大統領のケーキ : インタビュー
長編初監督作、演技未経験者で作った感動作 イラク初のカンヌ受賞作「大統領のケーキ」監督が語る制作秘話&イラク映画事情

第98回アカデミー賞国際長編映画部門イラク代表作で、第78回カンヌ国際映画祭で、イラク映画として初めて監督週間観客賞とカメラ・ドール(新人監督賞)をダブル受賞した「大統領のケーキ」が公開を迎える。自らの体験をもとに、長編初監督・脚本を手がけたハサン・ハーディ監督が来日し、作品制作の裏話とイラクの映画事情を語った。
<あらすじ>
1990年代、イラク。国民が戦争と食糧不足に苦しむなか、フセイン大統領は自身の誕生日を祝うケーキをつくるよう、国内の各学校に命じていた。祖母と2人で暮らす9歳の少女ラミアは、小学校で行われたくじ引きで“名誉ある”ケーキ係に選ばれてしまう。ケーキを用意できなければ、重い罰が待っている――。

ⓒ 2025 TPC FILM LLC. All Rights Reserved.
――本作ではイラクが持つ土地の美しさや文化も描かれているのが印象的です。主人公が住む湿地帯の風景に驚きました。
これまでイラクのイメージは、大抵ハリウッド映画やアメリカのニュース映像を通して描かれてきました。そのため、イラクといえば暴力や戦争といった連想、そして砂漠のイメージで描かれることが多かったと思います。だからこそ、この映画を、スクリーン上で初めて描かれることになる湿地帯(マシュ)の地域で撮影することは、私にとって非常に大きな意味がありました。イラクには北部から南部へと2本の川が流れており、北部から流れてきた水がペルシャ湾へと注ぎます。湿地帯はこの地域に一番多く存在しています。

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――湿地帯はいわゆる都市部ではないわけですね。そこに住む人々の生活について教えてください。
彼らはおよそ7000年前と同じライフスタイルで生きています。家は葦(あし)でできています。自分たちで捕ったものを食べます。経済的に豊かな層とは言えません。そのため、社会においては疎外された存在です。だからこそ、これまでスクリーンに描かれることがほとんどなかったのです。
――この物語は監督の実体験が基になっているそうですが、主人公は少年ではなく、少女にした理由を教えてください。
一番の理由は、シンプルにこの物語が女の子の物語だと感じたからです。ですがもう一つの理由として、確かに私は男ですが、私の育った家は、祖母、母、姉妹、叔母など、女性の存在感が非常に強い環境でした。父もいましたが、当時のイラクにおいて男性陣は不在ぎみだったのです。なぜなら、彼らは戦争で忙しかったか、あるいは当局に追われていたからです。いたとしても、実質的にはいないような状態でした。そのため、女性たちがどのようにすべてを背負い、犠牲を払い、家族を守り、養わなければならなかったのかを私は間近で目撃してきました。そして、この小さな女の子が、表現者として男尊女卑的な社会に立ち向かうというアイデアはとても興味深く、そうすることが非常に自然だと感じたのです。

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――主人公ラミアを演じた、バニーン・アハマド・ナーイフが素晴らしかったです。演技未経験だったそうですが、彼女を抜擢した理由を教えてください。
彼女の存在感、そして間違いなく彼女の「目」です。彼女はとても落ち着いた雰囲気を持っていましたが、目には非常に強い存在感がありました。私にとって重要だったのは、もし子役がセリフを忘れてしまったとしても、その目が代わりにセリフを語ってくれるような強さがあることだったからです。それに彼女はそこに存在するだけでスマートで、社会的な賢さもあり、それだけで十分でした。また、彼女も以前は湿地帯の住人でした。彼女の叔母は今でも住んでいます。彼女にとって今回が初めての映画出演でしたが、彼女は本当に素晴らしい女優であり、非常に優れた能力と本能があります。

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――この映画に描かれた時代は、子どもたちが学校の授業を終えた後、家族を助けて何とかやりくりしていかなければならないという状況です。現在はどう変わりましたか?
今でもまだ残っていますが、規模としては遥かに小さくなっています。しかし残念ながら、今でも存在しているのは、子どもたちの面倒を見るための適切な経済発展が欠けているからです。そしてこれは、1990年代の経済制裁のために私たちが今でも対処し続けている副作用の一つでもあります。
――あなた自身もこの非常に困難な時代を通り抜けてきたのですね。
その通りです。興味深いことに、例えば映画の中では子どもたちが非常に大人として扱われています。当時について一部の人から「彼らはただの子どもではないか」と聞かれることがありますが、当時はただの子どもではいられなかったのです。実際、学校に通う男の子であることすら、当時は顔をしかめられるようなことでした。学校を中退して、両親や家族を助けることが求められていたのです。女の子にとっても同様です。もちろん、現在の子どもたちは学校に行くことが義務付けられていますが、私たちはその点をもっと厳格に継続していく必要があります。

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――独裁政権下でのイラクの映画、映画館について教えてください。
バグダッドは中東地域における劇場・映画館の先駆けとなった都市の一つで、それらの劇場は今でも存在しており、素晴らしい劇場ばかりです。しかし1990年代までに経済制裁が非常に厳しくなり、イラクは鉛筆の輸入も禁止されました。鉛筆には化学兵器に使用される可能性のある化学物質が含まれている、という理由からです。映画のフィルムの輸入も同じ理由で禁止されました。そのため、これらすべての映画館や劇場は、突然倉庫や衣料品店、あるいはエロティック・シネマ(成人向け作品上映)へと変わってしまったのです。つまり1990年から2008年までの間、私たちは映画館には行けませんでした。数軒を除いて、すべてが閉鎖されていたのです。

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――そんな時代を生きたあなたは、どのように映画に触れ、魅了されたのでしょうか?
私はVHSビデオを通じて映画に出会いました。我が家には家族全員で共有している18インチのテレビがあり、私は家族が寝静まるのを待ってから、コレクションされたVHSを観始めていたのです。そうやって私は様々な映画に触れたのですが、初期に出会った映画の一つが、日本版の「ゴジラ」でした。私は確か7歳くらいだったと思いますが、本当に驚かされました。というのも、しばらくの間、私はゴジラがリアルな動物だと思い込んでいたのを覚えています「あれは本物なんだ!」と思っていましたね(笑)。
それから私は、異なる世界、異なる国、異なる監督の映画を観るようになりました。そうして少しずつ自分の好みが形成され、イメージが育ち始めました。その時に「自分は映画が好きなんだ」と思いましたが、後年になるまで自分がフィルムメーカーになりたいとは分かっていませんでした。

――カンヌ映画祭では、イランの巨匠ジャファル・パナヒからメッセージをもらったそうですね。お隣の国、イランは映画製作が活発な国として知られています。イラクは国としては対立していた時代がありましたが、文化的なレベルにおいて、例えば地下に流通していたVHSや海賊版などを通じて、イラン映画を見ることはできましたか?
はい。実はイラン映画に出会ったのは、意外にも私の映画体験の中では後になってからでした。イラン映画を観ることは非常に衝撃的でした。なぜなら、私たちは似たような文化について話しており、共通点が非常に多いからです。そのため、彼らが物事にどう対処しているかを見るのは本当に興味深いことでした。普段見ているアメリカ映画は、文化的な共通点がそれほど多くありません。しかしイラン映画は自分が経験しているのと似たような方法で物事を語る映画だったのです。ですから、私の映画の見方、捉え方において、非常に大きな影響を受けました。
ただ、ペルシャ語のイラン映画をアラビア語に字幕翻訳することがそれほど多くなかったので、あまり一般的な文化ではありませんでした。最初はイランとの緊張関係が非常に強く、その後、和らいでいったから流通しましたが、後になるまでイラク国内にそれほど多くのイラン映画はありませんでした。
――現在のイラクでの映画製作の環境について教えてください。また、国内ではどのような映画が人気なのでしょうか?
イラク映画は、現在に至るまでまだ非常に初期の段階にあります。成長するためには、政府や民間セクターからの多大な支援が必要です。今回の映画がカンヌ映画祭で上映され、賞を獲得したことで、国内にいわば波及効果が始まりました。例えば、国内で助成金が設立され、より多くの映画監督を支援するようになったのです。しかし、それには一貫性が必要です。ある年に助成金を出し、次の年には助成金がない、というようなことはできません。
政府がこの傾向を継続してくれることを願っています。ただ残念なことに、20年間もの間イラク映画が存在しなかったため、私たちは今そこから抜け出そうとしているところです。そのため、観客はまだ自分たちがどんなイラク映画を好むのかを正確には示してくれていませんし、私たちはまだ映画スターを生み出すこともできていません。残念ながら、イラクの観客の大半は、他のアラブ諸国の映画やハリウッド映画を観に行っています。

説明しますと、これはイラク映画の歴史において、カンヌで世界的な賞を獲得した初めてのイラク映画です。そのため、私たちは質の高い作品を世に送り出すこと自体に苦労していますし、政府側にはこのことがイラクの文化的にどれほど重要であるかという理解が深く欠けています。
日本はその点で最高の模範だと思います。日本は文化によって国全体のイメージを変えました。アニメ、漫画、映画、テレビ番組、ゲーム番組などを通じて、日本を伝える素晴らしいパワーを持っていました。しかし残念ながら、私たちにはそれがありません。政府の人々や役人、政治家は大抵そのことを理解していません。彼らは100万ドルを支援したら、100万ドルがそのまま戻ってくる必要があると考えており、それがもたらす目に見えない影響力を理解していないのです。例えば、私たちの映画は、これまでイラクを見たことがない、あるいはイラク映画を一度も観たことがないような場所でも上映され、これが彼らにとって初めて見るイラクになりました。いずれにせよ、私たちはここで政府側の無知と闘っている状態です。

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――映画の最後の方で、サダム・フセインの実際の映像が使われていますが、簡単に入手できたのでしょうか? また、現在は検閲は行われないそうですが、映画製作への反発などはなかったのでしょうか?
フセインの映像は使用できました。というのも、政権崩壊後に、多くのアーカイブ映像が残念ながら流出するか盗まれたからです。そのため、私たちは実際にその映像を所有していた人物から提供してもらったのです。ですから、使用はそれほど難しくはなかったです。検閲はありませんが、製作中には嫌がらせなどがありました。ですが、映画が賞を獲得した後は、彼らは突然親切になりました。
――ということは、現在は基本的には作りたい映画を作れる、表現の自由があるということですね。
実際はそうでもありません。なぜなら、彼らは私たちの制作を中止させようとさえしたからです。こうした妨害の戦術をどう切り抜けるか、スマートに立ち回らなければなりません。彼らの信念や逆鱗に触れるようなことをしない限りは、映画を作っても大丈夫、というような状態です。
