たしかにあった幻のレビュー・感想・評価
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生死・命のお話
「朝が来る」の河瀨監督とのことで気になって見てみました。
序盤の屋久島の景色はとてもきれい。美しい景色からはじまるとても重い題材の作品でした。
「大きな家」という作品を見たばかりだったので、児童養護施設とはまた別パターンの普通に暮らせない子たちの話は重すぎてしんどかった。あらゆるシーンで大泣きしてしまったので映画館で見たのは失敗だったなーと後悔したくらいです。
子どもの臓器移植の話がメインだと思っていのたですが、生死・命のお話ですね。
映画を見てから数日間、頭の中で色んなシーンを思い出すくらいに考えさせられる作品でした。
先進国の中でも日本は臓器移植やドナー登録件数が著しく少ないこと。
移植に対するフランスと日本の考え方の違い。初めて知ることが多くてその違いがなかなか面白かった。
日本での死の定義、誰かの臓器=命を頂いて生きながらえることへの考え方、フランスでは贈り物として受け取るという考え方。根本的に違うんですね。臓器移植のことは知っていても中身のことは全くで何も知らなかったのだなと思いました。
中盤までジンの作品での存在理由がわかりませんでした。働かず家でだらだらしているだけで、仕事や精神面で疲れていたコリーが怒ってしまうのはごく普通のことでは?と思ってしまいました。
ふらふらしてて信用できない根無し草みたいな感じだなって思ってた人はやはりその通りだった。突然消えて結局戻ってはきませんでしたね。
失踪宣告の事を知らなかったので、こんな形の”死”もあるのだと知りました。。
実家を訪ねたときに継父が、息子や孫もいるし遺産のこともあるから・・・と語っていましたが、あれもリアルな言葉だなと思いました。
臓器提供を待っていて間に合わなかった子どもと、その家族。
臓器提供をすることになった子どもと、とその家族。
誰かの臓器を受け取って病を乗り越えた子どもと、その家族。
病気で子どもを亡くしてしまった人、同じような人を支えたいと思う人。
あらゆる目線の気持ちも描かれていました
短い台詞の中になかなか重い言葉が混じっていたり、
この細やかな表現は女性監督ならではなのかもしれません。
そしてとにかく役者さんが上手すぎました。沢山泣かされた!!
映画の途中でお医者さんが心臓移植手術のことを語るシーンがあったけど、あれは役者さん?なんだかリアルすぎて本当のお医者さんの言葉なのかなと思いました。
また落ち着いた頃にゆっくりと見直してみたい作品です。
たしかにあった幻
「行方不明、小児移植、ヨーロッパ諸国との生死の認識の違い、日本人の意識、自然のあるがままの姿をとおして河瀬直美監督描く人間の生き方」
河瀬直美監督は近年の作品「あん」でハンセン病患者への偏見や存在意義を「光」では視力を失っていくカメラマンと想像力の意味を「朝が来る」では不妊夫婦が特別養子縁組や母性、命の尊さを扱ってきました。まさに弱者に寄り添う社会問題をテーマに作品を作り上げてきた監督さんです。
最新作の「たしかにあった幻」にも大いに期待感を膨らませて映画館へ行きました。
正直、期待を裏切らない素晴らしい作品になっていました。
以下、映画感想文を書きましたので、読んでみてください。
【映画感想文】
日本とヨーロッパ諸国との生きている、死に関する認識の定義が根本的に相違していることを強調している。そのため小児移植に対する、日本の教育の未熟さ、日本人の意識の問題、医療体制のシステムの脆弱さ、そして現実の医療の限界が見えてくる。フランス人の医師コリーは日本とヨーロッパ諸国のあらゆる違いにだんだんとストレスをためこんでいく。
コリーと迅の関係。言葉が通じても個人の生き方は個人ごとに委ねられている現実。コリーと迅は屋久杉で出会う。まさに神聖な自然の中で。意気投合する二人。迅は翌年の自分の誕生日に突然コリーの家を訪れ同棲し愛しあう。しかし徐々に二人の間に隔離がうまれる。生き方の根本的相違だ。そして一年後の迅の誕生日の翌日、迅は失踪する。
移植するドナーを待つ小児病棟の子供と母親。何年も入院して待っている子供に付き添う母親たちの苦悩。苦労が報われなく、あっけなく死を迎えてしまう少女。母親の落胆。仲の良かった男の子の涙。ドナーが見つかり苦労が報われるのに、素直に喜べない母親の気持ち。これらの描写は、俳優が演技をしているのではなく、コリーがカメラを向け、事実をありのままに映し出す、まさにドキュメンタリー的強度を持っていた。このような描写をリアルと言うのではないか。
失踪した迅は家族から行方不明届が出されていて、手続き上、迅はこの世から消滅した存在なのだ。だから迅と出会い、暮らしたコリーの時間は幻でもあったのだ。
コリーと迅をめぐるフィクション。小児病棟のドキュメンタリー性。相反する二つが組み合わされ、人生は意のままにならない無常を実感させられる。
何度も繰り返し映し出される自然の描写。自然はあらゆる力を受け、利用し今存在している。自分だけの力だけではなく、他力によって生きぬいてきたのが、今残っている自然の姿だ。
肉と肉、
河瀬直美の史上最高傑作だ!
日本では年間に約8万人以上が失踪する。失踪は事故や事件に巻き込まれる場合と自ら身を隠す「蒸発」の両方があるが、多くは発見されたり帰宅するのだが、数千人は行方知れずとなる。そして失踪届から7年経過すれば「蒸発」した者の死が認められる。つまり映画の中の迅は(たぶん)生きているのに死んだことにされてしまう。一方、コリーが勤務する小児病棟の心臓移植の現場では久志が永瀬正敏の息子羽響の心臓を移植することにより「生」を得ることができた。羽響は死んだことになるが久志の体を通して心臓は生き続けることになる。
河瀬直美は2時間の映画の中でこの2つの重いテーマを見事に描き、更に屋久島の荘厳な自然をも取り込み感動的な物語を作ってくれた。パンフレットのプロダクションノートも読んだが河瀬直美のこだわりが映画のあらゆる面に満ち溢れていた。病院内で行われたカンファレンスのシーンは現職の医療関係者と俳優が実際にディスカッションしコリーも自分の言葉で場を仕切るようにしたとのことであるし、小児病棟も実際の病院のワンフロアを貸し切り作り上げ、オーディションで選ばれた子どもたちも医療機器を付けたままで日々を過ごし、スタッフ全員も白衣もしくは医療着を着て撮影に臨んでいたのである。更に心臓移植手術シーンは手術を受ける子どもと家族の許可を得て手術室にカメラを入れた。だからドキュメンタリーと見間違う程のリアリティが生まれたのである。
河瀬直美作品の常連である尾野真千子は心臓疾患で子どもを失った弁当屋さん夫婦を北村一輝と演じたがコリーがカメラを向けたワンシーンで見事に泣かせてくれたし、同じく永瀬正敏は息子の心臓が入ったケースを見送るシーンで心を鷲掴みにしてくれた。尚、2人とも河瀬直美の取材でモデルの人がいるとのことである。主演のヴィッキー・クリープス、寛一郎をはじめ全ての出演者、スタッフ、関係者の皆さんありがとうございます。
「生」と「死」を真摯に見つめた傑作でした。河瀬直美代表作が出来上がりましたね、。
考えるきっかけ
このストーリーは?
心臓移植というテーマと、主人公のドラマが噛み合っていない印象を受けました。
医療シーンなかなかリアルな描写あったのですが、何故か主人公が医者に見えない。大学の研究生の雰囲気かな。
主人公と青年が恋に落ちる経緯にも説得力感じられず、その後に主人公が味わう喪失感にはシンパシー今ひとつでした。
役者さん達、みなさん大変いい芝居なさってたのでチョット残念。
ほぼドキュメンタリー
臓器移植後進国日本におけるドナーの少なさ、
という問題をベースに、
医者の葛藤、ドナー提供者の葛藤、
ドナーを待つ患者と両親の思い、
すぐ近くにいた入院患者の死を目の当たりにする、
正論はわかるが実態がついていかないジレンマ。
失踪についても、
失踪扱いだが存命の方も多くいるはず、
でも、死亡したとの申請・扱いをされる。
それで負担が減る家族もいるという現実。
主役ビッキー・クリープスはもちろん素晴らしかったが、
脇を固めた、尾野真千子、北村一輝、永瀬正敏が実にグッとくる演技をしていた。
この俳優陣が演技をしている他は、ドキュメンタリーテイストなのだ。
であるがゆえに、臨場感とシリアスさが伝わってきて、
特に最後半はブッ刺さった。
たしかなものとは?
既に劇場終映した地域もあり、見逃した方々も多いようですが、単に小児心臓移植と失踪の映画と思われたのでしょうか。
この映画はそれらを題材にしながら、誰もが抱えている「喪失」に対するメッセージが込められたものに思えます。
家族や愛する人との時間や記憶が、いかに曖昧で、脆くフラジールな美しさを持ちかつ、強くなり得るかを問うた真摯な作品であり、新しい命のつながりを表現した意欲作、世界的な不和に満ちた今に、生まれるべくして生まれた映画と感じます。
本作、フランス資本で制作されたフランス映画のようで、2026年春にフランスで公開されるそうです。世界的女優であるヴィッキー・クリープスさんは、フランスでも非常に人気のある方のようで、フランスで大きな評価を得た後の、凱旋帰国上映にも期待したいです。
個の境界と日本
2025年。河瀨直美監督。神戸で小児科医の研修生(?)として働くフランス人医師は、移植を待つ子供たちがドナーを見つけられずに病院で何年も待ち続けている現状に疑問を持ち、日本の脳死をめぐる独特の文化的現状を調査している。一方で、屋久島で出会った日本人青年と恋に落ちて同居するが、自由に生きようとする彼との間に次第に齟齬が生まれていく、という話。
死の線引きとしての脳死のあいまいさと、蒸発した男の死亡宣告のあいまいさが重なっていく。前者は個人は死んでも生命というつながりがあるということになっていき、後者は個人はいなくなっても愛が残るということになっていく。要するに、個別の人生を超えてつながっていく生命と愛。具体的な場所としての森。河瀬監督のフィールド。
日本の部下的な特異性を探っていく主人公は、日本人自身がおかしなことに気づきながら自分の持ち場でやれることをやっていることに気づく。そして、理性的・合理的な結論を追いかけようとはせず、なんとなく共感していく。その共感の背景として(もちろん、自身と同じ生育環境にあったらしい日本人男性への深い愛情もあるのだが)、屋久島、神戸の祭り、電車の地下通路、七夕、といった日本の文化的な背景が静かに配置されている。遅々として進まない移植の背景には日本の文化的な特徴があるが、主人公がなんとなく共感していくのもまた、日本の文化的な特徴なのだ。このあいまいさに積極的にとどまるのが河瀬監督のフィールド。
ドナー
絶対に見たほうがいい映画
生きるなんて
これまでの人生で、これほどまでに嗚咽し、心が激しく揺さぶられた映画は他にない。
タイトルの「たしかに」という言葉には、「間違いなく」「本当にそうだ」という確信が宿る。一方で「幻」とは、「儚く消えてしまうもの」を指す。本来、対比する意味を持つこの二つの言葉を組み合わせたタイトルに、この物語のすべてが凝縮されていた。
「死」とは一体、何をもって決まるのか。
この映画のテーマは、臓器移植と失踪宣告だ。
脳死を「死」と判断するかどうかは、法律や解釈に過ぎない。命を扱う哲学は宗教や文化によって大きく異なり、そこには未だ人類共通のコンセンサスは存在しない。
臓器移植によって紡がれる命もあれば、提供する側には、愛する者の死を現実的に受容しなければならない過酷な時間が流れる。
論点は、輪廻転生を信じるかどうか、そして「死」を次の「生」へ繋げることを良しとするかどうかだ。残念ながら、日本では死を忌み嫌う習慣が根強く、臓器移植への理解はまだ進んでいない。フランスから来た主人公はその壁を破ろうと奮闘するが、現実は無情だ。
臓器移植を待ち望む子どもたちの、今にも消えそうな命の灯火を直視するのは、スクリーン越しであっても胸が締め付けられる思いだった。
もう一つのテーマ、失踪宣告。
たとえどこかで生きていたとしても、残された者の生活や事務的な手続きが優先され、法的に「死んだこと」にされてしまう。そのシステムとしての恐ろしさ。
「果たして、死とは何なのか?」
この映画が突きつける問いは、観る者の心を容赦なく抉ってくる。しかし、ふと目を瞑れば、彼らはそこに生きている。それは儚い幻ではなく、心の中に確かに息づく「実存」だ。
生と死は、決して分かつものではなく、常に共存するものなのだ。「たしかに」生きている私たちは今、その足跡をどう残していくのか。
自分の命を、誰かのために、未来のためにどう使うのか。
己の生き方を深く、あまりにも深く問われる一作だった。
涙が出ました
河瀨直美監督のTalk & Teach-inに行きました。
Documentary Perspective Perspectiveの哲学的意味について検索すると、 「人間はそれぞれの立ち位置(視点)からしか世界を認識できない」という認識論的な制約や構造を意味するそうです。 この作品は個人的主観ながら その事を強く意識させられました。仏蘭西🇫🇷から来日した女性医師を中心に物語は進む Documentaryかと思うほど現実を直視した内容で時には辛く揺さぶられます。「人間とは自己の利益を最大化にすることを目的として行動する個人」だと
よく政治学は主張しますが少なくてもこの映画に描写される母親の幼子に対する無償の愛は本物です。日々の生活では私たちの心はPublicとPrivateの両輪で生きているわけですがそのさじ加減が難しいですね。女性医師が同僚に見せない一面 それこそが河瀨直美監督の思考する世界観 理屈では割り切れないもの? 成瀬 迅は実在したのか それとも幻影なのか 観客に委ねられている。自分を含めて多くの人は個人主義で我が身が第一なのだが河瀨直美さんの場合は第一義的にそれは自然だと捉えていますね。Screenを通して観客席にその場面の空気が漂う。重たい主題である今回の作品は特に感じられます。個人が抱える死生観や宗教に対する概念は余り重要では無いのかも知れません。次回、鑑賞する時は舞台や背景を捨て去り女性医師の内面を考慮しつつ俯瞰してみたい。(ちょっと大袈裟ですけど🤫🤭😅) 終映後、programにautographして頂きました。宝物です。河瀨直美さんは美人さんですよね。😄この映画はshow businessの制約から多言語になってしまい色々!?苦労されたとの事 次の作品は主演も兼ねて自作自演でお願いします。柵から解放されて、、、。
数字だけ見てもわからない現実
1700余日と88日、これが日本とスペインの心臓移植待機日数の違い。
そして、日本の待機日数が縮まらないことを示すシーンの一つ、
この(心臓移植を行うことができる)病院で治療を受けたことを周りに知られたくない、
人の臓器をもらってまで行きたいのか、という声が当事者の心を裂く現実がある。
当たり前だが、大人なら提供者本人の生前意思確認ができる場合もあり、そうでなくても遺族は提供することを決断してるからこそ、移植は叶う。
当事者間では辛くとも納得して行われる医療に対し、赤の他人が蚊帳の外から感情論を吐く。
酷すぎる。
この映画はドキュメンタリーのようだった。
1700日と88日、この差が少しでも縮まるよう理解が深まってほしい。
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