センチメンタル・バリューのレビュー・感想・評価
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その余白、その視線の先をじっくり味わえる、一度で二度美味しい映画
この時期になると、アカデミー賞云々という言葉が飛び交う。映画業界はさぞ神経をピリつかせているに違いない。洋画は私の主戦場ではないが、そこはミーハーな私。基本は押さえておきたいので、本作も例に倣って鑑賞。
近年、作品賞を受賞(しそうな)作品にはあまり縁がなかったのですが、久しぶりに「好きかも」と思える作品でした。ここは玄人映画の感性にほんの少しだけ自分の感性が近づけた瞬間と、素直に喜びたい…😅
無駄のない(少なくとも私にはそう感じた)余白が、あり余る想像力を掻き立てる。
その視線の先、その無言の奥を、つい覗き込みたくなる映画とでも言いましょうか。
「あの映画の監督さんね、はいはいはい」「主演もあの女優さんね、はいはいはい」なんて、少し知ったかぶってみたい病も発動🫣
洋画はあまり詳しくないけれど、「わたしは最悪。」あの時ちゃんと押さえておいて良かったわ…と密かに思う瞬間🤫
家族という、一番センシティブで難しい問題に、繊細にして鋭く切り込んだ作品。ラストまで観ても、大団円のスッキリ感は全く得られません⚠️
でも、そこが私は好き。
その後、この父と娘はどんな一年を過ごしたのだろう?
この家族の真のカタルシス(和解、浄化)はいつ訪れるのだろう?
持ち帰った余白をじっくり味わう。
映画が二度美味しくなる瞬間です。
人の感情というのは、「許す」「許さない」の二択ではない。それほど複雑で、いくらでも形を変えるもの。その生の感情がリアルに伝わってきて、一瞬ドキュメンタリーなのではないかと疑いたくなるほど。
嫌いだった父親に、実は一番似ているかもしれないと気づく娘。
映画監督の父が、最愛の娘にほんの少し近づけたかもしれないと感じた瞬間。
そしてそれでも家族の蟠り(わだかまり)は続いていく。
永遠にずっと。多分…。
一番愛している人が、一番嫌いなあなた。
そしてその嫌いな人は、自分の中にも住んでいるかもしれない。だから複雑で難しい。
さあ、矛盾に満ちた世の中を愛でよう🥳
あかん、想像と創造が止まらなくなる…。
これが、私の好きな映画の基準。
余白を持ち帰って、もう一度味わう。
そんな映画でした。
好き嫌いの分かれ目は、余白や曖昧さを許せるかどうかになりそう🤫
何事も白黒はっきりつけるのがお好きな方には、あまりお勧めしません。
加えてファミリー向けではないかもしれませんが、興味のある方はぜひ映画館でどうぞ♪
なぜセットで撮影したのだろう
大変すばらしい作品だった。今年はこれ以上の作品に出合えるとは思えない。
俳優の娘と著名映画監督の父親。かつて家庭を捨てて出て行った父親に、娘は心を開くことができないでいる。母の死をきっかけに再会した2人だが、父親は娘を主演に映画の企画を検討している。自らの家族の物語をなぞるようなその内容に、娘の気持ちはざわつきを抑えられない。俳優の長女と家族を持つ次女の対比、映画監督の父が娘の幻影を投影するアメリカ人人気俳優を巻き込んで、心のひだを丁寧に描く。
新鮮な題材ではないし、強烈な今日性を宿した内容でもない。しかし、確実にしっかりと観客の心を捉えるその人間模様の丁寧な描写に心奪われた。
どうして、家族を捨てた父親は、娘のことをあんなにもわかっているのか。すごく残酷なような救いがあるような、何とも言えない感情がこみ上げてくる。
いくつかの、考えがいのある謎を残して終わるのもすごくいい。映画監督の父は実際に家族が過ごした家での撮影に当初はこだわっていたが、最終的にはセットでの撮影を選んだ。あれはどうしてなのか。どうしてなのかわからないが、何かしっくり来るような気もするのだ。答えが欲しいわけじゃなくて、なぜセットにしたのかを考えている時間が至福なのだ。
単なる家庭内ドラマ、業界内ドラマではない理由
かつて家族を捨てた映画監督が、あろうことか舞台俳優をしている実の娘を主役に据えた自伝的作品の撮影を始めようとしている。色々予感させるきな臭いプロローグだ。
その後、物語はこじれまくった父娘関係の橋渡しをしようとする次女の視点も加えて、芸術家としての老いを痛感している父親の焦り、舞台俳優なのに舞台恐怖症に苦しんでいる娘の複雑怪奇なトラウマ、そして、父親がどうしても描きたかった家族の歴史、等々が浮かび上がって、ちょっと想定外の面白さを見せ始める。
シルフィルにとっては、随所に挿入されるフェリー二やベルイマン、またはウディ・アレンから影響を受けたと思しきショットが気持ちをウキウキさせる。監督のヨアキム・トリアーが肌感覚で感じているはずのストリーミングサービスの台頭もさりげなく描かれていて、目新しくはないが映像業界の現実にも配慮した脚本に抜かりはない。
とある北欧の街で生活を営み、その後別れ別れになったとある一族のヒストリーは、何かを作ることでしか前に進めない芸術家の宿命に言及することで、凡庸な家庭内ドラマの枠からはみ出ている。でなければ、きっとオスカーの主要候補には挙がっていないのだ。
愛着と喪失
レビューを書く前の下調べで知ったのだが、英題「Sentimental Value」と意味的に一致するノルウェー語の原題「Affeksjonsverdi」は一語、つまりノルウェーでは「愛着や思い入れのあるもの」という文脈でごく日常的に使われる単語なのだそう。そんな言葉が生活に根差していることを、ちょっといいなと思う。
この映画で主人公ノーラたちにとって愛着のあるものといえば、やはり建物としての「家」だろうか。ただ、擬人化された家がそこで暮らす家族たちについて語るナレーションを挿入するセンスは、万物に神が宿るとする日本的感性にも近い気がする。
舞台女優のノーラ、妹で主婦のアグネス、2人の父で映画監督のグスタヴ、グスタヴが新作映画の主演をオファーする米女優レイチェル、以上4人を軸にさまざまな要素を盛り込んだストーリーが展開する。親から捨てられた子の喪失感、姉妹の絆、老監督が自伝的映画を撮るということ(映画作りについての映画でもある)、ナチスドイツによるノルウェー占領時代のレジスタンスに参加したグスタヴの母、戦争のトラウマと自殺などなど。語りのテンポはゆったりしていて本編尺133分が長いと感じる人もいるかもしれないが、これだけ多くの要素をこの時間によくまとめたものだと感心。
監督・脚本のヨアキム・トリアーと共同脚本エスキル・フォクトはともに1974年の51歳。中堅どころの世代だが、高齢のベテラン監督が描くような話であることに驚かされる。トリアー監督は長編全6作の脚本をフォクトと共同で担ってきたが、「自殺」を繰り返し扱っているのも気にかかる。身近な人を自殺で亡くしたとか、なにか執着する背景があるのだろうか。
グスタヴの新作のオリジナル脚本はノルウェー語だったが、米女優を主演に起用することになって脚本が英語に翻訳され、レイチェルはノルウェー語訛りの英語発話を試みる。この一連のエピソードで、ハリウッド映画の文化帝国主義的傲慢さ(非英語圏を舞台にした映画で米国のスターを起用し英語劇で作る)をさりげなく批判しているのも個人的に好きなポイントだ。
父と娘の人間模様を突き抜ける深度で描いた傑作
これは『わたしは最悪。』を凌ぐヨアキム・トリアーの最高傑作と言っていい。父娘の人間模様を扱った物語でありながら、しかしそこには映画監督の父と女優の娘という、まさに”表現者”ならではの葛藤もあり、各々のプロフェッショナリズムが炸裂する場面では、舞台芸術、劇中映画のワンシーンなど、ハッとするほどの格調高さが充満する。と同時に、これは視線の物語だ。「わたしを見てくれてる?」という思いを抱えたまま大人になった女性と、それに対してきちんと返せぬまま時が経ってしまった父。目線は今なお絶えず交錯する。そして面と向かって言葉にできない思いは一冊の脚本の中に。繰り返されるセリフや場面、家の成り立ち、一族の歴史といった要素すら織り交ぜつつ、傷つきながらも懸命に答えを、帰るべき場所を模索する二人の姿はリアルで感動的だ。それを支える妹、外からの新鮮な風を吹き込ませるファニングといい、全てが完璧に機能し合っている。
映画という鏡を通して見える家族
華やかにみえても内面は葛藤だらけなのかもしれない。女優ノーラも、女...
華やかにみえても内面は葛藤だらけなのかもしれない。女優ノーラも、女優レイチェルも、どちらも脚光を浴びつつも辛さを抱えている。レイチェルが吐露する演じている役との接点のなさは、女優としてしっくりくる役にめぐりあえてない焦燥感なのかもしれない。そしてそれは、誰しもある感覚なのかもしれない。今のこの場所、しっくり来てる?ここでいいの?って。
愛着のあるものはいろいろあれど、それをずっと大事にし続けてきたとは言い切れない。でも大事なのは確かなことだったのに、うまく伝える機会がなかったりする。姉妹の伝えあいは本当に素敵だった。大事な人に大事だよって言えること、言われることはもっともっと頑張ったほうがいいと思ってる。空気として感じとれることだとしても、言葉は形になるのでしっかり伝わりやすい。この作品で一番ぐっときたのは姉妹の絆。
不器用な父と、傷つけられた娘たちの模索が丁寧に描かれていてよかった。
全てお見通し?
お見事!
見れば見るほどナイトライダーのデボンさん😁
父帰る
を思い出した。
ただそれだけ。
最近本当に観たいと思える映画が少ない。
無理して観る必要はないのだが、
こんな田舎で映画館を維持してもらえていることに多少は貢献したい。
なので、今回も内容が許容範囲で時間が合った作品を選択。
ヨーロッパの映画祭で賞を穫った作品とは相性最悪なのは承知の上。
そして、やっぱりゲージツは理解できなかった。
まず、ヒロインに全く共感できず、めんどくさい女としか思えなかった。
かまってちゃんで無責任、周囲がなぜ重用するのか理解できない。
有名監督の娘だからか?
その有名監督もいただけない。
この父にしてこの娘あり。
こういう御大でございます的振る舞いは鼻持ちならない。
制作する映画もラストシーンを観る限り、私には良さを理解できない。
唯一心が動いたのはヒロインの妹の姉に対する思い。
姉がいたからこその自分だというシーンには長男として心に響くものがあった。
来週も映画難民は続きそう。
父と娘の確執。
面白かったし、楽しんだけど私自身は親との関係良好なんで、ピンと来るところは無かった。
スカルスガルド父はだんだんSir.ジョンギールグットぽくなってきてカッコ良い。エルファニングもアメリカ有名女優らしく華やかで、野心家で、繊細で半身のアンドロイドからのギャップが良かったよ。あて書きされた脚本別な人がやるのはきついよなぁ。対するノルウェー女優陣姉妹、良いコントラストだ。
簡単な話、子供を捨てた映画監督が女優になった娘と仕事したいと言ったら断られた話。娘的にはやりたいが、やりたくない…そりゃそうだ。しかも実際の実家(めちゃ素敵)でやな思い出もあるもんなぁ。
結末の旧家のリフォームとスタジオ撮影だけど、みなさんレビューでも?と書いてるが「完全に再生は無理だけど、まあまあ外見的にはいけてる関係に収まった」…という事じゃないかと私は理解した。
しかしカンヌグランプリほどの内容かな?という疑問が少しある。カンヌ審査員みんな家庭崩壊しとるのかな?
誰の視点にも立つことが出来る
妻や二人の娘を捨てて家を出て行き著名な映画監督となった父が、今や女優として活躍する長女のもとを突然訪れ「お前に当て書きした脚本を書いたから、この映画に出て呉れ」と依頼するお話。今も父を許せない長女は即座に拒絶します。
この作品は、脚本も演出も俳優も全て見事だったな。2時間余りの物語の中に、十年以上作品の撮れない父親も、舞台女優でありながら舞台に立つ恐怖から逃れられない長女も、今や主婦となっている次女も、憧れの監督に乞われてアメリカから遣って来た女優も、登場人物全員の思いが深く織り込まれ、誰の視点に立っても物語を観る事が出来るのです。そして本作は、単なる家族再生の物語であるだけなく、「芸術とは何なのか」「創作には全てが許されるのか」などの問いまでもを潜ませています。
終盤は、お互いに分かり合えたかの様な暖かさで終わりますが、いやいや本当にそうなのかの疑問も残るのです。長女は父をまだ許してはいないけれど、その作品の芸術性に心打たれただけでないのか。また、この父親は後悔している様でいて家父長的傲慢さは何も変わっていないのではないか。
でも、この映画ではそこを描き切る事はありません。それは作劇上の計算なのでしょうか、監督自身も気づいていないのでしょうか。本作を女性監督が撮っていたら違った作品になったのではないだろうか。その様に、観終えてから様々に想像を巡らせてしまうのも力の有る作品の証でしょう。
センチメンタル バリュー
普遍的な物語として人生について色々と考えさせらた
役者さん達の好演
カンヌ好きそうなー。
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