落下音

劇場公開日:2026年4月3日

解説・あらすじ

北ドイツの農場を舞台に、それぞれ異なる時代を生きる4人の少女が体験する不可解な出来事を描いた映像叙事詩。

1910年代、アルマは同じ村で自分と同じ名前を持つ、幼くして死んだ少女の気配を感じる。1940年代、戦争の傷跡が残るなか、エリカは片足を失った叔父への抑えきれない欲望に気づき、自らの得体の知れない影に戸惑う。1980年代、アンゲリカは常に自分の肌にまとわりつく“何か”の視線におびえていた。そして現代、家族とともに移り住んだレンカは、自分の存在が消えてしまいそうな孤独感にさいなまれる。4人の少女の不安は百年の時を経て響き合い、北ドイツの農場を静かに覆い尽くしていく。

本作が長編第2作となるドイツ出身の新鋭マーシャ・シリンスキが監督・脚本を手がけ、2025年・第78回カンヌ国際映画祭コンペティション部門にて審査員賞を受賞した(オリバー・ラクセの「Sirât」と同時受賞)。

2025年製作/155分/PG12/ドイツ
原題または英題:In die Sonne schauen
配給:ギャガ
劇場公開日:2026年4月3日

オフィシャルサイト

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第78回 カンヌ国際映画祭(2025年)

受賞

コンペティション部門
審査員賞 マーシャ・シリンスキ

出品

コンペティション部門
出品作品 マーシャ・シリンスキ
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(C)Fabian Gamper - Studio Zentral

映画レビュー

3.0 B26016 ワタシの記憶がたびたび落下した

2026年4月20日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

2026年公開
こんなん2時間半以上起きとけ、いうのが無理やで

最初は正直、何を見せられているのか分からない。
時代は説明なく飛び、人物の関係も掴みにくい。
だがそれは悪いことではなく
この映画の“設計”そのものだと途中で気づく。
ただし物語を追う映画ではなく、
「状態」や「感情」が世代を超えて反復されていく
構造になっている。
わからんけど見なあかんな、という感じ。

監督は、「理由がはっきりしないのに湧き上がる不安や
恐れはどこから来るのか」は
世代を超えて引き継がれていく感情の存在だ。と。
そんなもん考えるな(笑)
恐ろしい監督が出てきたもんだ。
まあ、某女性コメンテーターが日本のオトコはー!
って言ってるけど
あんたの大好きな欧州も大概やで、と言ってやりたい。
60点
鑑賞 2026年4月20日 イオンシネマ草津
配給 ギャガ

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NWFchamp1973

1.0 Spell

2026年4月20日
iPhoneアプリから投稿

どうも説明がなさすぎる、それぞれの時代を生きた4人の少女の姿を映す未体験の映画という事だけを頭に入れて観ましたが、いやーこれは相性が悪すぎました。

各年代によって文化が発展していく中でも、女性に対する扱いや立場の変化が希薄というところに不満を持ち、それがやがて死に繋がるといった感じではあるんですが、いかんせんどの時代の少女たちも言い回しをアレンジしているだけで延々同じことを言っているだけですし、意味ありげなショットがまるで機能していないとかいうトンデモ仕様の連発なので、体が捩れそうでした。

短く、というかより詰めてブラッシュアップできそうな内容なのに、監督なのか制作が原因なのか、同じシーンをずっと映したり、スローモーションを入れてみたり、楽曲を流して終わらせようとしたりと色々やるくせに全く意味は存在しないので、ただただ苦痛な時間が延長されるという一種の拷問だなと思いました。

読解力が乏しいせいで見れなかったのか、説明どころか趣旨が行方不明だったから終始意味不明だったのか、これを楽しめる人はすごいと思います。

余談ですが、目の前のカップルが上映中ずっとイチャコラしてキスまでしちゃってて嫌でも視界に入ってくるのでニ重で疲れました。
夕方の「落下音」やぞ?もう一度、夕方の「落下音」やぞ?

鑑賞日 4/19
鑑賞時間 17:00〜19:45

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ブレミンガー

4.0 風景の下に沈む「名もなき声」を、私たちは想像できるか

2026年4月20日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

知的

​山中を歩けば、時折、打ち捨てられた家や宿が廃墟となって立ち尽くしているのに出くわすことがある。そこは最初から無人だったわけではない。かつて「誰かがいた」からこそ建物は建てられ、生活の灯が灯っていたはずなのだ。

今の私たちに、当時の営みを確かめる術はない。しかし、その朽ち果てた構造物こそが、かつてそこに確かな歴史があったことの動かぬ証左である――。

​マーシャ・シリンスキ監督の『落下音』が描き出すのは、まさにこの「かつて存在したはずの誰か」の痕跡を、100年という円環の時間のなかで手繰り寄せる、静かな、しかし痛烈な試みである。

​・「労災」という言葉が奪うもの
​本作を観て最も戦慄を覚えたのは、命の消滅が「役割」の失敗として処理される瞬間だ。劇中、凄惨な出来事が「労災」という記号で片付けられるシーンがあるが、ここに現代社会にも通じる深い闇を感じるように思う。

​役割をこなすことが仕事であり、その途中で出来損なったから「労災」として処理する。その言葉が使われた瞬間、その人が生きた証や苦悩、つまり「人間としての中身」は不可視化され、ある意味では存在そのものが社会から抹消されてしまう。

​・円環の構造、逆転の視界
アルマたちが家で追いかけっこをするときに何周も部屋を回転するように撮影するが、​カメラが捉える「家をぐるぐる回る」動きは、そこから抜け出せない因習や役割の連鎖を象徴していると感じた。

四つの時代、四人の少女。繰り返される悲劇。その閉塞感の中で、本作は「落下=上昇」「死=救済(脱出)」という逆説的なロジックを提示する。
​「逆さまにしたら違う光景が見れる」というセリフは、日常という皮膜を一枚剥がした先に、死によってようやく手に入れた「自由」があることを示唆しているかのようだ。エリカの入水自殺という悲劇的な選択すらも、そこから脱出するための切実な手段として描かれる。

​・81年前の日本、そして今
​この映画が映し出す「一見して何の変哲もない場所」に潜む恐怖は、決して遠いドイツの寓話ではない。日本においても、81年前の戦争で大勢の人が亡くなった場所の上に、今の綺麗な街並みは建っている。原爆ドーム周辺や空襲の跡地。整備され、美しくなりすぎた風景を前に、私たちはそこにいたはずの人々を、ともすれば容易に忘れてしまう。

​「想像することしかできないけれど、思いを馳せることはできる」。
​劇中の人物たちは架空かもしれない。しかし、歴史の狭間で虐げられ、声も上げられずに消えていった人々は間違いなく実在した。彼らを忘れないために、記憶に焼き付けること。気軽にアクセスできるようになった場所であっても、その土の下にある重層的な歴史を想像すること。

​本作は、私たちが生きる「今」という地平が、いかに多くの沈黙の上に成り立っているかを突きつけてくる。スクリーンを閉じた後、いつもの帰り道が、まるで違った重みを持って迫ってくるような、稀有な体験だった。

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マルホランド

5.0 言葉にできない感情の時代を超えた共鳴

2026年4月20日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

言葉では表現できない感情、不安感、空気感、
規律、規範からの逸脱、(世間一般からみて)異質なものへの興味、不謹慎な想像
そして時間軸という物理を超えたそういった何か秘密めいたものの共鳴が
あまり発展しない(脈絡の少ない)パッチワーク的な構成で描かれている。

ラストシーンからも、とくに精神的に抑圧された女性、
解放の模索という社会的なテーマは通底にあるようにみえるが、
一本道の明瞭な道筋が提示されているわけではないので、果たしてどうか。

セリフも少なく、動きのほとんどない画面の長いカットがあったりするので、
受動的な鑑賞は許されず、忍耐を強いられたし、疲労感も大きかったが
こういう映画体験もたまには良いかなと思った。

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HK