り込まれてしまったような気もする。
きちんと整えられた視点の中に、小さなキリストがちょこまかと暴れていて、ボーッとみてたら見逃してしまうかのようなアンバランスさに、画面から目が離せなかった。
キリストなんて信じないと言葉に出すのではなく、物理的に壊した表現に、少年の心遣いを感じた。
いつだって信じられるのは己の中の神様なのかもしれない。
半ズボンの聖域、その破壊と再生
妖精イエス
少し斜めで愛おしい作品。
願いと受難
何とも罰当たりなタイトル。
でも、主人公のユラくんにしてみれば。
見終わってみれば、ユーモアと皮肉の効いたタイトル。
東京から父母と共に地方の雪深い祖母の家に越してきたユラ。
ミッション系のスクールの習慣やなかなか友達も出来ず、馴染めないでいたある日、ユラの前に現れたのは、
自分にしか見えない小さなイエス様…!
少年とイエスの秘密の交流は『汚れなき悪戯』を彷彿。
少年と小さなイエスの構図は大林宣彦監督の『水の旅人 侍KIDS』を彷彿。
オマージュとオリジナリティー、奥山大史監督の体験談が込められているとか。
このイエス様、身体は小さくても願いを叶えてくれる。
願いの定番、お金が欲しい。ま、さすがにこれは微々たるものだったが…。
友達が欲しい。
初めての友達が出来た。カズマ。
サッカーしたり雪の日も遊んだり、クリスマスをカズマの家にお呼ばれしたりと、学校や日々の生活が楽しくなる。
しかし、古今東西。願いに付き物なのは…。
ある日、悲劇が…。
事故だったのかもしれない。
イエス的に言えば“受難”かもしれない。
願いと受難。
イエス様からの教訓。人生、苦楽あり。
でも、こんな事になるなんて…!
じゃあ僕は、イエス様なんて嫌いだ!
先述通り、ユラの胸中をユーモアと皮肉で表したラストシーン。
邦画では珍しい“宗教映画”の類い。
なかなか取っ付き難いジャンルを子供目線で、ファンタスティックな児童映画として描き、宗教映画の中では見易い方だった。
信仰とは
神様ってほんとうにいるの?
無垢な少年に映る綺麗事な世界と事実との奇蹟、エンドロール前の言葉に涙する
ここまでストンと落ちる、リアルなドラマは初めてだった。エンドロール前に入るあのフレーズで、抱いていた悶々たる感情が清算され、涙が止まらなかった。
東京から転校してきた由来は、北海道の小学校がキリスト教を信仰していることに躊躇いを覚える。違和感を覚えつつも、無垢で無知な彼は、次第に新たな世界を開いていく。その過程で出会う、友の存在と小さなイエス様。友は瞬間を、イエス様は願いを叶えてゆく。イエス様の可愛らしくて気になってしまう動き、その掛け合いもなんだか面白い。しかし、事態は暗転する…。このタイトルの意味が次第にわかってゆくとき、目を背けたくなるような事実とすれ違いが起きる。神様へのアンチではなく、ひとりの少年がモノを知るときに生まれる感情の奇蹟、それがいかに美しくて儚いものか。ドラマ全体では汲み取りにくかった部分が、エンドロール前に入るあのフレーズで全てが合点するとき、その意味が初めて為すのだった。
あまりにも自然に溶け込む日常のリアルと、異文化との出会い。やっぱり僕は…となる意味が、監督の根底にある感情から気迫として現れ、強い意思で出来た作品なことを体感した。
願いが叶えばもっと欲しいとなり、叶わなければ神様なんか嫌いやとそっ...
これが卒制だとは思えない良作
一般の映画監督でさえ、このクオリティを出すことはなかなか難しいが、これを学生時代に撮ったと思うと将来有望な映画監督である。
複雑なカメラワークを入れずとも、引きの絵や長回しを使うことで、カット数は少なめだが、明解なカット割りに好感が持てる。セットや音楽もチープさを感じさせないのは、監督のセンスと腕の証だと感じる。
CG部分も低予算ながら奮闘し、子供の心情をうまく理解している。
これは聖書でいう「ヨブ」の物語だ。
宗教は人間の都合で左右される。現世利益があれば神を信じるし、なければ神を信じない。そういう意味では子供の正直な気持ちがよく伝わってくる映画である。ただ世界20億人の精神的支柱でもある救世主の扱いには、もう一段の工夫と配慮が必要かもしれない。
皮肉にも青山学院を卒業した監督に、イエスがお嫌いかどうかを聞いてみたくなる作品だった。
宿命、天命、運命 この映画のイエス様は本物のイエスかどうかイエスかノウで答えよ
私は信者ではありませんが、この映画で子供に見える小さなイエスは、どうみても、イエスを小馬鹿にしているようにしか見えません、挙動はあみだばばあみたいですから。
でも、最後に、早世した友人に捧ぐ、わけですから真面目なんでしょう。
私事ですが、ある人が壮絶な人生のため、自殺を考えていると夢の中にイエスが出てきて、自殺はいけない、今日生きて、明日生きることは、奇跡だから、といわれ、自殺を断念した、ということがあります。
宗教は功利主義でないとすれば、信心深くとも、事故などで死ぬことは防げないわけです。
主人公がイエスや祈りが役に立たないとつぶやくのは、仕方ないことですが、天に召されたと考えれば、死んだ本人はともかく、周囲は救われ安らかにんるわけです、それがこの映画のテーマだと思うのです。
ちなみに、冒頭のだじゃれは村上春樹の本に書いてありました。
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