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いろんなジャンルを聴きかじるライトな音楽ファンとして、キース・ジャレットの名盤「ザ・ケルン・コンサート」は一応知っていたが、公演実現の舞台裏にこれほどまでに劇的な挑戦と多難と奮闘があったことに驚かされた。
ジャレットの代表的なアルバムではあるが、本人がこのライブ録音を不本意な出来として距離を置いていることも今回初めて知った。米国で活動するイド・フルーク監督とドイツの製作チームが準備段階でジャレットのマネジメントに連絡するも、関与を拒否されてしまう。ジャレットが演奏した音源を映画で使用することも当然許可されない。それでもあきらめずにプロモーターのヴェラ・ブランデス(本作の主人公)から了解を得て、映画化にこぎつけた不屈のチャレンジ精神は立派だし、ヴェラ自身の“為せば成る”の心意気が伝わったかのようでもある。
ただまあ、予算規模などの事情もあったのか、難点がいくつか目につくのも否めない。個人的に気になった点を挙げてみる。
・話が70年代に移り、主人公ヴェラは16歳として登場するのだが、演じる女優がどう見てもアラサーで、これが最初のがっかりポイント。後で資料を見たらマラ・エムデは1996年生まれ、撮影時は20代後半だ。ドイツの若手女優が人材難ということもないはずだが、演技力とギャラとスケジュールの条件が合致する二十歳前後の理想的な俳優をキャスティングできなかったのだろう。
・ジャーナリスト役のマイケル・チャーナスが案内人となり、ジャズ音楽の変遷を概説して、ジャレットの即興演奏の歴史的意義を伝えるパートがあり、これ自体はジャズに馴染みのない観客にとって有益。ただ、せっかくジャズ入門的な付加価値も狙うなら、序盤でのロック系の劇伴や、ラストの公演場面の劇伴曲「To Love Somebody」(流れるのはニーナ・シモンのカヴァーだが、オリジナルはビージーズで映画ファンには「小さな恋のメロディ」でお馴染み)ではなく、シーンに合うジャズ調の音楽を選ぶべきではなかったか。劇伴の統一感のなさも惜しいポイントだ。
・いろいろ詰め込みすぎで、構成がよく練られているとは言い難い。視点人物についても、序盤はヴェラで始まり、中盤でジャーナリストとジャレットの視点がはさまり、終盤でまたヴェラに戻る。それとは別に先述のジャズのミニ講座が中盤にはさまる。これだけでもスムーズな語りではないのに、冒頭とラストが現在のヴェラと父親のシーンでブックエンド構造になっている。コンサート実現までの本筋がきっちり描けていればまだいいが、そこが語り足りないので、このブックエンド構造も流れを悪くするだけの余計な尺に感じられてしまう。
・本筋であるヴェラのコンサート実現に向けた奮闘が語り足りないと思う部分はいくつかあるが、最たるものは彼女がジャレットの演奏を聴いて感動し、次のシークエンスではすでに会場となるケルン歌劇場との交渉に飛んでいること。当然その前にはヴェラがジャレット側にコンタクトし、ケルン公演のプロモーターとなるべく交渉し、承諾してもらう一連の流れがあり、描き方次第では大いに盛り上がる重要なシーンにもなったはずなのに、そこをあっさりスキップしている。実にもったいない。
細かいことを挙げればきりがないが、このへんにとどめておこう。なお、劇場から前払いを求められた1万マルクがどれくらいの価値かわからなかったので、AIに訊いたところ、1975年当時の為替レートで約110万~120万円、物価変動を加味した現在の価値では約220万~240万円相当とのこと。
音楽青春映画は大好きなジャンルなので厳しめのレビューになったが、長編第3作で難ミッションを成し遂げたフルーク監督のチャレンジ精神は大いに評価する。ベルリン国際映画祭に正式出品されたそうで、注目度が上がったことで以前よりも潤沢な資金で映画を撮れるようになるだろう。次回作に期待したい。