マンハッタン

ALLTIME BEST

劇場公開日:1980年2月23日

解説・あらすじ

ウッディ・アレンが監督・脚本・主演を務め、大都会ニューヨークを舞台にモノクロ映像でつづった群像劇。マンハッタンのレストランで、いつものように会話に花を咲かせるテレビライターのアイザックと親友の学校教師エール。アイザックは42歳だが、17歳の学生トレーシーと同棲中だ。彼には2度の離婚歴があり、2番目の妻ジルが彼との生活を暴露した小説を書こうとしていることに頭を悩ませていた。一方、エールには結婚して12年になる妻がいるが、他の女性を好きになったとアイザックに打ち明ける。ある日、エールの浮気相手である雑誌記者メリーと出会ったアイザックは彼女と意気投合し、夜のマンハッタンを連れ立って散策するが……。メリーをダイアン・キートン、ジルをメリル・ストリープが演じた。

1979年製作/96分/G/アメリカ
原題または英題:Manhattan
配給:ユナイト映画
劇場公開日:1980年2月23日

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第4回 日本アカデミー賞(1981年)

受賞

優秀外国作品賞  

第37回 ゴールデングローブ賞(1980年)

ノミネート

最優秀作品賞(ドラマ)  
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映画レビュー

4.0 無邪気に見られなくなってしまった美しいモノクロームのニューヨークの映画

2026年7月10日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

47年前、1979年公開のウディ・アレンの監督・主演作。ずいぶん以前にビデオで見たけれど、その時はあまり印象に残らなかった。映画館で見るのは今回が初めてだ。
やはり映画は映画館で観ないとダメだと思った。冒頭から一気に引き込まれてしまった。

冒頭がすごい。タイトルクレジットから、ドラマが始まるまでが圧巻だ。
本作の主人公はマンハッタンの街だ。大音量のガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」に乗せて、遠くから見たニューヨークの街と、町の近景を次々に切り替えて見せていく。「最も華麗なオープニングの映画」はこれまで「ララランド」だと思っていたのだけれど「マンハッタン」の勝ちじゃないかと思ってしまった(気分で変わる私的な順位だけど)。

第二次世界対戦後、アートとエンタテイメントと金融ビジネスと……、世界No.1の中心地になったニューヨーク。しかし、70年代はこの映画のように素晴らしい場所だったかと言えば、必ずしもそうではななかったはずだ。財政危機で、犯罪も多発し、街は落書きだらけで、危なくて汚かった。ずっと後の90年代頭に初めて仕事でニューヨークに行ったけれど、街も地下鉄も警戒するよう警告されたし、ハーレムはバスの中から見るだけだった。
本作の冒頭でも、アレン演じる主人公が、マンハッタンの描写を何度も書き直すとおり、これは脳内で理想化されたマンハッタンでもある。それに僕ら日本人も憧れたのだと思う。
80年代末にはロックフェラーセンターを日本企業が買収し、コロンビア映画はSONY傘下となった。マンハッタンを牛耳ることは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の象徴のようなものでもあって、それは本当に短い期間で終わってしまったのだけれど。いずれにせよ80年代以降は、憧れのニューヨークはちょっと身近になり、輝きは鈍くなった。
それでも、ニューヨークはやっぱり特別だ。もう10年ほど前、ニューヨークシティハーフマラソンに参加した。車の通行を止めた五番街の通りの真ん中を走った時の高揚感は忘れられない。

いずれにせよ、冒頭で映されるマンハッタンの街は、本当に最高で、それを徹底的に展開してから、ドラマが始まる。
アレン演じるテレビ脚本家(実際にアレンはその仕事でキャリアをスタートしている)と、彼の周辺の元妻と友人とその妻と恋人と、主人公の恋人と…入り組んだ登場人物たちがマシンガントークを繰り広げる。

ウディ・アレンの映画は80年代、名画座でよくかかっていた。新作は必ず大々的に公開された。大学入学して上京し、名画座に行くようになり、そこでアレンの80年代の作品「ラジオデイズ」「ハンナとその姉妹」「カメレオンマン」などにすっかりやられてしまった。
禿げてて、痩せっぽっちで、風采の上がらない文系の男が、そのオタクっぽさ(この言葉も今よりずっとネガティブなニュアンスで使われていた)とコンプレックスを隠すことなく、むしろ武器にしているーーこれは革命的に見えた。3高という言葉もあったし、カッコいいのはハンサム(イケメンという言葉はなかった)とスポーツマン、そのスポーツも野球かテニスくらい…という恋愛においても多様性のかけらもない時代(かなり個人的ひがみが入ってますが)にアレンの佇まいは眩しかった。風采の上がらない男は、文化資本で戦え…そんなオタク気質を刺激するところがあった。
その後、90年代にはアレンの私生活のトラブルやゴシップが色々と伝わってきた。何作かで共演し、現実のパートナーでもあったミア・ファロー(シナトラの元妻)の養女スン・イーとのゴシップなどがあってから、日本公開されない作品も増えたし、公開規模も小さくなっていった気がする。僕もあんまりアレンの作品を見なくなった。
本作を見ると、その当時すでに、その後伝えられるゴシップの予言のようでもある。報道とドラマがごっちゃになって、アレンの実生活が作品に反映されているとしか思えなくなってくる(実際、そういうことがあったようだ)。本作では、彼が付き合っているのは女子高生だし、かつての妻にはとんでもない男だと、その行状を自伝で暴露されてしまう。女子高生から、友人が付き合っているジャーナリストに乗り換えるのだが、それを演じるダイアン・キートンはアレンの元恋人である。もう、どれがドラマでどれが現実なのか…。

Wikipediaを見ると、アレンはMeeToo運動以降、アメリカの映画産業では事実上キャンセルされた存在になり、新作はヨーロッパ資本で撮影しているとのことのようだ。そのMeeToo運動を大きく加速させた調査報道の中心人物がアレンの息子のローナン・ファロー(ピュリツアー賞受賞者)だという。その実の息子が、実はミアの前夫フランク・シナトラの子供かもという情報もあり、確かにそんなイケメンだ。もう何が何だかわからない。
ハリウッドでは、アレンを擁護することへのバッシングはもちろん、出演俳優が明確な態度表明を求められ、出演料を寄付することが相次いだのだそうだ。どう見たら良いのか…戸惑ってしまう。

カルチャーがすべて揃っている華やかな街マンハッタンで暮らす知的エリートたちは、自分の価値観とライフスタイルをもち、意見を恐れず表明する。だから、会話がどんどん転がっていって、それがアレン作品の面白さになっている。
最高の街で暮らしているから、幸福で満足しているのかといえば、全くそうではない。恋愛においても、パートナーや結婚相手を手に入れても、しばらくすると色褪せてくる。そして、別の選択肢がすぐに現れる。手持ちのものより、新たな選択は魅力的でいいものなのだ。
「もう十分だ…」と満足することなく「もっともっと」とか「他の道があるはずだ」というのが、アメリカ経済の発展の原動力になっているし、「最高の自分を実現する」のが、自由な国アメリカのテーゼのようなものでもあって、本作の登場人物たちもそう行動する。
恋愛も、仕事も、芸術も、手に入れたすべては「もっといい別のものがあるはず」に変わってしまう。だから、最高の街に暮らしていても、彼らはどこかずっと不満な感じがつきまとう。
今現在の私は、不十分で、より良い未来のために何か変化を起こそうとし続ける。誰もがそんな状況だと、たとえ友人やパートナーであっても信頼することは難しいだろう。マンハッタンの世界では、信頼と安心が決定的に欠如している。だから、パートナーも更新し続けられる。

その中で、マリエル・ヘミングウェイ演じる女子高生だけが、「もっともっと」という欲望にとらわれずに生きていて、信頼できる人物に見える。
しかし、中年の風采の上がらない男が、女子高生に「信じること」を教えられる。こういう構図自体にも、不気味さがあるというのも正直なところだ。かつてファンタジーとして成立したものが、権力による搾取であって、グロテスクな欲望を含むことが指摘されるようになっている。
変化の激しい時代に生きる僕ら自身も、感性はいつの間にか更新されている。しかし、その更新した感性が正しいとも限らない。
もう映画というのは没入してだけいればいいものではないのかもしれない。没入させられる圧倒的作品ほど、それに没入した自己を再点検しなければならないのではないか。そんなことまで考えさせられてしまった。
間違いなく「マンハッタン」は素晴らしいし、圧倒される傑作だ。だからこそ、現代的感性ではNGとなった権力や構造的問題が隠されてしまう。だからこそ怖い映画でもあるのだと思う。

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nonta

2.0 ウディのプライド

2026年7月10日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

饒舌でスノッブだけど風采の上がらない等身大の人物をウディ・アレン自身が演じる一連の作品は、どれも同じような感じ。物語というよりは、浅倉久志氏が編纂したユーモア・スケッチ集に収録されたコントに近い味わいだ。若干自虐的なペーソスが漂っているところは、ジェイムズ・サーバーらへんの趣きもあるが、一方では鉄面皮な部分もあってそのあたりはだいぶ違う。主人公は何だかモテているし、監督自身も数々の浮き名を流してきた(スキャンダルも含め)のだから、そうした生き方をある意味肯定しているようにも見える。
モノクロの映像とノスタルジックな音楽でいい感じの雰囲気を出しているが、それらを取り払ってみると結構下世話な話だ。
アレンの映画なら、「世界中がアイ・ラヴ・ユー」とか「カイロの紫のバラ」あたりが好き。

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梨剥く侍

未評価 反発と共振

2026年7月6日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 毎年の様に新作をリリースしていたのに、児童虐待のスキャンダル以降はアメリカで撮れなくなったウディ・アレン、そして、昨年10月に亡くなったダイアン・キートンと、作品内容を離れて50年近い時間の経過を思わせる作品です。

 ガーシュウィンの "ラプソディ・イン・ブルー” のメロディに乗って映し出されるニューヨークのモノクロ・スケッチ、このポスターにあるウィリアムズボロー橋のシルエットと、ウディ・アレンのニューヨークへの愛着が詰まった作品ですが、物語自体はあっちの女性、こっちの女性を行ったり来たりのお馴染みのお話です。

 そんな男の身勝手を自己憐憫と共に抱き締める様な狡い描写や、文化や哲学について観る者を試す様なペダンティックな台詞の氾濫には「嫌味な奴だなぁ」と今も反発心を抱いてしまいます。ウディアレン・エキスを煮詰めた様な作品と言えるでしょう。

 でも、自意識の牢獄で身動き取れなくなる姿に、頭でっかちの僕の心は実は微妙に共振しているのでした。

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La Strada

3.5 ガーシュウィン!

2026年7月5日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

ウッディ・アレン監督の初期代表作を初見。まず、ガーシュウィンの「ラプソディインブルー」をバックにニューヨークの点景を綴っていくオープニングに引き込まれる。
物語としては、固有名詞ふんだんのスノッブな会話のもと、都会人がくっついたり離れたりする他愛ないもの。それをニューヨーク市内の公園、ギャラリー、プラネタリウムなど様々なロケーションで、端正な白黒画面に写し取っていく。観客としては、誰に感情移入するでもなく、いわゆるニューヨーカーたちの生態を眺めるといった趣き。
出演者として、この頃のウッディ・アレンにはチャーミングさがある。ダイアン・キートンは、ニューヨークに馴染めていない感じが出ていて面白い。メリル・ストリープのクールビューティ。そして太眉顔のマリエル・ヘミングウェイが懐かしい。年の差の設定は、その後の騒動を知っている今となっては、素直に観られないが。
とにかく、全編ガーシュウィンの音楽が素晴らしい。本作のために全て新録音したそうだ。久しぶりにサントラを買ってみたくなった。

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山の手ロック