廃用身 : インタビュー
「時代を経ても社会に向き合い続ける作品に」染谷将太が語る「廃用身」の挑戦

現役医師である久坂部羊が執筆し、「映像化、絶対不可能!」と評された同名小説を、𠮷田光希監督が映画化した「廃用身」が5月15日に公開された。高齢化社会、医療、介護、そして人間の尊厳というテーマを孕みながら、観る者の倫理観を静かに揺さぶる衝撃作だ。
「廃用身」とは原作小説に登場する造語で、麻痺などにより回復の見込みがない手足のことを指す。主人公は、廃用身を切断することで患者や介護者の負担を減らす「Aケア」を推進しようとするデイケアの医師・漆原。患者想いのようでいて、どこか不穏さを漂わせる彼を演じたのが染谷将太だ。
「彼の中には善意しかない」。そう語る染谷は、漆原という人物とどう向き合い、演じていったのか。台本を読んだ時の衝撃、𠮷田監督との役作り、そして観客に突きつけられる問いについて話を聞いた。(取材・文/ISO、撮影/間庭裕基)
<あらすじ>

(C)2025 N.R.E.
ある町のデイケア「異人坂クリニック」に通うお年寄りの間で、漆原院長(染谷将太)が考案した“画期的な”治療が密かに広まっている。究極のコスパの良い介護を目指すその医療行為は、<廃用身」>(麻痺などにより、回復見込みがない手足のこと)をめぐる、従来の常識を覆すものだという。その結果、「身体も心も軽くなった」、「厳しい性格が柔らかくなった」などと予想外の“好ましい副作用”が現れたという。噂を聞きつけた編集者・矢倉は、老齢期医療に革命を起こす可能性を感じ取り、漆原に本の出版を持ちかける。しかしやがて、デイケアに関するとある内部告発が週刊誌に流出。さらに、患者宅で起きた衝撃の事件をきっかけに、すべてが暗転していく。
●「まだ見ぬものに向かう恐怖」を感じた台本

――23年前に出版された衝撃的な小説を原作とする本作ですが、まずは台本を読んだときの印象からお伺いできますか?
染谷将太(以下、染谷):こんなに読んでいて不安な気持ちになる台本は、これまでなかったかも…と思うほどでした。読みながらずっと心がざわざわしていましたし、衝撃的な場面も多くて。「実写化不可能」と言われていた理由も台本を開いてすぐにわかりました。「これを本当に実写映画にするのか…」というある種の恐ろしさすら感じましたね。
――公式コメントでも「久坂部先生の衝撃作を𠮷田監督が実写化、もはやある種の恐怖を感じました」と書かれていましたが、それはどういう恐怖だったのでしょうか?
染谷:この衝撃的な原作が𠮷田監督の手で、現代においてより色濃い意味を持って映画化される。それは題材の倫理性はもちろん、映画を作る側の倫理観も問われるような企画だと直感的に思ったんです。では、そこに主演として参加する自分はどういう倫理を持って向き合えばいいのか——それを想像したときに恐怖を覚えたんです。ただ、それは決してネガティブな恐怖ではなく、まだ見ぬものに向かっていく恐怖とでも言いましょうか。だからこそ、そこに身を置ける幸せも同時に感じました。



――記者の矢倉を演じた北村有起哉さんは「台本を読んだとき、実際に起きたノンフィクションの話かと思った」とコメントされていましたね。
染谷:とても生々しくて、本当にかつて「異人坂クリニック」という場所が存在していたのではないかと思わされるような台本でした。まず原作に強い説得力があるうえ、𠮷田監督もリアリティのある作品づくりをする方なので。自分も本当にあった話のように感じていましたね。

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――𠮷田光希監督とは10代の頃に初めてお会いした、とプレス資料で語られていましたがそれはどのような経緯で?
染谷:ぴあフィルムフェスティバルで監督が審査員をされていたときにお会いしていました。その後、別の食事会でたまたま再会していろいろとお話しさせてもらいました。いろんな監督が集う食事会だったんですが、𠮷田監督とは地元が近いという共通点で盛り上がりまして。そこでも監督の作品がすごく好きだとお伝えしていましたし、いつか監督の作品に参加したいとずっと思っていたので、今回声をかけて頂いてすごく嬉しかったです。
●善意か、狂気か——染谷将太が見つめた漆原という人物

――演じられた漆原という役は非常に独特な人物ですよね。観客は彼の心の内に秘められているのが善意か狂気か見分けがつかず、ある意味で信用のおけない主人公です。その人物像をどのように理解して、演じていったのでしょうか?
染谷:演じる上で意識していたのは、「彼の中には善意しかない」ということでした。彼は患者さんとそのご家族のため、そしてこれから高齢化していく社会のために、Aケアという革命的な方法を世間に広めていきたいと考えている。だからまずは、その気持ちを大事にしようと思いました。決してお金儲けのためにやっているとか、興味本位でやっている人間ではないということは念頭に置いて演じています。
セリフもほとんどがAケアに関する説明なんです。だから自分としては現場に向かうときも、芝居をしに行くというより「いかにAケアが優れたものなのか」を患者さんとご家族に信じてもらうために行くという感覚でした。ただその姿が結果として、ある角度から見ると恐ろしい人にも見える。そうなればいいなと思っていました。最初から悪い雰囲気を出そうとすると、絶対に説得力がなくなってしまう。そこはすごく大事にしたポイントでしたね。

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――監督とはキャラクター像について、どのようなお話をされましたか?
染谷:監督は「漆原はある種完璧な人間であり、その場において常に正論を言う人。ただあまりにも隙がないから、周囲が反応できない。反応する隙を与えないような人物であってほしい」とおっしゃっていました。なので自分も医療スタッフや介護士側と話すときには、突っ込む隙を与えないことをすごく意識しました。患者さんやご家族に説明するときも「それってどうなんですか?」と思う隙さえ与えない。そういう圧のようなものを大事にしながら演じていました。
――ディベートがものすごく強そうですもんね。そんな漆原という人物に共感する部分はありましたか?
染谷:誰もやったことのないことに対して、自分を信じて突き進んでいく。その姿には共感したというか、羨ましさを感じましたね。特に今の社会では、新しく革命的なことをしようとすると、必ず周囲から冷たい目を向けられるじゃないですか。でも漆原には、そうした視線を気にする感覚も、自分が潰されるかもしれないという恐れもない。そんな自分の信念だけで突き進んでいく力強さに、少し憧れる部分はありました。

――言葉一つひとつに自信がありましたもんね。そんな漆原に説得力を持たせるために何か準備はされたんですか?
染谷:なぜ漆原がAケアを良いものだと信じているのか、ということについては自分の中で深く考えました。また撮影に入る前に介護スタッフを演じる皆さんと台本のリハーサルをしたのですが、その中で監督が即興的に、原作には出てくるけれど映画では描かれていない症例の方について議題を出されたんです。資料が配られて「この方にAケアをするべきか、しないべきかをディベートしてほしい」と。
それでそれぞれ役として意見を言い合ったんです。答えを出すための時間ではなかったのですが、人の意見を聞いたり、自分の意見を重ねたりすることで、Aケアというものをより深く理解する時間になりました。同時に、小さなコミュニティの中でひとつの考えに突き進んでしまう恐怖のようなものも、その場で感じることができた。それは準備として大きかったですね。

――漆原は35歳という若い医師ですが、口調や佇まいで意識したことはありましたか?
染谷:佇まいでいうと、相手と向き合う時、特に立っている場面では、基本的に手を後ろで組むようにしていました。守りに入るのではなく、相手に対して閉じずに開いていたいという意識があったんです。「どこからでも来なさい」という気持ちで接する、というか。後半では手を前で組むこともありましたが、基本的にはそういう姿勢を大事にしていました。
口調に関しては、自分のスタッフに対しては比較的フラットに話す一方で、患者さんやそのご家族に対しては、柔らかく、相手を安心させるような話し方を意識していましたね。
――漆原は感情を大きく出すタイプではないと思うのですが、彼の内側の揺れを、表情や声のトーン、間の取り方にどう反映させましたか?
染谷:基本的には、あまり変えずに演じようと思っていました。後半は別ですが、漆原という人物は安定して見せたかったので。緊張感や不穏さは監督が撮り方で出されていたので、自分の中では過度に変化をつけるのではなく、なるべく一定でいることを意識していました。

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――そんな漆原ですが、後半で一気に内面が崩れていきましたね。
染谷:漆原は完璧な人間で、100パーセント自分に自信を持っている人だと思うんです。だからこそ、ほんの一欠片でも自分を疑ってしまうときっとすごく脆くなる。外部からの攻撃によって崩されるというより、自分で自分を疑ったことで、自ら崩れていくといいますか。その感覚は大事にしていました。
●特異なカメラの動きと共演の感覚

――演技面で監督からディレクションはあったんですか?
染谷:ありましたね。現場ではシチュエーションをいろんなものに例えて説明されるんですよ。ホールにみんなが集まり、漆原が話すシーンでは「これはフェスです」とか。報道陣が集まっている中を漆原が歩いていくシーンでは「これはレッドカーペットです」と言われたり。キレキレに攻めたディレクションで楽しかったですね。
――先ほど「緊張感や不穏さは監督が撮り方で出されていた」とおっしゃっていましたが、カメラの動きや視点も印象的で、どこか俯瞰的なロングショットやズームイン/アウトが多く使われていたと思います。撮られる側から、そういったカメラの動きをどのように見ていたのでしょうか?
染谷:手元にズームのコントローラーがあったので、撮影初日からズームレンズを使っていることには気付いていたんです。もちろん狙いとしてズームを使うことはありますが、そこまで頻繁に見るものではないので、最初は「このパートだけ意図的にそう撮っているのかな」と思っていました。でもそれがずっと続いて、確認したらすごくズームイン/アウトが使われているとわかりまして。面白いなと感じましたし、それが本作の世界観にも合っていると思ったんですよね。カメラが動くのではなく、ズームで人に寄る。そこに、ある種の冷たさを感じたといいますか。
カメラ自体がレールで登場人物に寄っていくと、観客の心情も一緒にその人物へ近づいていく感覚があると思うんです。でもカメラ位置は変わらずにズームするというのは、どこか遠い場所から、自分の視野の外にいる相手をずっと見ているような感覚がある。その冷たさがこの作品にはすごく合っていると思いましたし、観ていて楽しかったです。

――やはりこれだけズームを使うというのは、俳優からしても珍しいんですね。
染谷:珍しいですね。自分は割と「どこからどういうサイズで撮られているのか」を気にして芝居をするタイプなんです。普段であれば、カメラのミリ数や距離から「この位置ならこれくらいのサイズで撮られているだろう」と考えるのですが、今回はそれがまったくわからなかった。気づいたら、顔のすぐ前まで寄っていることもありました。だからこそ身を任せるしかなかったといいますか、「今回は余計なことを考えるのはやめよう」と素直にその場に立つことができました。

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――北村有起哉さんや六平直政さん、瀧内公美さんたちとの共演はいかがでしたか?
染谷:すごく楽しかったんですよ。この作品を映像にすることをみんな心底楽しんでいて、全員が確信犯で演技をしているような感覚がありました。ただ普段の現場とは少し感覚が異なる部分もありまして。他の作品でご一緒したことのある方もいましたし、いつもであれば「一緒にお芝居をしている」という感覚があるんです。ただ今回は漆原という人物がそもそも相手を受け止める人ではないので、どちらかというと一方通行だった。たとえば患者さんが目の前にいたら、もちろん相手のことを見てはいるんですが、それはその人物の症状や医療的な状態を見ているといいますか。相手の感情や人物像を見ているというより、相手の体しか見ていないんですよね。演じているときもその感覚があって、とても不思議な経験でした。
●社会に向き合い続ける作品に。「廃用身」という挑戦

――撮影中に印象に残っていることはありますか?
染谷:オペのシーンを現在も使われている本物のオペ室で撮影したことです。しかもオペの看護師の方々も現職の看護師さんたちが協力してくださって。本当の環境でオペを撮ることができたので、すごく生々しかったですし、何とも言えない淡々とした空気感がありました。それを医師という役柄で経験できたのは、役者としてもひとりの人間としてもなかなかできないことなので特に印象に残っています。
――あそこは本物だったんですね。では「異人坂クリニック」は本当の介護施設なんですか?ホールにかなり異様な雰囲気が漂っていましたが…。
染谷:いえ。たしか外観は昔から残っている邸宅のようなものをお借りして、内部はどこかの市役所の玄関ホールで撮らせてもらったと記憶しています。監督としても、いかにも介護施設らしい場所にはしたくなかったのだと思います。ありそうでなさそうな、独特な空間を目指していました。だから美術も本当に最小限しか置かれていないんですよ。もっと飾ろうと思えば、いろいろなものを並べられたと思うのですが、本当に必要最低限、むしろ足りていないのではないかと思うくらいで。でもその余白がどこか変な違和感につながっていた。映画表現としてもすごく面白い空間になっていたと思います。


――要所で挟まれる、漆原が走るシーンも印象的でした。自由に動く彼の身体が強調されることで、Aケアを受けた患者たちとの距離感も浮かび上がってくるように感じました。あのシーンを、演じる側としてはどのように受け止めていましたか?
染谷:走るシーンは冒頭から出てきますが、そこに漆原という人間の心情の変化が表れていたのではないかと思いますね。漆原自身は自由に動くことができる。自分もそうですが、ランニングをしていると頭の中の整理がつくことがあるんです。心拍数が上がっていく中で、無意識に仕事のことやプライベートのことを考えていたりする。そういうイメージで走っていました。それが後半になるともう帰れないところまで行ってしまって、闇に落ちていく。そのことがあの走るシーンによって表現されていたと思いますし、自分としてもすごく好きな場面です。
――社会的なテーマ性や倫理的な観点からいろんな議論が起こりうる作品だと思いますが、そういった部分は監督と何かお話はされたんですか?
染谷:とても社会的に意味の強い作品だということはお互いに認識して挑んでいましたね。いろんな感じ方をする人がいるだろうし、いろんな意見が出る作品になったら嬉しいなと。映画として面白いと感じてくれる人もいれば、考えるきっかけになったと思う人もいるかもしれない。同時に作品に対して嫌悪感を示す方もいらっしゃると思います。でもそれで良いといいますか。とにかくいろんな方の感情を動かす作品になってくれたなら嬉しいですよね。

――実際にご自身が完成した作品をご覧になった印象はいかがでしたか?
染谷:もうキレッキレでした。切れ味がすごかったです。単純に映画としてすごく楽しめましたし、「わかってはいるけれどなんとなく蓋をしていること」の匂いを嗅がざるを得ない作品じゃないですか。自分が出ているとか関係なく「『廃用身』を観た」と人に言いたくなるような映画体験でしたね。
――最後に、「廃用身」という作品、あるいは漆原という役柄をご自身のキャリアの中でどのように位置付けますか?
染谷:自分にとっては大きな挑戦でしたね。原作小説が23年後に実写化されたように、この映画自体もこれからまた何十年と時が進んでも意味を持ち続ける作品だと思っています。きっとこの物語は、時代を経ても社会に向き合い続ける。だからこそ、その中の漆原という人物と向き合うことは、大きな緊張と不安、そして喜びが入り混じった挑戦でした。本当にいろいろな感情を抱きながら挑んだ役だったと思いますね。
