四月の余白のレビュー・感想・評価
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人は変わることができるのか。そしてそれを信じることはできるのか。
人間の複雑で不器用で醜い部分を描きつつも、決して絶望だけを残さず、一筋の光を残してくれる作品が多い吉田監督。
そんな吉田監督の新作は、
人は変わることができるのか。
そして、それを信じることはできるのか。
そんな問いを、ひたすら考えさせられる作品だった。
非行に走る若者たちと真正面から向き合う主人公・西を演じる一ノ瀬ワタルが、とにかくハマり役だ。
強面な見た目とは裏腹に、人間味や温かさを感じさせる彼だからこそ、「元半グレ」「元受刑者」という過去を持つ西は、本当に心を入れ替えた人間なのか、それとも演じているだけなのか。その境界を巧みに揺さぶる演出に、観る側も翻弄され続ける。
そして、非行少年・海斗を演じた上坂隼人の存在が、この作品に大きな深みを与えている。
ふてぶてしく、生意気で、何をしでかすかわからない怖さがある。それでいて、どこか危うさも抱えている。
倫理観が欠け、言葉も想いもなかなか届かない。そんな彼とのやり取りは、観ているこちらの心まで折れそうになるほど手応えがない。
もし現実に彼のような少年と向き合うことになったら、「もう関わりたくない」と距離を置いてしまう人の方が多いだろう。
「彼は変わらない。」
そう切り捨てることは簡単だ。
しかし、その先に待っているのは、再び犯罪へと向かう未来かもしれない。そして、その犯罪には必ず被害者が生まれ、新たな不幸の連鎖が始まる。
だからこそ、この作品は「変われるか」という問いだけでは終わらない。
変わろうとする人を、社会は信じ続けられるのか。
見放さず、根気強く寄り添う覚悟を持てるのか。
簡単に答えの出る問題ではないからこそ、この作品は重く、観終わったあとも長く心に残り続けた。
答えの出ない問いに向き合う誠実さよ。
答えのない問いを問いかけ続ける。いつの間にか𠮷田恵輔はそういう達人になっている。マルドヤンキー的文化が根強い地方の非行問題に踏み込み、教育現場の矛盾を付いた本作でも、𠮷田監督はすべての登場人物たちを過酷なグレーゾーンへと追いやっていく。そこに安易な救済はないし、正しい人はひとりもいないし、みなさん、相変わらず笑ってしまうくらい愚かだし、でも、誰もがほんの少しは愛すべき存在ではあるんじゃないかと、一縷の希望を繋いでもいいのかな?と、少しだけ隙間から光を差し込ませる。得意の外連味は押さえられていて、感心と心配が同時に押し寄せるくらい、アンチクライマックスな作劇だと思うが、それはテーマに正面から向き合おうという勇気と誠実さでもあったのではないか。未来に𠮷田監督のフィルモグラフィーを振り返ったときに評価がさらに増しているような気がする。
力強く骨太な視点で社会の余白を見つめる
本作には得体の知れない凄みが漂う。手のつけられない生徒、荒れる教室、責任を取りたがらない教師たち。教育現場は緩やかな絶望で溢れている。この網目からはじき出された一人の生徒と、彼と向き合う頑強な施設スタッフが本作を奏でるわけだが、二人の対峙はさながら社会実験のよう。片や他者の痛みが全く分からぬ、手のつけられない個性を持ち、片や更生のためなら鉄拳制裁を辞さない覚悟を持つ。ある意味で「似た者同士」な両者の仕掛け合いから目が離せないし、いつしか生徒の表情にわずかな変化が生じる過程は、それが長いトンネルの入り口だと分かっていても、胸に迫るものがある。何が正解だとか、何かを批判するとかではなく、二つの魂が生々しく衝突する様は圧巻。時に笑いや豊かな人間描写を交えつつ、抜け出せない不条理、社会の余白を見据える語り口も見応えあり。𠮷田監督が描く「それでもなお歩みを止めない人」の映画に新たな秀作が加わった。
人間の余白
過去の罪は許されるのか、人は変われるのか。
非行少年少女の更生施設での
重厚なヒューマンドラマ。
西という男の存在感の底なしの力量が
テーマにあり笑ってしまう。
絶妙なバランスの狭間にいて不信感も
持たれつつ、信念も突き通す。
素行不良は家庭環境や障害からの要因。
幸せになることに慣れてない人間は
また慣れしたしんだ不幸せに戻ってしまう
のだろうか。
自分の更生ののきっかけを作って
くれた人。
ラストの一ノ瀬ワタルさんの
表情は良かった。
罪と罰‼️❓
少年犯罪について真正面から取り組むこの映画は貴重なものです。
ただ、物事には順序とゆうものがある、まず、被害者の保護、今後の被害の防止、贖罪、加害者の確保、最後が加害者の更正と人権、あくまで最後です、それ以前のものが不完全なら、議論の余地すらあり得ない。
原少年法なら、殺人ですら、数年で無罪放免、これなら、トクリュウや、強盗殺人、イジメ殺人、性加害、は、無くならない。
犯した罪は、謝罪しても賠償しても、無くなること無い。
恨んでいたら前に進めない、そんなことは断じて無い。
それでも、主人公のように前向きに、世の中に貢献しようとする、それは評価に値する、ただ、死ぬまで罰を受ける覚悟で、生きて欲しい。
それぞれが生き方に応じて観てください、是非、ありがとうございました😊😭
人は変われても、過去の罪は変えられない。
「人は変われても、過去の罪をなかったことにはできない。なぜならば、そこに傷つけられた人がいて、その人は傷つけられた事実を抱えて生きていかざるを得ないから」
では、罪を犯した人は一体どう償えばいいのでしょうか?
その答えはこの映画にはありません。
しかし、海斗の父親が海斗の暴力の被害者の少年に言った言葉がそのヒントになるかもしれません。
「海斗を恨み続けて、その負のループの中で生きていっても自分が卑屈な人間になるだけだ。そこから解放されたらどうだ」(正確ではありませんが、こういう意味のセリフでした)
「人は変われるのか?」という命題に対して、観た人それぞれが違う感想を持つと思いますが、私は、物語のなかで一番変われたのは海斗の父親だったように思います。
本当に深くて意義のある作品でした。
なかなか見応えのある力作だ。見て良かったです
吉田監督作品は「ヒメアノアール」「空白」「ミッシング」と見応えのある佳作揃いで日本映画の監督の中でもお気に入りなんです。今回の「四月の余白」も期待に応えてなかなか良かったです。
今回は学校に必ずいる不良生徒の厚生にどう向き合ってどう行動するのか、話自体ハッピーエンドで終えたわけではなかったけどわずかな希望を信じて映画自体は終えました。
夏帆が演じた同窓会の話はそうだなって共感しました。不良をやんちゃとかで片付けないで、わからせることの重要性を当事者の子供にわからせるかですね。
今年のベストテンには必ず入れます。入る作品ですね。
外れ無き吉田恵輔にして及第点。
いつもの絶妙さが後退している
良かったけど、『空白』『ミッシング』にあった絶妙さというか余白感が薄かったように感じた。現在のタイムラインの一ノ瀬ワタルが善人というか聖人にしか見えないのが大きな要因かもしれない。
『空白』『ミッシング』と"折り合いのつかなさにどう向き合うか"を巧みに描いてきた吉田監督にしては、結構分かりやすい解だったなと。結局対話するしかない。だが作中の対話とここで言う対話は少々違う。
「対話で解決できない子もいる」と作中では言うが、一ノ瀬ワタルのしていることこそ対話である。学校のしていることは対話"風"であり、本気で向き合う気のない奴らが綺麗事を並べ立てる。「ちょっと表情良くなった?笑」じゃねえよ。俺の何を知ってんだよ。
そういう"分かった風な口利き"に子供は非常に敏感だ。まずはそれをやめて相手と向き合えば、向こうも聞く耳を持ってくれる。明快だ。
しかし先生もリソースがない。聖人にしか見えない一ノ瀬ワタルも社会的信用が無く施設を続けられない。これは世間やマスコミの負の側面だ。前2作ではそこに踏み込みつつ、完全に突き放しかけたところで一握りの善意や繋がりを提示し、敵か味方かの二面ではない複雑さを見事に描いていた。しかし、今作では明らかに敵である↓
つまりこの映画は、子供との向き合い方に解は示しつつ「でも構造的に難しいよね」と構造を悪にする安易な着地で終わらせていると感じた
ひとは変われるかもしれないけど ひとを変えることは至難の技−−教育現場の荒廃、非行からの更生等の問題提起を誠実に行なう良作
この作品、答えが出ないような問題を誠実に問題提起してくれるなかなかの良作です。吉田恵輔監督に関しては、『空白』『ミッシング』あたりには重い問題提起を感じながらもバランスの悪さみたいなところが気になったのですが、この作品では問題の重さを感じさせながらもふわっと軟着陸させるようなバランスの良さも感じます。とは言っても、結論めいたものを導き出すほうには進まず、何も解決していません(ほんのわずかな希望みたいなものは見えますが)。逆にこのあたりに作り手側の誠実さを感じます。
物語の中心にいるのは、元半グレで元受刑者、今は更生して全寮制の更生施設「みらいの里」を運営している西健悟(一ノ瀬ワタルが好演しています)。この西の描き方が絶妙です。彼は見るからに純粋、善良そのもので完全に更生しているように見えます。でも、更生施設を運営するには何かが足りないと私は思いました。彼はかつての自分の暴力の被害者のことをまったく憶えていませんでした(でも、今ではそのことを聞いてすぐに土下座して謝罪するという感性の持ち主ではあります)。彼は良くも悪くも「俗物」で、有名人とか政治家とかの「権威」に対して弱そうな感じもします。マス•メディアに対しても同様で、喜んで対応し、結果的にワキの甘さを見せてしまうことになります。言語によるコミュニケーション能力があまり高くなく(でも、ボディ•ランゲージは豊か)、施設の運営にあたっても口より先に手が出てしまっているような感じで、そのことで批判を受けたりもします。この人のことをよく知っているとしたら進んで友人になりたいと思うぐらいの好人物の西なのですが、今の日本のシャバ(敢えてこの言葉を使いますが)で生き抜いてゆくには、彼は少しばかり精神年齢が低く社会性に乏しいようにも思えてきます。「みらいの里」の運営に関しては、視野が広く一般の社会常識のある人が事務方としてカウンセリングとか広報とかを担当して、彼と二人三脚で運営していたら彼の使命感や情熱がもっと生かされていたのになあ、と感じました。
西は中学校の教師である草野冬子(演: 夏帆 こちらもなかなかの好演です)から、手のつけられない不良生徒 澤海斗(演: 上坂隼人 2007年生まれとのことで、中3を演じるには成長し過ぎの感もありますが、将来性豊かないい役者さんだと思いました)についての相談を受け、海斗を自分が運営する施設で預ることにします。海斗は典型的なソシオパスで他人の気持ちや痛みがわからず、衝動的、感情的に暴力を振るい、社会のルールや法律にはまったく関知せず、自分のそんな行動に対しては反省もしなければ後悔もしません。施設内でも問題行動をしますし、あげくは施設を抜け出して喧嘩、相手に大怪我を負わせたりもします。西と冬子が留置所に面会に行くのですが、彼らの大人の論理に基づいた月並みな言説は海斗にはまったく効果がありません。
このレビューのタイトルにも書いたのですが、私はひとは変われると思っています。ただし、そのひと本人が変わろうとしている限りは。変わろうとしていない他人を変えるのは至難の技です。本篇で西が海斗にとった方法で割と効果的だと思ったのは、助言しながら鶏小屋を建てさせたことです。メンターとして寄り添って社会を生き抜いてゆく知恵を授けてゆく…… まあでも、海斗はせっかく完成した小屋も衝動的に燃やしてしまうのですが。
でも、西はそんな絶望的なソシオパスの海斗に対しても諦めずに、己れの人間力みたいなものをフル回転させて対応してゆくんですね。それが作用して、中学を卒業し4月になって学校というくびきから完全に解き放たれた海斗は変わろうとする気持ちがわずかながらも出てきたのかもしれないというきざしを見せます。この作品のいいところは、西や海斗や冬子、さらにはかつて西の暴力の被害者である海斗の父親等、主要登場人物がみな、物語の終盤でちょっぴりだけかもしれないけどポジティブな方向に変わることです。そのあたりにささやかな希望も感じるのですが、一方では、後ろ指を指される過去のある西や海斗のこれからに関しては乗り越えられないかもしれない、厳しい「社会の壁」があることも示してある−−繰り返しになりますが、作り手側の誠実さを感じる良作でした。
考えされられる
今、見るべき映画でした。
面白かったです。
それ以上に、センセーショナルな内容を扱ったこの作品は、見事に、現代の教育におけるパラダイムの揺れ動きを、微妙な人間ドラマの上に描き切っていました。
その時代における価値観は、常に前時代における価値観論争の反動が形成するものだと思っています。
例えば、前時代の詰め込み教育の反動として今の体験重視の教育が、前時代の家父長制の反動として今のフェミニズムの重視がある、などなど。
「体罰」をめぐる論争も、やはり前時代における大人が子どもに教育のためならば手を出し手もよいという風潮への反省が、出発点になっているのでしょう。
そして、現在ではそんな議論が一周し、「果たして「体罰」は絶対に悪なのか」という、「対話重視」の教育への反省による議論が、新たなパラダイムシフトの芽吹きとしてスタートしつつあるように見えます。
映画の中ではそんな世論の揺れ動きが、最初の講演会のシーンであったり、テレビ番組での論争シーンから分かるようになっていました。
講演者である西を詰める教委の人や、テレビ番組のパックンといった、絶対的な体罰の否定派がいる一方で、西の支援者や当事者の保護者などの、非行少年たちに比較的近い立場で、現在の価値観を疑いつつある人達も同じようにいます。
2つの価値観の間に揺れながら、揺れ動く現実の問題にふと思考を飛ばすと同時に、聴衆が映画を見ながら感情移入していくのは中学教師である冬子です。
彼女はまさに教育の最前線にいて、理想と現実の狭間に揺れる、哀れな当事者の一人です。
彼女が、不良生徒に追い詰められていく描写は、聴衆である私達が「体罰」を絶対的な悪と断ずる態度を決して許しません。
しかし、映画の中でそんな体罰の肯定派の象徴として描写される西は、映画中盤までは何かを隠しているような雰囲気を纏っています。また、随所における彼の善性を示す描写も非常に胡散臭く見え、私達は彼のイメージによってどうしても「体罰」というものから悪の匂いを嗅ぎ取っていきます。
以上から私達は、どちらの立場にも、そこに立つことが憚られる要素が沢山あることを自覚してハラハラしながら映画を見守り……ついにクライマックスに入ります。
そこで西のイメージは一転し、彼が本当に更生したかどうかはまだ一考の余地がありますが、少なくとも私達はもっと信じてもよいことを信じていなかったのだという己の色眼鏡を自覚します。
同時に、そこまでの一連のシーンから「体罰の肯定」というものが、薄氷の上に展開された議論だったという事実に気が付きます。
それは、映画の中で週刊誌の記事一つでみらいの里が閉鎖に追い込まれたこともそうですが……何より聴衆である私達が、西の悪性と体罰の必要性を同じ問題として混同し、結び付けて拒絶しようとしたことからも、映画を見ている私達の「実体験」として理解させられます。
映画はその後、西の過去のペルソナとして表象された海斗が、「西」という当時の西が出会いたかった、きちんと向き合ってくれる大人との出会いを通して、変化し、救われる兆候を見せながら幕を閉じます。
「体罰」は悪かもしれません。しかし、それを辞さない西の態度が確かに、「どうにもならない」とレッテルを貼られた少年が、真っ当に生きられるかもしれない道を示したのです。
長々と書きましたが、これでもこの映画における一側面だけに着目して綴ったにすぎません。
恐らく、この映画を見たいろんな人が、いろんな立場から意見をもつのでしょう。
そんな意見を引き出すきっかけになるであろうこの映画は、現在において単なる傑作以上の価値をもつと思います。
非常に考えさせられる作品であった
学校や家庭では手に負えないほどの不良少年かいとは前科持ちの元半グレ西が運営する更生施設に入れられてしまう。
この映画の印象に残ったことをあげると
①かいとが他の少年の足に石をぶつけて障害が残るほどの怪我を負わせるが、実は過去にかいとの父親も元半グレの西に足に障害が残るほどの怪我を負わされていたこと。
→西はかいとの父親から過去のことを問い詰められると「本当ですか?俺そんなひどいことしました?」と。被害者側は一生の傷を負っているのに加害者側はもはや覚えてすらいなかった...この一言で西も結局変わっていないことを示唆していて凄いと感じた。このことは日常でも同じようなことがあると感じた。いじめられた被害者は学校を卒業してもずっと覚えてるのに、いじめた本人は覚えてすらない。非常に考えさせられた。
②かいとに怪我を負わされた女の子と西との食い違い。
→かいとに怪我を負わされた女の子はかいとが更生施設に戻ってきたことを物凄く嫌がり出ていってほしい。と西に激しく懇願するが、西は大丈夫だ、かいとも反省していると被害者側の女の子の気持ちには寄り添えていなかった。西は結局加害者の側の人間であって被害者の気持ちが理解できない人間であったと感じた。
③かいとの父親が足に障害が残った少年に謝罪しに行くシーン
→かいとの父親は少年に謝罪をしたが、その後に少年からかいとは全く反省していないと指摘される。かいとの父親は「反省はしていないだろうと思う、だがその加害者(かいと)のせいにして今後の人生を生きていってはならない」(セリフの記憶は曖昧)というセリフを吐くがこれに関しては、過去にいじめられていて加害者のせいでこうなった。加害者は覚えてすらない。このような状況でもそのいじめを免罪符にして生きていってはならないというニュアンスだと思った。多少は正論だと思うが正論にしては酷すぎると思った。
保てない
前職を児童養護施設で働いていたのもあって、重なる部分が多くあった。現実的な話と思いたくないが、あれがほんとに現実で。向き合っても向き合っても、向き合いきれないものが沢山あります。
でも、監督だからこそ出来るあのなんとも言えないそれぞれの心情を描いていて、最後の子どもが走るシーン何を伝えに行ったのだろう。そんなことも考えましたが、何も伝える訳でもなく、ただ衝動的に無我夢中で走って会いに行ったのでは無いかと思いました。
報われないと思っていても、いつかは報われると思いながら突き進むことはとても簡単なことではないです。だからこそ、あの現実を知っておくべきだと改めて思いました。
上阪隼人君のこれからに期待
本作は昔ワルだった男が前寮長との出会いをきっかけに更生施設を運営し、そこに入所した男子の更生に奮闘する物語。
半グレたった主人公、西がある更生施設の寮長と出会い、あとを継いで寮長となってから問題ある子どもたちを施設に入所させ集団生活を通して更生させていた。ある時学校で教師の手に負えない生徒、沢が入所したが彼は人の痛みがわからずにいた。
そんな彼でも西は彼に寄り添い衝突しながらも彼の信頼を得ていく。ある時西の過去が週刊誌に暴露され施設が閉鎖に追い込まれてしまう。施設の子どもたちはそれぞれ家庭に戻された。
沢も学校に復帰したが憧れてたツレが卒業後自動車の専門学校に進学するのを聞いて戸惑う。
卒業してもやることがなく、つるんでいたかつて西にやられた半グレ(?)仲間と西を襲撃する。
後日、西が沢を訪問し誕生日プレゼントを渡したがそれは沢が車として欲しがっていたベンツのプラモデルだった。
帰り(?)の電車の中で騒いでる子どもを諭すのに母親がみらいの里(かつての西の更生施設)に入れるよと脅してるのを隣で聞いていた西が笑って終わり。
暴力シーンはそれほど酷くはなくそのまま見ていられた。海斗役の上阪隼人君、最初の方のバットで殴るところは躊躇ない感じだったが、終わりの方の同じようなシーンでバットで殴るところ、ためらう感じがあって殴り方も前ほど強くなく感情の出し方が上手いと思った。
パンフレットには「人は変われるのか」がテーマだと書いてあったがより突き詰めていくと過去に過ちを犯した人はやり直せるのかということなのではないかと思った。
ただ変わるには置かれた環境や周りの人たちに恵まれることが必要なのではとも思う。
いろいろと考えさせられた時間でした。
自分の弱さを感じる映画だった
言葉では偉そうな事を言って実際に行動を起こせる人はどれくらいいるのだろうか?
他の人と同調出来無い人または、子供がいる時に自分が率先して止めることが出来るのか?ましてや暴力行為で向かって来る人に正面から向かえる勇気は俺には無い 気持ちはあっても力では押さえきれないからだ 話し合いでとよく言われるが 痛みがわからない人には通じないと思っもてる まさにこの作品で共感するところばかりだった 少年の両親にしろ 先生しろ 寮長しろ メディアにしろそれぞれの立場になると 理想と現実にガッカリするし
だからと言って逃げる訳には行かないし コレは人間にとって永遠のテーマの様な気がする 戦争は無くなってないのだから…
誠実さと信頼と真実は残酷であり、一筋の希望でもある。
めちゃくちゃ充実した新しいドラマだっま
観に行ってよかった。吉田恵輔は本当にもうずっとこのラインで作品を作り続けていて凄いな。呉美保監督と共に、逆に必ず一定のクオリティを保ちつつ、なんか凄い場外ホームランが出るわけではないけれど、やっぱり充実感はたくさんある。本気でこういうことを考えているんだろう。
まずどこに着地するのかまったく見えない脚本と、前後をぶった切って音楽を入れるのでもなくグイグイ進む展開が緊張感をかなり作る。人間とか、人生とか、あるドラマを伝えるために配置されたわけではないキャラクターと、全員が善人か悪人かもわからない世界をうまく配置してる。
それ故にドキュメンタリーのような興味でも見れるが、そういう手法のものではなく、あくまで演技としてそれを見せているのでこれは脚本としての特殊さなのかもしれない。
何も情報を知らないのでこれは何かのレファレンスがあってやってるのだろうかわからないが、やはり見応えがある。
劇中、全く脈絡なく、理由もなく全てをぶち壊してしまうということを伝えたり、寮長の顔に鳥のフンがかかったことで車から飛び出していく女の子だったり、そういった「言葉で伝えられない何か」にリアルを感じた。寮長の過去を探るライターも「あれ?」というところで終わらせてるのもいい。そしてラストの電車のシーンはまたよかった。
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