オデュッセイアのレビュー・感想・評価
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何千年経っても、人間は同じ問いの前にいる
すごいものを観てしまった。
自分もオデュッセウスと共に長い旅をしたかのような気持ちになり、映画の新しい境地に足を踏み入れてしまったかのような、没入感と迫力だった。
製作費405億をかけ、世界初の全編IMAXカメラでの撮影。
今人類ができる最高峰の技術を使い生まれたこの作品は、ノーラン監督の細部にまでこだわるプロフェッショナルさと、俳優陣たちの熱演で、凄まじい作品に仕上がっていた。
正直、私はノーラン監督に対して大絶賛するほどのファンではない。
監督特有の、時間軸があちこちに飛ぶ構成はどちらかというと苦手だし『オッペンハイマー』や『ダンケルク』といった、実話をベースにした作品だと、いまいち盛り上がりに欠ける印象を抱いていた。
なので今回も、とりあえず全編IMAXカメラの映像美を堪能しようというぐらいの気持ちで観に行ったら、なんてこった。
映像だけじゃく、ストーリーもめちゃくちゃ面白い。
私の苦手な時間軸飛び飛びも自然でわかりやすく、構成も良い。
そして古代ギリシャの神秘的な世界観がありつつも、西洋最古の冒険叙事詩が、見事令和のファンタジーアクションと融合し、エンターテイメントとしても満足感がすごい。
あまりの面白さに、鑑賞中のニヤニヤが止まらなかった。
そしてストーリーだけではなく、この物語から伝わるメッセージもまた現代の私たちに響く。
勝つためなら、越えてはいけない一線を越えてもいいのか。
『オッペンハイマー』を観た時にも感じた、ノーラン監督の一貫した問いを、今作でも強く感じた。
原子爆弾を生み出したことでアメリカに勝利をもたらしながら、人類を核の時代へと進ませてしまったオッペンハイマー。
そして、知略によってギリシャ軍を勝利へ導きながら、勝つために神々の掟さえ利用したことに苦悩するオデュッセウス。
世界の秩序を保つために皆が守ってきた一線を、自国の利益を理由に越えてしまった時、その一線は以前と同じものではなくなる。
そして何より恐ろしいのは、その一線を超えたことで「勝利してしまう」ことなのだと思った。
勝利とは何なのか。
正しさとは何なのか。
目的のためなら、どこまで許されるのか。
紀元前の英雄譚を観ていたはずなのに、私には決して遠い昔の話には思えなかった。
今もこうして、国際法を守らずに一線を超えてくる国がある。
世界の秩序を守るために存在する掟やルールは、誰か一人の都合のためにあるものではない
だからこそ、それを守ることには意味がある。
何千年も前の物語を通して、今を生きる私たちにその問いを突きつけられたような作品だった。
観終わってもまだ、ノーラン・ワールドから戻れない・・・。
楽しみにしていたクリストファー・ノーラン監督の『オデュッセイア』。
感想はひとこと👇
やっぱり期待を裏切らない。巨匠ノーラン監督は健在だった。
ホメロスの『オデュッセイア』という言葉くらいは知っていましたが、ほとんど予備知識のないまま、今回は通常上映・吹替版で鑑賞しました。
まずもって、172分という大作に脱帽。
今回も水分・睡眠コントロールばっちりで臨みました。
エンドロールに並ぶロケ地の数を見て、まずびっくり。
ひとつの映画とは思えないほどの壮大なスケール。どのシーンからも、ノーラン監督のこだわりが伝わってきます。そして、その高い要求に応えきった製作陣や俳優陣の底力もすごい。
ここまで自分の作りたい映画を、巨大な規模で作り切れる。
やはりノーラン監督は巨匠だなと思いました。
キャメロン監督同様、「ザッツ・エンターテインメント」を本気で作る、獅子座の映画監督。
鑑賞後、興奮冷めやらぬ私がまずやったのは、
『オデュッセイア』の叙事詩についてYouTubeで復習すること。
さらにクリストファー・ノーラン監督について調べ直し、
極めつけはNetflixで『オッペンハイマー』まで再鑑賞。
気づけば、丸一日ノーラン漬けに……😅
家には帰ったはずなのに、ノーラン・ワールドから戻れない。
出演陣も豪華絢爛。
マット・デイモン、アン・ハサウェイ、トム・ホランド、ロバート・パティンソン、ゼンデイヤ、シャーリーズ・セロン……。
日本映画でいえば、まるで『キングダム』状態(笑)。
中でも、やっぱり主演のマット・デイモンは素晴らしかった。
いい歳の重ね方をしてるなぁ、としみじみ。
復習して分かったのですが、『オデュッセイア』は西洋世界では何度も語り直されてきた、とても有名な物語。ストーリーそのものは、意外なくらいシンプルです。トロイア戦争を終えた英雄オデュッセウスが、さまざまな困難を乗り越えながら、妻と息子の待つ故郷へ帰ろうとする。
ただ、家に帰る物語。
でも、その「帰るまで」に何を見るのか。
神に逆らうのか。誘惑に負けるのか。仲間を失うのか。それでも帰るのか。
物語がシンプルだからこそ、その解釈には大きな余白がある。
だから何千年もの間、さまざまな作り手がこの物語に挑み続けてきたのだと思います。
そして今回、ノーラン監督が選んだひとつの答えが、長編映画として史上初となる、全編IMAXフィルムカメラでの撮影。2000年代初頭、『トロイ』の監督候補だった頃から、トロイの木馬をどう見せるかというイメージを20年以上温めていたそうです。映画として結実するまで、本当に長い旅だったのだなと思います。
日本でIMAX独自の1.43:1画角を体験できる劇場は東京と大阪にたった2館しかありません。超貴重~✨
Dolby CinemaやScreenXなど、少し贅沢な映画体験のできるスクリーンもありますが、
私はまず、いつもの見慣れたスクリーンで作品そのものを受け止めるのが好きです。
通常上映でも、映像の迫力は十分。
まずは物語をしっかり味わう。
そのうえで二回目に、“贅沢スクリーン”で浴びる。
私はその見方が好きです。
そして次は、ぜひIMAXで観たい🎬
どんな時も、人間は大いなる自然や神には抗えない。
もし抗ったとき、そこにはどんな罪と罰が待っているのか。
神話の世界でありながら、人間の欲、慢心、愛、そして「帰る場所」への執着がずっと流れている。
そこが、この物語が何千年も生き残ってきた理由なのかもしれません。
ちなみに、今ちょうど別作品でも話題のセイレーンも登場します🧜
古代ギリシャでは、人魚というより「人と鳥を合わせたような姿」で描かれることが多かったそう。
……いらん豆知識(笑)。
音響だけは、少し私の好みではなかったけれど、それ以外は見応え十分!!
洋画の中では、今年いちばん面白かった作品です。
『オッペンハイマー』に続き、またアカデミー賞を賑わせそうな勢いまで感じました。
これぞ、ザッツ・エンターテインメントな映画🎬
本作は配信まで待たず、ぜひ映画館の大スクリーンで観てほしい一本です。
……と、ここまで書き終えて、私のノーラン熱もようやく平熱に😅
やっと、お家に帰れます♪
古典の懐、ノーラン監督の信念
ノーラン作品は映画館での鑑賞が定石。とはいえ基本長いし、最近特にややこしいのが多いしで、ちょっと身構えてしまう部分もあった。
ところがこの「オデュッセイア」、一応原作の骨子だけ予習した前提ではあるが、拍子抜けするほどわかりやすい(対ノーラン作品比)。その上スペクタクルの連続で、クライマックスの活劇もある。3時間弱という長さも全く気にならなかった。
過去作では極寒の惑星に取り残されたり(「インターステラー」)火星に取り残されたり(奇しくも邦題「オデッセイ」)その他諸々、割と散々な目に遭ってきたマット・デイモンだが、本作でも結構悲惨な目に遭う。
一つ目巨人キュクロプスの洞穴にうっかり入り込んで犠牲者を出した上に呪いをかけられたり、道中に猛獣が配置されて見るからに怪しい魔女キルケーの家に上がり込んで、部下をブタにされてしまったり(千と千尋か?)。受難の内容にいちいちエッジが効いている。
では、何故デイモン演じるオデュッセウスはこのように次から次へと困難に晒されたのか。直接的にはポセイドンの呪いということになるが、原作はいったん脇に置きこの映画の解釈として考えると、これまで時に部下の命を犠牲にし、トロイの木馬作戦においてはシノンを欺き「ゼウスの掟」までも破ることで武功を挙げてきた彼の因果応報であり、人間的な欲と罪悪感との板挟みを象徴する道程だったのではないだろうか。
木馬の傍でひとり敵軍と対峙したシノンは、本来は詩人ウェルギリウスの叙事詩「アエネーイス」の登場人物だ。「アエネーイス」でのシノンは木馬の中身を知っており、トロイア軍にこれは供物だと嘘をつく。
ノーラン監督はそのシノンを、徴兵のくじ引きでアンティノオスに騙され、その不正をオデュッセウスも見逃したことによって身代わりにされ、また木馬の中身を知らされないまま彼の知略の捨て駒にされた犠牲者として描いた。シノンは冥界を訪れたオデュッセウスを激しく糾弾する。
こういった描写によって、力を持つものが無自覚に生んだ犠牲への罪悪感、それを自覚する過程での我欲と倫理観のせめぎ合い、といったテーマが浮かび上がる。これは、ノーラン監督の前作「オッペンハイマー」にも通底するもののように思える。
映画のラストでオッペンハイマーは「私たちが世界を破壊した」と言って深い後悔を滲ませた。一方、オデュッセウスはテレマコスに王位を譲り、トロイア戦争の死者を悼むため西方へ向けて旅立つ。これもまた自らの行いへの後悔からくる行動であり、懺悔の旅路である。
科学技術や政治権力などの、本来ひとりの人間の手に余るような「力」に触れると、時に謙虚さや慎重さをおざなりにしてしまう。そんな人間の姿は、現代社会においてなお珍しいものではない。ノーラン監督が今映画化した意義をそのあたりに感じるし、成立から3000年近く受け継がれてきた物語の懐の深さ、スペクタクル作品としての色褪せない魅力に引き込まれた。
ところで、トリビアをひとつ。映画の本編上映前には必ずプロダクションロゴがいくつか流れるが、TSGエンターテインメントという出資会社のロゴは、オデュッセウスが12本の斧の穴に矢を通す(本作では交差した斧が並べられていたが)エピソードを描いたものになっている。YouTubeで「TSG Entertainment」を検索すれば見られます。あーこれか、となるはず。
本作は長編映画史上初の全編IMAXフィルムカメラ撮影となっている。これまで何故それが実現できなかったのか。資金的な問題かと漠然と思っていたら(それも一部にはあるのだろうが)、IMAXフィルムカメラの爆音問題が壁になっていたようだ。爆音というのは、撮影監督のホイテ・ヴァン・ホイテマが「暴走した芝刈り機」と形容するレベルの駆動音で、同期音声での台詞の収録が不可能なほどだったという。
近年、ノーラン監督やジョーダン・ピール監督の助言も踏まえて開発され、本作の撮影に使用されたラインナップ「キーリー」は、旧型に比べ騒音が約30%改善された。静かな会話の場面においてはさらに「ブリンプ」という防音ケースを装着するなどして、全編IMAXフィルムカメラ撮影を実現したそうだ。
(エンドロールで献辞の名宛人となっていたデイヴィッド・キーリーはIMAX社で長年最高品質責任者を務め、本作映像の品質承認も行なった人物だが、昨年8月に他界した。)
それでもカメラ本体の大きさや重さ、マガジン1本で3分しか撮影できないという制約など、ノーマルな撮影とは比較にならない困難が伴うことに変わりはない。加えて、ノーラン監督の実写へのこだわり。
配信全盛の時代にこれほどの信念と情熱を持って映画館で映画を観る楽しみの究極を追求してくれるノーラン監督には、日本の片隅のいち観客として感謝しかない。
Smartly Disguised as Hollywood Fanfare
Nolan winds his brooding spin around one the world's longest surviving tales in this belief-suspending fantasy. The film muses on the evolution of morality, almost as if it is pretending its an ancient Greek religious drama. The film reminds that flawed humanity is older than any state. As a technical spectical, the IMAX presentation of the epic is as eventful as spacetime folding back on itself.
構成のぎこちなさを超えてくるIMAXの臨場感
実は初見のときはあまりピンとこず、大阪のエキスポシティのIMAXレーザーGTで観て評価が相当上方修正された。思えば『ダンケルク』もそのパターンだった。お話としてはある程度馴染んだオデュッセイアの新解釈で、知ってるエピソードの羅列ではあるのだが、キルケーの辺りから現代的な視点が新たな刺激を呼び覚まし、クライマックスに至ると行き過ぎた世界に継承を鳴らす『オッペンハイマー』とほぼ同じテーマであったことが明かされる。「今回もまた?」という気持ちもあれば、ノーランの真摯さと捉えることもできる。が、見せ場が数珠つなぎにしたいささか無器用な構成ではあると思う。
ただ、フィルム時代のIMAXが持っていた「フレームが消失して目の前に映像だけが広がる感覚」に魅せられているノーランのはずなのに、IMAXとボケを多用しまくった絵作りとの相性がよくないように感じてしまっていた。のですが、エキスポシティの画面以外の余計な情報が目に入ってこない設計で観ると、ボケ味も含めて臨場感がただごとではなくて、世界観に放り込まれる醍醐味が語り口のぎこちなさを超えてきた。できれば池袋のIMAXも左右の壁の装飾を排してマットな黒にするなりして、画面だけに没頭できるようにして欲しい。やっぱり壁への映り込みでどうしても画面の端を「枠」として認識してしまうんですよね。
圧倒的な映像体験に息を呑む。もうその言葉に尽きる
視覚的体感とはまさにこのこと。IMAXスクリーンが放つ海洋の獰猛なうねりをはじめ、各場面がもたらす映像の豊かさとスケールに息を呑んだ。非線型のストーリーゆえわかりにくいという向きもあろう。だがそもそもホメロスの原作からして非線型。もしやノーランはこの構造を、自分がよく用いる語り口の原型のようにすら感じたのではないか。そして時系列でないからこそ、この過酷な旅路は圧倒的な体験となって我々の胸を軋ませるのかもしれない。世界の果てまで赴き撮影された数々の映像もさることながら、こういったリアリティの渦中に一つ目巨人などの異形の者たちが違和感なく入り込むのだから興奮はひとしお。と同時に、これは現代に向けて勢いよく放たれた一矢でもある。科学の世紀を描いた『オッペンハイマー』から人類最初期の叙事詩の世界へ。いずれも悲惨な戦争と言いしれぬ悔悟の念が絡み合い主人公の生き様を陰影深く織り上げている点が印象的だ。
スケールは大きいが内省的な内容
全編IMAXフィルム撮影であることを全面的に売りにしている作品だが、意外と会話している登場人物を切り返しで見せるみたいなシーンも多い。こうしたシーンをIMAXの画角で見せるというのは、果たして映画鑑賞としてどういう体験なのだろうと考えた。
一つ目の巨人など、スペクタクルなシーンではもちろんIMAXのスクリーンの大きさが活かされる。巨人はとりわけ縦にデカいわけだし。でも、172分の上映時間の中でそうでないシーンもいっぱいある。2人の人物が緊張感を持って会話しているみたいなシーンでは、むしろ大きな画角じゃない方が緊張感が生まれやすいのでは、などとも思ったりもした。とはいえ、この画角の映像は映画館でしか味わえないので、劇場体験という点でとても貴重なものではある。しかし、万能ではないよな、とも思った。
作品自体は面白かった。英雄の帰還は、物語の王道の一つ。なぜこんなに長い間帰ってこなかったのかを、単なる冒険譚にせずにトラウマからの回復期間として描くのはなかなかユニークだ。スケールはでかいが意外と内省的な内容になっている。
ノーランは古典から現代を紡ぎ出した
クリストファー・ノーランの最新作は古代ギリシャの詩人、ホメロスの叙事詩をベースにしている。この素材選びはノーランとしてはかなりチャレンジングなように思えるが、映画の構成とテーマは意外に一貫している。
主人公であるイタケの王、オデュッセウスがトロイア戦争を戦い終え、長い年月をかけて故郷を目指す過程で、ノーランは過去、現代、そして、未来と時間軸をシャッフルして、まるでトランプの神経衰弱ゲームみたいな楽しい混乱を観客にもたらす。その手法は『ダンケルク』で見せた"陸の1週間、海の1日、空の1時間"の交差ほどは設計的ではないかもしれないが、過去作との類似点を発見するとなぜかホッとする。
目新しさでいうと、強い影響を受けたという特撮の巨匠、レイ・ハリーハウゼンの作品に寄せたクリーチャーの登場がけっこう衝撃的だ。まして、I MAXフルスクリーンに手作り感満載の怪物が悲しげな表情で現れると、思わず身をすくめてしまう。ノーランがこんなことをやるなんて。
映画のテーマについて考えると、トロイアまで遠征し、多くの人命を犠牲にし、帰路に就くオデュッセウスを介して、個人、または国家の野望がいかに秩序を破壊するかを描いている点が重いと感じた。それはそのまま、今の時代を覆う危機感に繋がるからだ。これは前作『オッペンハイマー』とも共通する。
さらにノーランは、ゼンデイアやルピタ・ニョンゴやジョン・レグイザモ等、様々な血統を持つ俳優たちに重要な役を振ることによって、古代ギリシャの叙事詩、に対する観客のハードルを上手に下げている。また、トランスジェンダーの俳優として再スタートを切ったエリオット・ペイジを勇猛果敢な男性兵士役に起用するバランス感覚も絶妙だ。結果的に隅々にまでオールスター・キャストとなったのには理由があるのだ。
クリストファー・ノーランは再度のオスカー受賞も期待される『オデュッセイア』で、古典から現代を紡ぎ出した、と言えるのではないだろうか。
英雄の冒険と苦悩をIMAX絵巻で展開させるノーラン活劇の円熟味
振り返ると、クリストファー・ノーラン映画の主人公たちは英雄としての栄光の影で深い苦悩を抱えていた。正義や勝利のため、天賦の才と並外れた勇気で仲間を率い鼓舞し、幾多の試練を乗り越え冒険やミッションを輝かしい成功へと導く。だがその過程で、敵も味方も大勢死なせ、悲劇をもたらして恨みを買い、自身の存在意義さえ疑う。
冒険活劇の源流ともされる古代ギリシャの叙事詩「オデュッセイア」をノーラン監督が映画化したのは、古典の英雄譚を自らの手でよみがえらせる行為を通じて、自作で描き続けてきた英雄像を総括する意味があったはず。さらには、特撮映画の初期作品「シンバッド七回目の航海」などを最初に観た時の興奮や感動を、ノーランが得意とするIMAXフィルムカメラ撮影を経て大スクリーンに再現する、原点回帰の心持ちもあっただろう。
映画「オデュッセイア」で描かれるのは、トロイの木馬で有名なトロイア戦争や王位をめぐる争いといった歴史上あり得たであろうリアルと、神々や怪物が人間と関わったり戦ったりするファンタジーが地続きの世界。ノーランはこれまでもSFや戦争物でIMAX大画面を活かした迫力のアクションシーンを生み出してきたが、巨大なモンスターが同監督のIMAXスクリーンに出現する画力のインパクトは圧巻だ。戦争と怪物退治と権力闘争をシームレスに共存させるストーリーテリングにノーラン監督の円熟を感じた。
暴力装置
ディオニューソス祭の再演
原作のホメロス『オデュッセイア』についてAIに問うてみると、 「神の不興を被った英雄が、知略で困難を乗り越え帰郷を果たす──人類三千年来の物語構造のアーキタイプ」 といった説明がだいたい出てくる。
なるほど、ではあるが、そもそもアーキタイプとは何なのか。
その辺を本気でほじくり出すと、「昔話の形態学」から『英雄の仮面』まで十年ぐらいは勉強しなくてはいけないし、そんなことをしていると寿命が尽きてしまう。なので、以下は素人の独自解釈。
天罰を受けながら事を成し遂げるのは、人間が自分の意志で生きられるという宣言であり、知略で困難を乗り越えるのは、神から与えられた「力」に頼らないという意味で、これも人間の主体性を表す。さらに、神ですら彼から故郷を奪うことはできない。 ヒューマニズムの物語として受け取っておきます──で、「構造」には納得。
同じ帰郷の物語である『雨月物語』は間に合わず、オデュッセウスは間に合った。 オリエントである日本人は神に贖いきれず、オクシデントたるギリシア人は勝利する。 また、女性であるボヴァリー夫人のトロイア戦役は不倫の妄想の中でしかなく、しかも帰郷することもできなかった。 西洋の男だけが帰郷に成功するのだろうか──この辺はいろいろ議論されていくだろう。
『オデュッセイア』の功績は、物語のもっとも重要な形のひとつを提供したという点にある。 もっとも形式としては滅んだジャンルだから、私たちが見るとかなり不思議な物語にも見える。
長大な物語なのに、オデュッセウス以外の登場人物は彼の障害や目標に過ぎず、自律的に存在しない。 ペネロペも部下たちもオデュッセウスを補完するための存在であり、エピソードも有機的につながっていない。 同じような物語が並列につながった、いわゆる「団子の串刺」である。 オデュッセウスには行動と感情と策略しかなく、内面が不在。
だから、この叙事詩を再生させるときは換骨奪胎するのが常道で、映画だけでもざっと見ただけで『マッドマックス 怒りのデス・ロード』や『2001年宇宙の旅』など、いろいろ成功例がある。
ギリシア神話をそのままの形式で映像化して成功したのは、パゾリーニぐらいだろうか。 この仕事は古代の物語を「今」がのぞき込めるように注力したものだから、観客の共感をあさる必要はなく、その分「難解」のレッテルを貼られたりする。
それなのにクリストファー・ノーランは直球で原作ホメロスなのである。
観客を古代人の共感へと引き込むための仕掛けは恐ろしく緻密だ。 カットバックを縦横に使った作家得意の時間魔術はここで最大の効果を発揮し、単調な物語を立体的に浮き彫りにしている。 主人公に「トロイアを攻めた自分たちが、実は暗黒時代をもたらす海の民の一派であった」(歴史的事実ですね)と語らせて反戦のテーマを織り込み、そこかしこの役柄に自然に多様な人種を配置して白人の物語としてみられることを避けている、さらにアン・ハサウェイに「私は20年女王として君臨してきた」と語れせて男性主体のストーリーを中和する。このように現代人が反発する要素を注意深く取り除いたうえで、音楽や特撮描写で異世界を描き切る。 ありとあらゆるテクニックを使って、おそらく三千年前にホメロスの語りを聞いたギリシア人の高揚を現代に再現してみせる。
圧巻としか言いようがない。
難解といわれる作家だが、いわゆる芸術家ではなく、見る者が言葉にできない感興をまるごと提供してくる天才エンターテイナーなのだと強く感じた。 同時に、あの『オッペンハイマー』も反戦ではなく「神の力を手に入れた男」の恐怖と高揚を観客に味わわせたエンタメだったのだと思うと、やや複雑な気持ちにもなる。
IMAXで観るのでは無く、IMAXで体感せよ‼︎
【追記①】2026.10.7
2回目を観た…。
良かった…。。なんという事だ‼︎
ギリシャ神話を勉強して観たら、全然最初と違ったのだ!感動して涙迄出てきたのだ…。
オデュッセウスの苦悩と贖罪が良く分かり…
自分が犯した数々の罪… ゼウスの掟を破った事… 街を破壊した事… 罪なき人々を残虐した事… 味方迄騙した事… 亡くなった沢山の部下の事…
だから女神カリュプソによって留められたのも実は自分自身を許す事が出来ずに意図的に留まったのでは無いかと迄考えてしまう。。(だから意図的に花を食べ続けたのでは⁉︎)彼は直ぐには帰れなかったのだ。罪の意識により帰りたいが帰れない…
そんな事を考えた。そして西の果てに贖罪の旅にでるのだ。沈む夕陽を追いかけて…。。 弔いの旅だ…。。
【レビュー】2026.9.5
(この映画はめちゃくちゃ期待していた……)
(しかしあまり期待してはいけませんね……)
IMAXシアターのみの先行上映をこの近場では1番良いとされている映画館で観て来た。席は殆ど満席に近かった。。 チケットは事前に購入していた為、最高の席で鑑賞出来たのだ。
作品はタイトルも出ずいきなり始まる感じであった。
IMAXの画面は縦に長く僅かな曲先の為、迫り来る巨人や一回りも二回りも大きな騎士団との戦いが画面いっぱいに広がる。また音圧も相当なものでビリビリ感が椅子までくるのだ。まさしく没入感と体感は半端ない‼︎ 今迄IMAXを体験した事が無い方は是非!味わって欲しい!違いなくIMAXで体感するための映画だ‼︎
これぞ劇場映画!ただ簡単なあらすじ知ってからの鑑賞をすすめます!
ネトフリ、アマプラ等配信全盛の時代、足を運んででも劇場の大画面、大音響で体感したい映画、それがクリストファー・ノーラン映画。
しかも今作はいよいよ全編IMAX撮影という、監督のIMAX撮影の拘りと気合いが到達したとも言える記念碑的作品として劇場で観ない訳にはいかない!ということで109シネマズ大阪エキスポシティシネマ(IMAXレーザーGT)で鑑賞。
今作が史実ではなく、神話が織り交ぜられた古代ギリシャの叙事詩「オデュッセイア」を映像化したということで、日本人には馴染みが少ない神話要素がテーマにもなっている為、Wikipediaとかで簡単なあらすじを知ってから鑑賞した方が楽しめると思います。(結末までは読まない方が怒涛のクライマックスを楽しめます。)
個人的にあらすじを読み、ストーリーを楽しむというより、この神話をノーランがどう映像化してるのか?という点に興味を持って鑑賞しましたが、IMAXの迫力も相まって期待を裏切らない映像クオリティーで、上映時間170分超えの長尺を感じさせないあっという間の体験でした。
映像の迫力、美しさもさることながら、ストーリー的にも2800年前に書かれた叙事詩(「オデュッセイア」は人類最古の物語と言われている)とは言え、戦争がもたらす対価、代償など、現代も続く大国による戦争がもたらす代償、愚かさを考えさせられます。現代の戦争を主導する指導者たちにも神々の裁きを与えて欲しいと思いました。
ぜひ劇場での鑑賞をオススメします!
すごい
トロイア戦争のシーンが迫力があるなーと思っていたけど、エキストラ1200人使って撮影しているのはえぐい。
しかもほとんどの撮影でCGを使わず、実物を作った撮影や物理的な特殊効果を使っての撮影をしているところに感心した。
約三時間あって長いはずなのにあまり退屈しなかったし、
まったく原作も前提の知識も知らないまま見たが全然楽しめた。
個人的には最後のオデュッセウスが弓を使って正確に的に当てた後、求婚者たちを倒していくシーンはかっこよすぎて一番気に入った。そんな若くないのにまだそんな強いの?!と驚いたシーンでもあった
一つだけ嫌だったところは光が点滅するシーンがきつかったのでそこは気をつけた方がいい思った
日本人には馴染みのない話なので、海外との評価は違うと思う。
凄く良く出来ているのですが、ホメロスの叙事詩は西洋人には、豊臣秀吉の話ぐらいメジャーな話ですが、日本人には、あまり馴染みがない。実際、レビューにもトロイの木馬しか知らない人が、なんで一つ目の巨人とか出てくるの?昔の戦争話なのに意味が分からんとか書く人もいるくらい。なので、個々もエピソードも西洋人には、あーあの話はこうしたのね とか分かるが日本人にはうーーん。先の豊臣秀吉の話だと草鞋とか一夜城とか備中大返しとか日本人なら知ってるけど、西洋人知らんよね。そこいらが、かなり丁寧に表現されているとはいえ、知ってるよね前提の脚本が所々感じたので、そこいらが若干、低めになりました。出来れば、事前に予習してから見る方が良きと思います。
久々に映画らしい大作を見ました。
原作についての予備知識はなく、冒頭でストーリーについていけるかちょっと不安になりましたが、どんどん引き込まれました。神話としての、当然のように怪物や魔女、1.5倍ぐらいの体格の人が出くる展開が、全く不自然でないところがよかったです。そういうのが映画らしくて、久々に見た感じです。日本でも「古事記」をこういう規模で映画化したら、おもしろいものができそうな気がします。
「千と千尋の神隠し」みたいなところがあったり、正体を明かさずにひと暴れするところが「水戸黄門」みたいだったり。
IMAXの大画面だったので、没入感はありましたが、なるべく隅々まで見てみましたけど、周囲の映像には、あまり重要なものは映っていませんでしたね。
ハリウッド映画では、出演者の人種バランスみたいなことを求められるようですが、戦士にアジア系の顔の役者さんが出ていたのは、違和感がありました。
「ニュー・シネマ・パラダイス」で、途中夕立で中止になる野外上映の時にかけられていた「ユリシーズ」も同じ原作の映画。なんとなく既視感があったのは、そのせいですかね。こちらも改めて見てみようと思います。
長編なのでトイレが我慢できないのは理解できますが、頻繁にスマホでSNSをチェックしていたヤツがいて、同伴者も注意していませんでした。そんなにSNSが気になるのなら、無理に映画館に来なくていいのに、と思いましたね。
久しぶりにハリウッドの凄さ感じた
正直お腹いっぱいです。
久々ノーラン!IMAX!!豪華キャスト!!
素晴らしいショット、重厚な音楽、マッドディモン渋くなったな、いつまでも綺麗なアンハサウェイ、トムホとバーゼルのデジャブ感、ロバートパティンソンのクズっぷり、ルピタ可愛い、サイクロプスきもい、キルケーのシーン怖い、エリオットペイジやはり男になったのね、静かなセンディアは似合わない、最後の決闘開始の弓のシーン激熱!、いやいやマッドもトムホも刺されすぎじゃね、とか見どころたくさん、いいシーンが続くのですが正直お腹いっぱい。ご馳走はやはり食べ過ぎてはいけません。
やはり古代からの昔話がベースなので、物語の疾走感や爽快感、少々の突っ込みどころもなく、いい映画をみた!とはなりませんでした。ノーラン特有の、細かいリズムを刻みながらの音楽は相変わらずでしたが、この物語には不必要かと。音楽なりすぎです。
やっぱり私の中ではダークナイト、インセプションがピークだったかなー
トロイア戦争だけなら、2004年のブラピとエリックバナの「トロイ」の方はずっと面白いです!!
苦しい父親と、不憫な息子
圧倒的な戦いのリアルさと、帰りを待つ家族の物語
まず圧倒されたのは、戦闘シーンのリアルさと、トロイの街の造形。そこに街があり、人が生き、戦争によって壊されていく実感がある。特にアテナ像の首が落ちたときのオデュッセウスの表情は印象的だった。あの表情に何が込められているのか、観終わってからも考えたくなる。
そして、この壮大な冒険を通して強く感じたのが「家族」というテーマだった。帰ろうとするオデュッセウスだけでなく、待ち続けるペネロペの葛藤や、父の不在の中で育つ息子テレマコスにも重みがある。帰る側と待つ側、それぞれの時間が描かれているからこそ、再会に意味が生まれる。
キルケが、カラスの姿をした妹の命を脅かされて仲間を元に戻す場面にも、家族への思いが見える。どんな関係や姿であっても、失いたくない存在なのだろう。カリュプソのもとでの忘却の誘惑も、苦しみとともに帰る理由まで忘れてしまうのか、という点で同じテーマにつながって感じられた。
終盤の戦闘は、とりわけ印象に残った。弓矢を射る場面から、十数人を相手にオデュッセウスが一人で立ち回る流れには、戦い抜いてきた者の強さがある。その一方、上階ではテレマコスが一対一の戦いに挑んでいる。父のようには戦えず、弱さの見えていた息子が、それでも必死に戦って勝つ。この二つの戦いが同時に描かれるのがよかった。
父の強さを見せるだけでなく、息子が自分の力で一歩を踏み出す場面でもある。テレマコスの勝利は、やがて王となっていく未来への前段として描かれているように感じた。父が帰ってきてすべてを解決するだけでは終わらないところに、この家族の物語の厚みがある。
家族のために帰るというテーマ自体は新しくない。それでも、圧倒的な映像と、冒険の各所に織り込まれた家族への思い、そして息子の成長によって、見応えのある作品になっていた。
全1080件中、1~20件目を表示













