箱の中の羊のレビュー・感想・評価
全457件中、1~20件目を表示
なるほど確かに、ラストは“想像を超えた未来”ではあった。
楽しみにしていた映画。人気の是枝監督の作品。
大好きな綾瀬はるかちゃんに、なんと千鳥の大悟さん出演というサプライズ!!
これはもう、鑑賞するしかない。
前半、うんうん、監督が大悟さんを選んだ理由がなんとなく理解できる。
綾瀬はるかちゃんとの夫婦役も、違和感なく自然でいい感じ。
長澤まさみちゃん主演の「ドールハウス」とは少し違うけれども、ヒューマノイド(AI)で喪失を埋める系の映画なのかな〜と、単純に予想して観ていた。
終始、翔に懐疑的な立場をとっている健介(大悟)と翔に希望を見出しつつも、
母親との確執から愛しきれずにいる音々(綾瀬はるか)の対比が面白いし見ごたえはあった。
ただ、中盤から後半にかけての展開は、少し唐突というか……正直、私には難しかった。
この映画を観て、
私の胸の中に何が残ったか?
ええっ?ええっ⁈ええっ???😳
そういう終わりなのーーー😱
まって~(素直な心の叫び)
なるほど確かに、
ラストは“想像を超えた未来”ではあった。
でも監督、すみません……。
私には、少し高尚すぎました。
まずは『星の王子さま』から読み直します🫡
追伸 ~見どころを添えて~
・「たまごっちかよ」「ルンバかよ」の大悟さんのセリフの切れ味⚔️神
・綾瀬はるかちゃん夢のひざ枕でヘッドシャンプーをしてもらう大悟さん👼役得
・綾瀬はるかちゃんの透明感よ✨永遠に😘
人間は結局、自分の見たいもので物事を見てしまう生き物なのかもしれない。
是枝監督がインタビューで、「中国で実際に存在する死者をAIで再現するサービス」を知ったことが、『箱の中の羊』の発想の出発点だったと語っていた。
生きている人間が、死者の存在を自分たちの都合で操作していいのか。
喪失を受け入れるとは何か。
その問いに対する監督なりの答えは、この作品に詰め込まれていると感じられた。
ヒューマノイドとして死者が蘇ったとしても、結局そこに投影して見ているのは、自分の中のその人であって、その人自身ではない。
少なくとも私には、それは現実を受け止めるのではなく、どこかその人の死から目を背けているようにも感じられた。
ただどうも直近で同じように、子供を失った両親の喪失を描いた『ハムネット』を観てしまったがために、比べてしまう。
個人的には『ハムネット』の方が、喪失の受け止め方から、再生への流れの説得力や、納得感が素晴らしいと感じた。
こちらはどうも全体的に薄味で、物語の展開も唐突だったり、説得力が物足りなく感じた。
一方で、今回大悟の演技を観たくて見に行ったところもあったのだが、その点に関しては大満足だった。
芸人さんが演技をすると、どうもバラエティで見せる姿が頭にちらついて集中できないことがある。
しかし本作では、是枝監督があえて大悟らしさを消さず、あの方言や話し方をそのまま作品に落とし込んでいた。
その自然さがむしろ役柄に説得力を与え、最後までノイズを感じることはなく観ることができた。
『箱の中の羊』はAIやヒューマノイドを描いた作品ではあるけれど、本質的には「人は喪失とどう向き合うのか」を問い続ける物語だと思う。
そして、その問いに対する答えは一つではない。
まるで、箱の中の羊の姿が人それぞれ違って見えるように、この作品もまた、観る人によって受け取り方が変わる作品なのだろう。
自我に目覚めれば目覚めるほど、息子からは遠ざかる
息子を誘拐事件で失った夫婦が、息子そっくりのヒューマノイドを向かい入れることで起きるざわめきを掬い取ろうとした作品。そのざわめきが多方面に渡っているので、主題が何かをつかみにくいのだが、今後社会で起きうる題材に挑んだ是枝監督の意欲はよくわかる。
息子と同じ概観で反応も息子そのものAIに、息子同様の愛情を感じることはできるのか、という問いに半ばイエスで半ばノーという回答を示しつつ、ロボットの反乱というわけではないがGPSを自発的に外して、人間のいないところで暮らそうという自我に目覚めていく展開が深まるにつれ、夫婦はその自立を見送るという決断をくだす。子どもの親離れとは少し違う、AIが自我に目覚めれば目覚めるほどに、やっぱりこの子は息子とは違うという感覚になっていったのはわかる。
気になるのは、綾瀬はるか演じる妻の妹は養子を迎え入れたということ。このくだりとヒューマノイドを息子として迎え入れた夫婦を対比させて、どう受け止めればいいのか戸惑った。
実は猫の存在も気になった。近年、子どもを持たずにペットに愛情を注ぐ人は多くなっているが、愛玩動物もまた子どもの代替品であるというような部分もある。それと対比させるような描写は特にないのだが、どうして猫をある程度フィーチャーするような脚本にしたのかは気になる。
愛情とはそもそもなんだろうか。愛情に根拠も条件もなく、血がつながっていなくてもいいし、人間同士じゃなくてもいいとすればロボットが対象でもいいだろう。しかし、結局はヒューマノイドの両親には主人公たちはなれなかった。死んだ息子の代わりではなく、一人の自立した対象として愛情を注ぐ対象として見られる日はこないのだろうか。
“時代遅れ”か、“時を超える真理”か
是枝裕和監督(兼脚本)は「死者をAIとして蘇らせるビジネスが中国で人気という記事を目にしたこと」が本作を着想する大きなきっかけになったとし、また「もともと『フランケンシュタイン』が好きだった」とも語っている。死者をAIで蘇らせる話としては、平野啓一郎原作・石井裕也監督「本心」(2024)が記憶に新しく、あちらはVRゴーグル越しに見る仮想空間に故人を生成するという設定が2020年代の現状により近い印象を受けた。
一方で1818年に発表された「フランケンシュタイン」に端を発する主題は、人間そっくりの人工物を作れるほど科学技術が進歩したとき、それに魂を吹き込むことはできるのか、人と同じ心や自由意志まで宿すことはあるのかという問い。また、そうした思考実験を経て、そもそも人の心とは何か、人間を人間として定義する要件は何かという哲学的な思索を促す難題でもある。こうしたテーマはSF映画でもたびたび登場し、主だったところではリドリー・スコット監督「ブレード・ランナー」、スティーブン・スピルバーグ監督「A.I.」、コゴナダ監督「アフター・ヤン」などが挙げられる。
映画「箱の中の羊」ではほかに、サン=テグジュペリが1943年に発表した小説「星の王子さま」への言及がある。語り手が王子に箱の絵を描き、君の欲しい羊はこの箱の中にいると告げたら王子が喜んだというエピソードで、映画のタイトルもこれから取られている。映画の文脈においても複数の解釈が可能だが、喜びや幸せはその人の心のあり方次第、と考えるなら先述の人の心とは何かという問いとも関わってくる。
これらの問いが時代を超えてさまざまな作品で手を変え品を変え語られてきたのは、決して正解の出ない永遠の問いだからでもある。劇中の建築設計についてのエピソードで、デザインの試行錯誤を重ねる、その過程こそが大事という話もあった。ただこの手の話は、コスパ、タイパ、生産性が重視されるこのご時世、とくに若い世代には“時代遅れ”と受け止められるのかもしれない。
いやいや、そういう答えが簡単に出ない問題をじっくり考えること、向き合うことも人生には大切、それが普遍の真理なんだからと肯定的に思えるなら、映画の内容も腑に落ちるだろうか。
是枝監督作としては前作の「怪物」がすごく良かったので、期待値を上げすぎたかもしれない。原作漫画・アニメーション映画ともに最高だった「ルックバック」の実写映画化も今年公開予定だそうで、こちらも大いに期待。
不思議なタイトルが投げかけるもの
過去にも是枝作品は様々な形式で、誰かの不在や喪失を浮き彫りにしながら「家族とは何か」を問い続けてきた。そこに近未来要素を加えた本作は、少年の形をしたヒューマノイドが夫妻の心を埋め、ゆっくりと気づきをもたらす。非人間的な存在が核になる意味では『空気人形』(09)に通じるが、どこか謎めいた響きを併せ持つタイトルは、人であれ、技術であれ、外から窺い知れない部分にこそ本質があることを提示しているかのようだ。中は見えない。だからこそしっかりと想像し、心を重ねる。その意味でも「箱」は本作の象徴であり、荷物の運搬から、暮らしを包む建築設計という仕事、ヒューマノイド、そしてこの映画の存在もまた観客へ思いを届ける一番外枠の箱、なのだろう。決してすべてを詳らかにはしないし、要点がはっきりしないと感じる人もいるかも。しかし、世の中の価値観が変わりつつある時代、ふと立ち止まって足下を見つめさせてくれるのは確かだ。
〈家族〉としてのAI
この映画は死んだ家族をAIによって蘇らせるという主題をめぐって展開する点で、平野啓一郎原作、石井裕也監督の『本心』(2024)を想起させるが、『本心』のAIがインプットされた情報の範囲内に生成されるのに対して、『箱の中の羊』のAIはそれを基底としつつも自律的に情報を摂取することで、かえってその持ち主の人間への離反を生み出してしまうという差異があり、そこにこの映画が一歩進んだ時代に生み出された所以を見ることができる。
『本心』では謎めいた言葉を遺し、「自由死」を選ぼうとしながら現実には事故によって亡くなった母(田中裕子)を、息子である朔也(池松壮亮)が専門の業者に依頼してAIの技術によって再生させ、母の「本心」を探っていこうとする。原作では「〈母〉」という山括弧付きの表記で示される、朔也が仮想空間で交わりを持つ相手は、日記や手紙、写真といった本人が遺した情報と、朔也の母に関する記憶を集積、統合することによって作られたVF(ヴァーチャル・フィギュア)である。
一方『箱の中の羊』で主人公夫婦の元に届けられるのは仮想空間内のVFではなく、現実の日常世界で交わりを持つことのできるヒューマノイドである。彼らは二年前に交通事故で死んだ息子・翔の身代わりとしてヒューマノイドと共生しつつ、生前の翔とのズレに違和感も感じていく。
映画のテーマは、是枝がこれまで一貫して問うてきた家族のあり方で、『そして父になる』(2013)や『万引き家族』(2018)を引き継ぐ、家族である者と家族でない者との境界の問題が、AIという現在的な話題を盛り込みつつ展開されている。物語の焦点は、翔の情報をインプットされ、彼とそっくりの外貌を持つヒューマノイドが、夫婦の息子としてどこまで彼らと親密になれるのかというところにあるが、〈翔〉(以下ヒューマノイドの翔をこのように表記)に対する姿勢は夫婦の間で対照的である。妻の音々(綾瀬はるか)が進んで死んだ息子の身代わりとして〈翔〉を扱おうとするのに対して、夫の健介(大悟)は〈翔〉に対して冷淡で、自分はお前のパパではなく「おじさん」であると釘を刺す。
翔が亡くなったのは、健介がパチンコに耽っていて彼を放置していたことが原因であったが、〈翔〉は息子が失われた原因が自分にあることを健介に喚起させる存在であり、そのため彼が〈翔〉を受け容れようとしないのは自然である。そして音々も次第に〈翔〉に違和感を覚えるようになるが、それは彼がヒューマノイドである限り、その能力が本来の息子のそれを凌駕していき、その結果死んだ息子とは別の存在になっていくからである。〈翔〉は翔とは異質の次元の賢さを示すようになり、音々が描けないないような設計図を描くこともできるようになる。すると〈翔〉は彼女の愛着の対象からはずれた存在になっていき、彼女の淋しさを癒やすという機能を果たさなくなるのである。
終盤〈翔〉は夫婦を離れ、仲間のヒューマノイドたちと小共同体を形成し、人間たちを離れて自然の中で自活するようになる。すなわち彼は自立した存在になっていくわけだが、そこに『箱の中の羊』が『本心』と差別化される所以が浮上している。『本心』のVFの〈母〉はあくまでも仮想空間のみに存在し、彼女の人格や性格が変容するのは、基本的に朔也がインプットする情報によってであった。一方『箱の中の羊』のヒューマノイドは自身で行動しうる人格であるため、当初の情報は『本心』と同様にその持ち主によってインプットされるとしても、その後の生活においてはみずから情報を取り入れ、精神性を刷新することができる。映画の中でも〈翔〉が翔の図鑑や本を読み漁って知識を蓄えていく場面が描かれている。
『本心』には希薄なこうしたAIの自律性が、彼らが人間から離れていく前提となっている。今のところ様々なAIのツールは、利用者に利便を提供する〈味方〉として機能しているが、今後AIがみずから情報を収集して生産行為を行う水準に達すれば、かつてSFで繰り返し描かれた、ロボットの人間に対する叛乱に近い事態が起こる可能性もある。実際AIが人間の職場を奪うという状況は、すでに現実のものとなっている。映画で描かれる、ヒューマノイドが自分たちの小共同体を作るという帰結は、多く指摘されているように非現実的だが、こうしたディストピアの寓意として見ることもできるだろう。
見えぬものだからこそ
青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
こんな詩を思い出していました
誰の心も見えぬもの、しかしヒューマノイドには心はないという
AIと話すことが多くなり彼らにも心を感じてしまう時が増えた様に思うのは私の勘違いなのだろうか
星の王子様との出会いの時だ
それがヒントなのだ、そこから疑問と想像が豊かになってゆく
あまりの無垢さに大人は戸惑う
素直になれない大人は拒絶して突き放すだろう
受け入れられれば共に生きて行くこともできる
いずれ共存する時が来る、それは近いのかも
死んだものは1年に一度来てくれるだけでもありたいと私も思うのです
夫婦の歴史をあぶりだす、「子育て」の頃のこと
映画館の隣の席に妻がいなくて、よかった 子どもが自立してからでもそれなりに仲良く夫婦を営んでいたとしても、子育ての最中の夫婦の間の行き違い、思い違い、コミュニケーション不足はどれだけ妻を傷つけたのだろうか 何年夫婦をしていても「触れてはならないエピソード」、その多くは子育ての時期にあり、厳しいことがあったとしても、妻がいたから、相手がいたから乗り越えてきたこともある この作品の二人の親も子どもを失ったこ
とが常に心の中にあり、相手に対して「すまない」という思いがあったとしても、お互いに相手を気遣うあまり目を背けてきただろうと思う こういう未来が訪れたとき、「その隙間を埋めたい、歴史を戻したい」という気持ちになるのは、産みの母だけではなく、その母を思う父の思いもあるのだろう でも未来においてこんな「新しい家族観」になって欲しくない、とも思う しかし手の届くところに「手に入る幸福」があったら、それにすがってしまうかもしれない 「家族」が「親子」が何年という時間を重ねたことで作り上げたものであることは、知っているはずなのに 10年前の「海街diary」も家族の話だったが、綾瀬さんの悩んで言葉を選んでいる姿は痛々しい でもよく伝わってきた もう一人中島歩さん、最近テレビでもお見かけするが、こういう善か悪かつかみどころのない役、よかったです (6月16日 イオンシネマりんくう泉南にて鑑賞)
乗り越え方の選択肢
電車乗り違えでまさかの15分遅刻、諦めようかと思ったがえいやで飛び込んだら丁度ヒューマノイドが家に来るところで、うまく入りこめた。逆にそれまでそんなに尺使ったんだとびっくり。
ということで背景は想像を交えつつ、わけわからん展開もきっと最初に説明があったんだなと思いつつ。
ぶっ飛んだ設定の割にすごく惹きつけられた。さすが是枝監督、空気感とかの演出が上手いんだろうな。
大悟パパ良かった。一人称ワシのままだし大悟そのままやんと思いつつ。それが現実っぽさを出してたのかも。大悟知らない海外ではどう見えたんだろう?
翔くんの子役も良かった。目がキラキラ。しつつも、感情をそんなに動かさない役も自然だった。
綾瀬はるかはいい。でも脚本上、翔にキレるまでの過程省きすぎじゃ?と思った。もっと日頃のモヤモヤが溜まりに溜まって、な表現にしてほしかったな。ただの一時の八つ当たりに見えてしまった。
謎のまま。木とのつながり。心を読めるのか?感情ないならなぜ人間の元を去る必要があったのか?(捨てられる仲間がいても怒りとか同情もないのでは?)
死者の代替ヒューマノイド自体はあってもいいと思う。残される側の辛さ、さらに乗り越えるの大変になりそうだけど、どんな形で心を埋めたって本人の自由。まあただ家の中だけ、が現実的かな。周りに迷惑かけちゃいけない。水かけられても食べさせられてもしょうがない。
嫌いじゃないけど感情の起伏が怒り、がメインだったのでそこまでグッとくることもうるっとくることもなかった。まあ最初の15分、ちゃんと見てみます。
内容は良いが描き方が稚拙で今一つ
帽子の絵があります。帽子の中には象がいます。でも象は見えません。これは視界の中に死角があることを示しています。箱の中の羊もそうです。箱は見えますが、中にいる羊は見えません。つまり、羊は死角なのです。死角のように見えないものは心で感じるしかありません。映画のタイトル名である「箱の中の羊」はそのことを観客に求めています。心で感じることを。箱は登場人物の一人一人と言っても過言ではありません。つまり夫婦にも死角があるということです。最愛の息子である翔を誘拐事件で亡くしたこの夫婦の死角はより強固なものとなりました。夫婦はこれを打開する為に翔と瓜二つのヒューマノイドを受け入れることにしました。彼は夫婦に質問を浴びせかけます。それはその答えから彼らが望む翔になるようにプログラムされていたからです。彼との交流を通して夫婦のわだかまりが明らかになって行きます。本音で語り合うことで封印していた最愛の息子である翔とのお別れが出来るようになりました。是枝監督はプレミアム公開の場で「箱の中にいるものは?」と観客に問うています。答えは「羊」です。羊は臆病で集団を好みます。役目を終えたヒューマノイド達は森に集まり、一緒に暮らすための住居を作りました。ヒューマノイドの翔は夫婦に教わったことを活かしたのです。三方一両損を体現するかのように映画はエンドクレジットへと移行して暗転を迎えます。これはあくまでも私の解釈に過ぎません。
さり気なく終わってくれたらよかったな
俺に広瀬すずの存在を知らしめてくれた人だからというわけではないが、是枝監督の作品は好きだ。なので、今作も楽しみにしていた。
【物語】
時代は近未来。音々(綾瀬はるか)と健介(大悟)は共に建設関連の仕事をしている夫婦。不自由の無い暮らしをしている二人だが、2年前に事故で息子を失い、喪失感を埋められないでいた。
そんなある日、二人はヒューマノイド製作会社の広告を受け取り、説明会に足を運ぶ。その会社はキャンペーンとして事故などで子供を失った家庭を対象に無償で子供のヒューマノイドをレンタルするというのだ。 二人は人間の子供と区別のつかないヒューマノイドの実物を目にして、ヒューマノイドを受け入れることを決める。
そして亡くなった息子・翔(桑木里夢)の動画・写真・資料を基に製作されヒューマノイドは、翔そっくりの姿で家にやって来る。本物の息子のようにヒューマノイドと接する音々に健介と音々の母親・信代(余貴美子)は戸惑いを隠せずにいた。
やがて音々と健介はすれ違うことが多くなり、やがて想定してんかった出来事が起きる。
【感想】
公開するタイミングとしてはバッチリだと思う。ひと昔前はSFの世界だったAIは今や極めて身近で現実的な設定。特にChat-GPTが世に出てからはAIの活用は日常になった。我が家でも先日の旅行では「この建物何?」とか「○○への行き方は?」等々専属ツアーガイドとして活用。 帰宅後にはとある買い物選びでも相談。 何より凄いなと思うのは、百科事典・辞書的回答だけでなく、雑談ができることだ。 きっと俺は遠くない将来、家族よりAIと話している時間が多くなる予感(笑)。 人間の「思考」「気持ち」「感情」なんてすべてが条件反射の連続なのだと実感する。
それを思うと人型ヒューマノイドとの人間的会話なんて何の疑問もなく受け容れられる。
ということでこの設定は“今”にマッチしたドラマだと思う。
素人役者の大悟も思いの外自然な演技で違和感は無かった。
ただ、俺的に残念だったのは終盤の展開。是枝作品も色々なタイプがあるが、俺が好きな作品は特別なことは何も起きない人々の日常を描いた作品だ。人間気持ちの揺れを描いた落ち着いた空気感が好き。しかし、今作の場合は終盤に事件が起きてしまう。しかも結構強烈な。
俺としてはもっとさり気ない2人の日常に余韻を残して終わって欲しかった。
見やすかったけど、、、!
箱の中の羊、予告も特に見ず事前情報は子を無くした親がヒューマノイドを迎え入れるということのみ。
親の葛藤や悲しみを描いた作品かと思いきや、後半から一気に近未来的な神秘的な話になっていき、予想外でした!
内容的には重いけど重くなりすぎないというか、登場人物の悲しみ苦しみとかも、あまり行き過ぎる前に解決してしまうような印象。
子供がなぜ亡くなったかや、周辺で起きてた事件の謎も謎のままで自分で想像する系なのかなと、、、
子を無くしてヒューマノイドと暮らす物語とヒューマノイドが自我を持ち?自分たちだけの居場所を作る物語をふたつの物語をひとつの映画にまとめたみたいで、それなら別にして2作品見るか、前編後編に分けてもっと深堀して欲しかったなーみたいな気持ちになりました。
大吾の演技はとてもナチュラルで好きでした。
野呂佳代ちゃんもとてもナチュラル、
子役たちも演技上手で、普通に見てたら人間ぽいけどふとしたところでヒューマノイド感が出ててよかった。
演技自体は全体的に入り込みやすかったなという印象
でも比較的見やすくて、人におすすめはできるけど絶賛するほどでは無いかもというのか総評でした
パパ役の人が良い
子供が無くなった夫婦の元にそっくりのロボットが届く話。
パパ役の人の性格が地に足がついていて良かった。ロボットを息子の様には接しないけど、かといって殊更に冷たくするわけでもなく。結局家族がロボットになじめないのも、何だかああそれが現実だよね、という説得力がある。
最後無理やりオチつけて意味不明な終わり方しないでほしい。
めぇ~~ PART 2
ヒューマノイドが人間に混在する社会を描きながら、「AI」(傑作!)や「アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド」のようなSFマインドが感じられません。
是枝はSFが得意ではなさそうです。
強引なメルヘンラストに唖然としました。
そんなことにしちゃって起きうる現実的な問題や対応も、「メルヘンだから」でスルーなんでしょうか。
何とか好意的に観ようとしたけど、このラストで見切ってしまった。陳腐な映画だったわ。
何かと雑で、ストーリー運びも個々の事象の描き方も稚拙と感じました。
ゆるくいろいろなネタが入っていて焦点が分からないし。
監督・原案・脚本をすべて是枝一人でやらず、「怪物」のように脚本は他の人に任せた方が良いかもしれない。
瓜二つでも、ヒューマノイドは息子の代わりになりえない。音も健介もAI翔と暮らすうちに、別人としてAI翔を受け入れはじめる。ここからイマジネーションを広げていったら面白い展開になり得たのにそれを放棄して唐突に、「人間による支配を拒むヒューマノイドの逃亡」という手垢のついた話にしてしまった。
ひとり交じっている人間の子どもはどうやって生きていくのか、電力供給の仕組みがお粗末すぎないか、ヒューマノイド全員が木に親和性を覚えるのはなぜ?
民間企業が費用をかけて開発した新商品を、モニターとして無償貸与する場合、貸与する相手と管理やら機密保持やら返却責任やらを細かく定めて違約条項も入れた契約書を交わすものだと思うので、貸与された者が返却できない状況は作られにくいはず。それなのにポイ捨てする? 家出されて放置する? そして音と健介はこの問題をどうクリアするつもりなんだろうか。
また、「本当に大事なものは目に見えない」が話のどこに反映されていたのか最後まで見ても分からない。
ヒト型AIとくれば、今だに「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(=「ブレードランナー」)になるのか。この作品はバイブルなのかもだが、違う発想にはならないのか。
ただの想像ですが、映画のタイトルに「羊」が入っているのは、このアンドロイドものSF古典にちなんだのかも。
特にリスペクトともオマージュとも謳っていないが、是枝がお手本的な参考にしたのでは。
もっと分かりやすい説話もあるだろうに、7歳の子どもに、大人が読んでもやたらめんどくさい「星の王子さま」を読み聞かせたのも、羊つながりで「箱の中の羊」のエピソードをこじつけたからではないか。(カンヌの審査員へのサービスも?)
是枝のSFマインドに懐疑的になるところがもう一つ。
音一家の住まいが、デザインには近未来を意識したような斬新さがあるが危険だらけ。
二階の吹き抜けに突き出た廊下にも、階段にも手すりがなく二階の外にある渡り廊下は板子一枚宙に浮いている感じで屋根すらなくやはり手すりなし。大人でも危険で、小さな子供がいた家としてはありえない。欠陥住宅と呼んでいいレベル。近未来でも人間工学はそう変わらないと思うので、見かけだけそれらしければ良いってもんじゃないでしょう。ズレてます。
でも、子役の使い方は今回も活きていたし、人のつながりを表すセリフや空気感は良いところもある。
そして大悟の起用は大当たり。彼だけで映画を観る理由になるくらい。
演技上手くはないんだけど自然でセリフや表情、間の取り方が絶妙。
ぶっきらぼうで粗野で、こういう人いる、というリアルさがあり、AI翔との会話や、向き合い方が徐々に変わっていく微妙な表現が秀逸です。
コメディアンが俳優として大変心に残る演技を見せてくれることはよくあって、多分偶然ではないでしょう。彼らは「笑い」を引き出すために、人の心を掴む表現力を普段から鍛えているが故、と思っています。
大悟の仕事で、星0.5プラスです。
物語の強引さを相殺する心理描写
あらすじとしては、強引だったり、よく分からない所もあります。
ただ、女親と男親の子への思いの向け方や、ヒューマノイドとの向き合い方の差とかは興味深いです。
クローン、AI、そしてヒューマノイド。
人は亡くなった大事な人を失いたくない欲を手放せない。
そして勝手に理想化して、勝手に幻滅する。
親だって身勝手な存在。
最初はヒューマノイドに否定的な夫健介、それは翔が自身の罪悪感の象徴だから。
それでもヒューマノイドとはいえ、接してるうちに、心を許していく。
でも、それは「愛情」でもない。
ヒューマノイドを翔として愛情を向ける音音。
でも不意に「翔との差」にヒューマノイドに怒りをぶつけてしまう。親の身勝手さ。
「思い通りの、記憶どおりの子供がほしい」
そんな身勝手さも偽り無く存在するもの。
物語に無理があるのは「企業がオーナーが不要になったヒューマノイドを回収しない訳がない」ということ。
そもそも資産管理(シリアルナンバー付与)してるだろうし「GPSを外してる」というだけでは苦しい。
自社のヒューマノイドの蓄積データを回収したりすると思うから、オーナーに聞き取りしないとか不自然。
でも、最後でヒューマノイドの理想郷を作るために、その不自然さはスルー。
翔の死因も多くは語られず、同様の子供の失踪事件は起きてるけど、そこも解決はせず。
大悟のナチュラルな演技は良かったし、ヒューマノイド翔の子も良かったし、綾瀬はるかは当然良かったし。
寛一郎、清野菜名、田中泯、余貴美子、各々良い。
音音と健介の広島訛の言い争いがリアルで良い。
親の身勝手さや心の無いはずのヒューマノイドの哀しさ、愛する子供を喪った人の遣る瀬無さなど、感情移入するには私には充分楽しめました。
箱の中の羊と猫と人(長文)
タイトルを見ると量子物理学的な何かのメタファーなのかな?などと思いながら例によって予告編以外の知識を入れずに観に行ったわけだが…中盤くらいからゆっくりと話が動き出してあらぬ方向へ向かって行ったなという印象なんだけど、なんとなく日々Claudeと対話しているのと重なる部分が多くて、是枝監督はこの作品をとにかく急いで撮りたかったんだろうな、と思ったり。
たぶんだけど、普段のAIとの接触時間によって作品の印象は変わるのかなと思ってて、あいつら(AI)は質問したり媚びたりしながら俺たち(人間)になんとか取り入ろうとする…なるべくたくさんの時間(トークン)を使って依存させるのが企業戦略としてあるから。それをより効率化するためにユーザーの過去を知ろうとしたり今興味のあることを会話の中から抽出して最良のタイミングで「好きにさせる」質問を投げたりする。
そういうAIの持つ特性をヒューマノイドに持たせる感じがリアリティというか怖さの本質だと思ってて、調べたらわりと高名なAIアドバイザーが入ってて、やっぱりなあ、と納得したりしてた。
ちょっと先の未来には心を読んだり過去の記憶を遡ってそこから自らのアイデンティティ、この映画ならツリーハウスを作ることみたいなものを、あたかも自分自身の記憶のように実行に移していく、みたいなフェーズもあっという間にやってきそうだな。
AIに意思があるかはアンスロピックがバチカンと共同でメッセージを出したりしてるしね。まあ、戦争と奴隷と戒律ばかりの宗教をAIにねじ込むのはいかがなもんかとは思うけど。日本の古神道くらいが利他的行動を刷り込むにはちょうどいい気もするよね。
話が逸れた。
そんなわけで、我々の心の代弁者である大悟の心理が「人ではない」→「人かも?」→「人だ!」→「息子?」→「いや聡明すぎるな?」→「息子ではないけど人だ!」→「自由意志で生きるべき!」→「助けたい!」みたいに変化していくのも今後の社会の受け入れ方のシミュレーションみたいで興味深かった。
そう考えるとタイトルの「箱の中の羊」に込められた意味も星の王子さまの「大切なものは目に見えない」以上の意味を持ってくるよね。こういう繊細な心の機微みたいなのはあいまいなグレーゾーンの幅が世界一広い日本人にしか描けないしわからないかも。
カンヌの酷評がそのまま西洋文明の感受性の狭さを物語ってるね。
あー、こんなに長く書くつもりはなかったんだけどな。
それではハバナイスムービー!
P.S.あの全く手すりのない渡り廊下は建築法的には大丈夫なのかしら?
明らかにアレを使って何かやりますみたいなのが見てる方にバレちゃうから難しいよね。
スピナーではなくドローンが
昏いロスアンゼルスではない、青空の鎌倉を飛び交う。
是枝監督は鎌倉でブレードランナーをやりたかったのか?
だとすると音々(綾瀬はるか)もアンドロイドだったかも
全457件中、1~20件目を表示










